毒使い   作:キタノユ

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ep. 52 早春の白露(1)

 乳白色の石垣を越え、簡素ながらも(おごそ)かな(おもむき)を湛える木造の建築へと足を踏み入れる。

 

「お待ちしておりました、シユウ一師」

 

 玄関先にはすでに白衣の受付係が控えており、息をきらせる青を出迎えた。

 

 神麟・山吹、そして神麒・白玄(務め名・白鹿)との面会を終えた翌日、白月区のハクロから式鳥が舞い降りた。

 

「ハクロ特師よりご招待の式を……」

「はい。うかがっております。どうぞ、こちらへ」

 

 白布で顔の半分を覆う医療士の背に従い、青は静かに廊下を進む。

 並ぶ白木の柱が規則正しく影を落とし、壁は早春の光を淡く映していた。

 

「……」

 白檀の香り――朱鷺の見舞いに何度も訪れた個室の前で、思わず歩みを(ゆる)める。

 

 背中を向けたままの医療士も、自然と歩幅を縮めた。

 

「失礼しました……」

「……いいえ。この先です」

 

 奥へ進むごとに、足音すら空気に吸い込まれ、閑寂(かんじゃく)な気配が濃くなっていく。

 

 やがて、長廊の果てに行き着いた。

 医療士が戸を引くと、その先には、渡り廊下が続いていた。

 

「こんなに奥まで広がってたんだ……」

 青は思わず、物見遊山《ものみゆさん》のように辺りを見渡した。

 廊下を渡った先には、別館への扉がつながっている。

 

 渡り廊下に足を踏み入れた瞬間、さらに静謐さが濃さを増した。

 この医院には外からの干渉を遮る幻術がかかっているが、別館にはさらに強い術が施されている。

 

「どうぞ、この先で、ハクロ特師がお待ちです」

「――ありがとうございます」

 

 案内の医療士に促され、会釈を残し、青は廊下を進む。

 

「失礼いたします」

 恐る恐る、木の引き戸に手をかけた。

 音を立てないように戸を開くと、そこは五角形の空間につながっている。

 

 五面の障子窓の西側から、薄く日の光が差し込んでいた。

 (うつつ)から隔絶された、静穏(せいおん)に包まれている。

 

 空間の中央に置かれた丸卓と、二脚の檜《ひのき》椅子。

 その傍で、白い人影が青を待っていた。

 

 白の長衣――高位の医療士のみが許される装束を纏い、妖鳥の仮面をつけた男。

 薬術師の麒麟にして、青の二人目の師、ハクロだ。

 

「急に、呼びつけてしまいすまなかったな」

「いいえ、ハクロ特師。私もお会いしたいと思っていたところです」

 

 青は引き戸を静かに閉じた。室内はひとしお深く、幽世《かくりよ》の気が満ちる。

 

「嬉しいことを言ってくれるなぁ……青」

「……」

 

 引き戸に手を添えたまま、青は呼吸を止めた。

 もしや、という予感はあった。

 山吹から、技能職位管理官の話を聞いた時から。

 

「この診察室は二重三重に幻術をかけてある。覆面を取っても、構わないぞ」

 白い長衣の袖が、椅子を青に勧めていた。

 

「いつから……ですか?」

 青の掠れた声に、白き妖鳥の仮面は「いやあ……」と気まずげに首を竦めた。

 

「実は最初から……でな。お前が狼に任ぜられた場にも、立ち会っていたのだ」

 

 青との正師弟関係を解消し、感傷が癒えぬ間も無く、長からハクロのもとへ、式が舞い降りた。出向いてみれば、言い渡されたのは技能職位管理官の任。

 

 年が明け、新たに技能職位を授与される者の一覧を手にした時、毒術の項に記された青の名が目に入る。

 

 その瞬間の、複雑な気持ちといったら無かった。

 

「そんな頃から……でしたか」

 青は静かに引き戸から手を離し、部屋の中央で待つハクロのもとへと歩を進めた。

 覆面と額当てを取り去ると、汗でしっとりと張りついた黒髪をおざなりにかき上げる。

 

 大月青として、言葉を交わし顔を合わせるのは、一体どれほどぶりだろう。

 久方ぶりに(さら)した素顔がどこか気恥ずかしく、青はふと視線を落とし、わずかに唇を(ほころ)ばせた。

 

「本当に、大きくなったなぁ……青。その龍の紋章も……また目にする日がこようとは」

 穏やかな声が、五角形の空間に柔らかく響く。

 

