毒使い   作:キタノユ

10 / 119
ep.8 負傷

 一年後。

 

 母と別れ、凪之国の民となり、霽月院(せいげついん)に入り、学校へ入学し――。

 様々な出来事が巡ったあの夜から、二度目の春が訪れていた。

 

「大月君、ちょっと」

「はい、小松先生」

 

 一時間目の授業が始まる前の、短い休み時間。

 二学年目も担任となった小松先生に呼ばれ、青は教職員室へ向かった。

 

「おめでとうございます!」

 

 そこで渡されたのは、二枚の証書だった。

 金の箔押しで縁取られた厚紙の証書、その中央にしたためられた文字はそれぞれ、

 

 合格証書 三級 薬術

 合格証書 三級 毒術

 

 とある。

 

 側を通り過ぎる他の教員も、ちらりと証書を覗き込んで「すごいじゃないか」と祝辞を残して去っていく。

 

「すごいです、すごいです、大月君! 頑張りましたね……!」

 

 小松先生は小さく両手を打ち合わせ、珍しくはしゃいだ様子を見せた。

 

「やった……! ありがとうございます、先生」

 

 実のところ、三級の試験内容はほぼ資料室で読んだ本の通りで、応用問題も藍鬼の作業を盗み見た知識で事足りた。

 合格する自信はあったが、こうして証書を手にすると、紙の厚みと箔押しの凹凸が、手触り良く感じる。

 

「先生のおかげです」

 実際、小松先生の薦めと導きがあってこそ、青は試験に挑むことができた。

 

 技能職の制度、試験の手順、試験勉強のコツ。

 小松先生はそれらを丁寧に教えてくれた上、手続きも取り計らってくれた。

 

「三級を取ると、医療院や薬剤店で薬を扱うお手伝いができるようになります。でも、学校を卒業するまで、副業は禁止ですからね?」

 小松先生は、大真面目に念を押す。

 

「しませんってば」

 同じ念押しをされるのも、これで三度目だ。

 どうやら、過去に手を焼いた前例があるらしい。

 

「それより、二級も受けたいので、勉強をがんばります!」

 青の答えは、小松先生を安心させたようだった。

 

 

「小松先生、今の子、二年生ですよね?」

 教職員室を去る青を見送りながら、隣にいた教師が小松先生に声をかけた。

「はい。大月青君です」

「三級合格の最年少記録って、何歳でしたっけ」

「え?」

 

 言われて、小松先生は手元の資料冊子をめくる。

 生徒の資格試験受験に関する記録をまとめられたものだ。

 

「十歳前後が多いですが……あ」

 細い指が、ある頁で止まる。

 

「五歳がいました。もう二十年以上前ですね」

 

 

 青が教室に戻ると、トウジュとつゆりが出迎えた。

 二学年目も晴れて、三人は同じ組となっていた。

 

「合格? すっげーじゃん!」

「おめでとう!」

 

 証書を目ざとく見つけたトウジュは、両手を高く掲げ、つゆりは小松先生と同じようにぱちぱちと拍手する。

 小さな騒ぎに、教室内のあちこちから好奇心まじりの視線が集まった。

 

「風邪ひいたら、セイに薬作ってもーらお」

「あ、それ助かるー。苦いの嫌だから、甘ーいのにしてね」

「まだそこまでできないよ」

 

 一年の間に、自然と三人で過ごす時間が増えていた。

 今では確信を持って、二人を「ともだち」と呼べる。

 

 トウジュはますます神通術の才能を伸ばし、いまや火・水・風・雷・地の五種すべてを操れるまでに成長していた。

 加えて、抜群の運動神経を発揮し、術のみならず体術でも頭角を現しつつある。

 

 つゆりは風術に特化し、学年で「一番の風使い」との呼び声も高い。

 正義感が強く、おせっかい焼きなのも相変わらずだ。

 

 一方の青は、水と地の術との相性を自覚してからは成功率が上がり、つゆりの指導を受けることで、最近では風も発現するようになった。

 二人に比べると神通術の才は劣るが、それを補うように学問を磨いた。

 

「でもさ、オレらの学年でそんなん取ってる奴いねぇし、やっぱすげーよ」

 入学初日に小松先生を小馬鹿にして場を騒がせたトウジュだが、あれからすっかり態度を改めていた。本来は、他人の名誉を率直に喜べる素直な性格なのだ。

 

