毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(第四部完結・中)

 露流河(つるかわ)流域の汚染浄化は、壮大な人海戦術の様相を呈した。

 

 虎や狼ら、若手の毒術師たちの監督を里薺(リセイ)が受け持ち、一方の青は、ハクロの手配で駆けつけた高位の薬術師や、即戦力となる毒術師たちとの連携に専念した。

 

 汚染の根が深く大規模な箇所は、青をはじめ熟練者が。比較的軽微な箇所――薬の撒布や薬剤符のみで対応が可能な箇所は、若手技能師たちが中心となり、自警団や地元住民の力も借りながら、入れ替わり立ち替わりで昼夜を問わずの作業にあたった。

 

 異形化した獣や虫の、不意の襲来に備えた警備網も敷かれた。

 凪隊、自警団、そして避難民の搬送を終えた白狼隊も途中合流し、異形生物の駆除や、浄化にあたる技能師たちの護衛を担った。

 

「ブゴォォオ!」

「ひょぁあああっ!!」

 

 深い藪を突き破り、牙を剥き出しにした大型の猪が姿を現す。薬の撒布作業に夢中で逃げ遅れた鹿花(ろくか)は、その場に尻餅をついた。

 

「――邪魔しないの!」

 怒号一閃。

 あさぎが地を蹴り、猪へ飛びかかる。

 

「ブギッ!」

 獣の悲鳴と、鈍い衝撃音――地術で岩塊をまとったあさぎの拳が、猪の側頭部へめり込んだ。怯んだ獣が牙を振るった瞬間、あさぎの二発目が眉間に叩き込まれる。

 

 声もなく巨体が痙攣(けいれん)し、やがてゆっくりと横倒しになった。

 

 土煙の中、あさぎはふう、と一つ息を吐くと、ぐったりと伸びた猪の足を掴んで担ぎ上げる。

 

「獲った! お夕飯の食材!」

「ふわぁあああ……お見事ですっ」

 豪快に笑うあさぎ。鹿花は安堵の息をつきながら、震える膝を叱咤しながら立ち上がろうとした。

 

「あさぎさん、ありがとうございま、ぁああ!」

 感謝の言葉が、悲鳴に変わる。あさぎの腕に、猪の牙が(えぐ)ったであろう傷が、皮が裂かれたアケビのように口を開いていたからだ。

 

「大丈夫だいじょうぶ」

「なにが大丈夫ですかぁああ! や、やややや薬術師さんが、 すすすすすぐ近くにいらっしゃいますから! 今、呼んできま――え……」

 

 顔面を蒼白にさせた鹿花の目に、信じがたい現象が映る。まるで傷が生き物であるかのように、その断面が蠢き、繋がり、薄紙を重ねるように、あさぎの腕の皮膚が再生していくのだ。

 

「……ぇ……、え???」

 打ち上げられた魚のごとく口を開け、鹿花がその異様な光景に立ち尽くしていると、少し離れた場所から二つの人影が駆けつけてきた。

 

「あらあら」

 ハクロからの要請を受けて翡翠までやってきた蓮華(れんげ)と、その後ろから出流(いずる)が続く。

 手当の準備よりも早く、二人の薬術師の前で、あさぎの傷は完全に塞がった。

 

「――噂には聞いていたけれど、確かに……これはすごいわ」

 蓮華の声は、感心と純粋な好奇心に弾んでいた。

 

「……」

 反して出流は、蓮華と鹿花の反応を楽しんで笑顔のあさぎを、複雑な色を宿した瞳で()め付ける。

「……過信するなよ」

 吐き捨てるようにそれだけ言うと、くるりと背を向け、さっさと自分の持ち場へと戻ってしまった。

 

「え……」

 残った三人は、呆気にとられてその背を見送った。

 

「出流さんが、あんなふうに怒るなんて……」

 鹿花が戸惑いの声を漏らすと、蓮華は「ごめんねえ」と肩をすくめた。

 

