毒使い   作:キタノユ

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ep. 52 早春の白露(3)

一師(いっし)

 豺狼(さいろう)の呼びかけに、

「――ぇ、は、はい」

 (せい)は反射的に振り返った。

 

 その場にいた(はく)を含めた面々の視線が、一斉に青へと注がれる。狛も含め、その場の誰もがみな、青の二の句を待った。

 

「思い出したんです。『|露(つゆ)』は、夜行性でしたね」

 豺狼や猪牙《いのきば》をはじめ、数人が「ああ」と声を漏らし、記憶の底から同じ事実を引き上げたようだった。

 

 誰からともなく空を仰げば、山間の空は、すでに茜を帯びていた。山から降りる風には冷気が含まれ、夜の気配がじわりと一帯を包み始めている。

 

「夜ともなれば、本来の力を取り戻すのかもしれません」

「それまで持ち堪えるよう、助力ができればいいのか……」

 それならば、と、面々の表情にかすかな光が差し込んだ。

「それから、あの焔大蛇(ほむらのおろち)の特徴で気になるところが――」

 

『キュイッ、キュッ、キュッ――』

 青の声に重なって、鋭い鳴き声が空より降る。

 

 稜線(りょうせん)に沿って滑空する影が、夕暮れの茜に溶け込みながら凪隊の元へ近づき、猪牙と豺狼の前に着地した。

 と同時に、その姿が雲類鷲(うるわし)の姿に変じる。周辺の被害状況の偵察を終えての合流だ。

 

 報せによれば、稜線に沿って点在するいくつかの集落は、いまだ被害を免れているものの、飛来した火球の影響で森の各所が焼け、山火事寸前の状態にあるという。

 

「そっちの対応が先か……」

「隊を二手に分けましょう」

 豺狼が名乗りをあげた。

「俺が、焔大蛇の対処にあたります」

「……んな少人数で『死んでこい』とはオレは言えんぞ!」

 

 聳《そび》える稜線を見上げ、猪牙は唇を噛んだ。

 今から式を飛ばして援軍を要請するにも、刻一刻と状況は悪化しつつある。

 

 そのとき――

 

「あ、あの……」

 (うな)る猪牙の肩口を、部下の一人がそっと突いた。

「あれを……」

 (うなが)されるままに視線を向けると、空を翔ける影が一つ、森の上空を静かに横切っていた。

 

「羽が……生えて……? な、なんだあれは。(たぬき)か?」

 

 そこには、翼を大きく広げた一羽の巨鳥がいた。

 脚の鉤爪(かぎづめ)にしっかりと掴まれているのは、まさしく狸である。

 

 狸は両の前肢(まえあし)に巨大な木桶を抱えており、重たげなその荷をしっかりと支えながら、空を滑るように運ばれていた。

 

「……」

「……」

「あ、あちらからも!」

「こちらも、です!」

 

 気づけば、峠の稜線を越えて次々と、大鳥に抱えられて木桶を運ぶ小動物たちが、空を飛来していた。

 

 呆気にとられた面持ちの凪隊の前で、そのうちの一匹が、火の手の上がる樹林の上空に差しかかり、木桶の中からお手玉ほどの何かを取り出して放り落とした。

 

 次の瞬間、白煙が激しく噴き上がり、炎は見る間に鎮まった。

 

 消火を確認した狸と大鳥の一組は、翼をゆるやかに広げて旋回し、再び別の火点へと向かって飛び去ってゆく。

 

「消火剤のようだな」

「俺もやらされたなあ……」

「そうだったなあ……」

 

 未だ言葉を失っている凪隊の面々の横で、狛、雲類鷲、檜前の三人――いずれも西方の出身である者たちは、驚いた様子も見せぬまま、その光景を静かに見守っていた。

 

「桶に描かれた紋章、どれも同じですね」

 空を仰ぎながら、青が指を伸ばす。

 遥か高みをゆく木桶の側面に、焼印のような印が見えた。

 

「あれらは、露流河(つるがわ)消火団の獣人や獣血人らだ」

 低い声が、青の背後から降ってきた。

 

「――え……あっ!」

 その場の視線が一斉に斜面の上を振り返る。

 