「トウジュだって、飛び級するんじゃないかって、噂を聞いたよ」

 凪之国の初等科は、国民の教養育成の場であると同時に、法軍にとって優秀な人材を発掘する場でもある。

 特に神通術や体術の成長には個人差が大きく、飛び級は珍しくない。

 

「そうなったらさ、別々になっちゃうし、つまんねーよ」

「えー、さみしいの? トウジュ」

「いなくなったら僕もさみしいよ」

 

 つゆりがトウジュをからかい、青がなだめる――。

 これが、この一年で確立した三人の関係性だった。

 

「飛び級といえば知ってる? すごいセンパイがいるって話」

 そして、つゆりは情報通だ。

「~といえば」は、彼女の決まり文句である。

 

「去年、七歳の時に初等科を卒業して下士に合格したんだって」

「七歳?! 僕たちと一つしか違わない時に? すごいね」

「聞いたことあるぞ。『学校はじまって以来の天才』ってやつ」

 

 下士に合格。

 すなわち、正式に軍属となったということだ。

 そこから年齢は関係なくなり、階級と実績のみが評価される世界となる。

 

「その人、誰? つゆりちゃん、名前知ってる?」

「き、きょ……? うーんと、下の名前だけ覚えてる。なんとかサイロウって名前」

「サイロウ?」

 

 どういう字を書くのだろうと考えているうちに、一時間目の予鈴が鳴った。

 生徒たちは慌てて席につく。

 小松先生は時間に厳しいのだ。

 

「サイロウ、か……」

 教科書や資料を並べながら、青は首を傾げる。

 そんな見知らぬ天才の名が、妙に心地よく耳と心に響いた。

 

 

 森の作業小屋で藍鬼に遭う確率は、五回に一回ほどだ。

 

 薬術と毒術の三級合格の報せを携え、いつものように転送陣を経て森にやってきた青だが、小屋は無人だった。

 

「師匠、任務かなぁ……」

 

 いて欲しかったな、と肩を落としながら室内へ上がる。

 最近は長期任務が多いのか、遭遇率が低い。

 

 一刻ほど、棚の本を読んで時間を潰してみたものの、今日はもう諦めるしかないようだ。

 

 余談だが、棚にある本は触ってもいい、と許可されている。

 こっそり他のものに触れると、なぜか後でバレるのだが。

 

 藍鬼に会えなくとも、森を通り抜けて小屋を訪れること自体が、青にとって学びの時間だった。

 

 小屋には、霽月院の資料室にはない専門的な書物があるし、森では薬草や虫の種類を観察できる。

 投擲や術の練習場所にも、事欠かない。

 

 小屋を後にし、陣守の村へ戻る道すがら、青は足元の草を探りながら歩く。

 薬になりそうな植物を目で追い、種類を確かめながら進んでいく。

 

「ヨモギ、こっちはドクダミ、ミシマサイコ」

 

 三級の試験は、ほぼ暗記が中心だった。薬草の名称と効能を覚えていれば、合格できる内容だったが、二級はさらに飲み合わせ・食べ合わせ・調合の知識が求められる。

 

 群生するドクダミに手を伸ばし、一掴みを(つま)む。

 いたずらに調合に手をだすなとは言われているが、家庭薬として使われるヨモギやドクダミ程度なら問題ない。

 実際、いくつかの安全な処方箋は、藍鬼から伝授されていた。

 

「まあ、ほとんどお茶とかなんだけど……」

 洗って、乾燥させて、天日干しし、刻んで、すり潰し、煎じて飲む。

 要するに、健康茶の範囲を超えないものばかりだ。

 

 その中で、数少ない塗り薬の処方がある。

 同じ薬草でも、乾燥させるか生のまますり潰すかで、効能も摂取法も変わる。

 その事を理解させるために、藍鬼が青へ伝授してくれたのだ。

 

 暗くなる前に霽月院へ戻り、調合を試そうと、青は目ぼしい植物を一掴みずつ採集しながら歩く。

 

「……?」

 ドクダミの匂いに混じって、何か異質な臭いが青の鼻孔を掠めた。

 

 群生するドクダミの茂みから立ち上がり、青は臭いが流れてきた方へ顔をやる。

 風の流れを読む。

 臭いは、小屋の方角から漂ってきていた。

 

「血……?」

 手負いの獣なら、ここまで強く臭いを残すことはない。

 となると、人間?

