毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(第四部完結・前)

 白妙村の館の一室へ運び込まれたアキは、ほどなくして穏やかに意識を取り戻した。

 

 昏倒(こんとう)前後の記憶こそ定かではないものの、「すごくすっきりした」という本人の言葉通り、アキには何ら後遺症の影もなく、むしろ以前よりも心身の隅々までが洗い清められたかのような心地よい目覚めであったとは、本人談である。

 そんなアキの様子に、あさぎと(タヌキ)は抱き合って喜び合った。

 

 天陽はアキに、コウが伯父(おじ)にあたることを伝えなかった。

 アキが最後にコウと顔を合わせたのは、まだ物心もつかない幼少の頃。

「自警団長だ」と紹介されたコウを、アキが伯父と認識することはなかった。

 

「『自警団長殿』」

 猪牙をはじめ、他の凪隊の面々が居並ぶ前で、天陽は兄・向陽(こうよう)を、そう呼んだ。

 

 白妙村の新たな長役となった惣太(そうた)が提供した館の広間。凪隊と自警団の主だった者たちが、今後の戦後処理について協議を始めようとしていた場でのこと。

 

「これを」

 庭に面した卓上へ、天陽はコウの前に一通の書状を差し出した。

 裏には、凪之国の大使にして翡翠の陣守村の管理責任者を務める一色上士と、副使である楠野の名が連なって記されている。

 

「我が国の大使、一色と楠野より、ぜひともお目通りを(たまわ)りたく。此度(こたび)の有事において、貴団の見事な組織力に感銘を受けた、と。ひいては両国の(よしみ)を深める一助としたい、とのことです」

 

 一色が天陽に送った指令の真意は、東西境界線の守りを盤石(ばんじゃく)なものとすることにあった。

 

 露流河が脅威に晒され、加えて炬の国の惨状。正体不明の影が西から東を(むしば)み始めている状況下にあって、境界線唯一の戦力である自警団との関係性の強化は、翡翠の防衛力の底上げに繋がる。

 

「……大使殿から……か」

「そりゃあ良い!」

 

 書状に目を落とすコウを前に、斜向かいに座る猪牙が、己の膝をばしりと一つ、小気味よく叩いた。

 

「ぜひ会ってやってくれねぇか、生真面目で話がつまらんが、気がいい奴らだ」

 

 一晩語り明かしたことで、すっかりコウと肝胆(かんたん)相照(あいて)らす仲になったと信じて疑わない猪牙は、いつもの気さくな調子でからからと笑う。

 

「……」

 少し離れた席で、遅れて村に着いた青と豺狼が、その場の成り行きを静観していた。

 二人の視線は、公人として振る舞う天陽と、その言葉を静かに受け止めるコウの横顔との間を、探るように行き来する。

 

 天陽が兄・向陽を、あくまで「翡翠の自警団長・コウ」として(ぐう)する覚悟を決めている以上、その意を汲み取った青と豺狼もまた、今はただ沈黙を守るより他なかった。

 

「一介の、片田舎で細々と暮らしているお山の大将には、勿体無い誘いだ」

 自嘲の笑みを薄く浮かべ、コウは書状を厳かな所作で折り畳んだ。

 だが、と彼は言葉を続け、ふと真顔に戻って弟――凪之国の使者としての、天陽の瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「奇しくも……、首府(しゅふ)より玉玲(ぎょくれい)様名義で書簡を頂いていてな」

「玉玲……国長殿からか」

 

 と猪牙。

 玉玲は、青たちに「しろたえの里」の伝承を聞かせてくれた、翡翠ノ國の長だ。

 

 コウの話によれば、玉玲の名で書状が届いたのは、翡翠に陣守村が開かれて間もなくの頃。

 

「東方の大国と国交を開くにあたり、その国軍のあり方を学べ、と。ご存知の通り翡翠邦には『貴国』のような正規の軍がない。此度のような有事に対して無力だ。玉玲様としては、これを機に国の守りを固めたいのであろう。それで、陣守村と地理的に近い、我ら露流河(つるかわ)の自警団に白羽の矢が立った、というわけだ」

 

「『我ら』法軍をご参考に……なるほど……?」

 東雲兄弟は互いに探るような視線を交わらせた。

 公の場において、兄弟で小芝居を打つ滑稽さに、複雑な笑いが込み上げてくる。

 

「よっしゃ!」

 コウの静かな言葉を、猪牙の快活な声が、まるで春の嵐のように吹き飛ばした。

 

「俺も同席するぜ。昨日言ってたあれだろ、小っせぇ国なりの戦力の形ってもんがあるってやつ」

 

 昨晩の語らいの続きと言わんばかりに、猪牙は屈強な腕を伸ばし、コウの厚い肩を親しげに、そして遠慮なく掴んだ。

 

「任せとけ、一色や楠野にはたっぷり恩を売ってるからな。うまいこととりなしてやるって」

 と、上機嫌な猪牙の分厚い肩越しに、兄弟は再び視線を交わす。

 

 東西に分かれた東雲兄弟の運命は、こうして再び、共に紡がれ始めるのであった。

 

 

 その後――

 

