毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(5)

「この紋章の意匠は、何を(かたど)ったものでしょうか」

 青は、イズナが並べた解毒薬が入った薬瓶の一つ、そこに貼られた小さな札を指し示した。

 

「この印……のことですか」

 顔を上げたイズナの、仮面の奥の瞳が、その真意を測りかねるといった風に、じっと青を見返してきた。

 

「手に取って、拝見しても?」

「……どうぞ」

 イズナの許しを得ると、青は薬瓶の一つをそっと手に取った。

 

 死角になるよう、額当てを指先でわずかに押し上げつつ、そこに貼られた札を注意深く観察する。何か手がかりになる情報の記載が無いか、探した。

 

 札には蝋引(ろうび)きによる防水加工が施《ほどこ》されており、(ふち)は鮮やかな緑色の染料で彩られている。その中央の余白には、墨色で紋様が一つ、くっきりと()されていた。それ以外に情報たり得る文字や記号は無い。

 

 紋様の意匠は、細長く先端の尖った数枚の葉が、風にそよぎ天を仰ぐ(さま)を表しているようで、竹の葉であろうと推察された。

 

「手甲のものと、揃いの意匠(いしょう)ですね。これは、イズナさんご自身を表す紋なのでしょうか」

 一瞬の躊躇(ためら)いの後、イズナは淡々と答えた。

「……『今の』私、を表すものです」

 その声色に、どこか居心地の悪そうな響きを感じ取り、青は、次に口にしようとしていた鬼豹の面についての問いを、思わず飲み込んだ。

 

「シユウ殿の手甲に描かれているのは、龍、ですね」

 青が言葉を継げずにいた、その間隙(かんげき)()うように、イズナの方から問いが発せられた。

 

「ああ……これは」

 青も自身の腰の袋から薬瓶を一つ取り出すと、イズナの前へ差し出した。

 

「我が国でも、己を示す紋を、装備品や製作物へ記すことが定められています。そちらの慣習とも、似ていますね」

 

 青の説明に耳を傾けながら、イズナの細い指が、青の差し出した薬瓶を持ち上げる。仮面の奥から注がれる真摯な眼差しが、そこに描かれた龍の紋様を食い入るように見つめた後、薬瓶をゆっくりとまわして興味深げに中の液体にも目を凝らす。

 

「……」

 そんなイズナの様子を見つめるうち、青のこめかみに、重たい(うず)きが()ぎった。

 

 不思議な感覚だ。

 鬼豹(きひょう)の――藍鬼(らんき)のものかもしれない仮面が、自分の「作品」と龍の紋章を初々しげに見つめている。

 

 もしも。

 もしもこの仮面が、本当に藍鬼のものであれば。

 

 誰の手によって修繕(しゅうぜん)され、どのような経緯(けいい)でイズナの手に渡ったのか。

 

 誰かに託されたものなのか。

 だとすればその誰かは、なぜ彼女にこれを託したのか。

 

 なぜそれが今、自分の手ではなく、イズナの手にあるのか――。

 

「話の途中にすまない」

「っ!」

 

 背後からかかった豺狼(さいろう)の声に、青は我に帰った。

 振り向くと、他の者たちとの協議を一時中断し、輪を離れた豺狼がこちらへ歩み寄ろうというところ。

 

「は、はい」

 青は咄嗟にイズナに背を向けて立ち上がった。

 彼女に発露(はつろ)しかけた黒い感情を無理やりに飲み込む。

 

 (のど)が、臓腑(ぞうふ)が、焦げ付くようにちくりと痛んだ。

 まるで、七つの子どもような癇癪(かんしゃく)、嫉妬心だと、青は自己嫌悪に歯噛みする。

 

「……東雲准士を白妙村まで搬送する準備を進めているところだ」

 対面する青の面持ちから何かを察した豺狼だが、すぐに事務的な(かお)になる。

 

「彼女の容態が、移動に耐えられるまで回復するには、あとどれほどの刻が必要だろうか」

 

 少し離れた木陰では、自警団の若者たちが手際よく太い枝を切り揃え、丈夫そうな蔓を集めている。

 どうやら、即席の担架を組み上げる算段らしい。

 