「はい。ハクロ様が持ち帰って下さった、紋章です」

 青は手甲を掲げる。

 そこに刻まれた龍の紋章――ハクロが命懸けで持ち帰った、藍鬼の遺した証を、まっすぐにハクロの視線へと差し出した。

 白き仮面の奥、言葉にならぬ吐息が微かに漏れる。

 

 改めて向き合えば、ハクロにも、正師弟関係を解いた日から積み重ねた年月の痕跡が刻まれていた。

 仮面の下、覗く顎や頬の輪郭には丸みが帯び、濃茶の髪には白銀が織り交じる。淡い光のもと、その一筋一筋が浮かび上がっていた。

 

 朱鷺の見舞いに通っていた折には、気がつくことがなかった。

 

「今のお前こそ一師……藍鬼に見せてやりたいと、心から思う」

 

 白き仮面の奥、その表情を窺うことは叶わない。

 それでも、そこに宿る慈愛の色は、あの頃と変わらぬものだ。

 

「ハクロ様……」

「さあ、まあ座りなさい。茶でも淹れよう」

 

 ハクロは静かに身を翻し、壁側の棚から湯瓶を取り出した。その一連の動作に、青の記憶が自然と重なる。

 幼かった自分に幾度となく薬湯や甘茶(あまちゃ)を淹れてくれたものだ。

 

「不思議だ。どことなく、藍鬼と似てきたな」

「そ、そうですか……」

 

 青は目をしばたたかせた。

 指先で己の頬に触れて、幾分か()げた肌の薄さに気が付く。

 

「あ、でも僕いま、ひどい顔色ですね……白玄様にずいぶんと叱られました」

「あの方は根はお優しいのだが、不器用でいらっしゃるからな」

 

 茶器がたてる澄んだ音に、ハクロのくつくつと笑う声が重なる。

 

「――藍鬼と、同じだ」

「僕も……そう思いました」

 

 茶葉の深みに、甘く(まろ)やかな滋養(じよう)酒の気が重なる。その馥郁(ふくいく)たる薫りに、青の肩がほろりと緩んだ。

 

「昼間から飲んだくれるわけにはいかん。今日のところはこれで乾杯しよう」

 

 薬術の麒麟自らが醸し、市場に出回ることの稀な秘伝の滋養酒。それを惜しみなく調合した薬湯を波々と注いだ湯呑みが、青へ差し出された。

 

「長い話に、なる」

 

 

 ハクロ自らが(かも)した滋養酒(じようしゅ)は、作り手の気質を(にじ)ませるように、穏やかな甘みを(たた)え、滋味(じみ)深い余韻(よいん)を残した。

 

 青の手のひらにすっぽりと収まるほどの小さな湯呑みを重ねるうち、薬湯(やくとう)の温もりは体の芯へと染み入り、やがて末端にまで気が巡る感覚が広がっていった。

 

「まさかその足で、七重塔に呼び出されるとは思わなかった」

「まさに『直後』でしたね。それに、朱鷺一師と遭遇しただなんて」

 

 技能職位管理官の任を告げられた経緯を、ハクロはまるで笑い話のように語るが、果たして笑ってよいものか――迷った末に、青はぎこちない苦笑いを浮かべるにとどめた。

 

 正師弟関係を解消したあの日は、青にとっても忘れがたい節目のひとつであった。

 そんな日に、幾つもの運命が交錯(こうさく)していたとは、思いもよらない。

 

「管理官に任命されて最初にしたことといえば……浅ましいことではあるが……」

 

 自らの湯呑みに二杯目を注ぎながら、ハクロは目を伏せた。

 声音にわずかな(かげ)りが差す。

 

「どうされたのですか……?」

 

 管理官に任じられた者には、技能師たちの素性を記した名簿を閲覧する権限が与えられるという。

 

 青が毒術を選択したと知った動揺がまだ冷めやらぬうちに、ハクロは己の好奇心に抗えず、その名簿の中に旧《ふる》き技能師仲間たちの名を探した。

 

 その衝動の浅ましさに気づきながらも、手を止めることはできなかった。

 

「ハクロ様……それは、自然なことです。僕がその立場であっても、同じことをします」

 

 師の告白を、青は静かに受け止める。

 人として、極めて真っ当な感情の発露(はつろ)であろう。

 

 弟子の(なぐさ)めに、白き仮面の奥でハクロはかすかに目を伏せる。

 寂寥(せきりょう)(にじ)ませながらも、どこか安堵したような頷きだった。

 

 そこで、ハクロが目にした真実――藍鬼の真名、さらに長・玄瑞(げんずい)と白玄《はくげん》の身内と知った時の衝撃たるや。

 今なお、思い出せば心臓が強く脈打つ。

 

