毒使い   作:キタノユ

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ep. 52 早春の白露(6)

 河の底鳴りのごとき雄叫びが、谷に響いた。

 (つゆ)咆声(ほうせい)に応じて河の水が一斉に逆巻く。

 さながら大高波となって焔大蛇(ほむらのおろち)に殺到し、奔流(ほんりゅう)は一瞬にしてその巨躯を完全に包み込み、河上に巨大な水牢を築いた。

 

「捕らえた……!」

 河岸から凪隊員らの歓声が上がる。

 

 閉じ込められた焔大蛇は、内側から身を捩り、水獄を破ろうともがいた。

 熱を含んだ泡が無数に立ち昇るが、焔大蛇の炎にはもはや、露の水壁を破る威力が残ってはいない。

 

 凪隊、そして白狼隊による氷術や地術により、焔の猛攻を幾度と遮り、その力を使い果たさせることに成功していた。

 

 ――ゴォオオオォォオ……

 

 露の唸り声が、大気と河面を強く重たく震わせる。河の水が次々と巻き上がり、逆まく奔流となって水柱へと注ぎ込まれていった。

 

 瞬間――水柱の内部で、黒い筋が稲光のように明滅した。硬質な(きし)み音が連続し、焔大蛇の巨躯(きょく)(しぼ)り、(ひね)り、()め上げられる。

 凄まじい水圧に、焔大蛇の(あご)が苦悶に開かれた。

 

 ごぷり

 

 (にご)った音と共に、紅い大口から、白い塊がぬるりと吐き出される。

 

「し、白蛇!?」

 半身を失った白蛇の身体が、するりと水牢から押し出され、流れに乗って下流へと滑り落ちた。

 河岸近くまで運ばれ、波に打たれてそっと岸辺に打ち上げられる。

 

「白蛇神殿!」

 (ハク)が水際へと駆ける。

 後に続いた豺狼(さいろう)は、白妙が流れ着いた下流側を見渡した。

 

「……」

 青の姿は見当たらず、奥歯を噛み締めてため息を漏らす。だがすぐさま、目の前の事象と責務に意識を戻した。

 

「白蛇……白妙(しろたえ)殿……!」

 呼びかけながら、狛が横たわる白い大蛇の朽ちかけた体に手を添える。ふ、と淡雪(あわゆき)のように白く輝いたかと思うと、みるまに少女の姿となった。

 

 その腰から下は無惨にも失われている。

 覗く顔や手足は、冷たい(ろう)細工のようにますますその白さを増していくばかりであった。

 

「あぁ……」

 狛は瞳に悲痛な色を浮かべ、弱々しく首を横に振った。

 

 ――ォオオオォォオ

 

 露の黒曜の瞳が、白妙の姿を見届けた――瞬間、

 

 ――バキッ……

 

 くぐもった重たい音が響き、一瞬にして水柱が深紅に濁った。

 

「っひ……!?」

 凪隊のうち若手が、(のど)を引き()らせる。

 

 水牢の中、紅鱗の巨体が凄まじい水圧に圧し潰され、()じ切られ、原型を留めぬ肉塊へと変わり果てた。

 

「う……」

 圧倒され、あるいは疲弊した色を(たた)えた河岸の面々は、神が神を(ほふ)る光景を無言で見つめている。

 

 露の艶やかな漆黒の巨体が、水柱の上から滑り降りた。しなやかな肢体を螺旋(らせん)状に柱へ絡ませ、紅の残骸を巻き込みながら、河底へ沈んでいく。

 

 水の檻は、絡みついた躯とともに崩れ、砕け、やがて奔流の中へと吸い込まれていった。

 

 紅い肉片も、血も、すべてが流れに溶け、(うろこ)ひとつ残さず、水流は次第に澄み渡る。

 

 やがて天頂に昇った月が、白い光の道を大河の静水に渡した。

 

「……っ」

 豺狼は水際に駆け寄る。

 

 静まり返った河面を上流から下流にかけて探るように見渡したが、青の気配も、黒い獣の姿も見つけられない。

「生きてるよな……」

 飛び込みたい衝動に駆られ、踏みとどまる。

 

 そんな時、頭上に小さい羽音がした。

 

 チィ。

 