 露流河で勃発した焔大蛇(ほむらおろち)襲撃事件の戦後処理は、白妙村を主たる拠点として進められる運びとなった。

 

 白妙の術による結界が消失した今、自衛の術を持たない村は、外部の脅威に対し丸裸同然だ。

 

 自警団や凪隊が村へ頻繁に出入りすることで、新たな自警の仕組みが整うまでの暫定的な防衛機能とすると共に、自警団を介し、開かれた村として近隣集落との連携を深める足掛かりとする――それが凪大使の構想であり、その真意は白妙村はじめ流域の集落を東西境界の防衛拠点とするための下地づくりであった。

 

 まず何よりも優先されたのは、避難民の速やかなる帰還である。

 

 無人の集落を長く放置すれば、不埒(ふらち)な火事場泥棒による略奪を招きかねない。

 白狼隊、獣鬼隊、そして自警団の三者が連携し、嶺や峠の向こう、あるいは陣守村へと難を逃れていた人々を故郷へと送り届ける任が、数日をかけて進められた。

 

 それと並行し、青は豺狼の助言を容れて、露流河流域一帯の汚染浄化作戦を立案し、一色上士らへ進言。

 即日の裁可(さいか)となった。

 

 裁可が下りるや否や、任務管理局を通じて熟練の毒術師や技能師らに浄化薬の調合や、解呪の護符の作成依頼が発せられる。

 

 それと並行し、獅子以上の位を持つ高位の毒術師たちへ、翡翠へ出向いての浄化対応協力の打診が行われた。

 これには、神麟(しんりん)山吹(やまぶき)からの後押しもあり、都合のつく者から順次この作戦に加わるとの確約が、次々と寄せられた。

 

 さらには、薬術の麒麟(きりん)であるハクロからの推薦を受け、浄化任務の経験のある薬術師たちも派遣される手筈が整う。

 

 そして、この一大作戦に、最も熱い呼応を示したのは若手の毒術師たちであった。

 もはや彼らの間では一種の名物となりつつある「一師の張り紙」――蟲之区に掲示された青のその呼びかけに、多くの者が名乗りを上げたのである。

 

「シユウ一師にご報告いたします。リセイ二師が、ただ今到着されました」

 

 翡翠の陣守村の館、軍議用広間の一角にて。

 天陽とあさぎのチョウトク班からの報告を、豺狼とともに受けていた青のもとへ、一人の士官が進み出て告げる。

 

「こちらへお通しを」

 青の声に応え士官は短く肯うと、一礼して足早に退出した。

 

里薺(リセイ)……ああ、君の推薦で、俺や赤鷹(せきよう)特士が任務に指名した? 昇格したのか」

 

 豺狼は窓の外へ目をやった。

 敷地の境から正面玄関へと続く石畳の延段、その脇に白砂と苔で整えられた枯山水(かれさんすい)の庭が広がっている。その一角、訪問者の待合に設えられた四阿(あずまや)の前に立つ、男の背中が見えた。

 

「覚えていてくれたんだ……! そう、ついこの間だって!」

 青はまるで自分のことのように、声を弾ませる。

 

 先の冬、三月(みつき)をかけて青が推し進めた育成計画の最大の果実が、虎の位・里薺の、獅子の位への昇格だ。

 教え子が高位と見なされる位に就いたことは、指南期間が短いといえども、自ずとシユウの評価も上げる結果となった。

 

「地方勤務が長くて機会に恵まれなかっただけで、もともと優秀な人なんだけどね」

 神麟・山吹から面会の許しを得られたのも、里薺の昇格が要因として大きい。

 そう感じている青は少し照れたように微笑むと、来客を迎えるべく窓から離れた。

 

 やがて廊下の奥から複数の足音が近づき、扉が開かれる。

 士官に導かれ現れたのは、中肉中背の、三十半ば頃の男だった。

 

 黒い軍装の上に、素朴で柔らかな生成(きな)り色の外套(がいとう)を羽織り、顔全体を覆う仮面も木地(きじ)を生かして余計な装飾や加工は省かれている。

 蟲の顔を模した意匠らしき仮面の、半分の面積を占める大きな両眼部分は、透漆(すきうるし)を重ねることによって生まれる深い(あめ)色によって表現されていた。

 

「うわぁ、大きい()みたい……」

 あさぎの屈託(くったく)のない声が、静かな室内に思いのほか大きく響き渡った。

 

「こらっ」

 天陽が血相を変え、あさぎの口を手で覆う。

 近くで筆を走らせていた文官たちの間から、堪えきれない噴き出し笑いが微かに漏れた。

 

 蟲の仮面が、ぐるりとあさぎに向けられる。

 

「し、失礼しました……! かっこいいって思ったので、つい」

「教え子が失礼なことを。申し訳ない」

 縮こまって頭を垂れるあさぎを(かば)うように、天陽が前に出た。

 

 そんな師弟の狼狽ぶりを前に、蟲の面が「ふふ」という忍び笑いと共に、かすかに揺れる。

「どうぞお気になさらずに。少しだけ、惜しいですね、これは『お(かいこ)さん』です。私の故郷では、養蚕(ようさん)が盛んでして」

 