「藍鬼が、麒麟の継承など断たれてしまえばいいと言いながら、自らが征くことに意味があると断言した……その真意を、俺はその時になって、ようやく理解したのだ」

 

 もし、自分が禍地に敗れ、命を落とすことになれば。

 それが長の身内であるがゆえに、より事の重みは増す。

 

 身内の情を一切交えず、潔く弟を犠牲に差し出した長に対し、誰もが情状を斟酌(しんしゃく)せざるを得ない。

 

「そうなれば、麒麟廃絶の宣言もしやすかろう……藍鬼はそう、考えていたのだと」

「……」

 

 青は、息を呑む。

 

 毒術師道、そして兄である長を通して凪の未来――そこまで見据え、覚悟を定めていた。

 藍鬼が背負っていた、想像を絶する重責の深さに、言葉を失うほかなかった。

 

「情けない。俺は……」

 丸卓を挟んだ向かい側で、肩を縮めて俯く白い仮面と長衣が、小さく震えていた。

 

「友が背負う苦しみの重さを、半分も理解してやることができなかったのだ……」

 長衣の両袖が支える湯呑みの中で、薬湯の表面が微細(びさい)な波を立てる。

 

「ハクロ様……!」

 青は思わず手を伸ばした。

 震える銀の麒麟の手のひらの上に、自らの掌をそっと重ねる。

 

「あぁ、すまないな……また悪い癖だ……」

 顔を上げた白い仮面の奥から、鼻をすする音が聞こえる。

 

「それは……僕も同じです。省みるべき、知るべきことでした」

 青は首を横に振る。

 

「山吹様や白玄様から、これまで僕が知ろうとしなかった、多くのことを教えていただきました。左腕の『鍵』に込められた意味も……」

 

「鍵……そうか……ついに、知ったか……」

 ハクロの声音には、遠い記憶を手繰るような懐かしさと、安堵が滲んでいた。

 

 仮面の奥から注がれる視線が、青の左腕へと向けられる。

「鍵」――藍鬼、ハクロ、ホタルの同期三人の力を結集して刻み込んだ、青の闇を封じる印。

 同時に、青に課せられた関門。

 

「僕はあまりにも無知だったのです……」

 青は、そっと指先を握りしめる。

 

「青」

 重ねられていたハクロの手が一度離れ、今度は逆に、青の手の上にそっと添えられた。

「お前はまだ若い。それでいい」

 幼い頃、何度と傷や熱を癒してもらったときと同じ、変わらない感触。

 

「お前がここまで突き進んでこれたのは、歩むべき道を確かに進んでいる証だ。それこそが、藍鬼が真に願った未来であると、俺は信じている」

「……」

 青の黒い瞳が、大きく数度、瞬きする。

 

「藍鬼は、不思議な目を持っていてな」

「不思議な、目……?」

 

 青が不思議そうに問い返すと、ハクロは静かに頷いた。

 

「人の才を見出し、伸ばす力がある」

 そう言いながら、仮面の奥の視線がどこか遠くを見ているようだった。

 

「青、俺もお前と似ていた。神通術の才に恵まれず、抜きん出た戦いの力もない。勉学の成績すら、お前ほどの記録もなかった」

 姿勢を正すとともに、ハクロの手が離れる。

 

「恥ずべき話だが……薬術の道を選んだのは『逃げ』だったのだ」

 

 薬術など一部の技能職は、凡庸《ぼんよう》な者でも食いっぱぐれの少ない道。

 選択の動機は、ただそれだけだった。

 

「ハクロ様……」

 青の胸の奥に、懐かしくもほろ苦い記憶が蘇る。

 

 神通術の授業で成果を出せず、藍鬼に泣き言をこぼした日。技能師道を「逃げ道」ととらえていたことを見抜かれ、叱咤(しった)された。

 

「そんな俺に、藍鬼は光の性質を見出してくれた」

 記憶を噛みしめるように、ハクロは小さく息を吐く。

 

 藍鬼の導きを受け、薬術と並行して治癒術も学び始めたことで、ハクロは凪の医療界での存在を確かなものにしていった。

 

 さらに、光で式術の威力を高めることも可能と知り、同期のホタルの力を借りて、不得手だった戦闘の側面を補うこともできた。

 

「俺のような凡百(ぼんびゃく)の人間が、麒麟の位にまで至ることができたのは……ただひとつ、藍鬼と出会えたからだと、今でも思っている。それは――」

 仮面の奥で、唾を飲み込む音がする。

 

「――禍地とて、同じこと」

 外様の下民と揶揄《やゆ》されていた者が、若くして麒麟にまで登り詰めるなど、凪の技能師史上において、かつてなかったこと。

 