「イズナさん、どう思いますか」

 青の見立てでは、アキの容態は既に搬送に耐えうるまでに安定していると思われたが、最終的な診断はイズナに委ねることにした。

 

「血の巡りがだいぶ落ち着いてきましたので、半刻もすれば可能です。ただ、できる限り動かさない方が良いのですが、道中の地形が気がかりです」

 

 (よど)みなく言い切ったイズナの落ち着きぶりに、青は感心する。自らが医療士なりたての頃を思い返し、異国の未知なる相手に堂々と立ち回る度胸はあっただろうかと、省《かえり》みた。

 

「ここいら出の若いのがいてな。この先に村へ続く古い参道跡があるらしい。そこなら足元も安定しているだろう」

 

 そう言って、コウは担架作りに励む自警団の若者の一人に、ちらと視線を送った。

 

「参道跡……ああ、もしかして、(つゆ)の……」

 青の脳裏に、村で目にした小さな社の佇まいが浮かんだ。

 

 遠い遠い昔、この辺りの村々において河の化身が、日々の営みを見守る土着の神として村々から篤く崇められていたのかもしれない。そんな往古(おうこ)の光景に、思いを馳せた。

 

「……確かに、かつて人の往来があったと思われる道筋は見えます、が……」

 白妙村の方角を凝視していた夜梟(やきょう)が、そこで言葉を切った。

()んだ沼のような、汚染された一帯も確認できました。先の蛇や鳥のような、あれの影響を受けた異形の獣に出くわす恐れがあります」

 

 自警団の若者たちの話では、信号弾を追って駆けつける道中、朝の水浴びにでも来たらしい鳥の群れと遭遇したそうだ。

 その鳥たちが汚水に触れたのか、見る間に異形の怪鳥と化して襲い掛かってきたところ、夜梟とイズナに救われたのだという。

 

「参道跡を迂回するには、急斜面を登るか降りるかしかないでス」

 と、消火団の狸。

 

「それならば、急ぎ私が参道の汚染を浄化します。それで安全の確保を優先しましょう」

 思いついて、青は白妙村の方を示した。

 イズナから「えっ」と小さく息を呑むような声が漏れ聞こえる。

 

「助かります、一師」

 豺狼が笑顔で、地図を広げる。

 参道跡の安全確保が叶えば、アキの搬送はもちろんのこと、村を開いたばかりの白妙村にとっても、近隣の集落や自警団との交流に有効な交通路となり得た。

 

「――あの、シユウ殿」

 立ち上がったイズナの声がかかる。

 

「さきほど仰った『汚染を浄化する』とは?」

「え?」

 

 質問の意味を瞬時には計りかね、青はわずかな逡巡(しゅんじゅん)の後、現在地から目視できる腐沼(ふしょう)を指し示した。

 

「あのような腐沼や土壌汚染を、人工的に清めることです」

「どう、どうやって……!?」

 

 イズナが寝筵(ねむしろ)から離れ、青と豺狼の側へ迫る。

 少し距離を置いて見守っていた夜梟が、眉根を(ひそ)めてイズナの斜め後方側へ歩み寄った。

 

「考え方は解呪や解毒と同じです。表層的な(けが)れは薬である程度までの浄化は可能です」

 青は道具入れから薬瓶や符を取り出す。

 

瘴種(しょうしゅ)のように浸透した汚染には水術や地術も組み合わせて取り除きます。それでも完全ではありませんので、最終的には自然の循環に委ねることになりますが、少なくとも危険性は減らせる」

 

「そんなこと……マガハライノタマにしかできないと思ってた……そう、だよね……?」

 イズナの仮面越しの瞳が、青の手にあるものと、肩越しの夜梟の間を数度、落ち着きなく行き来した。

 

「マガハライの、(たま)?」

 青は小首を傾げた。

 

 無渡霊(わたらずのたま)と同じ、これも西方の神の概念であろうか。

 察するに「マガハライ」とは「禍祓」であろう。

 

「龍……」

 そしてしばらく青の手甲の龍を見つめていたイズナは、弾かれるように顔を上げた。

 

「見たい……あの、どうか私に、その浄化処置を、見せていただけませんでしょうか!」

「……」

 

