毒使い   作:キタノユ

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ep. 53 継ぎ(第四部完結・後)

 (せい)豺狼(さいろう)が白狼隊の見送りに出ていった後も、里薺(りせい)は独り事務室に残り、黙々と筆を走らせていた。

 技能師発意(ほつい)としては異例の規模となった、此度(こたび)の作戦に関する報告書も、まもなく結びの一文を記すばかりとなっていた。

 

「おっと……」

 不意に窓から吹き込んだ一陣の風が、卓上の書き付けを数枚、宙へとさらう。里薺は反射的に手を伸ばし、それらが四散する前にかろうじて押さえ込んだ。

 

 それがシユウがしたためていた礼状の書き損じであることに気づくと、里薺は軽い好奇心に駆られ、そこに綴られた文字の列を目で追った。

 

 高位技能師たちの手配に尽力した山吹神麟、そしてハクロ特師へ。

 浄化作業にあたった高位技能師たちへ。

 護衛を担ってくれた自警団の代表者であるコウ団長へ。

 同じく護衛と異形の獣討伐にあたった凪隊を代表する猪牙上士へ。

 募集に集った若手毒術師の有志たちへ。

 

 それぞれに、謝意と労いの言葉が用意されている。

 

「律儀な方だ――おや」

 書き損じの山の中に、自分、里薺個人に宛てられた一通が紛れ込んでいるのに、気づいた。

 

 そこに記されていたのは、急な召集に応じたこと、細やかな事務作業を率先して担ったことへの感謝、そして若手たちの監督と引率という骨の折れる役目を引き受けたことへの、深い労いの言葉であった。

 

「よく細かいところまでご覧になっている……」

 この十日間の里薺の働きの一つひとつが(つぶさ)に、正当に評価されている。

 これほど細部にまで目を配る人物からの、獅子の位への推挙。その事実が、今更ながらに里薺の胸を、誇りと自信で満たしていった。

 

 ちらと己の手甲で朝日を反射させて光る獅子の紋章を見やり、込み上げる万感の思いに里薺はぐっと唇を引き結んだ。

 そして改めて、シユウが(つづ)った文字の列へ再び視線を落とす。

 

 言葉を選び、何度も書き直したであろう推敲(すいこう)の跡が見て取れた。

 そこにあるのは、懸命に感謝を伝えようとする、まだ二十歳を越えたばかりの若者の不器用な実直さだ。

 

「これは、知らなかったふりをした方が良さそうだ」

 書状を束にして揃え、もとの位置に戻して文鎮(ぶんちん)を乗せる。

 

()つ国の要塞を、単身で(おと)したという稀代(きたい)強者(つわもの)とは、とても……」

 

 その武勲(ぶくん)を耳にした者は、誰もがまず、古の物語に(うた)われるような、魁偉(かいい)な体躯に豪胆な魂を宿した、歴戦の武人を思い描くに違いない。

 だが、実際にその本人を目の当たりにすれば、自らの想像力の陳腐(ちんぷ)さを思い知らされることになる。

 

 里薺とて、その例外ではなかった。

 

 課題を認められ、初めて高難度任務の推挙を受けて対面したのは、法軍装備目録から抜け出たような「どこにでもいる青年」。

 里薺が一回り年長であるとあってか、シユウは、時折のぞく無意識で(へりくだ)った物腰を、慌てて「一師」然とした態度で糊塗(こと)しようとする。

 そのぎこちなさに、里薺の方が気を遣わねばならなかった。

 

「ふ……」

 当時の光景を脳裏に描き、里薺は喉の奥で笑いを噛み殺した。

 ふと視線を落とすと、卓の向かいの床に、二つに折られた座布団が置き去りにされているのが目に入る。

 

「あのミツキという幼子と、あまり変わりませんな」

 そう独りごちて、里薺は静かに立ち上がると、座布団を拾い上げて丁寧に広げ、卓の脇へと戻した。

 

 シユウと間近に接した若者たちは、第一印象に肩透かしを喰らうものの、誰もが遅かれ早かれ、その卓越した技量と底知れぬ知識の前に、畏怖(いふ)の念を抱くようになる。

 

 だが、こうして幾日かを共に過ごしてもなお、里薺の目にはシユウの一挙手一投足が、成龍へと脱皮しようと懸命にもがく、痛々しいほどに幼い龍の姿に重なって見えた。

 

(たす)けねばならない」

 初めて言葉を交わした時から、里薺は直感していた。

 

 龍の飛翔の行く末を見守ることが、己の使命(やくめ)なのだ、と。

 

 

 白妙村を去った白狼隊を見送り、青と豺狼は白亜の館へ引き返す道中にいた。

 

 とある民家の軒先で、若手毒術師の一団が、村の老婆と何事か言葉を交わしているのが目に入る。

 

「一師」

 青の姿に気づいた若者の一人が、はっとしたように顔を上げる。その声に、薬草を選別していた者、薬研(やげん)で何かをすり潰していた者、皆が一斉に作業の手を止める。

 

「あ……邪魔した。そのまま、続けて」

 立ち上がりかける若者たちを手振りで制して、青は民家の軒先へ顔を覗かせた。

 材料や作業工程から、村周辺の薬草を用いた家庭薬を調合しているようである。

 

 話を聞けば、「引き上げまでの空き時間で、自分たちにできる手伝いをせよ」という里薺の指導によるものだという。

 

「なかなかの右腕ぶりじゃないか、里薺二師は」

 背後に遠ざかっていく民家の一画を振り返り、豺狼が感心したように呟いた。

 