「コウさん!?」

 列の最後尾にいた青の目の前に、ひときわ大柄な影が立っていた。

 

 背に斬馬刀(ざんばとう)を思わせる大剣を背負い、逞しい体躯を持つ男。背後には、部下と思しき数名の若者たちが控えていた。

 いずれも農作業着と思われる質素な軽装に、肩当てや胸当てなど、簡素ながら実用に耐える防具をまとっている。大剣、槍、それぞれ異なる武器を携えていた。

 

 共通して上腕に巻かれているのは、革製の腕章。自警団章であろうか、その中央には紋章が刻まれていた。

 狸たちが運んでいた木桶に記されていたものと、同じ意匠である。

 

「久しぶりだな、シユウに……今は『一師』となられたか」

 コウの視線が青の手甲を一瞥し、次に凪隊へ向けられた。その眼差しの底には、かすかに、かつてを(しの)ぶような(なつ)いの色が差していた。

 

「コウ殿……!」

 青の背後から、豺狼が一歩進み出て、コウの前に立つ。

 

 碧い瞳が、コウの顔を見上げたのち、ちらと己の背後へと目を遣る。まるで――「いいのか」と、無言のうちに問いかけているかのようだった。

 

 コウはわずかに頷いて、青と豺狼の背後に控える面々へと視線を巡らせる。

 

「我らは、露流河本流域における自警を担う一団だ。――あの消火団も、同じく我らの仲間である。そしてオレが、その指揮を預かる者――棚ノ沢(たなのさわ)のコウだ」

 

 棚ノ沢は、コウが暮らす村落の名である。その名は、地形を巧みに活かした田畑の姿に由来する。

 

「消火活動は我らに任せてほしい。あいつらは普段から、山火事や野焼きの火消しに手慣れている」

「そうか……、ありがてぇ! 俺は凪隊の隊長、猪牙だ」

 猪牙が、コウの前に進み出た。

 

「あんたが自警団の団長か。うちの若いもん二人が世話になったと聞いてる」

「助けられたのはこちらの方。貴殿は、実に有能な部下をお持ちだ」

 コウの言葉を素直に受け取り、猪牙は白い歯を見せて、豪快に笑い声を上げた。

 

 猪牙はじめ、凪隊の中にはコウに見覚えのある者は存在しないようだ。

 皆、興味深げに自警団たちのいでたちや、空を漂う消火団たちへ意識がそぞろに散っている。

 

「挨拶は後回しにしよう」

 コウは言葉を切り、鋭いまなざしを天へと向けた。

 

「翡翠の春は、陽が長い」

 その一言に、場が締まった。

 戦う者たちの顔つきに、気迫が宿る。

 

 誰もが無言のうちに、腰や背の得物(えもの)に手を添えていた。

 

 

 三人の隊長たちの間で急遽、露流河の自警団、白狼の救援隊、凪隊による、即席の協力体制が敷かれ、次の決議となった。

 

 火の手の鎮圧は、獣人や獣血人の消火団に一任する。

 地の利を有する自警団は、コウを筆頭に、機動力に富む白狼隊と連携し、人命の救助と避難民の搬送に当たる。

 これら二隊は、それぞれの任を一段落させ次第、戦線へと加わる段取りとなった。

 

 そして、戦闘に秀でた精鋭《せいえい》を揃え、組織力に優れる凪隊は、焔の大蛇への対処――その先陣が託されることとなった。

 

「負担をかけてしまい、すまない。鎮火の目処が立ち次第、ただちに駆けつける」

「凪の皆々には、それまで……どうかご無事で」

「――湿っぽい締めは縁起が悪ぃぜ。こういう時はな……」

 猪牙が背中の長刀を抜き、逆手に持って前方へ差し出した。

 それを合図とするように、コウと狛もまた、自然と己の得物を抜いた。

 

 向き合った三人は、互いの拳を軽くぶつけ、続けてその刃を、打ち鳴らし合う。

 鋭く、そして涼やかな音が、灰燼《かいじん》が舞う茜空に高く響いた。

 

