毒使い   作:キタノユ

113 / 119
ep. 53 継ぎ(7)

 手を伸ばす仮面の向こうで、頭部を失ったはずの蚯蚓(ミミズ)の断面が、不気味に激しく脈打った。

 臓物を思わせる赤黒い肉の裂け目から、あたかも新たな生命が(きざ)すかのように、おびただしい牙が瞬く間に輪を描いて形成されていく。

 

「再生している……っ!?」

 青は四肢で必死に地面を蹴り、転がるようにして仮面を掴み取った。

 

 途端、指先が触れた仮面から、左の上腕へと()けるような熱が迸る。

 

「いっ……!」

 かつて形見の甲当てに触れた瞬間と、同じ。染み付いた藍鬼の血に、「鍵」が呼応したのだ。

 

 苦痛に身を捩る間もなく、再生を遂げた蚯蚓の頭部が、おぞましい顎門(あぎと)を大きく開き、眼前に迫っていた。

 

 青は仮面を胸に抱きしめ、必死に横へ転がる。頭上から黒い影が急降下――豺狼が全体重を乗せた刃が、再生した蚯蚓の頭部を深々と貫いた。

 

 吐瀉物(としゃぶつ)を撒き散らす音をたてて、肉塊が破裂する。目に沁みるほどの強烈な腐臭が飛散した。

 

「はっ……、っは……」

 喉にせり上がる胃液の味に顔をしかめ、青は左腕に仮面を固く抱きしめ、痛みに必死で耐えた。

 

 脂汗を滲ませ、奥歯を噛み締める青のただならぬ様子を、豺狼の目が捉える。

「一師」

 蚯蚓を貫いて地に突き立った刀を引き抜こうと、豺狼の手が柄を握った。

 

 指先に、刀身を通じて微かな地鳴りのような震動が伝わり、

「!」

 空色の瞳が見開かれる。

 

「下から来る!」

 参道脇から、夜梟(やきょう)の切迫した声が飛ぶ。ほぼ同時に豺狼の足元、周囲一帯の大地が轟音と共に裂け、砕けた石礫(せきれき)を撒き散らしながら、五つの巨大な蚯蚓の頭部が一斉に鎌首をもたげた。

 

「地神……」

 青は右手で懐から針を抜き放つ。

 針は豺狼の脇を抜け、汚泥に突き刺さった。

 

「針地獄!」

 詠唱に呼応し、豺狼の背後で土や砂利が瞬時に黒々と変じる。

 無数の戦鉾(せんぼこ)が巨大な剣山さながらに隆起、蚯蚓の頭部の尽くを串刺しにした。

 

「縛!」

 突き出した右の拳を固く握りしめると、鉾があたかも意思を持つ鞭のごとくしなやかにしなり、延び、もがく蚯蚓らをたちまち雁字搦(がんじがら)めに縛り上げて引き寄せ――織り上げられる(まゆ)に、異形の蚯蚓を汚泥ごと一網打尽に包み込んだ。

 

「針地獄の応用……か」

 豺狼が感嘆の息を漏らし、背後に(そび)える黒繭を見上げた。

 

「一師、こいつは燃やしても?」

「だいじょう――」

「豪火球、あっつ!」

 

 こともなげな所作で豺狼が火術を放つと、黒繭は瞬く間に巨大な火柱と化した。予想を上回る火勢(かせい)に、豺狼は降りかかる火の粉を手で払い除け、慌てて数歩身を引く。

 

「毒剤自体に燃焼力があるから、玉で十分なのに」

「先に教えてくれよ」

 両者は顔を見合わせて、薄く苦笑しあった。

 

 それよりも、と豺狼は血の気の失せた青の傍らへと急ぐ。

 青は左腕に仮面を庇うように抱き、右手で痛む左上腕を押さえながら、膝をついて苦痛に身を縮めていた。

 

「どこか痛めたのか」

 青はかぶりを振って応えた。

「ありがとう、大丈夫――イズナさんは」

 