「!」

 見上げると、浅葱(あさぎ)色の小鳥――式鳥が豺狼の手中に舞い降りる。

 

「峡谷上士?」

 背後から部下の呼ぶ声。

 

「……今、行く」

 足元へ二度、深く息を吐いて気を整える。

 豺狼は、浅葱色の式鳥をそっと懐へ隠し、部下たちの方へ身を返した。

 

 

「片付いたのか……」

 河岸を見下ろす高台に、自警団の頭・コウが足を止めた。

 斜面を降りかけていた彼の背後には、数名の若手団員たちが続いている。

 

 集落の避難誘導と火の手の収束を終え、ようやく凪隊や白狼隊との合流に向かうところであった。

 

 眼下では、凪の隊員たちや白狼たちの姿が点々と並び、皆一様に身じろぎもせず、ただ露と焔大蛇の巨躯が沈んでいった河面を見つめていた。

 

「すごいんだな……東の武人や、白狼たちは」

 ひとりが呟くと、別の者も顔を見合わせながら口を開く。

 

「オレらじゃ、あの化け物とやりあえんかったぞ」

 ざわめきには驚嘆と安堵が混ざり、戦いの終結を遠目に目撃した者たちの率直な感嘆に湧いていた。

 

 同じ頃、露見ノ嶺(つゆみのみね)の高みからも、焔大蛇の最期を見届ける者たちの姿があった。

 

 黒装束の若者たちが、谷底を見下ろし、その結末に目を見張る。

 

「助太刀の出番、なかったですね!」

 岩場から身を乗り出した少女が「すごぉい」と、はしゃいだ声で仲間の方を振り返った。

 

「目にした光景を、よく覚えておくことだ」

 列の先頭に立つ男が、静かに口を開く。

 途端に若者たちは言葉を呑み、男の横顔に注視する。

 

「神獣の血胤(けついん)でもなければ、獣の血も薄い。いわば『半端者《よわきもの》』たちの集まりだ。それでも、あれだけの力に至れる」

 

 男の言葉は淡々としていたが、その声音には熱が(にじ)んでいた。

 

「教育、鍛錬、志。それらを結実させる組織力。あれこそが、我々が目指すべき姿だ」

 

 月光が落とす光に照らされた、若者たちの面差しが、決意に引き締まる。

 

「……駆けつけた甲斐(かい)があった」

 そう結ぶと、男はわずかに唇を吊り上げた。

 

 

「おう、お疲れさん」

 河岸に駆けつけたコウら自警団の姿を認めると、猪牙(いのきば)は控えめに目配せした。

 

「で、首尾(しゅび)はどうだった」

「消火は完了した。この周辺の集落も全員避難済みだ。死者は出ていない」

「そいつは良かった。こっちは、見ての通りだ」

 

 猪牙とコウが手短に報告を交わす。

 

「……ほんとう、に……?」

 波音にまぎれて、かすかな声が届いた。

 狛の腕の中で、白妙の(まぶた)がわずかに開かれる。

 

「白妙殿……!」

 狛の呼びかけに応えるように、白妙の朱の瞳に月光がきらりと反射した。

 

「……あの少女は」

 狛の腕に抱かれた白妙へと視線をやり、コウの表情が沈痛な色を帯びる。

 

 その周囲に並ぶ白狼たちは首を項垂れさせ、側に膝をつく豺狼や、凪の面々も目を伏せていた。

 

「初めて河を渡った夜に、世話になったことがあってな……」

 猪牙が応じると、コウの背後、自警団の若者たちのあいだで「しろたえさまだ」と呟きが漏れた。

 

「……だいじょう、ぶ……?」

 上半身のみを残した体で、白妙は、白く細い手を懸命に山裾(やますそ)の森の方へ伸ばそうとする。

 

「ああ。一帯集落の村民はみな、峠の向こうに避難させることができた。火も消し止めた」

「そう……」

 狛の深い頷きに、白妙の小さな唇がふわりと緩む。

 

 その小さな唇が、

「つゆ……」

 河の化身の名を紡いだ。

 

 微かな波音が返る。

 月を宿した河面が音もなく隆起(りゅうき)した。

 やがて露が水上へ、ゆるやかに漆黒の身を起こす。

 月光を背に受け、艶やかな鱗が鈍く光を返した。

 

