毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(3)

 信号弾の元を目指し、四人は急峻(きゅうしゅん)な斜面を駆け上がった。

 

 地理に明るいコウを先頭に、時には風術で灌木(かんぼく)や岩の露頭(ろとう)を飛び越える。瀬音(せおと)が遠のく頃には尾根筋に達し、一行はか細い獣道を進んだ。

 

 小さな沢や崩落(ほうらく)箇所を幾度も越え、さらに奥深くへと分け入ると、木漏れ日がまだらに落ち、汗ばんだ肌を風が掠めた。

 

 巨岩が折り重なる落石地帯に差し掛かった、その時、先頭のコウが無言で片手を挙げる。

 制止の合図だ。

 

 コウは張り出した木の根元に身を寄せ、(せい)豺狼(さいろう)も即座に手近な岩陰へ隠れた。岩場の向こうから複数の気配。信号弾に誘われた賊が近づいてくる。

 

「!」

 青に寄り添っていたミツキが、突如として賊たちの背後へと躍り出た。伸ばした青の手をすり抜ける。

 

「何だ!?」

 藪を揺らす物音に、賊たちは一斉にそちらへ注意を向けた。ミツキは草木の間を飛び跳ねて、反対側の藪奥へと姿を消す。

 

「山犬か」

「脅かすんじゃねぇ」

 

 無防備に背を向けた賊たちの首筋へ、青は間髪入れず、両の手から五本の針を投げ撃った。

 

「が……!」

「っぐ」

 

 針は的確に点穴を突き、賊たちは悲鳴すら上げる間も無く、次々とその場に崩れ落ちた。

 

「さすが」

「お見事」

 

 豺狼とコウは、口の端に笑みを浮かべ、軽やかな身のこなしで岩を越え、首筋に針を受けた賊たちを一人ずつ確認していく。

 

「当分、目を覚ましません。先を急ぎましょう」

 青はミツキの姿を探した。少し離れた草むらから、黒い耳がぴょこりと覗いている。

 

「もう、すぐそこのようだな」

 コウは岩場の奥、急勾配の先に広がる樹々の密集地帯へと視線を凝らした。

 信号弾の煙は既に消えていたが、風に乗って焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 

 コウが先んじようと一歩踏み出した、その瞬間――

 

「っ!!」

 頭上の枝葉を砕き、太陽を背にした何者かが猛禽(もうきん)のごとくコウへ襲い掛かった。抜き放たれた刃が陽光を乱反射させ、眼前に迫る。

 

「――待て」

 苦無(くない)に伸びかけた青の手首を豺狼が掴んで止め、退がるように押し戻した。

 

「くっ!」

 コウは背から大太刀を抜きつつ体を反転させ、頭上からの斬撃を受け止める。

 

 甲高い金属音が木霊した。

 

 一瞬、体勢を崩しかけたかに見えた襲撃者は次の瞬間、大太刀の棟に体重をかけて踏み込む。コウの右手の動きを封じ、襲撃者は握る刀を瞬時に逆手へ持ち替え、顔面を目掛けて振り下ろす。

 

「残党か!?」

 それにしては手練(てだ)れ――コウの脳裏に鋭い光が走る。咄嗟(とっさ)に空いた左手で脇差(わきざし)を引き抜き、迫る刃を弾き返した。

 

「ちっ……!」

 体勢を大きく崩した襲撃者へ、コウの左手の刃返す太刀筋で横薙ぎに払う。

 

 襲撃者はコウの大太刀を蹴って後方へ跳び、着地――逆光から抜け出たその姿が、コウの眼前に(あらわ)となった。

 

「っえ、……な……!?」

「天……っ!?」

 

 互いの顔を認識した瞬間、両者から同時に驚愕の声が(ほとばし)った。

 

 襲撃者は、東雲天陽(しののめ・てんよう)

 

 それは、チョウトクの東雲兄弟、実に十数年ぶりとなる邂逅(かいこう)の一幕であった。

 

「……」

「……」

 

 思いがけず再び巡り合った兄弟は、交わす言葉もなく、互いに刃を向け合った姿勢のまま、荒い呼吸に肩を上下させていた。

 

