毒使い   作:キタノユ

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ep. 52 早春の白露(4)

「逃げ遅れた子でしょうか?」

「いや、違うんだ。あれは……」

 

 凪の面々がざわめく中で、白妙(しろたえ)は一人、森を抜けてゆるやかに川上へと顔を向けた。

 大小の角立った石が不規則に転がる河岸(かがん)を、白い素足が音もなく滑るように歩を進めていく。

 

 その足取りは、やがて猪牙の正面にて、ぴたりと止まった。

 

「――お兄さんたち……」

 薄闇の中、仄かに朱を宿す瞳が、猪牙を先頭に並び立つ者たちをゆるやかに見渡す。

 

「お兄さんたち、強いんだね。(つゆ)を助けてくれて、ありがとう」

「おう。いつだったか、世話になったな」

 

 猪牙は一歩も退かず、気安げな笑みを浮かべて応じる。

 白妙の唇に、かすかな微笑が浮かび、次いですっと身を(ひるがえ)すと、水辺へと足を運んだ。

 白い身体は水面を沈まず、まるで滑空するかのように河中を進む。

 

「――つゆ」

 黒々と沈んだ川面へ、白妙はか細い声で呼びかける。

 それに応ずるように、水面にぽつ、ぽつと泡が浮かびはじめた。

 

 沈黙していた水は徐々に盛り上がり、やがて河の化身・露が、艶やかな黒曜の顔をそっと覗かせる。

 

「……良かった……生きてた」

 青は、いつの間にか止めていた息を大きく吐き出した。

 その傍らで、豺狼(さいろう)はそっと視線を逸らし、焔大蛇を封じた土塊を一瞥する。

 そこに封じられた大蛇は、不気味な沈黙を保っていた。

 

「ごめんね、つゆ……」

 白妙が両の手をふわりと広げると、足元から白い霞が立ちのぼる。山肌を滑り下る風にあおられ、靄はゆるやかに舞い上がった。

 次の瞬間、少女の姿は掻き消え、そこに現れたのは、白い大蛇であった。

 

「……あの白蛇は……」

 露よりも幾分か小ぶりながらも、なお仰ぎ見るに足る体躯を備えたその姿が、青、豺狼、猪牙、そして幾人かの隊士の記憶を呼び起こす。

 

 かつて西方の開拓任務にて、朝靄を突き抜けて凪隊の前に姿を現した、あの白蛇である。

 

 白蛇――白妙は、長い身をくねらせ、露の傍へと寄り添った。白と黒の鱗が重なると、霧のような光がふわりと立ち上る。

 陰と陽とがひとつに融けゆくように、ふたりの神蛇をやわらかく包み込んだ。

 

「あれは、治癒か」

「そうみたいだ……光が、暖かい」

 

 青と豺狼は、隊列の端から、白い光が次第に和らいでゆく様を静かに見守っていた。

 

「覚えてる? 翡翠(ひすい)の長が聞かせてくれた『しろたえのさと』の伝承」

「え?」

 珍しく、豺狼がわずかに目を瞬かせた。

 

『むかし むかし つるがわのほとりに

 やせっぽっちの しろへびが すんでいました』

 

 そうして始まる昔噺(むかしばなし)は、こう続く。

 

『しろへびは ひとりぼっちでした

 水も 火も 風も 雷も 土も 

 あやつることができない よわむしでした

 でも そんなしろへびには ひとつだけ 

 とくべつなちからが ありました それは』

 

「人々を助けたいと願う、優しい気持ち……だったかな」

 戦う術こそ持たずとも白妙は、癒しの力と、自らの血肉をもって命を分け与える術《すべ》をもって、救いの村を築いた。

 

「――なに……?」

 頬にかかる視線を感じて傍らを振り向けば、豺狼の碧いまなざしと交わる。

 

「誰かに似てると思って」

 彼は小さく首を傾げ、どこか含みをもたせた微笑を浮かべた。

 

「え……?」

「……まだ、日没まではもう少しかかりそうだな」

 そのひとことと共に、ふと斜面へと視線を逸らす。

 

 稜線《りょうせん》には(だいだい)の光が長く這い、太陽は(みね)の向こうへと沈みかけていた。濃紺の空に、西陽の名残が放射状に広がっている。

 