 自警団の若者たちは一瞬、警戒に身を怯ませた。

 白狼隊や凪の面々は、慌てる様子もなく、再び姿を現した河の化身を静かに見つめる。

 

 狛の腕に抱かれた白妙の、(ろう)細工のように白く冷たい指が、ゆっくりと河へ向かって伸ばされる。

 震え、今にも崩れそうなほど頼りない。

 それでも、祈るように、指先は河の化身を求めた。

 

「みんな……ごめん、よ……」

 最後に掠れた呟きを残し、狛の腕の中で白妙の体が白い光に包まれる。

 

「あ……」

 手応えを失くした狛の両腕が、煙を抱く。

 

 少女の体が、仄白(ほのじろ)の光に包まれた白蛇の姿へと変じて、すり抜けた。半身を欠いた身体で水辺を目指し、砂利地を()い進む。

 

 河岸に露が首を垂れ、その巨頭をそっと岸に寄せ、白蛇を迎えた。露の淡い桃色の舌が静かに伸び、白蛇の体を抱き寄せるように巻き取る。

 

 黒と白、二柱の蛇神はゆるやかに水面を滑り、やがて露流河の深みに、共に沈んでいった。

 

 水面には、ただ静かな波紋が残る。

 谷はふたたび、しんとした沈黙に満たされた。

 

「……」

 冷たく静かな夜気が谷に降りる中、戦いを終えた者たちの、重たい疲弊(ひへい)した息遣いだけが重なる。

 

「猪牙隊長」

 豺狼は砂利を払い落としながら、立ち上がった。

 

「うん?」

「少々、隊を離れる時間をいただきたい」

「……何のためにだ」

 

 珍しく冴えない顔色を浮かべる豺狼に、猪牙は太い眉をひそめる。

 周囲の部下たちも、心配そうな眼差しで二人のやりとりを見守った。

 

「白妙の村を、探しに行きたいのです」

「んだけど、あの村は――」

「シユウ一師(いっし)がいま、白妙の村にいます」

「あ? あ、ホントだ、いねぇ」

 

 間の抜けた声を上げた猪牙は、つぎにあたふたと周囲の面々を見渡し、ようやく青が不在であることに気づいた。

 

「一師は焔大蛇に襲われた際に、河に呑まれたのです」

「何で早く言わねぇんだっ!」

 

 焔大蛇との決戦指示でそれどころではなかったことは差し置いて。猪牙は慌てて水際に駆け、無言の河を見渡した。

 

「かなりの距離を流されたのち、白妙の村へ(いざな)われたようなのです。一師から式が届きました」

「式だと!?」

 

 豺狼が懐に手を差し入れ、引き出した指先には、浅葱色の式鳥がとまっていた。

 

「式を送れるということは……今はもう、あの時のように村が閉ざされていないかもしれません。式を放てば、分かるでしょう」

 

 なるほど、と(うな)る猪牙の背後から、檜前(ひのくま)雲類鷲(うるわし)が一歩を踏み出す。

 

「私たちも、村へ同行させていただけませんでしょうか……!」

 白妙の村――二人にとっては、同郷の幼馴染が暮らしている、因縁深い場所だ。

 

「そのつもりだ」

 固い決意を灯す瞳へ、豺狼が深く頷き返す。二人の部下は、ほっと表情を和らげた。

 

「それから、コウ殿にもご同行いただきたい」

 名を呼ばれた自警団長は、「お」と目を張った。

 

「白妙殿を失った今、村の状況次第では自警団の力が要る。団長殿にも、あの村のことを知っておいて欲しいのです」

「承知。同行させてもらおう」

 コウが頷いた。

 

雁首揃(がんくびそろ)えて、のこのことお宅訪問するわけにもいかねぇな。隊を分けるか」

 

 顎髭(あごひげ)に手を当てて考え込む猪牙へ、狛が挙手とともに進言する。

 

「では我ら白狼隊は、避難民の手当てと、集落の見回りにあたろう。夜明けを待って、集落への帰還を助けねばな」

「狛殿、私の部下を貴隊に加えていただきたい。自警団の土地勘が必要であろう」

「それは心強い」

 

 三者の間で自然と戦後処理の段取りが整い、指揮の手は抜かりなく次の動きへと進んでいった。

 

