綺麗な満月だ、と思った。
アトリエを借りて読書に耽っていた藤原フウカは、ベランダから差し込んでくる光に視線をやって、ふと考える。
中秋の名月、澄金色の月明かり。
この情景には、そうした表現が耳に馴染む。
季節によって月は金色にも銀色にも見え、その月光はそれによっては温かく柔らかにも、冷たく鋭利にも感じられる。
月というだけで一体いくつの表現が出来るだろう、とフウカは改めて感嘆し、思いに耽る。
斯様に風情を感じさせるには、自分ならどのように書き綴るだろうか。
あるいは、彼女なら、どんな言い回しを好むだろうか。
その思考を中断させたのは、こんこん、というノックの音だった。
返事を待たずして扉から覗いたのは、自身と同じく、ただし全く異なる目的で、時折アトリエに来ている少女。
「ちーっす・・・っとと、こりゃ失礼」
中にいたのがフウカ一人であるのをみとめて、彼女はわずかばかり面食らっていたが、それでも顔を引っ込めることはしなかった。
フウカは軽く会釈をしてから、彼女のアテが分かっていたので先にそれを告げる。
「城ケ崎さんも夏目さんも今は居ませんよ」
聞いて、彼女は少し意外そうな顔をした。
「あの二人がちゃんと夜に寝てるなんて珍しーね・・・?」
さもありなん、フウカはしかめつらしく頷いてみせる。
彼女が言う事も尤もだが、その理由もまたフウカは知っていた。
「昼夜が二回逆転してしまったんですよ・・・もしかすると四回、六回かもしれませんが」
「ありゃま」
マーゴ先生の知るところとなれば怒られるだろう二人を思い浮かべたのか、彼女もまた苦笑していた。
そういうわけで彼女のお目当ての人物たちは今ここにはおらず、見ず知らずのフウカしか居ない。
なので彼女は「じゃあまた来るね」と部屋をあとにする・・・と、フウカは思い込んでいた。
「あのさ、ちょっとお話してもいいかな?」
「えっ・・・ああ、ええ、はい、構いませんが・・・」
「そんじゃお言葉に甘えて、お邪魔しま」
動揺のままに頷いてしまったフウカに微笑みかけて、彼女はするりとアトリエに入室する。
慣れた様子で部屋の隅の丸椅子を持ってきて、跨ぐようにしてそれに座った彼女はフウカと目を合わせてはじめに、首を傾げてこう言った。
「ひょっとして、あんたが
フウカも首を傾げた。
「わ、わらち?私は藤原フウカと言いまして・・・」
「良かった、合ってた」
「合ってたんですか・・・?」
フウカは反対側に首を傾げ直してから、その独特な呼び名をどうにか呑み込む。
そしてそれとは別に、彼女が自分を知っていることにも疑問を持った。
「えっと、すみませんが、こうして対面でお話するのは初めてでしたよね?」
牢屋敷生活もそろそろ「長い」と表現して差し支えない時間を過ごしたので、ここに住む少女達とは恐らく全員とどこかですれ違っているし、多少見知った仲ではあるはずだ。
しかしフウカは中でも内向的な性格(自負している)であることもあって、いかにも真逆そうな彼女、ギャル子・・・銀屋ルコのことは、名前ぐらいは知っていても話したことはない。
しかしギャル子は、ニヤニヤとした笑みを浮かべてこう言うのである。
「知ってるよ~、なっちーをイジめたって!」
「えっ、いやあの、それは・・・」
「じょーだん、じょーだん」
なっちーこと夏目アンアンとはひと悶着あったのは事実なので大いに狼狽えたフウカに対して、ギャル子は片手でひらひらと払う仕草をしつつも愉快そうに笑っていた。
「あ、なっちーもそんな風には言ってないからね。ゴメゴメ、気悪くした?」
「い、いえ・・・それなら良かったですが」
「まあなっちーが最初ガチヘコみしてたのはマジなんだけども」
「・・・そうでしたか」
その流れで、その件にどういう関わり方をしたのかを彼女は話してくれた。
そしてアンアンがその日以来、より創作活動に意欲的になっていたことを付け加えて、ギャル子は言った。
「あんがとね、ワラちー」
「えっと、お礼を言われるようなことはしていないのですが・・・?」
本気で分からなかったのだが、ギャル子はまたまたぁ、とおどけている。
「ま、なっちーも大概だけどねえ。こないだなんて野菜が嫌いだーって、ノアちーと一緒に大騒ぎでさぁ」
「ああ、はい、聞きましたよ」
「んっとにね」
けらけらとギャル子は笑う。
ギャル子とフウカの共通の話題はやっぱり、自然とその二人のことになる。
「・・・あの子ら、どうもほっとけないっていうかさ・・・庇護欲?ママみ?みたいな?」
「はあ」
すごく同意し辛いフウカの反応で、彼女はさらに恥ずかしくなったらしい。
やっぱ今のナシ、とぱたぱた手で扇いで、誤魔化していた。
「そういうワラちーは、ノアちーの方とは仲良し?」
「・・・まあ、そう言って宜しいかと。彼女は夏目さんに比べると大人ですから」
「どストレートいくじゃん」
「事実ではないですか?」
「ん~~~~~ノーコメント!」
よっぽどウケたのか、ギャル子は手を叩いて笑っていた。
別に冗談のつもりではなかったフウカはやや当惑しつつも続ける。
「私はこの場所をお借りしている立場ですから、城ケ崎さんとは仲良くしていませんと・・・とはいえ夏目さんといつも楽しそうにしているので、私はそれを見ているだけですが」
「あ~、そだねえ・・・ま、でも」
ひとしきり笑った後で、ふう、と息を吐いて。
ギャル子はそこで、声のトーンを少しだけ落としていた。
「ノアちーもさ、たまーに陰があるってか・・・時々そーゆーとこ見えちゃうんだよね」
「・・・そうなんですか?」
「隠すのめっちゃうまいけどさ」
それは、フウカにはよく分からないことだった。
しかしそうまで言われて、確かにノアとは幾度も会話を交わしているのに、彼女自身のことはほとんど何も知らないし、自分が特に知ろうともしていなかったことに気がついた。
そしてそれは、アンアンに対しても同じであることにも。
「・・・もしかしたら、そういうところなのかもしれませんね」
「ん?」
「なんでもありません」
作家というのは誰しも多かれ少なかれ自分の世界を持っていて、その内に何を創り、何を取り込むかを日々選び取っている。
自分はそこに没頭するあまり、他人が持つ世界のことをやや忘れていたかもしれない。
牢屋敷に囚われる以前の人付き合いや、それこそ囚人時代の軋轢のことを思い出して、フウカは少しだけ反省した。
大して周りなど気にしていなさそうな、見るからにギャルな彼女・・・という印象を抱いていた彼女から、そんな話を聞けるとは思っていなかったフウカは、ふむ、と考えを改める。
「知見を得るには、やはり普段と違うことをしてみるものですね、という話です」
「あーね?」
それは他とは異なり、多少の熱を込めたフウカの台詞だったのだが、今度は逆に。
首を傾げつつ曖昧に笑って、ギャル子はそれこそ気にしていないかのように流していたのだった。