 同じように、数人が稜線へと視線を移した、そのとき――

 

「……な、何……?」

 足元にかすかな震動が走った。川を(また)ぐように築かれた封印の土塊から、這うような細かな振動が伝わってくる。

「河の水が……」

 

 水面が細かく泡立ちはじめた。

 

 青はとっさに水辺へ駆け寄り、手を水に浸す。

 明らかに水温が上がっていた。

 水底に透けて見える土塊の底が、仄かに赤く、炭火のように灯っていた。青は思わず身を乗り出す。

 

「……熱っ……!」

 指先を浸していた水が、唐突に沸き立つ。

 湯気が立ちのぼる間もなく一瞬で熱湯と化した。

 青は反射的に手を引く。

 

「破られる!」

 青が見据える水底の奥深くから、熔流(ようりゅう)が煮え立つ音が続けざまに湧き上がった。

 

 ――ォオオオォォ……!

 

 内臓を震わせる咆哮を上げ、露が苦しげに身を捩り、波を蹴立てる。

 

「!」

 灼熱を帯びた赤い波が一気に跳ね上がり、青を襲う。

 

「伏せろ!」

「っわ!」

 背後から突如として腕が伸び、青の身体が引き倒された。前に踏み込んだ豺狼が半身を青に覆いかぶせ、片手を(かざ)す。

 

「天嶮《てんけん》!」

 二人の前に岩壁がせり上がった。

 壁を叩きつけた熱湯が激しく蒸気を上げ、砕け散る。

 

「あ、ありが――」

「固めるぞ!」

 青が礼を述べる間もなく、豺狼が即座に背後の隊員へと声を張る。

 彼を先頭に数名の士官が川縁(かわぶち)へと駆け、術の構えを取った。

 

 邪魔をしてはならない。

 青もすぐに身を起こし、川辺から退いて距離を取る。

 

氷狐(ひょうこ)!」

 唱和の声が重なった瞬間、川辺の空気がひんやりと冷え、霜の粒が大気に混じる。集った霜が氷の狐の姿を成し、次々と封印の土塊へと取りついた。

 やがて土塊は氷山と化し、灼けた河の水が、その氷に触れて白い蒸気を上げる。

 

「冷気を送り続けるんだ!」

 豺狼の声が飛ぶ。

 

「くっ!」

「まるで火山みたい……っ!」

 水術者たちは、歯を食いしばりつつも術力を振り絞る。

 だが氷の封はじわりと溶け落ち、煮え立つ水面には次々と泡が湧き、眼に見えて水嵩が減っていった。

 

 そのただ中で、白妙は身を露に絡ませ寄り添い、癒しの力を絶やすことなく注ぎ続けていた。白光は膜のように露を包み、灼熱の熔水(ようすい)から必死に露を守っている。

 

雲類鷲(うるわし)!」

 猪牙は、状況の変転を即座に見極め、短く命じた。

 

「白狼の姉ちゃんを呼んでくれ! 隊の一部を回してくれってな」

「承知!」

 

 命を受けた雲類鷲は、羽ばたきとともに再び露流河(つるがわ)の上空へと舞い上がる。峠の向こうを目指し、山風に抗いながら斜面を一気に駆け上がっていった。

 

 飛び去る大鷲(オオワシ)を仰ぎ見ていた青は、

「そうだ……!」

 はっとして振り返り、川上へ向かって駆け出す。

 震動は、いつしか皮膚を揺らす細波(さざなみ)から、骨の芯を突くような縦揺れへと変貌していた。

 

「チョウトクの地図だと、確かこの辺りから……」

 川を遡り、切り立つ崖の手前で足を止める。

 そこに、川瀬を断つかのように巨岩が(そび)え、天然の壁として東西を(へだ)てていた。

 

 青はその足元に膝をつき、両の(てのひら)を湿った砂利へと置いた。

 目を閉じ、ひとつ、深く息を吐く。

 

「水神……深淵(しんえん)

 

 低く、静かな詠唱とともに、青の意識は掌の下の大地へと沈みはじめた。

 まるで水の中へゆっくりと沈降してゆくように、音も気配も遠のいていく。

 

「っ……」

 潜るほどに、意識が霞みかける。

 

「もっと深く……遠く……」

 重く冷たい静寂の底を辿る。

 