「……無事で良かった」

 隊長たちの軍議を傍らに、豺狼はふと、指先にとまる浅葱色の式鳥へと目を落とす。

 

 どこか使役主(あるじ)である青に似た無垢な瞳と仕草に、自然と目元が和らいだ。

 

 

 チィ。

 

「戻ってきた」

 浅葱色の小鳥が、西の星空を背に舞い戻り、(せい)の肩先に軽やかに降り立った。

 

「グルルル……」

 ミツキがぴたりと耳を伏せ、村の西の林道を(にら)むように(うな)り声を洩らす。

 

『シユウ様、誰か来るよ』

「きっと凪隊だ。行こう」

 青は小五郎とミツキに視線で合図を送り、躊躇(ためら)いなく西へと足を向けた。

 

「クゥン、キャン!」

 遠ざかる青の背中を追って、ミツキが駆け出す。

 

「――あ……」

 少し遅れて小五郎も、手にした棒提灯(ぼうちょうちん)の灯りが消えないよう気を遣いながら、歩を踏み出した。

 

「思ったより早かったな……死傷者が出ていないと良いんだけど……」

 かつて白妙の導きで通った西側の藪道(やぶみち)、その奥から、複数の気配と灯りが近づく。

 

「一師!」

 藪を真っ先に抜けてきたのは、豺狼(さいろう)だった。

 白銀の髪に、折れ枝や葉が絡まっている。

 

「さ、峡谷(きょうこく)上士」

 森から飛び出した子どものようなその姿に、青は思わず噴き出しそうになり、足を止めた。

 

 豺狼も、青の数歩前で足を止める。

 背後から騒がしい――主に猪牙(いのきば)の――声が近づく中、和らぎかけた水面色の眼差しが、硬くなる。

 

怪我(ケガ)は」

「異常ありません」

 上官としての声色に、青は反射的に背筋を伸ばす。

 

「凪隊の皆さんに被害は?」

「無い。全員、無事だ」

「良かった……」

 

 背後から、ミツキが青の(かたわら)に滑り込んだ。

「グルル……」

 低く唸り、豺狼を警戒するように身を屈めたが――やがて小さく「キャン」と鳴いて、その姿を幼子(おさなご)へと変化させる。

 

 黒を基調に若緑色の罫線(けいせん)が刺繍された上衣(うわぎ)を身につけたミツキは、背後から青の腰にしがみつき、豺狼を恐々と見上げた。

 

「峡谷上士、この子はミツキといって――」

「ああ……この子が」

 

 再び、豺狼の瞳にやわらかな光が灯る。二歩、三歩と距離を縮め、その場に膝をついた。

 警戒心を宿したミツキの目線と同じ高さに身を屈め、穏やかな微笑みを向ける。(あお)い瞳同士が、交差した。

 

「一師を救ってくれて……ありがとう」

「……う、うん……」

 

 ミツキは戸惑いながらも、豺狼と青のあいだで視線を揺らす。

 しがみつく小さな手に震えを感じて、青はミツキの頭を優しく撫でた。指先に、柔らかい白銀の髪が流れる。

 

 そうしているうちに、ドヤドヤと藪の向こうから人の気配が押し寄せてきていた。

 

「お、生きてたな!」

 猪牙の太い声が先陣を切り、白妙の村を「再訪」する凪隊の面々が、畦道(あぜみち)に姿を現す。

 最後尾には、周囲に目を配りながら、コウの姿も続いた。

 

「ユウ……、ソラ……っ」

 少年の震える声が、青の脇を走り抜ける。

 棒提灯を激しく揺らしながら、小五郎が凪隊の列へと駆け寄った。

 

 凪の隊列の中程についていた檜前(ひのくま)雲類鷲(うるわし)が、小五郎の姿に気づく。

 とりわけ雲類鷲が、雷にでも打たれたように身を固め、提灯に照らされた小五郎の姿を凝視した。

 

「小五郎少年、また、会ったな」

 大柄な身体を窮屈そうにかがめ、檜前は不器用な笑みを浮かべた。

 

 息を切らせ、頬を紅潮させた小五郎は、手にした提灯の灯りを頼りに、檜前と雲類鷲の顔を交互に見つめる。

 

