アトリエと中庭を繋ぐベランダ。
そこの手すりに寄りかかって、マーゴは憂いの滲む表情で佇んでいた。
視線を動かせば、同じく中庭に面している廊下や部屋の窓から、そこを駆けて横切ったり、何事かを話し合い、笑い合っている少女達が見える。
目覚めた少女達は、すっかりこの屋敷の住人として馴染んでいる。
「あの子達に情が移ってしまうのが嫌なのよ」
マーゴは虚空に向かって言い訳をした。
ここのところ、彼女達に必要以上に関わらないように、それとなく避け続けているその理由。
それは彼女達が近しい存在となったこと、それ自体がマーゴにとっては、好ましからざる変化である為だった。
魔女裁判という惨い出来事に見舞われ、心に傷を負った、あるいは元々あった傷を抉られた彼女達。
そんな彼女達が目覚めてから島の現状を理解するまで、自分を守るため、そして他人を守るために分厚く身に纏っていた殻。
誰も信じてはいけない。誰にも心を許してはいけない。
それはマーゴにはとても馴染み深く、またそれこそが信頼に足るものだった。
そうした戒めを明確に自覚し、他者との関係を嘘で塗り固めてきた自分が守ってきた一線。
ある時は踏み越えてしまったそれは魔女因子のせいだと言う事もできたが、その一線そのものは、今なおマーゴの心の奥に引かれているものでもある。
その線が、牢屋敷での暮らしに慣れるにつれて着実に近づいてきてしまっていることを、マーゴはここ最近になって自覚していたのだった。
このまま誰かを信じて、心を許してしまえば、いつか。
誰かを
それをマーゴは恐れ、彼女達を避けていたのだった。
その禁忌に触れないように。
「分かっているわ・・・エマちゃん、ヒロちゃん」
長い独り言は良くない兆候だと分かっていながら、あるいはそう思っているからこそ、敢えて自らをさらに戒めるように、呟いた。
「貴方達がくれた言葉は、ちゃんと私の中に息づいているから・・・」
「それでは二人とも死んだみたいではないか」
「きゃっ・・・」
突然背後から何者かにそう指摘されて、マーゴはつい一瞬、らしくない悲鳴を上げてしまった。
口を押さえながら振り向くと、そこにいたのはアトリエの住人の片割れ。
夏目アンアンがすぐ後ろに立っていて、声を掛けておきながらきょとんとしていた。
どうも今の声がマーゴの本当に口から出たものかどうか疑っているような表情だったので、気まずく咳払いを一つ挟んで、マーゴは平静を装った。
「ア、アンアンちゃん・・・いつからそこにいたの?」
「ついさっきだが」
いつもの通りやや尊大な物言いで、アンアンは答える。
マーゴはそう、と頷きながら、内心で自戒を強めていた。
ナノカといい、自分の同期達はなぜか人の背後を取るのが妙に上手いが、魔女候補として共に暮らしていた頃のマーゴならそれを許したことは無かったと思う。
やはり、気が緩んでいる。
「隣に来たらどうかしら、風が気持ちいいわよ」
湧いてしまった僅かばかりの警戒を気取られたくなくて、マーゴはそうする心配がないようにと笑顔を作って彼女を誘った。
しかし、その内を看破されたわけでもなさそうだったのに、彼女は顎を引き、首を振った。
「・・・わがはいは、そこへは行かない」
どうして、と言いかけて、マーゴは気がついた。
そこは、アトリエから中庭へ接するベランダ。
「・・・そうね、そうよね」
ここに住む少女達には、それぞれ寄りつかない場所というものがある。
嫌なことを思い出してしまうから。
きっとアンアンの場合、当事者との距離が今なお近いことも大きな理由の一つなのだろう。
彼女だけでなく、誰もが暗黙のうちにそうしていることをマーゴも知っていた。
ノアもまた、中庭には決して足を踏み入れようとしないのだ。
アトリエの中、彼女がいつもいる場所へ向けた視線をアンアンが追って、彼女もまた睫毛を伏せていた。
「ノアは・・・今は、描いた絵を見せてくれる。他の連中が褒めれば素直に喜ぶし、わがはいが口出しをしたとしても不貞腐れるだけだ」
視線はいくつもの落書きがされた壁紙を滑って、机の上。
何も書かれていない白紙を、アンアンは眺めて。
「だがそういうことがあった時は決まって・・・
「・・・そう、なのね」
「無意識だろうがな。わがはいも指摘したことはない」
アンアンはそこで「また刺されるからな」と不謹慎過ぎる冗談を言ってマーゴを苦笑させる。
そしてマーゴは、今度は、自省した。
自分のことばかりだった、と。
「貴方達の方はもう大丈夫なのかも、なんて思ったこともあるけれど・・・それはとても配慮に欠けていたわね、ごめんなさい」
「べつにマーゴが謝ることではない」
アンアンは吐息混じりにそれを言った。
「わがはいもノアも、お前と同じだ」
それで多分、ついさっき来たという最初の台詞は嘘だったのだろう、と思った。
はじめから、マーゴの様子を心配でついてきたのかもしれないと。
「つまり、お前もまた苦しんでいることを、わがはいたちは知っている・・・つもりだ」
「・・・あら、そうだったの」
「そこで意外そうに言うな」
期待通りに口を尖らせてくれるアンアンに微笑んでから、マーゴは妖艶そうに見える笑みを取り戻そうとする。
しかしそれは、意外にもさらにその先を続けたアンアンによって遮られた。
「マーゴ。おまえは本音を隠すのが上手い」
「あら急に上手だなんて、嬉しいわ」
「褒めてない。そういうところだぞ」
実際まったく嬉しくもなんともないのにそう口にしたマーゴは、そんなアンアンの嫌そうな視線と指摘を受けてほんの少しだけ反省した。
良く回る口車は、すっかりマーゴの癖になっている。
「それに他の連中はすっかり騙されて、お前を先生などと呼ぶ・・・だから今更、後に引けないのだろう?」
「・・・私は、ナノカちゃんほど頑なに同じ仮面を被っているつもりはないのよ?」
「ふん。付け替えるのがいくら上手かろうが、素を見せないのなら同じことだろう」
流石は、文字で物事を表現することを嗜む者というべきか。
言葉遊びは思いのほかあっさりと突破されてしまった。
「だから、もしマーゴが・・・もし本音の中で、口にしてもいいと思えるものがあるならだが」
少しだけ恥ずかしそうに。
一瞬だけアトリエの隅に置いてあるスケッチブックに目をやるも、アンアンはやはり、自分の口で、とでも思ったのか。
「わがはいにくらいは・・・言ってもいいと思う」
そう言ってくれたのだった。
そしてマーゴはその時ばかりは、仮面を被る気にはなれずに。
「・・・ええ、そうね、そう思うわ」
頷いて、自然に見えるように笑いかけたのだった。
「ありがとう、アンアンちゃん」