「痛っ……」

 左腕に鋭く重たい痛みが走る。

 瞬間、霞んでいた視界に光が差し込んだ。

 意識に映るのは、地層の狭間を縫うように走る無数の細い水脈――そのなかでひときわ脈動の強い、血流のごとくうねる、太い流れがあった。

 

「あった!」

 思わず歓喜の声を上げた。

 その伏流(ふくりゅう)は、巨岩の真下を横断し、峠の向こう、露流河の太い支流へと繋がっている。

 

「さすがチョウトク!」

 青は目を開き、顔を上げた勢いで立ち上がった。

 目眩《めまい》を覚悟していたが、不思議なほどに意識が研ぎ澄まされている。

 

 気持ちの(たか)ぶりを抑えきれず前のめりに転びかけながら、巨岩のもとへ駆け寄った。垂直に天を指すように立つその足元、地と接する箇所を見据える。

 

「この下は……砂利層……」

 

 川下の方へ肩越しに視線をやれば、氷で封じられた土塊が、内側から真紅に灼けていた。

 今にも噴き上がろうとする火山のようでもある。

 

 考えている時間はない。

 青は即断し、腰の道具袋からひとつの硝子瓶を取り出した。

 

 

 露流河(つるがわ)本流を(はる)かに見晴るかす峠の一角、露見ノ嶺(つゆみのみね)

 

 その高みに陣取る一団のなか、十代半頃ほどの少女らしき若い影の一人が、岩場の(ふち)に身を乗り出した。

 

助太刀(すけだち)に向かわなくて、いいのですか? 土の封印が崩れかけています」

 

 心配げな若い声に、一団を()べるらしき男は一切の動揺を見せないまま、静かに応じた。

 

「じきに夜だ。もうしばらく様子を見る」

「……承知しました」

 

 少女は素直に頷きながらも、なお不安げに、干上がりつつある河の中で苦悶(くもん)する(つゆ)の姿を見つめ続けていた。

 

「――ところであの人は、独りで何をしているのでしょうか」

 少女の指が、上流の方角を指し示す。

 そこに、一枚岩の断崖を見上げる青の姿があった。

 

「他の人たちは統率がとれた動きをしているのに、あの人だけ、単独行動が目立ちます」

「ああ……技能師(ぎのうし)だろう」

 

 男の低く抑えた声には、どこか懐かしさを(にじ)ませる響きがあった。

 

「ギノウシ……あ、ギシのことですね! 何のギシだろう……」

 眼下(がんか)に目を凝らし独り言を(つぶや)く少女の(そば)に、また別の若者が並ぶ。

「高位の毒使い……東方では毒術師ですね――かと思われます」

 一人目よりも年長らしい青年で、怜悧(れいり)さが伺える声の持ち主だ。

 

「なぜ、そうだと?」

 男の質問に、青年の声が応える。

「東方には棲息(せいそく)していないはずの、焔穿蛇(ほむらうがち)の毒特性と弱点を言い当てています。また、彼の手甲(てっこう)に龍らしき紋章が()えました。東方でも龍は、高位を示すものですよね」

 

「――龍」

 その答えに、男はわずかに息を呑んだ。

 だがすぐに、平静さを取り戻す。

 

「……さすがは夜梟(やきょう)の視と耳だ」

 男はゆるやかに上流側へ顔を向けた。

 薄闇の中で薄く浮かび上がる銀灰色(ぎんかいしょく)の髪が、肩先で静かに揺れる。

 

「凪の……毒術の龍、か……」

 吹きすさぶ山風が、男の独り言を掻き消した。

 

「あ、毒使いが動いた」

 少女の声が示す通り、凪の毒使い――(せい)が、一枚岩から(きびす)を返して走る姿が見える。

 隊員たちへ指示を飛ばしていた凪の隊長――猪牙《いのきば》の元へ駆け寄ると、何やら懸命(けんめい)(まく)し立てている。

 

 青が強引に猪牙の腕を引く形で、二人で少し上流側へ移動した。

 

「あの二人は何を……あ」

 露見ノ嶺から見下ろす一団が見守るさなか、河岸(かがん)に白い煙がもうもうと立ちこめ、

 

  ――ブゴォオオオオオオオ!