「いつもは無口で手のかからない子なんだけど……。日野下士(かし)、気にしないでちょうだいね。その体質は間違いなく、特別なものよ。誇りに思うべきだわ」

 

 でもね、と蓮華は言葉を切り、あさぎの正面へ向き直った。

 薄桃紅の唇は、まっすぐに結ばれていた。

 

「出流佳師(かし)の言うことにも、一理ある。自分を蔑ろにするような戦い癖は、直した方がいい。いつか本当に、取り返しがつかなくなる前に」

 

 最後にそっと唇に笑みを乗せて、蓮華も「じゃあね」と持ち場へと戻っていく。

 

「……」

 猪を担いだまま、あさぎいは俯いた。

 

 これまでに何度も、色々な人に、無茶をするなと叱られてきた。そのたびに「大丈夫」「平気」と笑い飛ばしてきた。

 

 けれど何故だろう、出流の言葉が、やけに胸の深いところに突き刺さり、(とげ)のように残り続けている。

 

「……よぎりみたい」

 吐息と共に漏れたのは、ここ三月(みつき)ほど顔を合わせていない双子の兄の名だった。

 寡黙(かもく)なくせに、自分には口うるさい。

 そんな片割れの顔が脳裏に浮かんでしまう。

 

「あ、あさぎさんっ」

 沈み込むあさぎの肩がこれ以上落ちてしまわないように、鹿花は明るい声を張り上げた。

 

「その猪、白妙村へ持っていきましょう。きっと村の皆さんが美味しいお鍋にしてくださいますよ!」

「――うん」

 

 沈んだ森の空気に温かな波紋を感じて、あさぎは同い年の毒術師の優しさに応えるように、小さく笑みを返した。

 

「鹿花佳師! そちらにいますか!」

 木々の奥深くから、男の声が響いた。

 

「無事でしたか。先ほど、猪がこの方角へ逃げ込んだもので……」

 深い茂みを掻き分けるようにして、里薺が姿を見せる。そのすぐ後ろから、息を切らした若い毒術師たちが数名、続いた。

 一行は、あさぎの肩に軽々と担がれた大猪に気づくと、誰からともなく「すっげぇ」と感嘆の声を漏らした。

 

「も、申し訳ございません、二師! 私が勝手に行を離れてしまって……」

 汚染された水たまりをひとつひとつ薬で浄化していく作業に没頭するあまり、鹿花は、いつの間にか里薺が率いる隊から離れてしまっていたのだ。

 

「日野下士、お見事でした」

 (かいこ)面の主からの称賛に、あさぎは少しだけ居心地が悪そうにはにかんだ。

 

「さて、この辺り一帯の浄化は完了しましたね。一度、白妙村へ寄って休憩しましょう」

 腰を伸ばし、里薺は一行を促すように村の方角へと向き直る。

 

「はーい」

 まだ学舎(まなびや)の響きを残す快活な返事が揃い、さながら引率教員に導かれる生徒のような一団は、共に木漏れ日が揺れる山道を、村へと向かった。

 

 

 白妙村では惣太ら、開かれた白妙村の未来を担う者たちが中心となり、戦後処理従事者たちの世話を献身的に担っていた。

 

 青の助言に従い、用意する食事は、白妙の血の影響が及ばないよう、村外で採れた山菜や獣肉を材料に用いている。

 

「おじいちゃん、おばあちゃん、牡丹(ぼたん)肉、獲れたよ!」

「おやおや、まあまあ、こんな立派な!」

 

 大型猪を担いで村へやってきたあさぎを、村の老人たちは孫を迎えるかのごとく歓迎した。

 

「大物だねぇ。さっそく、血抜きしなきゃ」

「ささ、広場のあずまやでお休みよ。あとでお茶を持って行くからね」

 

 村の中心から少し外れた広場に佇む、四阿(あずまや)が一つ。

 その涼やかな影の中では、自警団員や、凪の士官たちが、地図を囲んで言葉を交わしたり、あるいは束の間の休息に茶をすするなどしていた。

 

