毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(4)

 それは、翡翠(ひすい)の地での騒動が起こる、前のこと。豺狼(さいろう)(せい)を訪ねて白月区の医院へ駆けつけた、ほんのわずか前の出来事である。

 

「俺が西で見てきたことを、お前に伝えたい」

 そう切り出した師ハクロが、最初に語り始めたのは、藍鬼の最期――その壮絶な瞬間と、一部始終であった。

 

 陽光の射し込む乳白色の空間にあって、首筋や手足に覚えたあの肌寒い感覚を、青は鮮明に記憶している。

 

 生涯忘れ得ぬ、と師が語ったその光景の中に、件の仮面についての言及が含まれていた。

 

 藍鬼に致命傷を与えた一撃は、彼の肩から首筋を、そして黒い鬼豹(きひょう)の仮面をも、縦一文字に切り裂いたという。

 

 藍鬼の仮面――伝承の幻獣、鬼豹を象り、名うての武具工が丹精込めて作り上げた逸品である。

 

 滑らかな削りで表現された(かたち)。むらのない漆の塗り。

 時を経ても()せない蒔絵《まきえ》の精緻(せいち)さ。

 数多の戦いを経て刻まれたであろう、無数の小さな傷や欠け。

 

 そして何よりも、その最期を物語る、太く、鮮やかな金継(きんつ)ぎ。

 

 藍鬼の在りし日の面影を色濃く宿すその仮面が、今、まさしく青の目の前にあった。

 

 

「あれは……っ」

 青は反射的に外套の上から左腕を押さえた。

 心臓が大きく跳ね、胸の奥から始まった疼きにも似た痛みが、瞬く間に左腕へと集束していくのを感じた。

 

 それは、激しい感情の昂りに呼応するかのように、左腕の刻印が疼きだした証左であった。外套(がいとう)越しにも、そこが熱を持ち腫れ上がっている感触が伝わってくる。

 

 ここで倒れ、無用な混乱を引き起こすわけにはいかない。(しず)まれ、と内心で強く念じながら、青は周囲に異変を悟られまいと、細く長い呼吸を懸命に繰り返した。

 

「キュウン……?」

 青の尋常ならざる気配を敏感に察したのか、ミツキが足元にすり寄り、案じるようにその尾を青の脚に絡ませる。

 

「あ、毒使いのお姉さん、おかえりなさい!」

 その場に、あさぎの快活な声が響いた。仮面の女へ屈託なく手を振っている。アキを救ってくれた恩人に対し、すっかり心を許している様子であった。

 

「た、ただい、ま……?」

 仮面はあさぎの方へ、ややぎこちない仕草で片手を小さく振り返した。

 

 そこへ、

 

「――仲間を救っていただいたこと、重ねて(あつ)く感謝申し上げる」

 

 その場の空気を引き締めるように、豺狼が静かに割って入った。

 そして、背後へ回した片手で、青に「下がれ」と手振りで示した。

 

「あ……」

 豺狼の背に隠れるようにして、青は深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。

 

 ここは異郷の地、自分たちは外様(とざま)の人間。この場は、まさしく「外交」なのだと、青は改めて思い知らされた。

 

 上士である豺狼と同じく、「龍の位」を拝する者として、それに相応しい立ち居振る舞いが求められているのだ。

 

「俺は、これより東方、凪之国の軍に籍を置く者。名は峡谷だ。差し支えなければ、所属と名前をうかがえないだろうか」

 

「成り行きで手を貸したに過ぎません、どうかお気になさらず……」

 豺狼の改まった物腰に、青年――夜梟(やきょう)はやや居心地悪げに視線を彷徨わせた。

 その切れ長の瞳は、周囲に集う自警団員たち、そして少し離れて成り行きを見守る東雲(しののめ)兄弟の姿を順に捉えた。

 

「お仲間も無事に到着なされたようですし、私たちはこれにて――」

 二人がその場を辞去(じきょ)しようとした、その時、

 

「お、お待ちください」

 そう声を上げ、青は二人を引き止めるべく一歩進み出て、豺狼の隣に立った。

 

「私は――同じく凪之国の毒術師、シユウと申します」

 内心の震えを努めて押し殺し、冷静にと強く己に言い聞かせた。

 