 

 谷に野太い咆哮(ほうこう)が響き渡る。

 

 その直後に下流側で――焔の大蛇を封じ込めた土の封印が、火山のごとく熔流(ようりゅう)を噴き上げた。

 

 

「ぅわ!」

 体芯(たいしん)から震えるほどの轟音(ごうおん)

 青は肩を縮めて耳を塞いだ。

 再び、猪牙の式術により、河岸を占拠するほどの巨大な猪が姿を現した。

 

 同時に、背後から地鳴りが響く。

 肩越しに振り返った青と猪牙の目に飛び込んできたのは、赤黒い()()が土の隙間から溢《あふ》れ出し、氷の壁を内側から焼き破る光景だった。

 

 火山が噴火するかのごとく、紅蓮の頭が土塊の天辺(てっぺん)から現れる。

 

「復活しやがったか……!」

 苦々しく吐き捨てた猪牙は、すぐに決断した。

 右手で一枚岩の巨岩を示す。

 

「ぶっ壊せ!!」

 

  ――ブゴゴッ!!

 

 荒い息を吐いて(ひずめ)砂利(じゃり)()いて待ち構えていた式猪が、猪牙の号令に従い一直線に一枚岩へ突進した。

 

 巨体が低い姿勢から一枚岩に激突した瞬間、地が揺れるほどの衝撃音が響き渡る。

 巨岩はひび割れを生じたかと思う間もなく、轟音とともに大崩壊(だいほうかい)を始めた。

 

 崩落(ほうらく)の勢いと岩の重みに押された砂利層までもが巻き込まれ、地鳴りを伴って大きく陥没(かんぼつ)――すると、地底から突き上がるように、白い奔流(ほんりゅう)()き上がる。

 

 ――プギィイイイイイィイ〜〜〜???!!

 

 水は濁流(だくりゅう)となって猪を押し流し、本流の河床(かわどこ)へと一気に流れ込んだ。

 

「やった!!」

 青は反射的に歓喜の声をあげる。

 巨岩の下、砂利層に仕込んだ砕塵薬(さいじんやく)が効果覿面(てきめん)だった。

 

 一方――

 

 封の中から姿を現した焔《ほむら》の大蛇はその巨体を伸ばし、頭部を振るいながら口腔(こうくう)に火を(はら)ませていた。

 再生の兆しとともに、喉奥(のどおく)からせりあがる灼熱(しゃくねつ)が、目前の露と、それを守る白妙へ狙いを定めている。

 

「地術準備! 炎を吐ききった後に毒腺(どくせん)破壊を狙……え」

 

 豺狼(さいろう)の語尾をかき消すように、遠くから猪の悲鳴が迫った。

 

「な、何あれ!!?」

「豚が!!?」

 

 水の轟音に隊員たちが振り返ると、岩と水と猪がぶつかり合い、響き合いながら、上流側から下流側にかけて怒涛(どとう)(はし)る。

 大量の水が露と白蛇を飲み込んで、その脇を猪が通り過ぎ、

 

 ――ギギギギ……ギシャッ!!!??

 ――ブゥゥギィイイィ〜〜〜??!!

 

 大口を開けた焔大蛇の口へ、猪の巨体が激突した――直後、大蛇の口腔が激しく紅く(かがや)き、大量に吐き出された熔流(ようりゅう)の炎が式猪を包んだ。

 

 猪は「ブシュゥゥゥ」と空気が抜けたような音と共に、その身を焦がし、大量の蒸気《じょうき》とともに姿を散らした。

 

(つぶ)せ!」

 号令が飛び、豺狼はじめ峡谷隊の数名が一斉に得物を抜き、焔大蛇の頭部に向かい跳躍(ちょうやく)する。

 

雷槍(らいそう)!」

 術の発動と共に獲物に雷が(まと)い、長槍と化した。

 

 狙いは青が指摘した毒腺――炎を吐ききり(しぼ)んだ頭部と首の付け根、わずかに背面寄り。雷を宿した豺狼の刃が、焔蛇の頭部へと突きたった。間髪いれず、二人目、三人目と続く。

 

 ――ギシャァアアアアッ!