 

 誰か、迷子か遭難者が、ケガでもして困っているのかもしれない。

 以前の自分のように。

 

 臭いを追って進むと、いつの間にか小屋が見える一帯にたどり着いていた。

 いっそう、錆の臭いが強くなる。

 

「え……」

 目を凝らすと、森の奥から小屋の入口へ、赤い筋が点々と地面に線を描いていた。

 それは開け放たれた戸口を跨ぎ、室内へと続いている。

 

「だ、誰が……」

 獣に襲われた負傷者が偶然みつけた小屋へ逃げ込んだのか、それとも。

 

 採集用に持っていた苦無を片手に握りしめ、青は忍び足で小屋へと近づく。

 慎重に戸口を跨いだ瞬間、つま先に何か軽い物が当たった。

 

 土間に、仮面が転がっていた。

 黒い鬼豹《きひょう》の、仮面。

 

「え、し、師匠の……?」

 震える手で、拾い上げる。

 外から差し込む光の下、仮面の表面に赤黒く乾いた液体がこびりついているのが見える。

 裏返してみるとと、内側にはまだ新しい血が、まるで彼岸花のような模様を描いていた。

 

「!」

 驚きで、息が引き()る。

 青は顔を上げて、室内を見やった。

 

 戸口から指す光の先、赤い筋は土間から居間へ、さらにその奥へと続いている。

 普段、青が立ち入りを許されていない奥の部屋の扉が、全開していた。

 

 光が十分に届かず、扉の向こう、暗がりとなっている奥の部屋の様子は、土間からではうかがえない。

 

「し、師匠? いるの……?」

 恐る恐る、居間へ足を踏み入れる。

 奥の部屋へ近づくごとに、強くなる血臭。

 それに伴い、奥の部屋から、音が聞こえてきた。

 

「は……っ、……は……」

 

 息遣いだ。

 荒く、苦しげな喘ぎ。

 

 近づくにつれ、それは明確になっていく。

 光源がわずかに届く範囲まで進むと、やがて見えてきたのは――

 

 まず青の目に入ったのは、足。

 床に横倒しになった男の姿。

 黒い履物(はきもの)、黒い衣服に包まれた、脚。

 腿には、針差しが装着された革帯。

 

 さらに一歩近づくと、かすかな光が上半身を映し出した。

 不規則に上下する胸。

 見覚えのある腰帯、道具袋、刃物差し。

 

 そして、力無く放り出された腕には、凪の紋章を刻印した腕章。

 

「師……」

 駆け寄ろうとして青は、踏みとどまった。

 

 光は、奥の部屋で倒れている男の、血で濡れた口元までを映している。

 そこから上は、影に隠れていた。

 

 仮面は土間に落ちている。

 つまり――

 

「どうしよ……」

 

 顔が見えてしまう。

 だけど、見えたところで、何が問題になるというのか。

 顔を見せられない理由も、聞いていない。

 

 それなのに、そこにあるものが、とてつもなく禁忌のように思えた

 その意識が呪縛のように、青の足を竦ませた。

 

「ごほっ……、は……」

 咳き込む声。

 

「!」

 青は我に返る。

 

「見ない……見ない……」

 青は自分の道具入れから、手ぬぐいを取り出した。

 

 見ない、見ない。

 そう自分に言い聞かせながら、視線を外し、焦点をぼやかす。

 そうして、そっと、藍鬼の顔に手ぬぐいをかけた。

 

 鼻筋から目許、額が隠れるように巻き、軽く結ぶ。

 これで、人相は判別できない。

 

「し、師匠、分かる? 聞こえる?」

 声の震えをおさえて、青は懸命に呼びかけた。

 応答がない。

 ここまでしても気づかない、そのこと自体がもはや異常だった。

 

 血で汚れた口が、浅く不規則な息を絞り出している。

 胸当てに包まれた胸部が、苦しげに上下している。

 

 黒ずくめの衣服でも分かる、腹部あたりにじわりと滲む濃い染み。

 血がまだ止まっていないのか、それとも、傷が開いたのか。

 

「き……傷を、あら、洗わないと……」

 青は持っていた苦無を逆手に握り直した。

 おっかなびっくり、藍鬼の衣服の腹部を裂く。

 

 (あらわ)になったのは肌色ではなく、黒ずんだ、皮膚。

 脇腹の広範囲が毒々しく変色していて、その中心で鮮血が脈打つように滲み出ている。

 

「これ……」

 その色に、青は見覚えがあった。

 森で妖獣に襲われた時、自分の腹に残った、妖瘴(ようしょう)と同じ。

 

 呪いや特殊な毒の類だと、藍鬼は言っていた。

 だけど青には、解毒の方法が分からない。

 