「ご武運を」

 短くも力強い言葉と共に、凪隊、白狼隊、露流河の自警団――それぞれが持ち場に散って行った。

 

 

 その様子を、はるか高所から見つめる影があった。

 

 

 露流河本流を遥かに見渡す峠の一角。

 古くから「露見ノ嶺(つゆみのみね)」と呼ばれてきた岩場で、風の通り道にあたるその場所には、苔《こけ》むした岩肌と低木が疎らに連なり、眼下には露流河が帯のように延びている。

 

 その断崖に、黒を基調とした装束を(まと)う一団が、風に裾を揺らしながら立っていた。

 

 人影の数は五、六名ほど。

 その先頭に立つ一人が、他を統べる気配を纏っている。

 

 視線の先――谷の斜面では凪隊、白狼隊、そして露流河の自警団が、散開してゆくところであった。

 

「東西の異なる地より集うものたちが、命を賭ける……か」

 先頭の男の呟きが、強風のうねる高所のなか、やけに澄んで響いた。

 

「あそこの峠を越えたあたりで、白狼の獣鬼隊が避難者を一時保護しているようです」

 

 若い声が、西側の稜線の一角を指さす。「そうか」と応えて、指導者らしき影もその方向を一瞥した。

 

「東方の奴らのお手なみ拝見ってところですね」

 横から、また別の若い声。どこか楽しげな調子のなかに、いささか挑発的な響きが混じっていた。

 

「――おい」

 すかさず背後から、その軽率な物言いをたしなめる声が飛ぶ。

 

「あ……も、申し訳ありません……」

 叱責(しっせき)を受けた若者は即座に謝罪を口にし、深く頭を下げた。

 

「間違ってはいない。彼らがどう動くか……いざという時は動けるよう、構えておくように」

 言葉を結んだ男の外套《がいとう》が、突風にあおられ、大きくはためく。

 

 眼下に広がる稜線、その斜面のあちこちでいまだ(くすぶ)る煙を、傾きかけた茜色の光が(だいだい)色に染めていた。

 

 

 その刹那(せつな)、戦局が大きく揺らいだ。

 

 ――シャアアアッ!

 ――ゴッ……!

 

 鋭く甲高《かんだか》い咆哮(ほうこう)の直後、水流がせき止められたかのような濁音(だくおん)が谷間に響き渡る。

 

 露の牙に食らいつかれ、川辺へと押し伏せられていた焔大蛇(ほむらのおろち)が、猛然と黒き巨体を振り払った。

 激しく水飛沫が上がり、露の口元が紅蓮の鱗から引き剝がされると、激しく絡み合っていた二柱の巨蛇は、ついに互いの身を離した。

 

 焔大蛇は巨体を波打たせつつ身を起こし、天を()くように頭部を掲げた。異様に肥大した顔面が裂け、大口がぱっくりと開く。

 

 次の瞬間――焔の大蛇は、赤黒い火炎を一直線に放ち、露へと叩きつけた。

 火炎を浴びた露は、悲鳴とも怒号ともつかぬ声を上げてのたうち、水中へ潜る。

 熔流(ようりゅう)のような炎が飛び散り、河岸や斜面に降り注いだ。

 

「うわっ!」

 青の行く手に火球が落ちた。

 着弾の瞬間に草も土も焼き溶かされ、剥き出しとなった地中の岩肌が黒く焦げ付く。

 どろりとした火塊が地を這っていた。

 

「溶岩……?」

 思わず足が止まる。

 青は焦げた岩肌にこびりついた残火のもとで身を屈めた。まるで鍛冶場の坩堝(るつぼ)で熔けた鉄のような半液体が、じわじわと焦土を広げていく。

 

「ただの炎じゃない……」

 腰の道具入れから符を一枚取り出し、溶流の塊に近づけた。符は紫を帯びた黒煙をあげてあっという間に燃え尽きる。

 

「何してるんだ、危ない!」

「っ!」

 後ろから怒鳴られると同時に、腕を引っ張られて体が引き上がった。

 首を回すと、肩越しに豺狼の顔がある。

 

「――あ、その、あれが」

「いいからこっち」

 

 強引に腕を引かれて、斜面に突き出た岩場まで連れてこられた。

 岩場の先端には猪牙の背中も見える。

 