 

 頭部に雷の長槍が突き刺さった大蛇は、凄まじい咆哮(ほうこう)を上げてのたうち回った。

 満ち満ちた河は激しく(うず)を巻き、熔流《ようりゅう》混じりの濁水が河岸を穿(うが)つように激しく打ち付ける。

 

「毒腺を潰した、さすが!」

 距離をとった上流側で、青は感嘆の声を上げた。

 

「あれ……?」

 だが視界の端に映る白い影――河岸に打ち上げられている少女、白妙を見つけ、急ぎ駆け寄った。

 

 共に濁流に呑まれた露の姿は、河に見当たらない。

 青は白妙を抱き上げて水辺から引き離し、平らな岩に横たえる。

 

「白妙さん!」

 露を癒して消耗したために、白蛇の姿を保てなくなったのであろうか。少女の体は細く、重さを感じさせなかった。

 

 放水に巻き込んでしまった責任を思いながら、青は白妙の容態を確かめる。

 声をかけながら、脈をみようと細い手首をとる。

 指先に触れた肌は人のものではなく、つるりと滑らかで、まるで、湿り気を帯びた爬虫類のような感触だ。

 体温も感じられない。

 

「……生気を感じない……」

 かつて医療士時代に治療対象としていた「人間」とは異なる何か――青が()(すべ)逡巡(しゅんじゅん)していると、

 

「その方は、白蛇神(はくじゃしん)か」

 背中に声がかかった。

 

「――(ハク)さん!」

 振り返るとそこに、白狼(はくろう)の姫君がいた。

 

 

 灼熱(しゃくねつ)飛沫(しぶき)が、川縁(かわべり)の岩を穿(うが)つように打ちつける。

 

「下がれ!」

 豺狼は怒声とともに視線を走らせ、部下たちの無事を素早く確認した。

 

「再生し始めています!」

「なっ……」

 

 (しら)せに(あお)ぎ見ると、焔大蛇の全身が赫々(かくかく)と燃え上がっていた。闇に沈みかけた谷を、紅蓮(ぐれん)の光が照らし返す。

 

 数本の雷槍が突き刺さった潰れた後頭部が、目に見えて盛り上がり、形を取り戻しつつある。

 

「顔ごと潰すしかないか……!」

 奥歯を噛み締め、豺狼が身構えた、その時――

 

 ――ァォォオン!

 

 一吠えが空を震わせ、雷槍が雷鳴とともに一斉に炸裂(さくれつ)した。

 ()ぜ飛んだ紅黒(あかぐろ)(うろこ)が、肉が、火花のように周囲へ飛び散る。

 燃滓(もえかす)混じりの煙を貫くように、雷光の尾を()いた白狼が、焔大蛇の頭上を飛び越え、対岸へと跳躍(ちょうやく)していった。

 

 ――シャァアアアアァア!

 

 頭部を半分潰された焔大蛇は怒りに狂ったように、唸り声を上げながら首を振り乱した。

 鱗の隙間を縫って()けた炎が飛沫となって、河岸の隊員たちの頭上に降り注ぐ。

 

「天――」

 防御の術を発動させるより前に、山の斜面から銀白の影が駆けた。

 数匹の白狼が河岸上空へ跳躍、全身から冷気を撃ち放つ。

 凍てついた熔滴(ようてき)が空中で砕け散り、氷塊(ひょうかい)の破片がきらきらと夜気に舞った。

 

「白狼隊だ! 雲類鷲(うるわし)よくやった」

 猪牙は強く拳を握りしめ、東の空から昇る月を仰いだ。

 

 澄んだ銀光が谷底に注がれる。

 露流河の谷に、夜が降り立った。

 

 ――ォォオオオォォオ……

 

 洞穴を抜ける風のような声が谷を渡る。

 

 闇に沈む河面が隆起したかと思うと、濁水の中央を突き破り、夜闇をまとった大蛇――露が巨体を立ち上げた。

 

 黒銀(ぎんぐろ)の鱗を纏《まと》う体には、河水(かすい)(よろい)のごとく渦を巻きながらまとわりつき、滴る水が月光に煌《きら》めく。

 焔大蛇ののたうつ姿を見据え、露はその大口をぐわりと開いた。

 

「退避!!」

 豺狼が後方へ叫ぶ。

 

 ――ゴォッ!

