毒使い   作:キタノユ

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ep.9 任務と課題(1)

 二刻ほどが過ぎ、森の鳥の鳴き声が変わり始めた頃。

 

「か……じ……」

 かすれた声が、奥の部屋から漏れ聞こえた。

 

「師匠??」

 青が振り返ると、横たわる藍鬼の片腕が、宙を掴むように持ち上がる。

 うなされていた。熱が上がったのかもしれない。

 

 水の入った湯呑みと木匙を持ち、奥の部屋へ向かおうとして、青は足を止めた。

 藍鬼の手が、巻かれた手ぬぐいに触れた。

 

「……何、だ……これ」

 指先が目許をいじり、手拭いが外れた。

 

「……青?」

 声がかかる。目を覚ました――青は慌てて背を向ける。

 

「仮面!」

「え?」

「そこに置いてあるから」

 

 咄嗟に声をあげた。

 見ていない、何も、見ていない。

 

「え、あぁ……」

 まだ少し寝ぼけたような声と、床が(きし)む音が重なって、衣擦(きぬず)れの音も続いた。

 

「もう、いいぞ」

 音が近づいたかと思うと、藍鬼の足が青の脇を通る。青が持っていた湯呑(ゆの)みが、筋張った長い指先に取り上げられる。もう片方の手には、仮面。

 

 藍鬼は青に背を向けたまま、水を飲み干してから仮面を装着し、それからようやく振り向いた。

 いつもの鬼豹面が、青の前に腰を下ろす。

 

 藍鬼が何かを言い出す前に、

「悪い夢みてたの? うんうん言ってて苦しそうだったよ」

 心配色の面持ちで、青は詰め寄った。

「……別に」

 仮面の下から、低い息が漏れる。

 

「思い出したくない野郎の顔が出てきただけだ」

 それより――と、藍鬼は脇腹を撫でる。青が手当をした箇所だ。

 

「世話をかけたようだな」

「僕はぜんぜん……」

 青は、首を横に振る。

 

「ハクロさんっていう、鳥の仮面の人が解呪してくれたんだ。心配で戻ってきてくれたみたいだよ」

「そうか。ハクロが」

「師匠の顔、見なかったからね!」

「ああ……あの手ぬぐいも、お前か」

 黒い仮面の下から、くぐもった苦笑が漏れた。

 

「ハクロさんに、『見たのか』ってすごい怒られそうだったんだ。何でダメなの?」

 仮面の下で、二、三呼吸分ほどの沈黙が落ちる。

「……狼以上の技能師は、素性(すじょう)を隠さねばならない。仮面でなくとも良いがな。覆面の奴もいる」

「変な規則」

「大人の事情ってやつだ」

 

 ふと、仮面が青の傍らに向き、長い腕が伸びた。

 長い指が、二枚の証書を拾い上げる。

 

「これを、俺に見せに来たのか」

「あ、そうだった! うん!」

 ぱっと、青が破顔する。今日、一番伝えたかったことだ。

 

 そんな弟子の無邪気な様子と、合格証書を見比べる仮面の模様が、どこか感慨深そうにも見える。

 

 つい一年前。

 森で出逢った時は、物を知らない放浪の子であったのに。

 

「よくやったな」

 師の手が、躊躇(ためら)うように一瞬止まり、それから弟子の柔らかい髪をくしゃりとかき混ぜた。

 

「……」

 青は動きを止めた。

 初めて、褒められた気がする。

 

 頭に置かれた手の温もりが、体の芯を通って広がっていく。

 この優しさに、どこか懐かしさを覚えた。

 

「二級も、がんばるね」

 師を喜ばせ、褒められたいという気持ちが、自然と言葉になった。

 

「……ああ」

 細かい傷の多い手が、しばし黒髪をかき回し続けていた。

 

 

 

 日が傾きかけた森を、並んで歩く二つの影がある。

 青と藍鬼は、陣守の村へと向かう途中にあった。

 

「休んでいなくて大丈夫なの?」

 青の目線は、ちょうど藍鬼の脇腹にある。

 

「俺も都に用がある。それに、寝不足だっただけだ」

「お腹に穴が空いてたくせに」

「ハクロが大丈夫だと言ってたのだろう? 薬術の獅子のお墨付きだ」

「ハクロさんって、師匠のブカ?」

 

 恐ろしげな妖鳥の面が、いまだ青の脳裏に残ってチラつく。

 

「階級としてはそうだが、部下ではない」

 青が覚えた技能職の階級表では、龍の下に、獅子が位置していた。

 

「ハクロさんって、どういう人なの」

「……あんなナリだが、珍しい善人だ」

「ふはっ」

 