「藍鬼の『目』によって、これまで二人の麒麟が誕生した。青、きっとお前は三人目になるべくして、その『目』に見出されたのかもしれん」

 

 ハクロの片手が、青の左腕へと伸びた。

 袖越しに、鍵が刻まれた箇所を、慈しむように撫でる。

 

「藍鬼が殉職して久しいが、玄瑞様は未だ麒麟廃絶の宣言をなさる様子がない。それはきっと藍鬼……弟御(おとうとご)を信じておられるからではないかと……俺は思うのだ」

「……」

 

 率直に晒されるハクロの心のうちに触れ、青の胸に名前のない感情が去来した。

 

「……あ、っと、熱くなりすぎたな……」

 唖然とした表情のまま固まる青を前に、ハクロが我に返ったように身を引く。

 仮面の奥の気配が、気まずげに揺らいだ。

 

「お前に重責を負わせるつもりではないのだ……すまん、俺の……本当に悪い癖だ」

「い、いいえ! そうではないので、ぁ、危なっ!」

 

 青は慌てて丸卓へ身を乗り出した。

 と、勢い余って腹筋が卓にぶつかる。

 ぐらりと揺れた湯呑みが倒れかけ、青は咄嗟(とっさ)に手を伸ばした。

 

「あ、あ、あ、危なかった……」

 白磁(はくじ)の器が、危ういところで静止する。

 向かいに座るハクロも、いつの間にか腰を浮かし、両手でそれぞれの湯呑みを上からそっと押さえていた。

 

「き、気をつけてくれ、青……これは、麒麟昇格の折に白玄様から(たまわ)ったものなのだ。割ったと知れたら、何を言われるかわからん」

「し、失礼しました! そんな貴重なものを……」

 

 そうとわかった上で、あらためて湯呑みを観察してみれば、滑らかな手触りの白磁に、釉薬(ゆうやく)の淡い青が薄くにじむ。その表面には、青い顔料――呉須(ごす)で波の紋と若鮎が描かれていた。

 

 白玄本人の少々クセのある手厳しさとは裏腹に、繊細な美を湛えた正統派の工芸品だ。

 

「……ふっ」

 不意に、白い仮面の奥から失笑がこぼれる。

 つられて青も「ふはっ」と吐息混じりの笑いをこぼした。

 

 我に返ってみれば、師弟二人、向き合ったまま湯呑みを押さえ合うという、何とも間の抜けた光景を呈している。

 

「いやはや。おかげで気が晴れた」

 湯呑みを慎重に丸卓の中央付近に並べ直し、ハクロは一息ついて中腰の体勢から背を伸ばした。卓から踵を返し、壁際の棚へ向かう。

 

 畳三枚分ほどの幅を占めるそれは、左から道具棚、書棚、薬品棚へと仕切られており、用途ごとに整然と分類されていた。

 

 ハクロは真ん中の書棚へ手を伸ばし、数冊の綴じ本を引き抜く。続いて、背の高い段から一枚の地図を取り出し、青の向かいへと戻る。

 

「春からは再び、西へ向かう任務が増えるのであろう?」

 湯呑みを避けて、地図が卓上に広げられる。

 それは、チョウトクによる西方の軍用地図であった。

 

「はい、おそらくは。翡翠(ひすい)の転送陣設置からすでに一年以上が経過しています。次なる設置場所の目処を立てなければなりません」

 

 ほかにも、いくつかの課題が冬眠したままだ。

 間も無く弥生月が終わり、卯月を迎える。

 豺狼からの指名が飛ぶ前に、体も鍛え直さなければならない。

 

 そうか、と白き仮面の奥から、区切りをしめす咳払いが聞こえた。

 

「感傷的な思い出話は、ここまでとしよう」

 

 その声は、さきほどまでの感傷を帯びたものではない。

 余韻を断ち切り、麒麟に相応しい威厳を纏った、深さと重みがあった。

 

 自然と、青の背筋も正される。

 

「俺が西で見てきたことを、お前に伝えたい」

「……ハクロ様……」

 

 仮面の奥から向けられる視線が鋭くなる。

 獲物を狩る猛禽(もうきん)の眼光のごとく、迷いなく青を射抜いていた。

 

 青の肌に、空気の張り詰めた感触が伝わる。

 

「――お願いします」

 その気迫に抗うように、青は奥歯を噛み締めた。

 

 その頃――

 

 翡翠の異変を伝えるべく、豺狼(さいろう)が七重塔を発ち、白月区へと向かっていた。

 

 青は知る由もない。

 

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