毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(6)

「ピャッ」

「え!?」

 

 ミツキが小さな奇声を漏らして青の足元に隠れ、自警団たちと担架作りに加わっていたあさぎも声をあげた。つい先日まで、あさぎはアキとともに白兎ノ國(はくとのくに)方面の獣鬼隊(じゅうきたい)と行動を共にしていたのだ。

 

「私もイズナも獣鬼隊で学び、育ちました。申し訳ありません、今、申し上げられるのは、ここまでです」

 そう告げて、夜梟(やきょう)(まぶた)を伏せた。

 

「元・獣鬼隊、それを証明することは?」

 豺狼(さいろう)が、抑えた声色で真偽をただす。

 

「その子、白狼邦の獣鬼隊の子ですね」

 豺狼の問いに、イズナの仮面がミツキへ向く。

 

「指導役は黒鉄(クロガネ)殿。現在はこの峰の向こうで……白狼隊とともに避難民の保護にあたっているはずです」

 

 豺狼、コウが、無言のうちに確認しあう。イズナの言葉通り、白狼隊の背後では黒鉄率いる獣鬼隊が避難民保護支援を行っている。

 

「黒鉄さんは、確かにそうです。私もよく、存じています」

 と、青が補足を添えた。

 ちなみに翡翠周辺には獣鬼隊が存在せず、白狼支部が最東端であるという。

 

「まだ……証明には足りませんか?」

 イズナの仮面が、確信を持てないまま、凪の面々ひとりひとりの表情を窺う。

 

 そこへ、

 

「はい! あります!」

 不意に、あさぎが右手を高く掲げて立ち上がった。

 その場にいる全ての視線が、桃色の染め衣の少女を向く。

 

「一つ! よく食べ、よく寝、よく学べ!」

 

 唐突にはじまったあさぎの口上。

 ミツキが「キュ?」と首を伸ばして振り返る。

 

「え?」

「な、なんだ??」

 

 凪や自警団の者たちが、その予期せぬ行動に一様に瞠目(どうもく)するなか、あさぎは凛と背を伸ばし、朗々と声を響かせた。

 

「二つ! 己を(いつく)しみ、仲間を思い、人を助けよ!」

 

 その様は、さながら幼子が兵隊の真似事に興じているかのようだ。

「あ、あさちゃん? どうした」

 戸惑う天陽。

 

 そんな時、四つ足であったミツキの体がしなやかに伸び、震えたかと思うと、次の瞬間には幼子の姿へと変じていた。

 

「み、みっつ! 心に優しさ、行いに勇気をっ」

 

 両腕を真っ直ぐに下ろし、小さな背筋を伸ばして、甲高い声を懸命に張り上げる。

 

「ミツキ?」

 青をはじめ、誰もが言葉を失うなか、夜梟とイズナだけが、互いに問いかけるように視線を交わした。

 

「……『四つ、己が役目を(たっと)び、世の力となれ』……」

 二人の声が、静かに重なる。

 

「今のは?」

「――獣鬼隊の隊訓(たいくん)、四箇条……です」

 

 尋ねる青に、仮面の奥から、わずかに当惑の念を滲ませた声が返った。

 ミツキはともかく、あさぎまでもが隊訓を(そら)んじたことに、解せぬものを感じているようだった。

 

「正解です! トウキたちと何度も繰り返したので、覚えちゃいました」

 あさぎの元気な声が弾ける。ミツキもまた、全身で肯定を示すように大きく頷いていた。

 

「そういえば、黒鉄さんも似たような事を言ってたな……」

 蒼狼の要塞陥落任務の際に出会った黒鉄の言葉が、今も青の印象に残っている。

 拐《さら》われた子どもたちが要塞で辿る運命を聞かされた時のこと。

 

 ――俺達はガキたちを使い捨てにはしない

 ――よく食って、寝て、遊んで、鍛えて、学ぶ

 ――それが獣鬼隊の教育方針だ

 

 あれは、この隊訓を示していたのだ。

 

「二人が元・獣鬼隊であることは、確かなようです」

 青は頭の中で、散らばっていた木片の一つが組み合わさる感触がした。

 