「ユウ! ソラ!」

「――え」

 少年の口が確かに紡いだ名に、檜前と雲類鷲は時を止める。

 

 事情を知る凪隊の面々は、息を呑んでその様子を見守った。

 

「オレ、惣太(ソウタ)だ……!」

「……」

 

 檜前の作り笑顔は凍りつき、頑健(がんけん)な顎が震える。

 普段は冷静な雲類鷲の目許にも、動揺がそのまま揺れを見せていた。

 

「ぜんぶ、思い出したんだ。ユウ、ソラ、チサ、他にもたくさん……みんなで東を目指していたこと」

「……ソウ、タ……?」

 

 わななく声で、檜前はようやく幼馴染の名を呼ぶ。

 小五郎――惣太は二人へ交互に「うん」と真っ直ぐに頷いた。

 

「ユウも、ソラも、オレのことを見捨てたりしなかった。最後まで助けようとしてくれた。オレ、ちゃんと覚えてる」

 

 ――あの時俺はお前を置いて、見捨てて、何も出来なかった……

 

 白妙の村で「小五郎」として生きていた惣太へ、檜前が涙ながらに詫びたことも、覚えている。

 

「やっぱり……惣太、なんだな……!」

「ソウタ!」

 

 檜前が、小柄な少年の身体を力いっぱい抱きしめ、その横から、雲類鷲もそっと腕を伸ばし、三人は寄り合う。

 

 その情景に、凪の若手隊員たちの中には、目頭を押さえる者の姿もあった。

 

「……村で、何が起きた……?」

 三人の再会劇を横目に、猪牙が低く、青に問いかけた。

「その前にお尋ねします。白妙さんは……」

「死んだ――のだと思う。露と共に、河へ消えた」

 傍らの豺狼が答える。

 

 青はしばし黙し、静かに息を吐いた。

 

「村の様子が、ご覧いただけますか」

 青は、畦道の先に広がる田畑の方を手で示す。

 松明(たいまつ)の灯や月明かりに照らされた、人の影絵があちこちに点在していた。

 

 菜の花畑の側に膝を抱えて座り込む女、用水路の斜面に腰を下ろしたまま動かない老人。その他、村のあちこち思い思いの場所で、いずれも微動だにせず、まるで時間に取り残されたかのようであった。

 

「惣太君をはじめ、村人たちが皆、同時に過去の記憶を取り戻したようなのです。白妙さんの力か……あるいは、この村にかけられていた何らかの術が解けたのかと」

 

「記憶、なぁ……」

 訳がわからん、と猪牙は眉を下げて、惣太の姿を振り返った。

 

「確かに、一師の式をたどって、素直に村へ入ることができた」

 豺狼が村の西側の藪道を示す。

 いわく、入り口の祠《ほこら》に(まつ)られていた石は黒ずんでいて、供えられていた菓子も崩れて砂と化していたという。

 

「ねえ、シユウ様……誰かくるよ?」

 下半身にしがみついたままのミツキが、不安げに(ささや)いた。

 

「え?」

 その声に振り向くと、畦道の先――菜の花の間を縫うように、灯りを掲げた数人の影がこちらへ向かってくるのが見えた。

 年齢も性別もまちまちな、村人たちだ。

 

 瞬間、背後に立つ猪牙と豺狼から、かすかに殺気を帯びた警戒の気配が立つ。

 

 しかし、村人たちは一定の距離を保ったまま、そこで足を止めた。そして、揃って静かに頭を垂れる。

 それ以上は一歩も近づこうとせず、ただ、再会を喜ぶ惣太たちをじっと見つめていた。

 

「惣太、いっしょに、凪へ行こう」

 ひとしきり涙を交わしたのち、檜前は膝をつき、惣太と目線を合わせてそう告げた。その隣で、雲類鷲も静かに頷く。

 

 凪には、行き場を失った者たちを受け入れる制度がある。一定の条件のもと、凪国民としての義務を果たしながら、新たな生活を築くための支援が用意されているのだ。

 

凪邦(なぎほう)へ……」

 惣太は夢を見るように呟き、幼馴染ふたりを交互に見つめた。

 

 かつて命懸けで挑んだ東への旅路――その先にあるのが、東方大国の一つ、凪之国。

 一人、また一人と旅半ばで命を落とす幼馴染たちと、それでも夢に見た旅の終着点だった。

 