 思わず、青は吹き出した。

 師匠も、あの仮面が変だと思っていたらしい。

 

「いずれ、薬術の麒麟になるだろうと言われている」

「麒麟に?! へぇ……」

 

 青は前々から尋ねたかったことを口にした。

 

「じゃあ、毒術の麒麟って、どんな人?」

 

 沈黙。

 

「師匠?」

 見上げると、真っ直ぐ前を見据える鬼豹の仮面、その隙間から見える口元が、固く引き結ばれている。

 

「……ロクでもない野郎だ」

 

 ぽつりと、それだけが返ってきた。

 

 

 自称・弟子を都まで送り、別れた後、藍鬼は七重塔へ向かった。

 

 七重塔は俗称であり、機能としての名は官邸および行政と法軍本部であるが、関係者も「七重塔」を通称として使っていた。

 

 藍鬼は文字通り、真っ直ぐに長の執務室へ向かう。風を操り、跳び、外廊下から侵入するのがいつもの経路だ。誰もそれを咎めないし気に留めない。

 

「ケガをしたと聞いたが」

 出迎える長も、藍鬼の闖入を黙認していた。

 

「寝不足だ」

「ここまで来られるなら元気だね。良かったよ」

 長は、執務机上に両手を組み、袖を滑らせた。

 

「それで」

 長の声が、柔らかな布の擦れる音に重なる。

 

「例の任務について……返事をくれるのかな」

「……その件だが」

 

 鬼豹の仮面が肩越しにちらと、入口に立つ護衛官らを一瞥する。

 長が片手を上げると、両者は無言のまま一礼し、室外へ去った。

 

 扉が閉められ、気配が去るのを待ってから、藍鬼は再び口を開く。

「一年、待ってほしい」

「……あの子がいるから……か?」

 仮面の返答に、長は軽く小首を傾げた。

 仮面越しに、藍鬼の視線が逸らされる。

 

「いまさら、君が誰かに入れ込むなんて意外だとは言わないよ」

 それを、無言の肯定を受け取って、長は机上の書類へ手を伸ばした。

 

「あの子――」

 一枚を手に取って、おもむろに立ち上がる。

 

「二種で三級を獲ったらしいね。六歳だろう。誰かさんの、五歳の最年少記録が脅かされるとは」

 誰かさん、で長の微笑を形作る両眼が、仮面の横顔へ向いた。

 

「今のところ、君が見込んだ通りの子だった……という訳だ」

 長は、手元の書類を軽く指先で弾いた。表紙には「大月青」と氏名が記載されていた。

 

「平凡な難民孤児であれば、どこか子のいない夫婦に託して、地方の学校に通わすくらいが通例だ。君がわざわざ連絡をよこしてきたと思ったら、霽月院(せいげついん)に入れて、都の学校に通わせて欲しい子がいるときた」

 紙をひらりと机上に戻し、長は片眉を僅かに上げた。

 

 また、しばしの沈黙。

 

猶予(ゆうよ)は……あと一年で足りるのか……?」

「一年あればいい」

 

 黒き仮面は、短く答える。

 低く、確信のこもった声と共に、静かに頷いた。

 

 

 凪之国が初夏を迎える季節は、陽射しが徐々に強く、そして風は湿り気を帯び始める。

 柔らかな水色を湛える澄んだ空の下、

「今日は、おしごと体験授業です」

 小松先生の凛とした声が響く。

 

 ある日の授業。

 青たち二年三組の生徒たちは、校外学習に出ていた。

 

 法軍のおしごと――いわゆる「任務」とは何かという、社会科目の実習回だ。

 引率には、小松先生はじめ、数人の法軍人が就いている。

 

 座学と学校敷地内での反復練習に飽きていた子どもたちは、期待に胸を踊らせて、落ち着きをなくしてあちこちへ興味を散らしていた。

 

 青、トウジュ、つゆりの三人組も例外ではない。

 

 しかし、冒険を夢見ていた子どもたちの期待は、到着して半刻も経たないうちに霧散することとなる。

 

 到着したのは、長閑(のどか)な農村。

「任務」として指示されたのが、畑の害虫駆除だからである。

 

「どこがニンムなんだよー!」

「おばあちゃん家でやるお手伝いと一緒だよぉ……」

 

 説明を受けた子どもたちから、不満の声が飛ぶ。

 引率の士官たちは、苦笑しながら顔を見合わせた。

 

「はい、いいですか?」

 小松先生のぴしゃりとした声に、いったんは場が鎮まった。

 

「もともと法軍が何のためにできたのか、神話のおさらいです。わかる人?」

「はい、妖魔や妖獣から人を守るためです」

 挙手した生徒が、模範解答を口にする。

 