 獣鬼隊――それは何かしらの目的の下、主に不遇な境遇の子どもたちを保護し、神通術を含む戦闘技術を授ける組織。

 上位組織の存在が示唆(しさ)され、隊を「卒業」した子どもたちのうち幾人かは「人材」として、その上位組織に組み込まれるという。

 それはあたかも、五大国の学校や訓練所と、法軍制度を彷彿(ほうふつ)とさせた。

 

 イズナが披露した、その毒術と異なる独自の解呪法に意表を突かれたものの、他の側面において青が彼女から抱いた印象は「法軍の技能師と似ている」というものだった。

 

「毒使い」を名乗らなければ、半獣人であることを明かさなければ、五大国いずれかの技能師だと見紛うかもしれないほどに。

 

 まず、イズナの装備品を仔細(しさい)(あらた)めれば、手甲(てっこう)脚半(きゃはん)、腰帯、腕章(わんしょう)、道具入れや刃物差しに至るまで、その服飾の様式は法軍の支給品と著しく類似していた。

 

 手甲に刻まれた紋様は、おそらく彼女の「位」を示すものであり、創作物に同様の印を()す慣習もまた、法軍のものと軌を一にする。

 

 さらに、負傷者の手当に薬効を込めた符を用いる点、そしてその符を「薬剤符」と呼称する点も法軍と共通しており、その他多くの道具や技術を示す固有名詞にも、同様の一致や類似が見受けられた。

 

 そんな、水鏡の向こう側のような世界で「毒使い」として生きている彼女の手元に、藍鬼(らんき)の仮面が渡った――そこに何か必然が潜んでいるのではないか。その予感が、徐々に青の胸裏(きょうり)に生まれつつあった。

 

「峡谷上士、彼女の同行許可をいただけますでしょうか」

 この場の上官にあたる豺狼に、青はその承認を求める。

 視界の隅には、祈るように両手を組み合わせ、固唾(かたず)を飲んで成り行きを見守るイズナの気配がある。

 

「一師のご判断にお任せします――が」

 豺狼は青に肩を寄せ、声音を落とした。

 

「手の内を明かして大丈夫か……? 元・獣鬼隊は確かなようだが、今はどうなのか」

 技能師の世界が、技術の流出を極度に警戒し、その多くを秘匿する気風であることを、豺狼は承知している。

 

「これが殺傷力のある技術なら断るけれど、浄化技術に守秘は必要ないし、敵味方は関係ないと思ってる」

 

 青の迷いのない言葉に、豺狼の碧眼が不意を打たれたようにわずかに見開かれ、

「……君のそういう考え方、やっぱり好きだな」

 やがてその眼差しは、柔らかな笑みとともに細められた。

 

「え、あ、ありがとう……」

 不意の称賛に言葉を詰まらせた青は、額当ての陰に隠れるように俯き、どこへともなく視線を彷徨わせる。

 

 その先に、両手を祈るように握り、体を強張らせているイズナの姿が映った。

 

「そういう意味で……彼女は信頼できると見ているんだ。強い当事者意識と責任感がある。治療法についても躊躇(ためら)いなく明かしてくれた。患者を第一に考えている証だと思う」

 

「君が、同業者として信用できるという相手だ。何も異論はない」

 

 友の真摯(しんし)な判断を受け止め、豺狼は静かに頷いた。

 

 

 先行して村への道中の安全確保のため、(せい)豺狼(さいろう)夜梟(やきょう)、イズナの四人は参道跡を進んだ。

 

 かつて人々を社へ導いたであろう古道は、今は春萌の若葉と下草に深く覆われ、獣たちの往来する細道と成り果てていた。

 

 道の起点を示す碑《いしぶみ》は見当たらないものの、往時の敷石であったろう平たく削れた石片が、苔を纏い土に半ば埋もれて点在している。

 下枝が伸び放題の古木が作る日陰道には、雨上がりを思わせる、豊かな湿り気の香りが漂っていた。

 

 聖域へと続くその道程を、夜梟の遠視の通り、澱んだ腐沼が行く手を阻んでいた。

 その膿んだ水面を覗き込むように、青とイズナが並んで膝をついている。

 

 青が主導して言葉を紡ぎ、イズナが時折問いを差し挟んでは頷く――毒使い二人のそんなやり取りを視界の端に捉えつつ、豺狼と夜梟は周囲への警戒を怠らなかった。

 