 

 次の瞬間、砲撃めいた音とともに水弾が放たれ、一直線に紅蓮の巨躯(きょく)へ撃ち込まれた。

 

 水弾をまともに受けた焔の(からだ)が、凄まじい音とともに水面へ叩き伏せられ、激しく水柱を上げて河へと沈む。

 間髪入れずに露の巨体が河面を裂いて跳ね上がって弧を描き、焔を巻き込んで水中深くへと引き摺り込む。

 

 大波がうねりを上げて河岸を襲った。

 指示を受け斜面を駆け上がっていた凪の面々は、間一髪で濁流を避ける。

 

「っ……青?!」

 我に返ったように豺狼は上流側を振り返った。

 

 水が届かない岩場の一角で、青は膝をつき、横たわる少女に寄り添っていた。

 その傍らには、白狼の姫・狛の姿も見える。

 

「――良かった……あれは、白妙か……」

 豺狼は安堵の息を洩らした。

 

「白妙の保護へ向かう。皆はここで待機を」

 短く言い置いて、豺狼は山裾(やますそ)辿(たど)って上流側へと歩を進めた。

 

 河では、黒と紅――二柱の大蛇が激しくぶつかり合っている。

 噛みつき合いながら、水中で絡み合っては暴れ狂う。

 

 ときおり水面に姿を現す焔大蛇の体からは、()けた炎が飛び散り、火花のように森の梢へ降り注ぐ。

 東側の林、西側の山裾に火が走り、谷底に松明(たいまつ)(とも)したかのような仄明(ほのあ)かりがいくつも(とも)された。

 

「危な……っ」

 強弓(ごうきゅう)の矢雨のごとく降り注ぐ炎――その火柱を身を屈めて(かわ)しながら、豺狼は青たちの許へと急いだ。

 焔大蛇が吐き出す炎はもはや熔流ではなく、夜の力を取り戻した露が「敵」を圧し始めているのは明らかだった。

 

 そんな時――

 

「え……っ」

 豺狼の視線が奔流(ほんりゅう)を追う。

 下流でのたうっていた波が急激に逆巻き、上流へとせり上がって行くのが見えた。

 

「来るぞ!」

 届かないと分かりながら、豺狼は上流に向かって叫ぶ。

 

 直後、青たちが避難していた岩場のすぐ(そば)に濁流が達し、波を裂いて焔大蛇の半身が河岸へと(おど)り出た。

 燃えさかる怒りを(たた)える紅の顔面が、水煙(みずけむり)をまき上げながら高々と振り上げられる。

 

「っ!?」

 青は咄嗟に白妙の身体を抱き上げた。

 焔大蛇の顔が叩きつけるように振り下ろされ、青と狛は寸でのところで左右に跳び退く。

 

 河面で咆哮(ほうこう)が割れ、露が焔大蛇の背後から襲いかかった。(あご)を広げて首筋に噛みつき、巨体を河へ引き戻そうとする。

 

「ぅあ……っ!」

 衝撃で岩が砕かれ、白妙を抱く青の周辺で砂利が巻き上がり、足場が砕け、崩れ始めた。

 

 そこへ焔大蛇の大口が(せま)り――刹那、青の腕の中で白い光が弾けた。

 

 少女の体が白蛇へと変じると同時に、するりと青の腕を抜けて跳び出す。

 小さく俊敏(しゅんびん)な蛇体は宙を滑るように焔大蛇の顔面へと突進し、爛々(らんらん)と燃える紅の眼へ、その小ぶりな白い牙を突き立てた。

 

「!!」

 青が白妙に向けて手を伸ばす。

 

 ――シュゥウウッ……!

 

 激しい蒸気(じょうき)のような絶叫を上げ、焔大蛇は大きくのけぞった。

 

 だが、それだけだった。

 

 焔大蛇は首を一振りすると共に、白蛇の身ごと巨大な(あご)を食いしばる。

 

 ――ォォオオオォォオ!!

 

 谷を震わす大咆哮――露の牙がさらに紅の鱗と肉に食い込む。首根(くびね)を喰い破らんばかりの勢いで焔大蛇の体を持ち上げ、河中へと叩きつけた。

 砕けた岩と砂利が濁流に巻き込まれ、河岸を削り奔る。

 

「青!!!」

 

 豺狼の絶叫が響いたときには、青と白妙の姿は二柱の巨蛇とともに、渦巻く水の深みへと呑み込まれていた。

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