 古の神話によると――七人の賢人が人々を守護するために里を築き、法軍の前身である自警団を編成したと伝えられている。

 

「そうです。昔は今よりも妖魔や妖獣が身近で、畑仕事も命がけだったのです。畑を荒らしたり、畑で働く人を襲ったりするだけではなく、妖瘴の影響で土が病気になったり、害虫や害獣も凶悪化するのです」

 

 だから、畑と、畑で働く農民を護ることは立派な「任務」であるという訳だ。

 

「……そうだけどさぁ〜……」

「つまんな〜い」

 理屈は分かるが、やはり畑仕事のお手伝いでは、子ども心はくすぐられない。

 みな不満を隠せないまま、それぞれに割り当てられた畑へ散らばっていく。

 

「地味すぎだっつーの」

「よっぽど田舎じゃないと、畑に妖獣なんて出ないでしょ」

 

 青、トウジュ、つゆりの三人も、同じ畑を割り当てられていた。

 ぶつくさと文句をたれながらも、トウジュとつゆりは指先に発現させた小さい炎で、手際よく茎や葉についた害虫を駆除していく。

 

「僕は妖獣なんて、遭いたくないけどなぁ」

 二人の愚痴を笑って受け流しつつ、青も野菜の葉を一つずつめくって廻った。

 

「父ちゃんの任務で、畑仕事なんて聞いたことねぇよ」

 トウジュの自慢の父親は、上士だ。

 

 凶悪な妖獣や妖魔退治、他国への戦任務など、子どもらが冒険(たん)のように憧れる「ホンモノの任務」を数多く成功させているという。

 

「妖獣退治や戦任務、か……」

 青の脳裏には、藍鬼が浮かんでいた。初めて目にした、手負いの師の姿。

 あれほど強い人が、血を流し、力尽きて倒れるほどの任務とは、どれほどの難しくて危険なのか。今の青には想像できなかった。

 

「いま父ちゃん、戦任務に行ってるんだ」

「戦? どこで?」

 野菜の根元を探っていたつゆりが、上体を起こす。

 

「どこかは分かんないけど、きっと遠いところだよ。三月(みつき)三月いなかったこともあった」

「そんなに長く帰ってこれないの……」

「最近は、戦の任務ばっかりって言ってた」

 トウジュの声が、沈む。

 威勢が良くて自慢げだった語り口が、どんどん萎れていった。

 

「そう……」

 からかうのは(はばか)られた。青も、つゆりも、声を落とす。

 

「……そういう時は、こう言うのよ」

 立ち上がり、つゆりは片手の拳を、立てたもう片手の平に押し当てる。

 

「ご武運を、って」

「それ、母ちゃんもよく言ってる」

「どういう意味?」

 

 三人は自然と畑の真ん中に寄り集まり、小さな輪を作る。遠くで小松先生がその様子に気付いていたが、注意は飛ばなかった。

 

「こう?」

「そうそう」

 青とトウジュが、つゆりに(なら)い、胸の前で拳と手のひらを合わせる。

 

「こう?」

「どうか戦いに勝って、そして生きて帰ってこられますようにって、お祈りなの。トウジュのお父さまに、ご武運を」

 

 誰ともなく目を閉じる。

 三人の小さな祈りが、風に乗って畑を舞った。

 そして誰からともなく目を開ける。

 

「へへ」

 頬を赤くしたトウジュが、歯を見せた。

 

「父ちゃんつえーし。ぜってー大丈夫だ。ありがとな!」

 稲穂のように、トウジュの明るい色の髪が風に揺れる。

 

「よし、続きやろ!」

 つゆりの合図で、三人はそれぞれの作業へ戻った。

 

「ご武運を、か」

 青は野菜の葉をめくりながら、小さく呟く。

 

 藍鬼に言ってみたら、どんな顔をするだろう。

 弟子が師に対して、口にしても良い言葉なのだろうか。

 

 だけど、嬉しそうなトウジュの顔を見たら、きっと良い言葉に違いない。

 

「ちょっと遠いかな」

 藍鬼のことを考えているうちに、茂みの奥に害虫の姿を見つけた。

 両手を土につき、上半身を低く屈める。

 

「?」

 

 湿った土の感触。その奥で、何かが蠢いた。

 焦げ茶の腐葉土に押し付けた指先を見やる。

 湿り気を帯びた土に、指がわずかに沈み込んでいた。

 

「何、だろう……?」

 

 その姿勢のまま、青は目を閉じた。

 少しずつ、息を吐く。

 ゆっくりと、細く、長く――

 

 畑で動き回る子どもたちの声が、次第に遠のいていく。

 

 息を吐ききる。

 音が消えた。

 

 直後、手のひらに伝わる、蠢動(しゅんどう)