 そんな彼らに、村の女たちが「ご苦労様です」と柔らかな声をかけ、湯気の立つ茶を運んでくる。

 

 視線を巡らせば、作業小屋からは木を削る音が響き、陽光を浴びる田畑では農夫たちが土に汗を流す。家々の軒先では、老婆が陽だまりの中で黙々と(かご)を編む姿もあった。

 

 先頃まで固く閉ざされていたとは信じがたいほど、村は訪問者たちを自然に受け入れ、その日常の風景に溶け込ませていた。穏やかで力強い営みの音が満ちている。

 

 その中には、すでに寿命を超えた、永き生の終焉(しゅうえん)を静かに待つ人々の姿もある。

 彼らもまた、これまでと何ら変わることなく日々の務めに勤しんでいた。

 

 未来を担う者も、終わりを迎えんとする古老も、ここでは等しく、訪れた者たちを温かく支えている。

 

 大きな混乱に陥ることなく、永き生の黄昏(たそがれ)を、穏やかに、そして緩やかに歩む人々の姿が、そこにはあった。

 

 

 焔大蛇(ほむらおろち)が討伐されてから十度目の朝が昇る頃には、露流河を巡る有事は、確かな収束を見せていた。

 

 難を逃れていた人々はそれぞれの郷里(きょうり)へと帰還し、集落には再び人の営みの灯がともる。

 

 流域を脅かした蜥蜴(とかげ)の妖獣も、主を失ってその勢いを潜め、楠野上士率いる掃討隊によって、その禍根はほぼ断たれていた。

 

 そして、あれほど途方も無いと思われた焔大蛇の毒による土壌の(けが)れもまた、凪の技能師たちの昼夜を分かたぬ尽力、そして露による水の循環により、大地から着実に洗い清められていく。

 

 東西の境も、組織の別もなく、ただ人々が手を取り合った結果の、これは近年の東西有史においても(まれ)な出来事であった。

 

 

「シユウ様、シユウ様」

「――ん……?」

 

 肩に感じる柔らかな重みと温もりに、青の意識が深いまどろみからゆっくりと浮上した。

 鼻先を、草の香りが触れる。部屋の窓から差し込む朝の光があまりに眩しく、(まぶた)を開くに難儀した。

 

 手で空をまさぐっていると、指先に固い感触が当たった。どうやら、外套(がいとう)を掛け布団代わりにくるまって、板張りの床の上で眠り込んでしまっていたようだ。

 

「お目覚めになりましたか」

 体を起こすと、目の前には畳二畳はあろうかという(けやき)の卓、その上には、広げられたままの地図と番割表や数多(あまた)の書き付け、そして卓を挟んだ向かい側では背をまっすぐ伸ばして書き物をしている里薺がいる。

 

 ここは白妙村、白亜の館。

 土壌汚染浄化の指揮を取る青と、里薺の実務のためにあてがわれた、東向きの一室だ。

 壁一面を占める大きな窓から、朝の光が惜しみなく差し込み、部屋の隅々までを照らし出す。

 

「え、あ、いつの間に……申し訳ない!」

 頭を振りながら、青は体を起こした。

 連日の汚染浄化作業に奔走し、蓄積した疲労に抗えず、いつしか眠りに落ちていた。

 

「って……ミツキ?」

 背中の気配と温度に振り向けば、幼子の姿のミツキが、その小さな身体で青の背に抱きついている。

 さらに戸口から静かに入ってくる狛と、その背後に続く豺狼(さいろう)の姿も見えた。

 

「す、すみませんっ」

 青は慌てて、(よだれ)でも垂れていないかを確認しながら、居住まいを正した。

 狛は、床に膝をついたままの青へ、空色の瞳を向けた。

 

「高度な浄化術は気力を削ると聞いている。叩き起こしてしまったようで、すまない」

「いいえ……、お見苦しいところを」

 

 狛の来訪の意図を察し、青はゆっくりと立ち上がると、卓を回り込んで狛と真っ直ぐに向かい合う。

 その動きに合わせるように、里薺もまた静かに立ち上がり、恭しく一礼すると、場の邪魔にならないよう一歩下がり、控えめに直立した。

 