 青も息を呑み、唐突に叶った兄弟の再会を見つめる。

 だが、

「……っは……怪我人は!?」

 急速に我に返り、二人の間に割って入る。

 その勢いに、手首を掴んでいた豺狼の手が解けた。

 

「シ、シユウ一師? 峡谷上士も」

「文にあった怪我人はどちらに?!」

 刃先に身をさらすのも(いと)わない勢いで、青は天陽へと詰め寄る。

 

「え……ああ、いや……」

 天陽は慌てて刀を(さや)に収めた。

 

 その戸惑いに揺れる瞳が青と豺狼を認め、次いで周囲に倒れ転がる賊たちへと巡らされた。どうやら、青たちの接近を賊の襲来と誤認したらしい。

 

「手遅れになってしまいます!」

 青は僅かに苛立ちすら覚えながら、一歩踏み込んで天陽へ迫った。

 

「そ、そこを上がった先だが、もう大丈――」

「ありがとうございます!」

 天陽の視線が背後の斜面を示すや、青は身を(ひるがえ)して駆け出し、ミツキも俊敏にその後を追った。

 

「落ち着きがないなぁ……」

 遠ざかっていく慌ただしい背中を、苦笑とともに豺狼もすぐに追随(ついずい)する。

 通り過ぎる間際にコウ、そして天陽へそれぞれ目配せを残して。

 

「……」

「……」

 二人の若者の気配は、瞬く間に斜面を駆け上がり、木々の間に消えた。薄暗い山林に取り残されたコウと天陽は、しばし言葉もなく、複雑な感情の入り混じる沈黙に身を置いていた。

 

「――その物騒なもの、仕舞ったらどうだ」

 先に沈黙を破ったのは、弟の天陽であった。

 

「あ、ああ……すまん」

 兄、コウこと向陽は、大太刀と脇差をそれぞれの鞘へと静かに滑り込ませる。

 

 再び、どこかぎこちない沈黙が二人の間に落ちた。

 

「こんな森でデカブツ振り回すなんざ相変わらず、馬鹿力自慢か」

 再び口を開いた天陽が、コウの大太刀を(あご)で示す。

「お前こそ、見境なく飛びかかる猿みたいなところは相変わらずだな」

 コウは表情一つ変えず、ふんと鼻で笑った。

 

「あ”?」

「ん”?」

 今度は、火花が飛びそうな視線がぶつかり合う。

 

「……まさかとは思うが、自警団の団長ってのは?」

「オレだ」

「褒めて損した……」

「お前こそ、内勤がこんなところで道草か。窓際にしては、随分(ずいぶん)と体が動くもんだ」

「うちの若い奴らが(ひら)いた転送陣のおかげで、今や翡翠は庭みたいなもんなんだよ」

 

 二人とも言葉を切り、再び短い沈黙が通り過ぎた。

 

「その最初の道を拓いたのは、チョウトクだ、天陽」

「そりゃ野暮ってもんだろ……兄貴」

 

 十数年ぶりにかつてのように呼び合った兄弟は、どちらからともなくのばした右手を、互いに強く、叩きつけるように握り合った。

 そしてまた、どちらからともなく離す。

 

「オレたちも合流するとしよう」

 天陽は右手で背後の急勾配(きゅうこうばい)を示した。

 

「アキもいる。覚えてるか、千陽姉(ちよねえ)んとこの娘だ」

「ああ……あの()もチョウトクなのか」

 コウの瞳に、ふと懐かしむような色が浮かぶ。

 

獅子國(ししぐに)潜入調査の生還者だぞ」

 凪之国は西方への調査に多くの諜報部特務隊の隊員を送り込んでいる。

 西方深部、とりわけ獅子國へ近づくほどに、帰還を果たせず消息を絶つ者が後を絶たなかった。

 

 そんな中で、アキは三人の少数部隊による行方不明者の捜索任務に(おもむ)き、その中でただひとり、唯一無二の俊足を活かし、生還を遂げたのである。

 

「――そうか……」

 兄弟が、言葉にならない万感(ばんかん)の思いを胸に刻む、その静かな余韻(よいん)の中――

 

