毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(8)

 大小さまざまの、虹の彩を映した水泡玉が、ふわりと辺り一面に舞い上がった。

 

「わ……綺麗だ……」

 青は思わず童心に返ったような声を漏らし、春のそよ風に揺られながら参道跡を漂い行く泡玉の群れを、目で追いかけた。

 

 斜め向かいでは、イズナが地面に両手をつき、身を屈めて涸れ始めた汚泥(おでい)の様子をじっと見つめていた。

 舞い上がる虹色の水泡玉は、彼女がそっと吹きかける息によって生じていたのだ。

 

 それは、アキの治療でイズナが用いた『玉泡浄毒法(ぎょくほうじょうどくほう)』――水と薬の力で毒を浄化し、泡として体外へ排出する技――を、土壌汚染にも応用できるのではないかという青の発案によるものだった。

 

 青が調合した浄化薬を用い、数度の試行錯誤の末、ついに思い描いた通りの現象を現出させたのだ。

 

「水を……呼びます」

 身を起こすと、イズナは両の手のひらを合わせ、祈るようにそっと眼前に掲げた。

 

 ほどなく、足元からごぽり、と清冽(せいれつ)な水が湧き出す音が響いた。

 涸れた腐沼(ふしょう)跡に、見る間に清浄な水面が広がっていく。

 水面に立つさざ波が集い、やがて小魚の姿を成す。水の(あゆ)たちが、きらめく飛沫(しぶき)を上げて澄み切った泉で歓び、踊っている。

 

「……僕より飲み込みが早いな」

 青はかすかな声で独りごちると、泉に両手を浸し(まぶた)を閉じた。

 水脈を探り、浄化の度合いを確認する。

 

「これは、鮎……?」

 露流河の支流より引き込まれた清冽な水が、あたかも川を勢いよく下る若鮎の群れのように、生き生きと土中を駆け巡っては、そこに淀む(けが)れをことごとく呑み込み、押し流していく――その確かな手応えが、青の脳裏に鮮やかに映し出された。

 

 やがて青はゆっくりと目を開き、濡れた両手を水から引き上げる。

 

「ど、どう、です、か?」

 その一挙手一投足を、イズナが固唾(かたず)を飲んで見守っていた。

 

「お見事でした」

「!」

 青が深く頷きを返すと、イズナの顔がぱっと喜色に染まり、諸手を上げて歓声を上げかけたが――

 

「肝心の、浄化に必要な薬を調合できるのか?」

 背後から、夜梟(やきょう)の冷静な声が水を差す。

 

「うっ、それは……」

 イズナは言葉に詰まりながら、視線を泳がせた。

 

「ああ、綺麗に浄化されたな」

 参道の奥から、豺狼(さいろう)の声が届いた。

 一足先に村までの経路の安全を確かめ、戻ってきたところだ。

 

「どうだった」

 青を筆頭に、イズナ、夜梟の三人が、一斉に豺狼へと視線を向けた。

 

「村にほど近いところに、小さいけれど汚染箇所があった。異形の姿は見当たらなかったが……、上から下から、どこから来るのか油断はできないね」

「ふはっ、本当だ」

 

 地中から襲い来る巨大な蚯蚓(みみず)、空を舞う変異した怪鳥、賊の亡骸(なきがら)すら変容させる――妖魔が振り撒いた汚染の影響は、予測が難しい。

 

「引き続き、僕らで先行して浄化に向かうから、護衛を頼みたい。その間に自警団の皆さんに東雲准士(しののめじゅんし)の搬送を開始してもらうのはどうだろう」

「よし、そうしよう。イズナ殿」

 

 青の提案に一つ頷くと、豺狼はイズナへと向き直った。

 

「そのような手筈(てはず)を考えているが、患者を動かしても問題ないだろうか」

「え、は、はい。十分に時間が経過しているので、大丈夫かと……」

 

 不意を突かれたようにイズナが言葉を返すと、豺狼は「承知」と快活な笑みを浮かべて頷いた。

 

「峡谷豺狼の名のもとに命ず」

 イズナの返答を得るやいなや、豺狼はコウたち自警団が待機する場所へ向けて、迅速に式鳥を飛ばした。

 

 

 その後、新たな異形の獣や蟲の襲来もなく、白妙村(しろたえむら)へと至る長い参道跡の汚染は、(とどこおり)りなく浄化された。

 

「私とイズナは、この辺で失礼します」

 参道跡を覆い繁る常緑樹の向こう、無事にアキが村へと搬送された様子を見届けたところで、夜梟は足を止めた。

 

「無理を言って引き止めてしまったな」

 豺狼と青もその場に止まり、自然と二人ずつで向き合う形となる。

 

「東雲准士を救っていただいたことに始まり、ここに至るまでのご助力、本当にありがとうございました」

 青は深々と、頭を下げた。

 

「い、いいえ、私の方が、多くを学ばせていただきました……!」

 慌ててイズナがそれを制止する。

 

「もっと、お話をうかがいたかったくらい……」

 イズナの黒い瞳が落胆に揺れ、頭上を向いた。

 木漏れ日の間に見え隠れする真上の空に、太陽が昇りきろうとしている。

 