「戦後処理にもおおよその目途が立った。これ以上の駐留は不要と判断し、我ら白狼隊は、本日をもって帰国することにした。今は、そのご挨拶に参った」

 

 雲類鷲(うるわし)が伝言役となり、すでに陣守村と、翡翠の首府(しゅふ)へも通達を終えているという。

 

「ミツキ」

 名を呼ばれ、ミツキの小さな肩がびくりと震えた。

 

「……シユウ様とお別れしたくない……」

 幼子は青の外套にしがみつき、小さな顔を強く押し付けた。

 背中を震わせ、めそめそとしゃくりあげる姿に、青は静かに膝を折った。

 

「ミツキ。君には、命を助けられた。本当にありがとう」

 その小さな頭を優しく撫でる。

 

「変化も自在にできるようになっていて、驚いたよ。次に会う時はもっと背が大きくなっているだろうし、できることもきっと増えているね」

 

 (さと)すような穏やかな声に、ミツキは顔を上げようとしない。

 狛、豺狼、里薺は、言葉を挟むことなく、幼子の別れを見守っていた。

 

「必ず、また近いうちに会える」

「……」

 

 やがて、青にしがみついたまま、ミツキが潤んだ碧い瞳でちらりと、狛と、その隣に並ぶ豺狼を交互に見上げた。

 

「……峡谷様は、(さい)様の生まれ変わりなの……?」

 犲。初代・白狼ノ國の王の二つ名だ。

 

 それを青から聞き及んでいた豺狼は、小さく笑みを浮かべる。

「似ているかな。それくらい強くなれるよう、頑張るよ」

 

 大人の答えに、ミツキはまだ納得しきれない様子だったが、やがて何かを決心したように、くいと顔を上げた。

 

「僕がいなくても、ちゃんとシユウ様を守ってよね」

 少し生意気なその口ぶりに、豺狼は一瞬、苦笑と呆気が混在したように目を丸くした。

 だがすぐに、温もりを瞳に宿したまま、形の良い唇をまっすぐ結んだ。

 

「もちろん」

 

「……帰ります」

 その一言に納得し、安心したのだろうミツキは、しがみついていた青の体から名残惜しそうに離れると、小走りに次は狛の隣にぴたりと寄り添った。

 

 その様子を見届け、狛は改めて青と豺狼へ向き直り、その背筋を凛と伸ばした。

此度(こたび)の有事に際し、我ら白狼隊が見聞きしてきたことを、帰国後に父である白狼王につぶさに伝えようと思う」

 

「は、はい……」

 自然と、立ち上がった青も、背筋が伸ばされる感覚がした。

 

「凪之国の勇士たちが見せた力には、ただただ感嘆した。個々の卓越した能力はもとより、団結力、組織力、使命への献身――我々が学ぶべきことが実に多い。この度の共闘で生まれた貴国との縁を、より固い絆として結びたい……心から、そう思う」

 

 狛の天空色の瞳が、青、豺狼、そして二人の影に控える里薺へと巡り、最後に再び青と豺狼へ戻った。

 

「ひいては我が白狼ノ國への転送陣の設置、そして『狼の背』を貴国に開放するよう、改めて強く進言する所存だ」

「!」

 青と豺狼は思わず、喜色の面持ちを見合わせた。

 

「狛殿下」

 豺狼もまた居住まいを正すと、改まった口調で応えた。

 

「大変光栄に存じます。我々もまた、白狼隊の皆様には多大な助力をいただきました。多くの人々を迅速に避難させ、一人の死者も出さなかったという奇跡は、貴隊の存在なくしては成し得なかったでしょう」

 

 東西の境界付近に建つ館、その小さな一室で、東西に隔たれた国の代表者同士が、各々の決意を瞳に宿し、頷きあう。

 

 その日の正午、太陽が頭上に昇る頃――再会を約束し、狛はミツキの小さな手を引いて、白狼隊と共に白妙村を去って行った。

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