 気配を探る傍ら、豺狼は夜梟の装束や立ち振る舞いにも意識を向ける。

 イズナに対して青が感じたのと同様の、法軍に似た既視感を、豺狼もまた、夜梟とイズナの双方に覚えていた。

 

「……何か」

 注がれる視線に気づいたのか、夜梟が居心地悪そうに首を傾げる。

 

 豺狼の目は、夜梟の手元に向いていた。

 イズナの手甲には竹の葉にも似た植物文様が、対する夜梟には、波か渦を思わせる三筋の曲線が意匠として刻まれている。職位を示す印なのであろうか。

 

「……」

 豺狼の視線の意図を察したように、夜梟はそっと手の甲を体側へ伏せた。

 

「君たちは、どういった用件で翡翠へ?」

 豺狼はあえて、隠す素振りを見せない。これまでの夜梟の言葉の端々から、凪隊の動向はある程度把握されている節があった。それならば遠慮は必要ない。

 

「……無渡霊の視察をしていました」

「わざわざ、ここまで遠征に?」

 西方のどの辺りから来訪したのか、豺狼はそれとなく探るような言葉を投げかけた。

 

「最近は各地でコトワリノタマに異変が生じることが多く、ここは巡察経路の一つに過ぎません。貴国との遭遇は、思いがけないことでした」

 

 コトワリノタマ。

 無渡霊、マガハライノタマに続く新たな霊の名だ。

 

 西方における神の概念と推察されるが、少なくとも翡翠や白兎周辺では、古い碑を除いて日常語で使われている様子のない呼称であり、白狼より以西地で用いられている可能性が高い。

 

 豺狼は脳裏に広大な西方地図を(ひろ)げた。

 

 白狼の西には、まず蒼狼ノ國の草原が広がり、その南北は人を寄せ付けない岩峰や千仞の峡谷に護られた諸国が連なる。

 

 西方へ進めば、広大な草原の後に、死の砂漠、湿原、塩の鹹湖(かんこ)といった不毛の地が続く。

 

 大陸南域は東西に長く亜熱帯の森が広がり、その最南西には龍族が棲まうと伝わる火山群が天を()き、地獄の釜の如き噴煙を上げる灼熱の地が控えているという。

 

 大陸中央を更に西へ辿れば、やがて「四神ノ國」と呼ばれる神獣の名を冠する四カ国が現れ、その最西端に獅子國が鎮座する。

 

 夜梟やイズナの来歴がいずれの地であるにせよ、豺狼たちにとって未知の領域である白狼・白兎以西に、法軍と瓜二つの組織が存在しうるという事実は、どこか好奇心をくすぐられた。

 

「各地を巡察、か」

 夜梟の言葉を反芻し、豺狼は思考をさらに巡らせる。

 国を跨いでの活動を展開しているということは、他国との協定や連携がとれている国の公的組織か、それとも獣鬼隊のように支部を擁する独立した組織網であるのか。

 

 豺狼の目は、青に熱心な問いを重ねるイズナへと移った。

 青の師、藍鬼の形見と思しき仮面を身につけるイズナと、連れの夜梟。

 

 彼らとの接触を深め、仮面の来歴を辿れば、自ずと禍地特師へと至る糸口ともなるのだろうか。

 チョウトクがもたらした情報により、禍地は獅子國でその生存が確認できている。

 檜前らもまた、かの地で禍地らしき人物と接触していた。

 

 豺狼が長より拝した直命の最終目標は、獅子國との国交を拓くことにある。

 獅子國における禍地の立場こそ(つまび)らかではないが、この線から彼の国への足掛かりとするのも、あながち見当違いではないかもしれない。

 

「……」

 やがて豺狼の瞳は、イズナに対し真摯に言葉を尽くす青の姿を捉えた。

 

 龍の位を拝命して間もない頃は、指導経験の浅さに頭を抱えていたようだが、ひと冬を越えた今、その佇まいに指導者としての風格を持ち始めている。

 

 青は常に成長を続ける。

 