「そう、だったなぁ……」

 惣太の茶色の瞳が、畦道で待つ村人たちを見やった。

 

「ユウ、ソラ、ありがとう、でも」

 そして再び二人に向き直り、静かに首を横に振る。

 

「オレは、この村で生きる」

「惣太……!」

 

 檜前の大きな手が、惣太の細い腕を掴んだ。

 

「白妙殿は亡くなったんだ、だからこの村はもう――」

「この村の半数の人たちは……もう、長くは生きられないんだ」

 

 そう言って、惣太は村へ視線を巡らせる。

 夜露に濡れた菜の花畑、風に揺れる古い茅葺(かやぶ)きの屋根、そして畦や縁側や水辺、思い思いの場所で座り込む、動かぬ人々の影。

 

「とっくに、天寿を越えてしまっているから……」

 

 惣太をはじめ一部の新参者たち、つまり寿命を迎えていない者たちは、残りの生を生きられる。

 

 しかし、そうでない――すでに天寿を越え、白妙の血肉により命を繋がれていた者たちは、その供給が断たれてしまえば、生き続けることはできないのだ。

 

「オレ、みんなと村の人たちを看取りたい。新参者のオレたちを受け入れて、助けてくれた人たちだから……」

 

 惣太の瞳は、畦道で待つ人々に向けられている。新参者仲間なのであろう。

 

「それから、この村の営みを、ちゃんと受け継いでいく。露流河(つるがわ)で迷ったり、倒れた人を助けられる村として」

「惣太……」

 

 檜前と雲類鷲は、迷いのない惣太の瞳と声に、それ以上の説得の言葉を継ぐことができなかった。

 

 

 深夜、村は眠りについていた。

 村を囲む山影に(ふくろう)の声がこだまし、田の(あぜ)を渡る風が、群生する菜の花を揺らす。

 

 冴える月明かりの下、(せい)はひとり、用水路の流れを眺めながら畦道を緩慢な速度で歩いていた。

 

「?」

 遠くに羽音が聞こえて星空を見上げると、村外れの山裾(やますそ)に建つ白亜の館から、鳥が北西に向かって飛び立っていくのが見えた。

 

「……式鳥だ。翡翠(ひすい)陣守村(じんもりむら)への報告かな」

 畦道の中央から見渡せる景色の中、館の大広間の灯りが、狐火のように夜闇に浮かんでいる。

 

 惣太(そうた)との再会を経て、一同は館で夜を明かしていた。

 かつて白妙(しろたえ)に迎えられた大広間に再び集い、惣太や村の若者たちを中心に、村のこれからについて、自警団長のコウも加わり、話し合いが行われていた。

 

 自警体制の整備、周辺集落との連携、首府(しゅふ)への報告と補助制度の申請――開かれた村には、取り組むべき課題が山ほどある。

 

 話の流れを見計らい、青は場を中座してひとり、深夜の村内の探索に出ていた。用水路の縁に身を屈め、底石を見つめる。

 

「青」

「――ひぇっ!」

 

 背後から不意に名を呼ばれ、青は威嚇(いかく)する猫のように身を震わせた。

 振り返ると、片手に火を灯した豺狼(さいろう)が立っている。

 

「び、びっくりした……どうしてここに」

「やっぱり毎回、びっくりさせるんだな」

 

 用水路脇にしゃがみ、不自然な姿勢で見上げる青へ、豺狼は苦笑いを落とした。

 

「大まかな方針はまとまった。夜明けまでは自由時間だ」

「ミツキは……」

「大人しく寝てる。檜前(ひのくま)雲類鷲(うるわし)准士たちは惣太君と三人で思い出話に花を咲かせていて。猪牙(いのきば)隊長は、どうやらコウ殿が気に入ったみたいだ。二人で話し込んでいたよ」

「ふはっ。楽しそう」

 

「そっちは、採集か?」

 灯りと共に、豺狼が背後から身を屈め、青の手もとを覗き込んだ。

 

「惣太君や、村の方々には……内緒で」

 青は空の薬(びん)に用水路の水を汲み、月の光にかざした。見た目には澄んだ水だが、ミツキの嗅覚によれば、「血」だという。

 