「あれを」

 促されて、水上に屹立(きつりつ)する焔大蛇を見上げる。

 紅い体表から、落葉のように鱗が剥がれ落ちていた。露の牙に穿たれた箇所を中心に、つづけざまに新たな鱗が芽吹くように再生してゆく。

 

「脱皮?」

「再生が早すぎる」

 

 脱皮や再生能力に優れた性質は、爬虫の性を持つ妖魔にしばしば見られるものだが、この焔大蛇のそれは、豺狼の知見をもってしても異常の域にあった。

 

「露《つゆ》公、浮かんでこねぇな……」

 同じ岩場の先端に立つ猪牙が、川上の水面を(にら)みつけている。

 

 水底から大小の水泡が湧き上がった。

 そこへ、焔大蛇が大口を開けて水中に突っ込む。

 

「っ!?」

 河川敷に降りた凪隊へ、夕立のような水飛沫が降り注いだ。

 

 水面が激しく沸き立ち、ふたたび二柱の巨蛇が絡み合う。形勢は逆転し、焔大蛇がのたうつ露の胴を、(のこ)状の牙が並ぶ顎で深く噛み締めていた。

 

「!」

 豺狼が岩場から飛び降り、河岸に向けて斜面を駆け降りる。同じように、数人の隊員たちも動き出した。

 

「まずいな……猪牙貫路(いのきば・かんじ)の名のもとに命ず!!」

 猪牙の呼びとともに放たれた式符(しきふ)が、大量の白煙を吐いた。

 

 ――ブゴォオオオオオ!

 

 咆哮が(とどろ)く。

 煙の奥から姿を現したのは、凪の森に棲む三ツ目猪をも凌ぐ巨体の、猪。濁声を響かせながら、水飛沫を撒いて河中へと突進する。

 

 ――ブゴッ!

 

 巨猪はその巨躯のまま、露の胴に食らいついていた焔大蛇の面貌(めんぼう)へ、横から体当たりを見舞った。

 

 ――ギシャッ!

 

 衝撃に耐えきれず焔大蛇が仰け反り、その(あぎと)が露の体から剥がれる。

 露は巨体を(よじ)らせ、水面下に消えた。

 巨猪は勢いのまま対岸へと突き抜け、砂煙を巻き上げて大地を削ると、巨体を翻して再び突撃の構えをとる。

 

 焔大蛇は首をわずかに引き、巨大な口腔(こうくう)をふたたび開いた。

 式猪もまた、(ひづめ)を深く踏み込み、頭を低くして突進した。

 

 向かってくる猪を目掛けて、焔大蛇は再び炎を吐く。鮮やかな紅炎の幕を突き破り、猪は大きく開いた大蛇の口腔に頭から突っ込んだ。

 

 山と山が、激突する。

 

 ――ブゴゴゴゴゴゴゴゴッ!

 ――ギギギギギギギギギッ!

 

 両者の力がぶつかり合い、河の真中で激しい押し合いが続く。

 

「がんばれ猪……! ……あれ?」

 手に汗を握って猪を応援していた青の目が、違和感をとらえた。

 猪にくらいつく焔大蛇の頭部の形状に、変化が生じている。 肥大化が目立っていた頭部が、今は平たく(しぼ)んでいるように見えるのだ。

 

「……ということはやっぱり……」

 ぶつかり合う巨大な影が埋め尽くす空を見上げ、青は目を細める。

 

「!?」

 ごぼり、と質量のある水音に河の水面へ目をやると、露の黒い巨体が天に昇るように伸び上がった。

 その体からボロボロと、鱗が剥げ落ちる。

 

「再生できていない……」

 青も岩場から飛び降り、河岸に向けて斜面を下った。

 

 露の黒い体を水が螺旋(らせん)を描きながらせりあがる。

 黒曜(こくよう)色の顔が天を仰ぐ。

 

 ――ォオオオォオォォオオ……!