 頭上に続く急勾配、そのさらに北に広がる森の奥から、木々が激しくざわめいた。

 晴れ渡った空に木屑や木の葉が舞い散り、鳥たちのけたたましい羽音と鳴き声が幾重にも重なる。

 

「何だ」

 音の方向に兄弟が振り向くと、一瞬、梢を突き破った影が見えた。

 

「信号弾につられた妖獣でも集まってきたか」

「使いどころを再教育するべきだな……」

「急ごう」

 

 兄弟は互いに頷き合うと、ともに地を蹴って駆け出した。

 

 

 その、少し前――

 

 風術で一息に斜面を駆け上がり、繁みをかき分け、青は平坦な足場へと降り立った。

 

「こんなところにまで……」

 青の目にまず飛び込んできたのは、広範囲にわたる腐沼(ふしょう)だ。微かに黒い瘴煙(しょうえん)が立ちのぼり、周囲には黒泥があちこちに飛び散っている。

 地面はまだらに(えぐ)られ、低木や草むらが()ぎ倒された様は、ここが激しい戦闘の場であったことを物語っていた。

 

「かなり、大きいな」

 すぐに追いついた豺狼が、青の肩越しに眼下の腐沼を覗きこむ。

 

「怪我人はどこに」

 青が辺りを見渡すと、わずかに花を残した山桜の木陰に、人影が一つ横たわっており、その側には、桃花色の衣をまとったの少女と、(たぬき)とおぼしき丸い獣人が座り込んでいた。

 

「あ……っシユウ一師! 峡谷上士!」

 弾かれるように顔を上げたのは、あさぎだった。

 傍らの狸も鞠のように飛び上がると、深々と頭を垂れた。

 

「白兎から戻っていたのか。その怪我人は――」

 負傷者を確認すべく、青は山桜の木陰へと小走りで歩を進めた。

 

 一方、豺狼は足を緩めて周囲へ警戒の視線を配る。

 

「?!」

「ガルルル……」

 

 豺狼がはっと青の背中を振り返ったのと、ミツキが低く唸り声をあげたのは、ほぼ同時――その視線の先、山桜の木立の奥に広がる森が、何の前触れもなく激しく揺れた。

 

「?」

 青が何事かと思うより速く、森が波打ち蛇行して木々を薙ぎ倒しながら、瞬く間にこちらへ接近する。

 

「うわぁあ!」

 茂みを突き破り、数人の人影が雪崩(なだれ)るように転がり出てきた。

 自警団の腕章《わんしょう》を身につけた若者たちだ。

 彼らを追い立てて、山桜の並木をへし折りながら、複数の巨鳥が姿を現す。

 

「きゃ!!」

 あさぎは咄嗟に身を投げ出し、アキと狸の上に覆い被さった。砕け散った枝や石片が降り注ぐ。

 

「っう!」

 青は片腕で顔を庇った。翼が生み出す暴風が、頬と外套を切り裂く。

 

 眼前に、立ち上がった熊のごとき巨躯(きょく)の怪鳥が三体、紅の両翼をいっぱいに広げ、巨大な鉤爪(かぎづめ)を突き立て、もしくは鎌形の(くちばし)を大きく開き、猛然と急降下した。

 

 足が(もつ)れ転がる自警団員の前に立ち塞がり、青は符を指先に挟んだ手を前方に掲げる。

 

「地神……(へき)

 せりあがる土壁、その色が瞬時に黒へ変化した。

 

 巨鳥らはその勢いを殺す術《すべ》もなく、黒壁に次々とその巨躯を叩きつける。壁はまるで底なし沼のように巨鳥を飲み込み、強靭(きょうじん)な粘着力でその動きを封じた。

 

 間髪を入れず、豺狼が空に躍り出る。振りかざした刀身に、紫の雷光が(ほとばし)り、長大な斬馬刀(ざんばとう)へと姿を変えた。

 

「っ!」

 鋭い呼気と共に放たれた雷光を()く長大な一閃が、身動きの取れない三体の巨鳥の首や胴体を、まとめて薙ぎ払って分断する。

 

水泡(すいほう)