「不謹慎で無節操であるとは分かっているけど……どうしても気になって」

 瓶を腰の道具袋にしまい、青の手は次に、用水路沿いに並ぶ菜の花へと伸びた。

 

「病気や怪我を癒し、不老をもたらす血肉……か。確かに興味深いよな」

「その特性が、白妙さん固有のものか、それとも神獣の血を引く者すべてに共通するのか……そこは分からないけれど」

「それを、調べようと?」

 

 豺狼は採集を続ける青の隣に、片膝をついた。

 

「あ……でも、それを変なことに使おうなんて考えてないから! 本当に、僕個人の勝手な興味というか……」

「分かってるよ」

 

 苦笑する豺狼の吐息に、灯りが揺れる。

 

「あ、ちょうどよかった、もう少しだけ、こっちに灯りを」

「……はいはい」

 

 豺狼が灯す明かりの下、青は根ごと摘んだ菜の花を丁寧に半紙に包んだ。

 

「惣太君に聞いたんだ。白妙さんの影響が体から抜けるまでに、どれほどの時間があるのだろうか……って」

 

 つまりは、余命――天寿を越えている村人たちが、いつまで生きられるのか、の問いかけだ。

 

「惣太君は、何と?」

「彼がこの村に流れ着いた時、白妙さんが温かい汁をふるまってくれて、それが、惣太君が村で初めて口にした食べ物だったって」

 

 そのとき、白妙がこう言ったという。

 

 ――すぐ元気になる。一月(ひとつき)もすれば、馴染(なじ)んでいくから

 

「馴染む……」

「この村の食べ物や水を()るようになってから、病気をしなくなって、怪我もすぐに治るようになった。日々を過ごすにつれて、目の色が少しずつ、白妙さんと同じ赤色に変わっていったんだって。記憶もその頃から曖昧になっていったみたい。きっとそれが『馴染む』印だったんだね」

 

 今の惣太の瞳は、まだ赤みを残した(つや)やかな(あめ)色だ。これから更に、生来の色に戻っていくのだろう。

 

「ということは、抜けるまでにも一月と考えるのが自然かな」

 

 豺狼の推測に、青は小さく頷く。

 包み終えた菜の花を竹筒に収め、(ふた)をかぶせた。

 

 一月(ひとつき)

 

 この時間の間隔が、青の思考にひっかかり、(うず)く。

 その正体を確かめたい衝動が、青を真夜中の採集に駆り立てた。

 

「もう一つ、見にいきたいものがあるんだけど――」

「行こうか」

 

 立ち上がって青は館と逆方向へ伸びる畦道へ歩き出し、豺狼はそれに自然と歩調を合わせた。

 

 田畑の広がる暗がりを、畦道だけが月に照らされ白く浮かんでいた。二人の気配に気づいた蛙が鳴き始め、竹林が風にざわりと鳴る。

 

「この先に、小さなお(やしろ)があるらしいんだ」

 

 道の先に、森が口を開けていた。

 ふきの葉を踏み越え、杉に包まれた細道を進むと、苔をまとった石段が姿を現す。

 その先、木々の間に小さな社がひっそりと建っていた。

 

「ずいぶん、古いな」

 豺狼が身を乗り出し、長い脚を石段の一段目にかける。

 湿った土と杉の香りが濃くなり、肌を撫でる空気がひやりと澄んでいた。どこからか、細い鈴の音が風に揺れる。

 

「ここに、祀主(まつりぬし)の名前が刻まれてる」

 経年で黒ずんだ、檜で組まれた社の扁額(へんがく)に、流れる文字が彫られていた。

 

「無、渡、霊……(つゆ)……露は分かるけど、む、わたり……あ」

 

 灯火をかざしながら扁額を見上げていた豺狼が、ふと青のほうへ顔を向けた。

 

「”わたらずのたま”……(ハク)殿下が口にしていたのは、これか」

「露は河の化身。翡翠では『東西の境界を守る神』とされている。”無渡(わたらず)”……渡ることを許さぬ”霊《たま》”は神――たぶん、境界の守護を司る存在の総称だと思う」

 

 青も段差を上り、社へ身を近づける。

「もう少し、火をこっちに」

 格子(こうし)の側へと、豺狼の手を引き寄せた。

 