 

 咆哮とともに(きし)む体を捻り上げたかと思うと、幾重もの水柱が焔大蛇を撃った。

 

 ゴウッ、と硬質な衝撃音――水弾を食らった焔大蛇が、なおも猪に喰らいついたまま水面に叩きつけられる。

 露は、力を失ったように落下して水中へと潜った。

 河面がうねり、大量の水が高波となって、凪隊が降り立った河岸へと押し寄せる。

 

「地神・嶂壁(しょうへき)!!」

 河岸に駆け出た豺狼が、地術を発動。

 大地がうなり、河岸沿いに岩壁が連なり地響きをもってせりあがる。押し寄せた激流が激突し、白き泡となって砕け散った。

 

「次!」

 東岸に立つ士官ふたりと、西岸の豺狼がほぼ同時に動いた。言葉を交わすこともなく、三人は一斉に術に入る。

 

封獄(ふうごく)……!」

 号令とともに岩壁が砕け、土塊が両岸から勢いよく隆起(りゅうき)する。

 山のような土壁が、うねるように前へと押し出された。

 奔流(ほんりゅう)のごとき土が左右から焔の大蛇を包み込み、その巨体を呑み込んでゆく。

 

 ――プギィイイィィィィィ〜〜〜

 

 哀れな猪の絶叫も、土塊の奔流に呑まれてかき消えた。

 

 河を(また)ぐように、こんもりと盛り上がった土の山がそびえ立ち、さきほどまでの騒ぎが嘘のように、あたりは水音さえも遠のいた。

 

「……まあ……別にいいけどよ……式だし」

 猪牙は複雑そうな面持ちで、猪ごと焔大蛇を呑みこんだ土の山を見上げる。

 

「相変わらず、凄まじい術力……」

 青は周囲の者たちが距離をとって成り行きを見守る中、その隙を縫って前へと進む。

 

 懐から符を取り出し、両の(てのひら)で土壁の面に押し当てた。

 目を閉じ、全神経を掌へと凝らし、意識を土の内奥へ沈めてゆく。

 

「峡谷上士……彼は何を?」

「毒術師・シユウ」との任務経験のない隊員が、測るような視線を青へ向けている。

「大丈夫だ。彼に任せよう」

 豺狼の断言に、隊員はわずかに肩の力を抜いた。

 

 信頼、期待、そしてかすかな不安――様々な眼差しが青ひとりに注がれる中、

 

「――封縛(ふうばく)

 

 その一声とともに、じわじわと腐食が始まったかのように符が溶け、土壁へと吸い込まれてゆく。

 やがて、青の手が触れている箇所からゆるやかに、土塊は色を変えはじめた。

 

 表面から滲むようにどす黒く染まり、土の性質そのものが変化を始め、圧を孕《はら》んだ鉛《なまり》のように密度を増して、大蛇――ついでに猪も――を土塊の中心に沈めて閉ざした。

 

「これで時間が稼げれば……」

 青はため息一つとともに顔を上げ、小山から手を離す。

 

「今のは、白兎の沼の妖魔を封じた時と、同じものか?」

 一息を吐いたところを見計らい、豺狼が声をかけてきた。

 青は肯き、振り返る。

 

「封印を強化した。けど……、奴の毒腺(どくせん)が満たされたら破られる。時間の問題だろうと思う」

「毒腺?」

「毒蛇の頭部にある、毒を分泌する器官のことだよ」

 

 豺狼の問いに、青は自らのこめかみのあたりに指先を添えた。輪郭をなぞるようにして顎下までなぞり下ろす。

 

「奴は頭部がかなり膨らんでいて、それが、露へ炎を浴びせたと同時に(しぼ)んだ。溜め込んでいた毒素も吐き切ったんだ」

 

 この地に到着してから青が「観て」きたもの。

 焔大蛇が吐き出す炎には二種類ある。

 露に浴びせた赤黒い炎と、式猪に放射した鮮やかな炎。

 

 前者は熔流(ようりゅう)のような粘度《ねんど》の高い半液体であり、燃焼性が極めて高い。

 後者はいわゆる気体の熱であり、式猪が耐えられるほどの火力でしかない。

 