 焔大蛇戦で見せた洞察力と機転、怪鳥を無力化した対応力、いずれも凪の毒術師随一の働きであり、思えば「シユウ佳師」として出会った頃から、任務で再会するたび、進境と洗練を目の当たりにしてきた。

 

 だが、その成長の先に待つのは、麒麟奪還の重責――その任に就いた前任者は、帰らぬ人となった。

 

 青が、師の辿った死地を征くことなど、豺狼には決して許容できることではない。

 

「その前に……見つけ出す」

 豺狼の唇から、冷え冷えとした独白が吐息のごとく微かにこぼれた。

 

「……峡谷殿……?」

 首筋の肌を粟立たせる悪寒に、夜梟は豺狼へ視線を転じる。

 

 そこには、無で固められた横顔。

 

 氷刃のような怜悧さが面立ちの端正さを、かえって凄絶《せいぜつ》なまでに際立たせていた。

 

 

「……『視え』ない、です……」

 土を掴んでいた手を力なくほどき、イズナはゆっくりと上体を起こした。

 

 汚染の状況を把握しようと、水術で地中の水脈を探る試みを重ねるものの、思うように手がかりを得られずにいる。

 

「そうか……水を操れることと、視えることは違うんだな。うーん……」

 青もまた身を起こし、イズナの傍らで共に思案に沈んだ。

 

 獣血の特性によって水を操ることができるイズナには、青のように『視』て水を探る工程を必要としていない。

 故にそれを応用して汚染の深度を測ろうとする青の手法では、イズナにとって前提から壁に突き当たっていたのだ。

 

「――あ」

 不意に閃いた青は、居住まいを正してイズナに向き直った。

 

「失礼があったら申し訳ないのですが」

「……?」

 青の改まった物言いに、仮面の奥から当惑の色がかすかに覗いた。

 

「魚は、非常に水質の変化に敏い生物です。鰓や体表で、水に溶け込んだごく僅かな異変――それが良いものでも、良くないものでも、直接感じ取ることができる」

「……」

 

 静かに青の言葉に耳を傾けながら、イズナは自身の手の甲をそっと撫でた。

 

「それから、側線という感覚器官は、水圧、水流、振動――水に宿る脈を感知する。水の濁りや異物や瘴気も捉えることができるんです。ですから、私の『視る』とは逆の、水を媒体として感覚の延長として手がかりを得る……そんな魚類の特性があるならば、それを応用できないかと」

 

「感覚の延長……ぁ……」

 青の言葉を反芻するうち、イズナは何かに思い至ったように、おもむろに右手の手甲を外した。

 銀色の鱗がまばらに煌めく右の掌を、陽光の届かぬ湿った地面すれすれにかざす。

 

 そして腐沼の縁を、身を屈めて地を這うようにしながら、丹念に探り始めた。

 

「……」

 青は黙って、イズナのやろうとしていることを見守った。立ち上がり、静かに数歩退いて距離をとる。

 

 (すげ)(せり)の葉末《はずえ》に宿る朝露が、あたかも意思を持つかのように、重力に抗いイズナの掌へと吸い寄せられていくのが見て取れた。

 

「……ぴりっとするような……冷たい刺激を感じます。深さは分からない、けど……けっこう、広がりが……」

「それはまさか、朝露から読み取っている?」

 

 青の呟きにも似た問いに、イズナは地を這うような低い姿勢のまま、かすかに頷きを返した。

 

「朝露はもっと、穏やかで……清浄なものです。こんな刺々しくて、苦しそうなはずがないんです……」

「すごいな、水と対話しているようだ」

 

 青が感嘆の念を抱いて見守るなか、イズナは静かに身を起こし、手甲を外した両手をゆるやかに掲げた。

 すると、周囲の草葉を濡らしていた朝露が一斉にイズナの両の手の内へと吸い寄せられ、集い、神通術の水術「玉」ほどの球体と化す。

 

「鱗が……」

 イズナの手の甲に点在していた銀の鱗が、水面のさざ波のように瞬く間に広がり、手首から指先までを覆い尽くした。

 

 イズナが水を掻き分けるように両手を広げると、水の球体は無数の飛沫となって弾け、それぞれが小刀ほどの大きさの魚へと姿を変える。

 水で成った魚たちは木漏れ日を透かし、銀色にきらきらと瞬いた。

 