 二人が振り返った先、参道脇の斜面を夜梟の手を借り、参道脇の斜面をゆっくりと上がってくるイズナの姿があった。

 仮面を失ったその素顔は、燃え盛る繭の残骸や、刀に貫かれたままの蚯蚓の頭部といった惨状を唖然と見つめ、小さな唇をわずかに開いている。

 

「何が……起きたの……」

 やがてイズナの眼差しが、戸惑いを湛えながら青と豺狼へと向けられた。

 強い意志と心の芯を感じさせる切れ長の瞳の中で、黒曜石のような大きな黒目が静謐な光を宿している。

 

「……」

 とりわけ青の目を()くのは、清流の底で磨かれた白玉(はくぎょく)のごとく滑らかな白い素肌、それを彩るように、額や頬の稜線(りょうせん)、そして鼻筋に、銀の小鱗がまるで星屑を鏤《ちりば》めたかのように点在していた様であった。

 青が初めて目にする、魚類の半獣人の姿だ。

 

「イズナさん、先ほどは……」

 青は仮面を手に立ち上がり、イズナへと歩み寄った。腕の痛みは和らぎつつある。

 

「助けていただき、ありがとうございます。よく、地中からの襲来に気がつかれましたね」

 ぱっとイズナの顔が、明るんだ。

「そう、『分かった』のです、地中の様子が!」

 初めて大技を成し遂げた幼子のように、イズナの白い頬が興奮に上気している。

 

「御指南の通り、水を通して……水が返してくる響きが、感触や輪郭を伝えてくれたのです」

 それはまさしく、水中における魚類の感覚器官による感知能力だ。

 

「それで、汚染土層の下から、大きな何かが近づいてくるのが分かって――」

 気が付けば無我夢中で青を突き飛ばしていた、という。

 

「俺が気がつく前に動けたのは、そういう事か」

 夜梟が、小さく息を吐いた。

「本当に? 夜梟より速かった?」

 

「……」

 青は、目の前に咲いた素直な歓喜を見つめた。

 そして改めて、手にした仮面に視線を落とす。

 

 内側に染み込んだ血の跡、刻まれた工匠(こうしょう)の名、そして指先に馴染む滑らかな漆の手触りも、紛れもなく記憶の中のそれと同じ。

 今は縦に走る金継ぎの他、組紐が真新しい――薄藍に染めた絹と柔らかな革を丹念に縒り合わせたものに、付け替えられていた。

 

「これを」

 無意識のうちに、青は仮面をイズナへ差し出していた。

 豺狼が僅かに目を見張る気配を、横顔に感じる。

 

「あ……ありがとうございます……」

 イズナは差し出された仮面を(うやうや)しく両の(てのひら)で受け、(いつく)しむように指先でそっと表面の土埃(つちぼこり)を払った。

 

 その仕草を静かに見つめる青の胸には、もう以前のような黒い澱《おり》はなかった。

 

 同じ「毒使い」としての矜持(きょうじ)、熱意、未熟ながら短時間で見せた成長――それらを彼女の内に見出した今、藍鬼の仮面がイズナの(もと)にあることへのわだかまりは、不思議と解けていた。

 

「ところで、東方の五国では、毒術師をはじめ技能職は素顔を晒すことが禁忌(きんき)とされているのですが、そちらでも同様なのですか」

 

 すぐには仮面を装着しようとしないイズナの様子に、青は素朴な問いを投げかけた。

 

「規則として定められているわけではありませんが、私の場合は……」

 わずかに言葉をためらった後、イズナは静かに言葉を継いだ。

 

(あゆ)……」

「え?」

 

 吐息にも似た微かな声でそう言うと、イズナは頬の銀鱗を指先でそっと辿り、はにかむように小さく微笑んだ。

 

「私たち、鮎の血族は、西方の古代史において、神の供物(くもつ)とされていました。ですから……」

 

 仮面を(まと)っていたのは、自らが「半端者(よわきもの)」――いわゆる被差別の一族であるが故、その特徴が顕れた貌《かんばせ》を人目から隠すためであったと。

 

「あ……、でも」

 再び仮面を顔に着けようと持ち上げかけたイズナの手が、ふと、動きを止めた。

 