「奴は歯の構造が普通の蛇と違う。蜥蜴(とかげ)に近いような(のこ)状だった。だから、毒腺は牙ではなく、(のど)あるいは口腔内のどこかに通じているはず。吐き出される炎は、その途中で毒腺の分泌物と混ざり合って、熔流のような粘性と異常な高熱を帯びる――」

 

「……」

「……」

 青の説明を聞きながら、豺狼と猪牙が視線を交わした。

 

「なるほど。一度吐き切れば充填(じゅうてん)されるまでに猶予(ゆうよ)がある、ということだな」

 豺狼の碧い双眸(そうぼう)が、ふたたび青をとらえる。

 

「……ぼ……私の見立てでは」

 青は頷き、唇を引き結んだ。

 

 凪の面々は、焔の大蛇を封じた土塊を見上げる。

 あたかも墓標のごとく、微動だにせず、ただ沈黙のまま(そび)えている。

 

「――露は」

 口を開いたのは、豺狼だった。

 水弾を放ったのち河へと身を沈めた露は、それきり姿を見せていない。

 

 気配を求めて一同が河の流れへ目を凝らすも、水面には泡ひとつ立たず、ただ不気味な静けさだけが漂っていた。

 

「死んじゃあ、いねぇよな」

「河の神が死んだら、水が枯れてしまうものでしょうか?」

 

 猪牙に応えるように、隊の誰かが、ぽつりと呟く。

 

「水底で体力を回復させているとか」

「もうすぐ、陽が沈む」

 

 仰ぎ見る連嶂(れんしょう)の向こうへ陽が沈みかけ、河面は徐々に黒みを帯びていた。

 

「封印を破られたとして、先ほどと同じ手が通じるとは思えない。次の手立てを今のうちに講じておこう」

 

 豺狼の言葉に、一同が頷く。

 自然と河岸の一角に面々が集まり、豺狼と猪牙を中心に半円を描いた。

 

「毒を吐き切らせることができれば、脅威を大きく削ぐことができる、というわけですね」

「式が焼き豚にならなかったことを思えば、通常の火力は、さほどのものではない」

「だから豚じゃねぇんだわ」

 

 即席の軍議に、小さな笑いが生まれる。

 

「それより厄介なのはあの脱皮と再生力だ」

「露が本領発揮したとして、抵抗できるのか……かなり消耗して弱ってるしな……」

 

「……」

 軍議の外側で、青はひとり、山側の森を眺めていた。

 

 斜面のあちこちから、広範囲において白い煙が細く立ち上っている。消火団によって、火の手は全て鎮められたようだ。

 

「白妙の村は……無事なのかな……」

 

 村があったはずの森の一帯には、目立った被害は見られない。

 斜面を覆う木々は静かに連なり、遠目に見える梢の揺れも穏やかだった。

 火球が、あたかもその一角を避けていたかのようですらある。

 

 あるいは、あの村もまた、山吹の庵と同じく、ただそこに“在る”ように見えて、実際には異なる理に包まれた空間なのかもしれない――。

 

 そんな青の思案に、か細い声が横切った。

 

 ――つゆ……

 

「え……?」

 視線を山裾へ落とす。森の入り口、木の幹から小さな体を半分だけ覗かせている、白い影が映る。

 

 白髪、白い肌、白い着物――そのすべてが、赤黒く染まりかけた西日の影に、浮かび上がっていた。

 

「あ、あの子は……!」

 青の様子に気づいた隊員たちが、次々に振り返る。

 

 かつて猪牙隊の西方開拓任務に加わっていた者たちの口から、その名が(つむ)がれた。

 

 白妙(しろたえ)、と。

 

「白妙って、『例の』村の、か……?」

 隊列の端で、雲類鷲(うるわし)が、声を潜めて隣の檜前(ひのくま)に問う。

 

「ああ……惣太(そうた)がいる村の、主だ……」

「惣太……っ」

 

 雲類鷲は思わず足を踏み出しかけた。

 が、わずかのところで、動きを押し留める。

 幼馴染を見捨てるほかなかったあの夜の記憶が、今なお胸を離れたことはなかった。

 

 早春の冷たい風が山野を吹き抜け、地の気は冷えを帯びる。

 東西の境界は、逢魔(おうま)(どき)の薄闇に包まれ始めていた。

 

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