 左から迫り、通り過ぎ、右へと(はし)る。

 

「つゆりちゃん!」

 青は叫ぶと同時に駆け出した。

 

「え?」

 七歩分ほど離れた場所で葉をめくっていたつゆりへ、青は横から体当たりする。

「きゃっ!」

 二人の体が横へ転がった瞬間――つゆりがしゃがみ込んでいた場所が激しく隆起し、太く長い鋸が、頭上高く突き出した。

 

「え……?!」

 

 突き出した鋸が、直角に折れ曲がって地に刺さる。それを力点に、周辺の土が半球状に膨張したかと思うと、爆ぜた。飛び散る土埃、粉々に砕かれた根菜、引き裂かれた葉菜。

 その向こうに現れたのは、紅い八つ目。

 その下にのぞく、二本の牙。

 巨大蜘蛛。

 

「きゃーー!!!」

「うわああっ!!」

 

 藁小屋のような巨体が、青とつゆりの眼前を塞いだ。

 

「つゆり! セイ!」

 地中から蜘蛛が体を持ち上げると同時に、横から威勢のいい声が響いた。

 

「炎神!!」

 赤い閃光が躍り出る。トウジュだ。

「壁!!」

 

 炎の壁が立ち昇った。蜘蛛と、腰を抜かした二人の子どもたちの間に、灼熱の障壁が生まれる。壁越しに、鋭い金切り音が響いた。あれは、蜘蛛の悲鳴なのか。

 

「伏せろ!」

 引率の士官が滑り込み、トウジュ、青、つゆりの三人を抱え上げた。

 

「やぁあ!!」

 一喝と共に、その上を飛び越える影。白刃が閃く。小松先生だ。

 長刀が、大蜘蛛の顔面へ突き立てられる。

 

『ギィイイイィシャァアアア!』

 悲鳴のような、金切音のような、神経に触る断末魔が轟き、泥のような緑色の体液が噴き出した。

 

「下がるぞ」

「承知!」

 子ども三人を抱えた引率の士官が飛びずさり、畑から離脱。それを見届け、小松先生も長刀を引き抜いて素早く後退した。

 

「大丈夫ですからね……!」

 悲鳴をあげたり、泣き出す子どもたちを、先生や引率者たちが優しくなだめる。

 

 畑にいた他の子どもたちはすでに、土手上へと避難させられていた。

 

「せ、せんせぇ、あれ、あれなにぃ……!?」

「妖虫です。虫たちが駆除されて、臭いをかぎつけたヌシですよ」

 引き攣った泣き声の子どもたちと対照的に、小松先生はあくまでも冷静で、穏やかだった。

 

「大丈夫、いま、中士や准士の皆さんが退治してくれますからね」

 先生は子どもの数を確認すると、合図を出す。

 それを受け、引率の士官たちが抜刀しながら畑へと飛び出していった。

 

 大蜘蛛は巨大な黒い鋸のような八本の足を無尽蔵に振り回し、振り下ろし、金切り声を上げながら、人間たちを威嚇する。

 

「如月さん、大月君、榊君、大丈夫?」

 小松先生が三人の元に駆け寄る。

「…………」

「大月君?」

 青が唖然と見つめる先、畑には、すでに息絶えた巨大蜘蛛の姿。

「あ、は、はい……!」

 先生に肩を支えられ、青やようやく立ち上がる。

 畑では、いつの間にか大蜘蛛討伐は終わっていて、士官たちが遺骸を検分しているところだ。

「どこか痛いところは?」

 小松先生の問いかけに、青は首をふるふると横に振った。

 むしろ、隣で座り込んだまま震えているつゆりが心配だ。

 

 トウジュが中腰で、つゆりの顔を覗き込んでいる。

 咄嗟(とっさ)に高度な術を使った直後とは思えない、普段通りの様子で。

 

「トウジュ、助けてくれてありがとう」

 青は、言わずにはいられなかった。

 

「ん?」

 顔を上げたトウジュが、一瞬きょとんとした後、

 

「へへ」

 と、いつもの調子で笑う。

 

「つゆりを助けたのはオマエだけどなー」

 そうは言うが、トウジュの炎術が大蜘蛛の足止めをしたからこそ、先生たちの助けが間に合ったのだ。

 

「如月さんを助けたのは、君たち二人ですよ」

 小松先生の細い腕が、青とトウジュの肩を抱く。

 軽く三度、ぽんぽんと、撫でる。

 そして、座り込んだつゆりをやさしく引き上げ、震える小さな背中を包み込むように抱きしめる。

 

「三人とも……本当に、無事で良かった……」

 

 珍しく、小松先生の声が揺れていた。

 

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