 青の短い詠唱、黒壁は一瞬でその性質を変化させた。

 噴き出す血潮ごと、巨鳥らの(むくろ)を粘りつく漆黒の液体で包み込み、巨大な黒い水泡と化す。

 

「玉」

 続けて、青の指先から小さな火種が放たれた。

 刹那、黒泡は巨大な火球となり、次の瞬間には急速に収縮して消え失せる。

 

「え……え?」

「な、何が起きた??」

 困惑する自警団の若者たちの眼前から、三体の巨鳥は跡形もなく消えた。

 

 軽やかに着地した豺狼が、刀を鞘に収めながら満足げに青を振り返る。

 

「す、す、すごい……!」

 降り積もった木っ端を払い除けながら、あさぎは花火に喜ぶ子どものように面持ちを輝かせていた。

 

 異変を察知して駆けつけた東雲兄弟は、顔を見合わせる。

 

 そこへ――薙ぎ倒された山桜の残骸に沿って、一羽の大型の(ふくろう)滑空(かっくう)してきた。

 青たちの頭上で大きく翼を広げ、巧みに風を捉えて空中停止する。

 

「鳥獣人か?」

 豺狼は身構える。

 ミツキは青の足元に隠れた。

 

 その場の面々が見上げるなか、梟の輪郭が陽光に揺らめき、瞬く間に人影へと変じた。

 黒い軍装に藍や茶の(しま)羽織を(まと)った青年が、音もなく地に降り立つ。

 

「何体か取り逃がしてしまったのですが……消え、た……?」

 

 わずかに息を切らせながら、青年は周囲に鋭い視線を走らせた。やがて自警団員たちの無事な姿を認めると、その目元にようやく安堵の色が差した。

 

「鳥なら始末した。……君は?」

 豺狼が一歩踏み出し、青年へと静かに歩み寄った。

 

 青年はわずかに瞳を伏せ、言葉を選ぶようにしばし黙考した(のち)

「……少なくとも、皆さんと敵対する者ではありません」

 と答えた。

 

「この方は、俺たちを助けてくれたんです!」

 青年を(かば)うように、自警団の若者が声を上げた。

 彼によると、信号弾に気づき駆けつける途中、異形の獣や大鳥の群れに襲われたところを、この青年に救われたのだという。

 

「それに、一緒にいたお姉さんが、不思議な術でアキちゃんを治療してくれたんです」

 と、あさぎが言葉を継いだ。

 

「怪我人は東雲准士だったのか……」

 青は横たわるアキの枕辺(まくらべ)に歩み寄り片膝をつくと、上体を屈めて顔を覗き込んだ。

 

 右腕には広範囲にわたり白い布が巻かれていたが、顔色も呼吸も安定している。

 青の目から見ても、極めて適切な応急処置が既に施された後と見受けられた。

 

「お姉さん、『毒使い』だって言ってました」

「毒使い……」

 

 息を呑み、青は上体を起こして周囲を見渡す。

 それらしい人物の姿は、ない。

 

「その、治療をなさったという方はどちらに?」

 最後に青年の方へ振り返る。

 その背後で、再び大きく藪が揺れた。

 

「あ〜あ、もう、いいな〜……私も飛べるようになりた――」

 そんな他愛ない呟きと共に、繁みを掻き分け、黒い仮面がひょっこりと姿を見せた。

 

「キュン!」

 青の足元で、ミツキがおびえたように鳴き、身を縮こませた。

 

「――あ」

 仮面の主は、眼前に居並ぶ一行の姿にようやく気づき、やや間の抜けた声を漏らした。

 

「ごめんなさい……お見苦しいところを」

 続いて、首から下も繁みから現れる。声は、若い女だ。

 青年と同じ仕立ての黒い軍曹の上に、青緑に染め抜かれた桔梗麻を羽織っている。

 身体中に付着した木の葉や小枝を払いながら、どこか気まずそうに青年の隣に並んだ。

 

「……え……」

「……あら……?」

 

 青の視線は、女の黒い仮面に吸い寄せられ、一方、仮面の奥の瞳は、青の首元――襟留の一点に注がれていた。

 

 それは、東の毒術師と、西の毒使いが邂逅(かいこう)した瞬間だった。

 

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