「……毒術師……」

 仮面の奥から、探るような、それでいて何かを吟味するような視線が注がれる。その視線が、青の手元を掠めた。

 

「彼女の治療は、私が引き継ぎます。つきましては、これまでの手当の次第……解毒法や、使用した薬などを、お聞かせ願えますでしょうか」

 

 青は、あさぎが付き添うアキを指し示した。仮面の女は一瞬、「あ」と息を詰めたように見え、夜梟へ何かをうかがうような視線を送った。

 

 容易に身元を明かそうとしない二人の様子から、これ以上この場に留まることを望んでいないのは明らかだ。

 

 そんな仮面の女を引き止めるために――青は、彼女の毒使いとしての矜持(きょうじ)に賭けた。

 

「……分かり、ました」

 わずかな逡巡(しゅんじゅん)(のち)、仮面の女は青に頷き返した。

 

「イズナ……!」

 夜梟の声に、(とが)め、(いさ)める響きが(にじ)む。

 

「治療をしたのは私。申し送りはきちんとしないと。無責任なことはできないよ」

 イズナ、と呼ばれた仮面の女は夜梟を振り返ると、毅然(きぜん)と首を横に振った。

 

「それは……」

 正論でしかないその言い分に、夜梟はそれ以上の口を挟むことを諦めるしかない。

 

「……よし……」

 繋がった。

 青はひそかに、ようやく安堵の息を漏らした。

 

 

玉泡浄毒法(ぎょくほうじょうどくほう)……初めて耳にします」

 仮面の女――イズナからその解毒法のあらましを聞き、青は率直な感想を漏らした。

 

 水を操り解毒薬を傷口へ浸透させ、体内の毒を浄化した上で水泡として体外へ排出する。

 それは、青が知る法軍での毒術や薬術、その他いかなる医療の分野でも目にしたことのない、独自の手法だ。

 あさぎがこれを「不思議な術」と評したのも、頷ける。

 

 アキは、自警団員が即席で(あつら)えた寝筵(ねむしろ)に横たわり、その体には青の外套が掛けられている。そのアキを挟んで、青とイズナは向き合っていた。

 

 二人の毒使いたちが治療の引き継ぎを行う傍らでは、他の者たちが今後の対応を協議し、ミツキは少し離れた場所で丸くなってまどろんでいた。

 

「非常にきれいに解毒されていて……できることなら、その術式を拝見したいものです」

 アキの腕から解かれたばかりの包帯の下、ほとんど痕跡も残さない傷口や肌の色を見つめ、青は感嘆の念をそのまま言葉にした。

 

「そ、そうです……か」

 仮面の奥から、小さく息を呑む音が漏れる。イズナは不意に視線を伏せさせ、落ち着かない仕草で小さくかぶりを振った。

 

「水を操るとは、どのような理合(りあい)の術なのでしょうか。東方では神通術(じんつうじゅつ)水術(すいじゅつ)というものがありますが――」

 

 純粋な探求心から、青はイズナへ矢継ぎ早に問いを重ねた。無論、術の様式や系統から相手の素性を探ろうという意図も皆無ではない。

 

「術ではなく、私の場合は……うーん……」

 イズナは言葉を選びあぐねるように、片手で仮面の頬の辺りをそっと撫でた。

 ふと漏れる言葉の使い方や、何気ない仕草に、彼女が青と同年代か、あるいは少し年若いのではないかという印象を受ける。

 

「半獣人としての特性、であって」

 その言葉から、そして夜梟も獣血人であることから、イズナたちがやはり西方の者である確率は極めて高い、と青は察した。

 

「獣血の特性、と言いますと、水を操ることを得手とする……(かわうそ)や、(イタチ)……?」

 などと、青が水辺の獣を思い浮かべているところへ、向き合う仮面の奥から、ふっと小さな苦笑が漏れ聞こえた。

 

「魚です」

「魚……!?」

 

 思わず上擦った声を上げ、青は反射的に口元を片手で覆った。

 

「失礼しました、どうにも私は、見識が狭く……そうですよね、哺乳類、鳥類、爬虫類ときたら当然、水棲(すいせい)生物もあって然《しか》るべきでした。露のような神獣もいるわけで。あ、そういえば白兎ノ國(はくとのくに)で、鯉の妖魔に遭遇したことが――」