 その(まゆ)色のいでたちにふさわしく、紡ぎ出す声と言葉もまた、幼子に言い聞かせるように柔らかく、そして温かかった。

 

 そこへ「二師」と頃合いを見計らって、青が歩み寄る。

 

「早速駆けつけてくれて、助かった」

「シユウ一師。その後お変わりないか、案じておりました」

 

 里薺は、青の姿を認めると、まず深々と一礼し、それから改めて青の顔をまじまじと見つめた。

 

「口元の(おお)いを外されたのですね、今はお顔の色つやも良く、何より。この度はお声がけ、誠に痛み入ります」

 

 心のこもった挨拶を終えた蚕の面が、次いで傍らの豺狼へと転じられた。

 

「峡谷上士もご壮健なご様子で。先の任務では、大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます」

「こちらこそ。獅子の位へのご昇格、お祝い申し上げます」

 

 豺狼の祝辞へ、生成り色の衣を(まと)う毒術師は再びゆったりとした所作で腰を折った。

 

 (こま)やかな言葉遣いや物腰、そして独特な(おもむき)のいでたち。

 それが、里薺が豺狼の記憶に強く残っていた要因であった。

 

「さて、早速ですが……一師、こちらを」

「――え」

 獅子の紋章が刻まれた両手から、青へ、一冊の帳面が(うやうや)しく差し出される。

 

 (ページ)()れば、それは青の呼びかけに応じた若手毒術師たちの名簿で、それぞれの都合の良い期間や得意技能までが細やかに記されていた。

 

「わ……こんなに丁寧に」

 青は思わず素の感嘆の声を、紙面に零した。

 まさにこれから自分が着手しなければと考えていた作業が、期待以上の質で仕上げられている。

 

「このような得難い機会です。後輩たちが皆で分かち合えればと。一師にご負担をおかけするわけには参りませんので、(いささ)か先走りましたが、手筈(てはず)を整えてまいりました」

 

「えぇ……」

 里薺のその細やかな心遣いに、青は名簿を胸に抱きしめ、こみ上げる喜びに思わず頬を緩めた。

 

 これまで、雑務に至るまで何もかもを一人でこなす事を当然であると考えていた青にとって、実質的な「直属の部下」に仔細(しさい)を頼る事ができたのは、初めての経験であった。

 

「感動している場合じゃないぞ」

 隣から豺狼に、小声と肘で小突かれて、青ははっと我に帰る。

 

「はっ、そうだった――二師、本っっ当に助かった。ありがたく活用させてもらう」

 

 慌てて「一師」としての表情を取り(つくろ)い、青は改めて帳面を開くと、チョウトク班がいる長机と、里薺へ交互に視線を送った。

 

「ちょうど今、汚染箇所の調査報告を受けていたところなんだ。早速、この結果をもとに番割表(ばんわりひょう)を作成したい。そこから加わってもらえるだろうか」

 

「承知いたしました。何なりと」

 青の命を受け、蚕の面はまた恭しく応えた。

 

 毒術師、獅子の位・里薺(リセイ)

 その名は、彼が育った里に咲く(なずな)に由来する。

 

 里薺は、物心つく前に生みの親と死別。

 後、凪之国片田舎の老夫婦に引き取られた。

 

 村の小さな学舎(まなびや)で基礎学習を(おさ)めた後、養父母に尽くしながら農事に勤しんだ。土に触れるその日々の暮らしの中で、薬草と毒物を見分ける眼、その効能を引き出す調合の技術を自ずと身につけていった。

 

 養父母を看取ると、里薺は故郷を離れ、遅咲きながら都の訓練所の門を叩く。

 法軍入軍後は毒術師の道を選択。

 しかし都の栄達には背を向け、養父母への恩返しを胸に、自ら望んで地方の任務に長く就いていた。

 

 結果として昇進は遅れたが、里薺自身が階位に頓着(とんちゃく)することはなかった。

 

 そんな里薺の静かなる日々にも、転機が訪れる。

 

 単身で要塞を陥とし、若くして龍の位へと駆け上がった毒術師がいるとの噂話が、都から地方の技能師たちの間にも届いた。

 

 折しも、そのシユウ本人が都の蟲之区にて、課題形式で弟子を募るとの掲示をしているとの報に、里薺は触れることとなる。

 

 世俗の栄達に背を向け、静かな水面のようであったはずの里薺の心に、その若き龍の噂話だけが不思議と波紋を広げた。

 直感に従うがままに里薺はシユウの課題に挑み、その知遇(ちぐう)を得るという好機を掴む。

 

 地道で緻密(ちみつ)な仕事ぶり、基礎技術と知識の堅実(けんじつ)さ、そして何よりその誠実な人柄が高く評価され、シユウ、そして峡谷上士、赤鷹特士らの推挙を受け、獅子の位へと昇格を果たしたのであった。

 

 かくして毒術師・里薺は、翡翠での任務以降、長きにわたりシユウの実務を裏で支える存在となっていく。

 

 後々シユウ本人から、推挙の理由が「ハクロ特師に似ていると思ったから」であると白状されるのは、また別の余談である。

 

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