「シユウ殿に『絵付けの白磁器』と(たと)えていただけたこと、光栄でした、嬉しかったです」

 喜びを滲ませた柔らかな笑みに彩られたイズナの瞳が、額当ての陰からのぞく青の眼差しを、じっと見つめ返した。

 

「……」

 腕を組んで二人のやり取りを見守っていた豺狼は、思わず緩みそうになる口元を隠すように、さりげなく右手を持ち上げた。

 

 青へ憧憬(どうけい)の眼差しを向け、すっかり心を解いたイズナ。

 それとは裏腹に、ますます苦虫を噛み潰したような表情の夜梟。

 

 あまりに対照的な二人の様子は、傍《はた》から見ていて何とも微笑ましく、豺狼は込み上げる笑いを抑えるのに苦労した。

 

「ここにいる間は、こうしていようと思います」

 イズナは仮面の留め金を慣れた手つきで外し、掛緒(かけお)の結びを解いて長さを調整すると、再び金具を留め、それを首から提げた。

 

 仮面は、イズナの喉元から胸の中央にかけてを覆い、護符のようにそこに収まった。

 

「この仮面は、幻獣・鬼豹(きひょう)を意匠《いしょう》としています。……もしやシユウ殿の首元のお飾りも、同じではないですか」

 

 イズナの指先が、自らの喉元にそっと触れた。

 つまり、青が身に着けている襟留《えりと》めを指し示している。

 

「!」

 ついに、そこに触れられた。

 高揚(こうよう)に似た微かな痺れが、青のこめかみを疼かせた。

 

「――その通りです」

 内心の動揺を悟られないよう、青は努めて平静を装い、穏やかな微笑を口端に灯した。

 

「やっぱり」とイズナの声が弾む。それはまるで、かつて学校でよく目にした光景、揃いの飾りや雑貨を見せ合いはしゃぐ少女たちのような、屈託(くったく)のない響きを帯びていた。

 

「ということは、東方でも、鬼豹は毒使いのソレイジュウなのですか」

「ソレイジュウ?」

 

 青と豺狼が互いに目を見合わせ、その言葉の意味を解しかねているのを見て取ると、イズナは「あ」と声を漏らしてその場に屈み、手にした小刀の切っ先で地面に「祖霊獣」の三文字を土に(つづ)った。

 

「こちらでは、鬼の幻獣が、それぞれ職人の始祖(しそ)とされる古代神話が伝えられています。鬼豹は毒の使い手。なのでこうして、祖霊獣(それいじゅう)の意匠を身につけているのです。その中でも、羽を持つものは、高位の証――ですから、シユウ殿のお飾りも、そうなのかと」

 

「職人の、始祖……」

 青は記憶の中の図鑑や書物を紐解く。

 蟲之区で庵と要と共に(のぞ)いた図鑑では、西方の古代神話にまつわる記述は思い当たらなかった。

 

「い、いえ、これは工匠の友人によるもので、私の個人的な趣向で……」

 機械的に答えながら、青の脳裏ではイズナがもたらした新たな情報が渦を巻いていた。

 

 西方のいずれかの地では、職人の始祖たる幻獣の神話が存在し、その中で鬼豹は毒使いを象徴するという。

 藍鬼が仮面の意匠に鬼豹を選んだのは、偶然であろうか。

 

 もし彼がこの西方由来の神話を知悉(ちしつ)していたとすれば、それは――禍地《かじ》からもたらされたものであったのだろうか。

 

「……」

 再び、青の胸の奥深くで、傷痕(きずあと)がじりじりと焦げ付くような、鈍い疼きが込み上げた。

 

「キャンッ!」

 幼獣の甲高い鳴き声が、不意に静寂を破った。

 

 はっと物思いから覚めて振り返った青の足元には、いつの間にか追いついてきたミツキが、その小さな黒い身体を不安げに擦りつけていた。

 

「大丈夫か、何が起きた!」

「おっきい火柱が見え……な、何ですか、あれ!」

 山林の奥深くから、枝葉を掻き分ける音と共に、コウとあさぎが駆けつけてきた。

 