「妖魔?」

「――あ」

 

 しまった、と青は今度こそ両手で口を固く塞いだ。

 

「失礼なことを……重ね重ね申し訳ありません……」

 青は平身低頭に謝罪した。

 覆面を外してからというもの、どうにも口が軽くなりがちである。

 

 しばし、ぽかんと動きを止めていた仮面から、やがて(こら)えきれないといった風に、くすくすと柔らかな笑い声が漏れた。

 

「どのような獣にも、神獣がいれば、妖もいる。それは事実ですから」

 イズナは特に気を悪くした風でもなく、腰の袋からいくつかの薬瓶を取り出し、アキの傍らにそっと置いた。

 

 治療に用いたものであろう、いずれの瓶にも札が貼られ、特徴的な紋章が箔押しされている。それと同一のものが、イズナの甲当てに装着された金属板にも刻まれていた。

 

「それに、こちらでも(おか)で生きる魚の半獣人はそう多くはありません。全ては血の顕現(けんげん)の仕方次第なので」

「……それは、肺呼吸が可能か否か、という点で……?」

 

 イズナは応える代わりに、そっと片方の手甲を外した。

 現れた白い手の甲から手首にかけてを、銀の鱗が薄く覆っていた。

 

「私の場合、こうして体の一部に鱗が(あらわ)れ、水をわずかに操る程度の力として表出しましたが、四肢が(ヒレ)となる者、あるいは下半身が魚の姿となる者もいます。血を分けた親子兄弟であっても、その現れ方は一様ではないのです」

「……なるほど、そのような差異が……」

 

 青は深い感銘と共に、イズナが示したその手――銀の鱗に覆われた手を見つめた。

 

「な、何か……?」

 イズナははっとするような仕草で手を引き、慌てて再び手甲の内に隠した。

 

「すみません、不躾(ぶしつけ)に。鱗が、とても繊細で美しかったものですから……。ふと、(あゆ)の絵付けの白磁器(はくじき)を思い出しました」

「……よく、お分かりになりましたね」

「え?」

「……何でもありません。話を元に戻しましょう」

 

 仮面の奥の瞳が、ふいと青の視線から外れた。

 その声には、戸惑いとも照れともつかない響きがあったが、先ほどより幾分も和らいだ空気が感じられた。

 

「…………」

 そんな二人のやり取りを、少し離れた場所からやや苦々しげな表情で見つめる夜梟の横顔がある。

 

 さらに、そんな若者の焦れた様子を観察する豺狼の目もあった。

 

「出たな……『一師殿』お得意の、口説き文句が」

 豺狼は(たの)しげに、独りごちる。

 

 言葉を重ねるうちに、青がイズナの警戒心を解き、徐々に心を開かせている気配が、(はた)からもありありと感じられた。

 

 青自身にその意図はないのだろうが、彼の持つ裏表のない純粋な探求心と熱意、その根底にある優しさが、自然と相手の心を引き寄せるのだ。同じ毒術の道を歩む者同士、通じ合う何かもあったであろう。

 

 しかし一方で、青がイズナの素性を探るべく、巧みに(ふところ)へ入り込もうとしている計算高い面も否定できない。

 

 仮面が姿を現した瞬間、青の顔色が一変したのを、豺狼は見逃さなかった。

 青の口元が微かに震え、喉が引き()って呼吸に苦難している様子は明らかだった。

 

 それに気がついたのも、青に口元を隠す覆面の着用を禁じたことが早速、功を奏したことになる。

 

 原因はいうまでもなく、イズナが身につけている仮面であろう。

 豺狼も何度と青の(いおり)で目にしている、青の師匠が遺した予備の仮面――その意匠と酷似しているように見えた。

 ただ一点、仮面の中央を縦に走る、鮮やかな金継ぎの跡を除いては。

 

「……」

「それから、白狼隊への連絡の件だが――峡谷上士?」

「――あ、ああ」

 

 天陽の声が、思考の海に沈んでいた豺狼を引き戻した。

 

「失礼した。(ハク)殿下への報告は――」

 イズナの攻略は青に任せ、豺狼は再び、自警団との協議へと意識を集中させた。

 

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