「……鮎……?」

 青の脳裏に、白磁の肌を蒼い若鮎が泳ぐ情景が浮かんだ。

 近頃どこかで目にした意匠――ハクロが大切にしている湯呑みの絵柄だ。

 

 水鮎たちは、イズナの手の周囲を数度しなやかに旋回した後、次々と地中へと吸い込まれるように潜っていく。

 イズナは両の手のひらを濡れた地面に触れさせると、そのまま微動だにしなくなった。

 

 青は息をひそめ、イズナの集中の妨げとならないよう、成り行きを見守った。

 イズナには何が視えているのか、あるいは感じているのか。時折、仮面に覆われた顔が、わずかに左右に揺れる。

 地中の水鮎たちと感覚を繋いでいるのならば、それは式術にも近しいものかもしれない。

 

 青が推察を巡らせるさなか、不意にイズナの顔の動きがぴたりと止まった。

 

「何……だろう、あれ……え……?」

 仮面の奥から、微かな呻きにも似たつぶやきが聞こえる。

 

 仮面が不規則に左右へと揺れ、次の瞬間、勢いよく青を振り向いた。

 はっ、と鋭い息を吸い込む音。

 

「危な――っ!!」

「え……」

 

 イズナが弾かれたように立ち上がり、青を目掛けて地を蹴った。反応する間も無くその細い身体が青に強く突き当たる。

 

 不意の衝撃に青の身体が後方へ傾いだ、その刹那――凄まじい轟音と共に眼前の地面が爆ぜ飛んだ。

 

「ぅあ!!」

「きゃあ!」

 

 弾き飛ばされた青の身体は、苔生した石畳に激しく打ち据えられた。

 

「一師!?」

「イズナ!」

 

 降り注ぐ土塊(つちくれ)岩礫(がんれき)の向こうから、豺狼と夜梟の緊迫した声が届いた。

 視界の片隅で、イズナが参道の外の斜面を転がり落ちていき、その後を追う夜梟の姿が映る。

 

「痛っ……、あ――」

 (きし)む背の痛みに呻きながらも強引に身を起こすと、宙を舞う仮面が青の目に飛び込んできた。

 

「仮面が!」

 青が伸ばした手の先、濛々と立ち込める土煙の向こうには、異形の影が屹立していた。

 

 千年を生きた杉のごとき巨大な胴回りの、それは異形の蚯蚓(ミミズ)――湿潤な体表の所々が紅く硬質化し、亀裂が走っている。

 

 顔面とおぼしき先端部には本来の蚯蚓にはあり得ない、円形の顎門が虚ろに開き、おびただしい牙が輪を描いて蠢いていた。

 

 イズナの咄嗟の行動がなければ確実に、あの顎に一飲みにされていたところだ。

 

「伏せろ! そこを動くな!」

 土煙の向こうから、豺狼の鋭い声。

 

「っ!」

 反射的に青は地を這うように身を低くした。

 その頭上を風の巨刃が薙ぐ。

 

 次いで肉や臓腑が引きちぎられる、生々しい断裂音が連続した。地に伏せる青の周辺に、膿汁めいた体液や粘質な肉断片が飛び散り、降り注ぐ。

 

「ぅわ」

 顔を上げれば、巨大な蚯蚓の、胴から切り離された頭部が潰れかけた無残な塊となって転がっていた。

 

 言うまでもない、豺狼の風術の力だ。

 

「……仮面は……っ?」

 体を起こそうとする青の視線は、地に転がる仮面を追う。

 

 天を仰ぐその裏面――木目を活かした飴色の塗り、そこに赤黒く燻んだ彼岸花が染みていた。

 

「あれは、あの時の血……」

 青の声が掠れ、揺れる。

 

 遠く幼かったあの日、凪の森の奥深く――血の跡と匂いに導かれるまま踏み入れた小屋の、乾いた土間に転がる藍鬼の仮面。

 恐る恐る、小さな手で拾い上げた仮面の裏を濡らしていたのは、彼岸花を象った、生々しい血痕だった。

 

「やっぱりあれは……っ」

 

 背を走る激痛に顔をしかめながらも、青は藍鬼の形見へと手を伸ばした。

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