 無残に断ち割られた巨大な蚯蚓の頭部、そこかしこに飛び散った体液と汚泥、砕け散った石畳に、穿(うが)たれた大穴――参道跡の惨状を目の当たりにし、とりわけあさぎはあんぐりと口を開けたまま、好奇と不安がない交ぜになった表情で落ち着きなく周囲を見回した。

 

「異形のミミズでした。焔大蛇の毒による影響だと思われます」

 青の淡々とした説明に、コウは眉根を寄せた。

 妖魔の毒がもたらす脅威と汚染の深刻さを、改めて肌で感じたのだろう。

 

「ひとまず始末したが……」

 と、豺狼が言葉を引き取り、青とイズナ、そして夜梟へと順に目をやった。

 

「まだ周辺の地中に残党が潜んでいる可能性はあるだろうか?」

 豺狼の問いかけに、夜梟とイズナの眼差しが、おのずと青へと注がれた。

 青は静かに、深く息を吸い込んでから吐き出す

 

「まずはこの場の汚染を浄化します。その後、地中の様子を探りながら参道跡を辿(たど)ろうかと」

 

 青はまず足元の腐沼(ふしょう)を、次いで白妙村へと続く参道の行く末を指し示し、それから改めてイズナと夜梟に向き直った。

 

「引き続き、手を貸していただけませんか。お二人の『視る』力が必要です」

 

 イズナには、つい先ほど青の助言によって開花した魚の半獣人としての感知技が、そして夜梟には、その名が示す通り(ふくろう)の獣血人としての卓越した索敵(さくてき)能力が備わっている。

 

「夜梟……?」

 イズナが、どこか相手の顔色を窺《うかが》うように、ちらと夜梟へ視線を送った。

 事あるごとに彼に判断を委ね、許可を仰ぐその様子からは、二人の間に明確な組織上の序列が存在することが察せられた。

 それぞれの手甲に刻まれた意匠もまた、その階級を示すものなのかもしれない。

 

「……承知しました」

 一瞬の逡巡と、何かを噛み締めるような短い沈黙の後、夜梟は承諾(しょうだく)の言葉を述べた。

 

「シユウ殿のイズナへのご教示が、私たちにとっても、有益なものと判断しました」

 若く涼やかな瞳が、口元を(ほころ)ばせかけた青を見据える。

 

「――ありがたい。感謝します」

 青がゆっくりと深く頷くと、夜梟の仏頂面(ぶっちょうづら)がふいと逸れた。

 

「では、俺たちは周辺警備と、先行して参道の先を偵察をしよう」

 豺狼はコウとあさぎへと向き直る。

 

 この地の地理に明るい自警団の助力を得、天陽とあさぎらチョウトク班には地理情報の収集と更新を命じる――豺狼はそう手際よく段取りをまとめた。

 

「了解した。ただちに体制を整えよう」

「天陽センセイに伝えます!」

 

 元来た道を引き返していくコウとあさぎの後ろ姿を見送り、豺狼は残った面々へと視線を戻した。

 

 青が参道跡のあちこちを指し示しつつ説明し、夜梟とイズナが真剣な面持ちでそれに頷いている。

 ミツキは少し離れた場所にちょこんと座り込み、守護役を自任しているのか、舞い寄る蝶や羽虫にも目もくれず、ひたすら青を見守っていた。

 

「……やっぱり『センセイ』なんだな」

 豺狼はどこか手持ち無沙汰(ぶさた)に腕を組み、片足ずつ軽く足首を回しながら、青のその「師匠」然とした振る舞いを興味深そうに眺めた。

 

 この僅かな時間の内に、青は異郷の若者二人の心を確かに捉えていた。

 

 打てば響く深い知識、それを裏付ける確かな技量。

 それでいて、かつての医療士時代と変わらない、真摯(しんし)に耳を傾ける姿勢。

 そして、その根底に流れる温かさと、内に秘めた揺るぎない熱意――本人は無自覚なそれらの美点が、知らずのうちに人を惹きつけている。

 

 それは豺狼自身も、身をもって感じていたことだ。

 初めて蟲之区で出会った、あの時から。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。