 勢いに面食らって、つい青は隣の豺狼に視線を逃す。肩をすくめた(あお)い瞳が「そうしてやったら?」と語っていた。

 

「参考になるかどうか……」

 ためらいがちに、青は腐沼の方へ歩み寄る。

 

 その後ろをイズナが、そして蝶を追いかけていたミツキが草むらから飛び出して、青の後に付き従った。

 自然と天陽やあさぎ、自警団の面々、そして夜梟の視線も、青を辿《たど》る。

 

 腐沼の手前で青は膝をついた。

 両手の平を地に添えて、目を閉じる。

 

「……(みお)

 深い呼吸と共に意識を腐沼の底に潜り込ませ、汚染の深度を測った。

 

 思いのほか底が深く、厚い腐葉土の層は既に毒の泥濘(でいねい)と化し、さらにその下、砂礫(されき)質を多く含む層にまで、毒性の汚水が染み始めている。

 

「まだ浅い」

 青は上体を起こすと、膝をついたままの姿勢を崩さず、懐から取り出した小さな薬瓶を眼前に掲げた。

 

「玉」

 指先で栓を弾くと同時に、水術を発動させる。

 瓶から無色の液体が自ずと(あふ)れ出し、水玉となって宙に浮かんだ。

 

「水竜」

 青がさらに短い言霊を紡ぐと、水玉はたちまち漆黒の色へと変じ、見る間にその体積を増やしていく。

 やがて人の胴回りほどもある太さの黒い水竜へと姿を変え、腐沼の上空で鎌首をもたげ、とぐろを巻いた。

 

「ワ……ワフッ! ワゥッ!」

 背後から、ミツキの威嚇(いかく)が響く。

 

「――(なが)せ」

 

 短い命令に応じ、黒龍は天へと一度しなやかに伸び上がると、その長大な体を螺旋《らせん》状に回転させながら、沼の奥底へと沈んでいった。

 泥底から、ごぼり、ごぼりと、粘り気のある大きな気泡がいくつも湧き上がる。

 

 青がおもむろに、掲げた片手を強く握りしめた。

 刹那、黒く淀んだ水底に、閃光が一筋疾る。

 

「あ……」

 青の背後から、固唾(かたず)を呑んで沼を見つめるイズナの目に、汚泥が瞬く間に水分を失って乾き、(もろ)い土くれにから(ちり)へと変じていく様が映る。

 

 やがて黒い塵は、山を渡る風に(さら)われるようにして、跡形もなく消え去った。

 

「よし――深淵(しんえん)

 続けて、青は干からびた(くぼ)みに両手を添え、再び目を閉じる。

 深く、そして広く、露流河(つるがわ)に繋がる水脈を探った。

 

 ほどなく、青の意識は銀の糸のように淡く輝く清冽(せいれつ)(とら)える。

 

蠢動(しゅんどう)……」

 最後に青が唱えた地術、その言霊に応えるように痩せ土がうねり、(うごめ)き、地中深くから懸命に水を引き上げ始めた。

 

 やがて乾いた土の表面から玉のような水が滲み出し、みるみるうちに窪地を満たし、水底まで見通せるほど澄み渡る。

 

 腐沼であったそこは、瑠璃色の水を(たた)える小池へと姿を変えていた。

 

「うわぁ、きれい!」

「キュンッ!」

 

 あさぎとミツキら年少組が、揃って歓声を上げながら、真新しい池を覗き込みに来た。

 その後に続いて、担架作りの手を止めた自警団の若者たちも集まり、誰もがその変化に目を(みは)る。

 

「良かった、うまくいった……」

 青は片手で額を押さえ、微かな目眩が過ぎ去るのを待ちながら、慎重に立ち上がった。

 

 その足元では、イズナが水辺に両手両膝をつき、目の前の浄化された水面を、信じられないといった面持ちで見つめていた。

 

 そして片方の手甲を外し、銀色の鱗が光る手をそっと水に浸すと、その清らかな感触を確かめるように指を動かした。

 小さな波紋が広がり、水はイズナの指や手に戯れるように、雫となり、細い帯となり、水泡となり、様々に形を変えて踊る。

 

「すごい……本当に、浄化されて……水が生きてる……」

 

