大小さまざまの、虹の彩を映した水泡玉が、ふわりと辺り一面に舞い上がった。
「わ……綺麗だ……」
青は思わず童心に返ったような声を漏らし、春のそよ風に揺られながら参道跡を漂い行く泡玉の群れを、目で追いかけた。
斜め向かいでは、イズナが地面に両手をつき、身を屈めて涸れ始めた
舞い上がる虹色の水泡玉は、彼女がそっと吹きかける息によって生じていたのだ。
それは、アキの治療でイズナが用いた『
青が調合した浄化薬を用い、数度の試行錯誤の末、ついに思い描いた通りの現象を現出させたのだ。
「水を……呼びます」
身を起こすと、イズナは両の手のひらを合わせ、祈るようにそっと眼前に掲げた。
ほどなく、足元からごぽり、と
涸れた
水面に立つさざ波が集い、やがて小魚の姿を成す。水の
「……僕より飲み込みが早いな」
青はかすかな声で独りごちると、泉に両手を浸し
水脈を探り、浄化の度合いを確認する。
「これは、鮎……?」
露流河の支流より引き込まれた清冽な水が、あたかも川を勢いよく下る若鮎の群れのように、生き生きと土中を駆け巡っては、そこに淀む
やがて青はゆっくりと目を開き、濡れた両手を水から引き上げる。
「ど、どう、です、か?」
その一挙手一投足を、イズナが
「お見事でした」
「!」
青が深く頷きを返すと、イズナの顔がぱっと喜色に染まり、諸手を上げて歓声を上げかけたが――
「肝心の、浄化に必要な薬を調合できるのか?」
背後から、
「うっ、それは……」
イズナは言葉に詰まりながら、視線を泳がせた。
「ああ、綺麗に浄化されたな」
参道の奥から、
一足先に村までの経路の安全を確かめ、戻ってきたところだ。
「どうだった」
青を筆頭に、イズナ、夜梟の三人が、一斉に豺狼へと視線を向けた。
「村にほど近いところに、小さいけれど汚染箇所があった。異形の姿は見当たらなかったが……、上から下から、どこから来るのか油断はできないね」
「ふはっ、本当だ」
地中から襲い来る巨大な
「引き続き、僕らで先行して浄化に向かうから、護衛を頼みたい。その間に自警団の皆さんに
「よし、そうしよう。イズナ殿」
青の提案に一つ頷くと、豺狼はイズナへと向き直った。
「そのような
「え、は、はい。十分に時間が経過しているので、大丈夫かと……」
不意を突かれたようにイズナが言葉を返すと、豺狼は「承知」と快活な笑みを浮かべて頷いた。
「峡谷豺狼の名のもとに命ず」
イズナの返答を得るやいなや、豺狼はコウたち自警団が待機する場所へ向けて、迅速に式鳥を飛ばした。
*
その後、新たな異形の獣や蟲の襲来もなく、
「私とイズナは、この辺で失礼します」
参道跡を覆い繁る常緑樹の向こう、無事にアキが村へと搬送された様子を見届けたところで、夜梟は足を止めた。
「無理を言って引き止めてしまったな」
豺狼と青もその場に止まり、自然と二人ずつで向き合う形となる。
「東雲准士を救っていただいたことに始まり、ここに至るまでのご助力、本当にありがとうございました」
青は深々と、頭を下げた。
「い、いいえ、私の方が、多くを学ばせていただきました……!」
慌ててイズナがそれを制止する。
「もっと、お話をうかがいたかったくらい……」
イズナの黒い瞳が落胆に揺れ、頭上を向いた。
木漏れ日の間に見え隠れする真上の空に、太陽が昇りきろうとしている。
時間切れを悟り、イズナはぐっと口を結んだ。
「イズナ、さすがにもう――」
「分かってる、分かってるよ……もう、帰らないと」
僅かに
「イズナさん、これを」
青はごく自然な動きでイズナの手をとると、そこに薬瓶をそっと握らせる。
龍の箔押しが施された瓶の中には、土壌の浄化に用いた薬剤が満たされている。
「え」とイズナは息を呑み、その傍で夜梟も「なぜ」と言いたげに瞳を細め、豺狼は「おや」と軽い驚きを碧い目元にたたえた。
「それを持ち帰って、調合法を導き出してみてください」
「良いのですか……!?」
顔を輝かせたイズナへ「ただし」と青は静かでいてどこか冷たい響きを帯びた声で釘を刺す。
「これは、我が国においても、製造難度が最高位に設定されているものです。ご助言を仰げるような、毒使いの師となる方に心当たりはありますか」
「師……」
無意識の内に、イズナの指先が胸元に
「
藍鬼の仮面の来歴を探るべく、青はさりげなさを装い、慎重に言葉を選びながらイズナに問いかけた。
「……」
豺狼は青の意図を察し、見守る姿勢をとる。
「これは父から、で……すでに故人なのです」
イズナは触れた仮面をそっと指先で持ち上げた。
「それは、失礼を」
詫びの言葉と共に、青は胸の内に微かな落胆を覚える。
「い、いいえ! でも、お師匠と相談して、必ず、作れるようになります。作れるようになって、穢れに苦しむ人々を助けられるようになります」
そこまで
「お師匠たる方々に、必ず、伝えて下さい」
青は有無を言わせぬ声音で、続ける。
「それが、凪之国の毒術師、龍の位――シユウによる『作品』である、と」
「は、はい、必ず」
その気迫に押されるように、イズナは居住まいを正した。
そして腰の革袋から清浄な白い布を取り出すと、受け取った薬瓶をそれに幾重にも包み、さらに細やかな刺繍の施された小ぶりの
こうして、西方のいずこよりか姿を現した二人の若者たちは、静かに青と豺狼に一礼し、山道の奥へと消えていった。
東西の「毒使い」の束の間の
「……彼女のあの仮面、藍鬼一師の形見だろ?」
イズナたちが消えた北西の
その声色には、あの二人をこのまま行かせてしまって本当に良かったのか、という案じる響きが
「また必ず、巡り合うことになる気がする」
青には、狙いがあった。
イズナという
ひとたび
その先に藍鬼の
そんな不思議な確信が、青の胸中に芽生えていた。
「君もけっこう、したたかなところがあるね」
不意に、豺狼がどこか面白がるような、それでいて何かを見透かすような声色で言った。
「……どういう意味?」
一仕事を終えた清々しい面持ちの青が豺狼を見返し、小首を傾げる。
「たちが悪い奴ってことだよ」
「え、な、何か僕、二人に失礼なことしたかな……」
慌てる親友の様子を笑い飛ばしながらも、豺狼の空色の瞳の奥は、笑っていなかった。
イズナが青へ向けていた淡い
青自身が気づいているのか、あるいは気づかぬふりをしているのか。
いずれにせよ、向けられる純粋な想いを計算に含める
「――行こうか。皆と合流しよう」
どちらともなく、二人は自然な足取りで白妙村の方角へ踵を返す。