 時間切れを悟り、イズナはぐっと口を結んだ。

 

「イズナ、さすがにもう――」

「分かってる、分かってるよ……もう、帰らないと」

 

 僅かに(いさ)める夜梟の声に、イズナは拗ねたように首を振る。

 

「イズナさん、これを」

 青はごく自然な動きでイズナの手をとると、そこに薬瓶をそっと握らせる。

 龍の箔押しが施された瓶の中には、土壌の浄化に用いた薬剤が満たされている。

 

「え」とイズナは息を呑み、その傍で夜梟も「なぜ」と言いたげに瞳を細め、豺狼は「おや」と軽い驚きを碧い目元にたたえた。

 

「それを持ち帰って、調合法を導き出してみてください」

「良いのですか……!?」

 

 顔を輝かせたイズナへ「ただし」と青は静かでいてどこか冷たい響きを帯びた声で釘を刺す。

 

「これは、我が国においても、製造難度が最高位に設定されているものです。ご助言を仰げるような、毒使いの師となる方に心当たりはありますか」

「師……」

 

 無意識の内に、イズナの指先が胸元に()げられた仮面にそっと触れた。「そちら」と青もまた、その仮面を指し示す。

 

金継(きんつ)ぎといい、随分と年季が入っているようなので、どなたか――もしかしてお師匠などから受け継がれたものかと思ったのですが」

 

 藍鬼の仮面の来歴を探るべく、青はさりげなさを装い、慎重に言葉を選びながらイズナに問いかけた。

 

「……」

 豺狼は青の意図を察し、見守る姿勢をとる。

 

「これは父から、で……すでに故人なのです」

 イズナは触れた仮面をそっと指先で持ち上げた。

 

「それは、失礼を」

 詫びの言葉と共に、青は胸の内に微かな落胆を覚える。

 藍鬼(らんき)へと繋がるかもしれない手がかりの影が、少し遠のいたように思われたからだ。

 

「い、いいえ! でも、お師匠と相談して、必ず、作れるようになります。作れるようになって、穢れに苦しむ人々を助けられるようになります」

 

 そこまで一気呵成(いっきかせい)に言い募ると、イズナは決然と深々と頭を垂れた。

 

「お師匠たる方々に、必ず、伝えて下さい」

 青は有無を言わせぬ声音で、続ける。

 

「それが、凪之国の毒術師、龍の位――シユウによる『作品』である、と」

 

「は、はい、必ず」

 その気迫に押されるように、イズナは居住まいを正した。

 そして腰の革袋から清浄な白い布を取り出すと、受け取った薬瓶をそれに幾重にも包み、さらに細やかな刺繍の施された小ぶりの巾着(きんちゃく)へと納め、まるで稀代(きたい)の宝玉でも扱うかのように、そっと懐中深くしまい込んだ。

 

 こうして、西方のいずこよりか姿を現した二人の若者たちは、静かに青と豺狼に一礼し、山道の奥へと消えていった。

 

 東西の「毒使い」の束の間の邂逅(かいこう)は、こうしてひとまずの幕を下ろした。

 

「……彼女のあの仮面、藍鬼一師の形見だろ?」

 イズナたちが消えた北西の山稜(さんりょう)をじっと見つめる青の横顔に、豺狼が静かに言葉を投げかけた。

 

 その声色には、あの二人をこのまま行かせてしまって本当に良かったのか、という案じる響きが(にじ)んでいた。

 

「また必ず、巡り合うことになる気がする」

 青には、狙いがあった。

 

 イズナという(くさび)を打ち込み、彼女の上位に位置する者たちへ、自らの存在と技を確実に認識させること。

 ひとたび識者(しきしゃ)の目に触れさえすれば、イズナに託した技と薬が持つ価値は、自ずと知れる。

 

 その先に藍鬼の足跡(そくせき)、ひいては禍地(かじ)へと続く糸を手繰り寄せられるかもしれない――この邂逅は、そのための布石となる。

 

 そんな不思議な確信が、青の胸中に芽生えていた。

 

「君もけっこう、したたかなところがあるね」

 不意に、豺狼がどこか面白がるような、それでいて何かを見透かすような声色で言った。

 

「……どういう意味?」

 一仕事を終えた清々しい面持ちの青が豺狼を見返し、小首を傾げる。

 

「たちが悪い奴ってことだよ」

「え、な、何か僕、二人に失礼なことしたかな……」

 

 慌てる親友の様子を笑い飛ばしながらも、豺狼の空色の瞳の奥は、笑っていなかった。

 

 イズナが青へ向けていた淡い思慕(しぼ)に、豺狼は薄々と感づいていた。

 青自身が気づいているのか、あるいは気づかぬふりをしているのか。

 

 いずれにせよ、向けられる純粋な想いを計算に含める怜悧(れいり)な一面を、豺狼は青に垣間見(かいまみ)ていた。

 

「――行こうか。皆と合流しよう」

 どちらともなく、二人は自然な足取りで白妙村の方角へ踵を返す。

 

 (きよ)められた参道跡を並んで辿(たど)り、木漏れ日が揺れる(しず)かな道を、二人は他愛もない話をしながら、村へと歩いて行った。

 

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