「……お好きにどうぞ」

 軽くため息をつきながらも、豺狼は火を差し出す。その光のもと、青は社の内を覗き込んだ。

 

 御神体として(まつ)られているのは、翡翠石であろうか、青石(あおいし)水盤(すいばん)、その中に双頭の蛇像が()えられていた。

 一方が黒曜、もう一方の頭が白磁(はくじ)色をしている。

 

「これ……もしかして、露と白妙さんを表しているのかな」

「けれど、扁額には『露』の名しかない」

「うーん……」

 

 青は格子から身を離し、もう一度、扁額を見上げた。社の側面、背後へと回り込み、再び正面に戻る。

 石段の両脇に立つ灯篭(とうろう)にも目を向けたが、手がかりは得られず、首をひねる。

 

「もしかして……露と白妙さんは、本来ひとつの存在だった――そんな可能性は?」

「確かに、蛇の神獣や妖獣は、頭の数が複数である種は位が高いという話もあるな」

 

 豺狼の言葉に大きく相槌を打ちながら、青は再び社の内側を覗いた。

 

「今の露が夜行性なのって、もし露が“陰”、白妙さんが“陽”だとしたら……説明がつきやすいね。どうして二つに分たれたのか……それとも、生まれたときから別々の『半端者(はんぱもの)』同士ということだったのか」

 

 露は夜の闇のもとでしかその力を発揮できず、白妙は戦う力を持たない。

 

 それでも二つの神は、長きに渡って――ひとつは河の境を護る存在として、もうひとつはその傍らで見守り続けるものとして、黙然(もくぜん)とその役割を果たしてきたのであろう。

 

「露は、白妙と一つになれたんだろうか……」

「一つに……」

 

 青は社から身を離して、豺狼を振り返った。

 碧い瞳は、東、露流河の方角に瞬く星空を静かに見つめている。

 

「そう、かもしれない」

 ふたりの脳裏に浮かぶのは、村の入り口に祀られていた玉石だ。

 東と西、いずれもが黒く変色している。

 

 あれは、白妙が露の一部となった証――そう、思えてならなかった。

 

 

 その、半刻ほど前――灯の絶えない不夜の村と化していた、翡翠の陣守村。

 

 蜥蜴(とかげ)属の妖獣による襲撃を受けた人々の救援・支援のため、凪の士官と翡翠の文官《ぶんかん》が、昼夜を問わず奔走(ほんそう)している。仮の事務局となった四阿(あずまや)や天幕の間を行き来する人影が、日が落ちても休まることはなかった。

 

 チイ。

 

 兵舎前広場に設置された本部の巨大天幕、その主である一色の手元に、式鳥が舞い降りた。

 

「戦況の報せか」

 窓際の長椅子で横になっていた楠野が、飛び起きる。

 支流周辺へ隊を率いて蜥蜴の駆除にあたっていたが、状況報告のため、一時的に村へ戻ってきたところだった。

 

 一色は、式が携《たずさ》えてきた文を開く。

峡谷(きょうこく)君からだ……ふむ……?」

「どうした?」

 文面を追う一色の顔には、驚きと物珍しげな色が入り混じっていた。その様子に、楠野も長椅子から腰を上げる。

 

「巨大な大蛇(おろち)の妖獣の討伐に成功して、新たに村が開かれることになったそうだ」

「……ん? どういう意味だ?」

 

 瞬時に状況が飲み込めず、楠野は疲労の残る体と頭を引きずるように、一色が文を読む机へ歩み寄った。

 

「あのあたりは、重要拠点の一つになりえる。地図を書き換えねば」

 楠野が文に目を通す間、一色は白紙の文箋《ぶんせん》を取り出し、筆をとる。

 

「ちょうど、東雲(しののめ)班が露流河(つるがわ)周辺の調査に出ている。鉄は熱いうちに、だ。新しい村の運営者や自警組織の頭領に渡りをつけておいてもらおう」

 

 楠野が豺狼からの報告を読み終わるまでに、一色は天陽宛ての文を書き上げていた。

 

「つまりは、防衛線強化ってわけだな」

 楠野は窓を開ける。

 

()と同じ(てつ)を踏む訳にはいかないだろう」

 夜空へ放たれた式鳥、その軌跡を、陣守村の責任者ふたりは、しばし黙って見送った。

 

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