 できることを、するしかなかった。

 

「まず……まず、洗って……」

 考えろ、考えろ、と自分に言い聞かせる。

 

「血を止めて……それから?」

 村まで走って、助けを呼ぶのか。

 けれど村までは、一刻半の距離。

 

 こんな時に、つゆりのように風術を使って高速移動ができれば――

 

「……あとで考える!」

 悪い考えを取り払うように、青は頭を振った。

 立ち上がり、戸口へ走って桶を掴む。

 小屋を飛び出し、小川へ走って水を汲んだ。

 戻って、土間の竈門に水を入れ、火を焚べる。

 着火程度の炎術であれば、使えるようになっていた。

 

「着いた……良かった……!」

 自分の些細な成長に感謝しながら、青は水が残った桶を手に奥の部屋へと戻る。

 

 手ぬぐいを濡らし、藍鬼の傷口周辺の血を拭い去る。

 黒ずんだ肌の中心に、裂傷が確認できた。

 かすかな呼吸に合わせて、そこから血が滲み出ていた。

 

「血が、止まらない……」

 これも、妖瘴のせいだろうか。

 それでもまだ、やれることはある。

 再び青は居間へ戻ると、棚から薬研(やげん)を取り出した。

 すぐに煮沸(しゃふつ)消毒し、先ほど森で集めた薬草を洗う。

 

 止血と化膿止めの効果があるものを選んで、手早くすり潰す。

「確か、乾燥させると、効能が落ちるって、言ってた……」

 生ですり潰すと抽出できる精油成分に、強力な殺菌成分が含まれている――頭の中で、藍鬼の声を思い出しながら、無心で作業を進めた。

 

 煮沸した布で()して絞り出した液体を皿に集め、(しぼ)(かす)となった草を切ったサラシの上に薄く塗る。その上に、濾した液体を浸すように塗る。

 そうして出来上がった即席の止血剤を、傷口の上に貼り付けた。

 

「あ……そうだ、薬があったんだ」

 思い出して道具袋を探ると、藍鬼に分け与えられた解毒と解熱効果のある粉薬があった。

 

 薬袋を手に、ちらと藍鬼を見やる。

 師はまだ苦しげな呼吸と共に、眠ったように横たわったままだ。

 意識がない人に、粉薬を飲ませられるのだろうか。

 

「……そうだ!」

 思いついて再び、青は(かまど)の前へ移動する。

 

 道具袋から、非常食の兵糧丸(ひょうろうがん)を一粒取り出し、まな板の上ですり潰す。

 それを粉薬を混ぜて、沸かした湯で溶く。

 すると、少し粘り気を帯びた、葛湯(くずゆ)のような状態になる。

 

 薬や毒は、粘膜(ねんまく)を通して体内に浸透するとも、聞いた。

 飲み込めないのであれば、口の中に留まらせておくだけでも、効果があるのかもしれない。

 

 奥の部屋へ戻り、部屋の隅に積まれた掛布を引っ張り出した。

 畳んで枕代わりに、藍鬼の頭の下に敷く。

 木匙(きさじ)で葛湯をほんの半掬(はんすく)いだけ、少しずつ口へ流し込む。

 

 咽ないように観察していると、こくりと嚥下音がした。

「飲み込めた……!」

 試しにもう半掬い流してみると、今度はほどなくして飲み込んだ。

 

「……これで、少しでも持ち直したら……」

 その時は、急いで村まで走る。

 助けを呼びに行く。

 

 そう決めて、青は使った道具の片付けを始めた。

 

 

 あらかた片付け終え、師の様子を見に戻る。

「……ず」

 微かに、呼吸に混じって声がした。

「み……」

 

 水。

 乾いた唇が、僅かに動いていた。

 

「水が欲しいの? 分かった、待ってて!」

 立ち上がり、居間を抜けて戸口へ向かったところで、

 

「わっ!」

 

 何かに正面からぶつかった。

 反動で後ろに倒れ込んで、土間の段差に腰掛ける形になった。

 

「な、なに……?」

 顔を上げると、視界に伸びる影が映る。

 戸口に、人が立っていた。

 

 まず目に入ったのは――妖鳥の面。

 

「わああああ!!」

 

 現れたのは、男――凪の法軍所属と分かる胸当、腕には凪の紋が刻まれた腕章《わんしょう》を装備していた。

 

 そして顔には、猛禽(もうきん)の仮面。

 鋭い(くちばし)(かたど)った異形(いぎょう)の仮面を装着し、足首まで届きそうな長さの外套(がいとう)を、羽織っていた。

 