 仮面の奥から、深い感嘆の息と共に、そんな声が漏れた。

 傍らでは、あさぎとミツキが、イズナのその「不思議な力」の顕現(けんげん)を、目を丸くして見つめている。

 

「その水は、『無渡霊』としての力を取り戻した露が浄化した、露流河の水です。それを、水神の力を借りて水脈を辿り、山の地神の力をもって引き上げた」

 

 額をおさえる手を下ろし、青は谷の方へ顔を向けた。

 斜面を昇る風の心地よさに、目を細める。

 

「神通術……の概念ですね」

 それまでイズナの様子を静かに見守っていた夜梟の、切れ長の瞳が青へ向けられた。

 

「最後に水を引き上げたのは、イズナさんの浄毒法(じょうどくほう)をうかがって思いついたことなんです」

 

「――え……?」

 驚いて、イズナは体を起こした。

 青は谷から、イズナへと向き直る。

 

「私のやり方では、瘴気(しょうき)や毒を消すまででした。イズナさんから教わった、水を循環させることで清め流れを安定させるという考え方が、自然の(ことわり)にかなった、とても優しい力に思えて、取り入れさせていただきました」

「や……優しい力……私……えっと……」

 

 夢うつつを漂うような声で呟き、イズナは(ほう)けたように視線をあちこちに浮遊させている。

 荒々しい金継ぎもあいまって(いかめ)しいはずの鬼豹の仮面に、不思議と天真(てんしん)(おもむき)(にじ)んでいた。

 

「あ、あの……シユウ殿」

 はっと我に返ったように、イズナは慌てて立ち上がった。

 濡れた手に手早く手甲を再び装着すると、改めて姿勢を正すように、すっと背筋を伸ばした。

 

「その、村までの参道の浄化に、私も同行させて頂けませんでしょうか」

「イズナ!」

 

 青が応えるよりも早く、夜梟の叱責が飛ぶ。

 

「これ以上の時間は取れない。戻らないと――」

「夜梟は先に戻って。私は残る」

 

 肩に触れた夜梟の手を振り払い、イズナはさらに青へ迫った。

 

「お願いします、シユウ殿。私、知りたい! 私のような半端者(よわきもの)でも、マガハライノタマになれる、その技を……!」

 

 イズナの切実な声が、静まりかけた木立の間に響いた。

 

「え……」

 仮面越しにも伝わるその熱量に、青はわずかに息を呑む。

 向けられたのは、純粋な探求心と、焦がれるような渇望だった。

 

 周囲の視線が、青の返答を待っていることを感じる。

 青は一度、(まぶた)を伏せ、一呼吸を挟んだ。

 

「……条件があります」

 静かに答えを口にする。

 

 イズナの肩が微かにこわばり、視界の端で、夜梟が目端を歪めた様子が映った。

 

「私が身につけた技は、凪之国によって(つちか)われ、帰属するもの。私はそこに仕える者であり、我が国に敵対する恐れのある身元不明の人物に、仔細(しさい)を伝えるわけにはいきません」

 

 それは、一つの取引であり、外交交渉に他ならなかった。

 

「先ほど夜梟さんは『敵対する者ではない』と口にされましたが、私たちには、その証明が必要です。あなたたちが、どこからきて、どこに属している人間なのか、それを明かしていただく必要があります」

 

 冷静さを装いながら、青の内心は早鐘を打っていた。

 イズナの仮面、その真偽を確かめたい。

 そのために、またもや彼女の毒使いとしての情熱に賭けているこの状況に、青は心のどこかで苦笑した。

 

「イズナ」

 夜梟がイズナの肩を強く掴み、言い聞かせるように首を横に振った。

 

「お願い、夜梟……!」

 その手首を握り返して、イズナは喉の奥から懇願を絞り出す。掠れた声は、震えていた。

 

「……はぁ……」

 しばしの拮抗(きっこう)の後、夜梟は深く、重い諦念(ていねん)の息を逃がした。

 

「……我々は」

 夜梟はイズナの肩から手を引き、青を見つめ、短く息を吐く。

 

「この翡翠の地よりも、さらに西方の出。そして――」

 

 梢を揺らす風がおさまるのを待って、夜梟は一度、言葉を切った。

 

獣鬼隊(じゅうきたい)の卒業生です」

 

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