「と、鳥……?」

 尻もちをついて後ずさる青を前に、鳥仮面の男は「はて」と低く呟く。

 

一師(いっし)に子がいるという話は聞いたことがないが」

「え、な、何、ですか?」

「まあいい」

 

 自己完結した男は戸口を越え、青の体をまたぐように大股で居間へ上がり込んだ。

 

「あの! 誰、誰ですか! 師匠の知り合いですか?」

「師匠?」

 

 奥の部屋へ向かいかけた足が止まり、仮面が振り返る。

「っひ……!」

 猛禽に睨まれたカエルのように、青は体を硬直させた。

 

「――後で聞こう」

 青から再び顔を背け、男は「一師」と呼びかけながら奥の部屋へ足を踏み入れた。

 

「……」

 男はしばし、掛布を枕に眠る藍鬼を見下ろす。

 青も、恐る恐るその背後に続いた。

 

 沈黙の後、

「見たのか」

 外套の肩越しに妖鳥が振り向いた。仮面の奥から、鋭い視線が放たれる。

 

「え……」

 すぐに、男の意図を悟る。

 顔を見たのか、と問うているのだ。

 

 男から、ざわりと毛が逆立つような、殺気が沸いた。

 

「み、見てない、見てません! 僕、だから、手ぬぐい、見ないように」

 青は必死に首を横に振る。

 

 とにかく、何も見ていないと伝えなければ、殺されてしまう。

 それほどの恐怖だった。

 

「……」

 怯える青から顔を背け、男は藍鬼の傍らに膝をついた。

 

「ボウズ、お前がこれを?」

 男の指が、藍鬼の腹に(ほどこ)された手当跡を指し示す。その手甲には、獅子の紋章。

 

「僕、解呪はできないから、それくらいしか……」

「十分だ」

 男は、外套の下から小さな小瓶を取り出した。

 

 片手で器用に(ふた)を外し、中身を傷の上に流した。液体が、妖瘴跡全体を浸すように広がる。続けて男は、両手の平を上下に重ねて腹の傷の上にかざす。

 

「解呪」

 かつて藍鬼が青に唱えたものと同じ言葉を口にする。

 すると液体が瞬時に蒼く発光、発火した。

 男は両手で青い炎をかき集め、握りつぶす。

 蒼い炎は消え、男の手のひらに黒い(すす)が残った。

 

「ボウズ」

「は、はい」

 呆気に取られて男の作業を見ていた青が、肩を震わせる。

 

「水」

「はっ」

 思い出して青は土間へ走り、桶に残った水を水筒に移して藍鬼の元に戻った。

 

「飲ませてさしあげろ」

「わ、わかりました!」

 

 青は藍鬼の口へ、木匙で水を運んだ。

 五回ほど繰り返した頃には、息遣いが穏やかになってきていると気がつく。

 

「落ち着いてきた。後はただ、ゆっくりお休みになることだ」

「ほ、本当……?? 師匠、大丈夫なの??」

 良かった、とようやく青は心底からの安堵に脱力する。

 

「では」と鳥面の男は立ち上がり、外套の(しわ)を伸ばすように一度(ひるがえ)す。

 

「大したケガでもない。ただ、任務続きで体力が落ちていたのであろう」

「大したケガじゃない?」

 青は、ぱくぱくと口を動かした。

 

 これが?

 大人の男が、妖獣を針で倒せるような強い男が、意識を失くして倒れたのに。

 

「だが、もしやと思って引き返して正解だった」

「あ……」

 

 男の言い草に少しの怒りを覚えたものの、助けに来てくれたのは事実だ。

 青は慌てて立ち上がり、男を追って居間に出る。

 

「あ、あの、ありがとうございま――」

 

 妖鳥の仮面は居間の真ん中で足を止め、床に落ちていた二枚の合格証書を手にしていた。

「薬と毒の三級。ボウズのか?」

 嘴が、青を向く。

 

「はい、この間、もらったばかりです」

「ほう」

 鳥仮面の奥から、値踏みするような視線を感じた。

 男は証書を青の手に渡すと、踵を返して戸口へ向かう。

 

「俺はハクロ。薬術師の獅子だ」

「薬術?」

「いつかまた、相まみえるかもしれん」

 

 それだけ言い残し、男は小屋の外へ。

「ハクロさん?」

 青が呼びかけるも、その姿は、すでに消えていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。