「本当に。……少し、自分が情けなくなるくらい」

 青もまた、苦笑して応じる。

 

「僕が寝落ちをしていた間に、二師が膨大な作業報告書をほとんど完成させてくれていたんだ」

 

 報告書は、作戦に参加した者一人ひとりの働きを正当に評価し、報酬や次なる任務へと繋げるための重要な文書だ。作成には細心の注意が必要となる。

 

 特に、今回は里薺に監督を任せた若手の数が多い。

 突飛な行動を起こしがちな年頃の彼らに常に目を配り、その上で個々の考課を行う労力は、計り知れないものがあったはずだ。

 

「若手を監督して、引率するだけでも骨が折れるはずなのに……事務的な作業にも抜かりがない」

 

 作戦の立案者でありながら、若手の管理や事務的な作業を里薺に頼り切ってしまった。

 肩をがっくりと落とし、青は大きなため息を零す。

 

「全部自分で背負い込むのが、いい高位者とは限らないさ」

「……ありがとう」

 

 疲労感が抜けきらない顔色の青は、豺狼の励ましに、ふと口元を緩めた。

 

「最近、ずっと考えていることがあるんだ」

 村の中央から四方八方に延びる畦道(あぜみち)の一つを、山を背に抱く白亜の館へ向けて歩く。

 道の先へ視線を戻した青の、額当てに隠した視線が僅かに俯く。豺狼もまた前を向き、静かに青の言葉を待った。

 

「龍の位を(たまわ)って、もうすぐ四月(よつき)になる。「高位者」の役割、というものは分かってきたけれど、じゃあ「今の毒術師道に必要な良き高位者」とは、どういう人物像だろうかって」

 

 畦道を風が通り抜けて、土の匂いが雨上がりのように濃く鼻をくすぐった。

 

「薬術師や毒術師にはね、地方の村々で薬草教室を開く、なんて任務もあるんだ」

「……? そういう任務もあるのか」

 

 唐突な青の話題転換に、豺狼は少し驚いたように碧い目を見張った。

 

「例えば、毒草の誤食による中毒が頻発しているような地へ赴いて、薬草と毒草の見分け方や、その扱いを説いて回る、といった具合にね」

「へぇ、楽しそうだな」

 豺狼の反応に、青も「ね」と笑顔で応える。

 

「二師が地方勤務を望んだのも、そうして土地に根差した、人々の助けになることを本分と考えたからだと聞いた。記録を見たら、その地域では中毒による死亡事故が激減したとあった」

「やり手だな」

「実際、僕が課題を掲示した時もそうだった。年長者である二師が、ごく自然に狼や虎の位たちのまとめ役になって、課題や僕の指導について、相談や共有をしあう『場』がいつの間にか生まれていた。そこに、小さな学舎(まなびや)ができたみたいに」

 

「……」

 豺狼は黙って、青の言葉に耳を傾けていた。

 熱を帯びて語るうち、次第に緩やかになる青の歩みに、彼もまた、ごく自然に歩調を合わせていた。

 

「そういう……里薺二師のような人格者が上に立てば、きっと若手たちは安心して彼を慕うだろうと思う」

 

 この十日ほどの、土壌浄化作戦における里薺の働きぶりは、青の確信を裏付けた。

 

「道を(なら)し、継いで、人を導いていけるのは、彼のような人ではないか――って、聞こえは良いけれど、僕はただ、自分の我儘(わがまま)を二師に押し付けようとしている」

「……どういう……」

 ふと、青は豺狼の眼差しから逃れるように、西の空へと視線を彷徨(さまよ)わせた。それを追って、豺狼もまた同じ方角へと顔を向ける。

 

 村を囲む木々の梢の向こう、春霞(はるがすみ)(しゃ)を引いた峻険(しゅんけん)な山並みが、どこまでも続いていた。

 

「冬が明けて、春になったら……また、豺狼とあの山の向こう、もっと西へ旅に出るんだって……いつの間にか、それを当たり前に待ち()びてた」

 

 友と旅をする、見知らぬ世界。

 藍鬼の軌跡。その仇である禍地の影。

 そして、取り戻すべき「毒術の麒麟」の称号。

 それら全てが、あの山々の彼方、西の地にある。

 いつからか自分の心が、常にそちらを向いていることを、青は自覚していた。

 

 里薺の才を認め称賛し、強く推挙してその昇格を叶えた。ここにきて、己の心の奥底に、傲慢(ごうまん)な計算が働いていたことを、思い知る。

 

「二師に……僕が凪で果たすべき責務を肩代わりさせて、自分は身軽になって――そんな身勝手な筋書きを描いていたんだと思う」

 

 里薺の誠実な働きぶりを目の当たりにすると、罪悪感が内臓を鷲掴みにして鈍く痛んだ。

 

「……青……」

 無意識に名を呟いて豺狼は、はっと視線だけで辺りを見渡し、周囲に人がいないことに安堵する。

 それから深く長い息を吐き出した。

 

「……それは本当に、ただの我儘か?」

「――え……」

 

 青は弾かれたように、豺狼を振り向く。

 そこにある豺狼の面持ちは、どこか呆れたような、それでいて全てを赦すかのような、温かい苦笑が浮かんでいた。

 

「違うな。西方への道を拓くこの任は、俺が君を指名し、君がそれを受けた。すなわち、君が長の直命を受けたと等しい。一師としての、紛れもない君の責務だ。それは君を輔ける里薺二師とて同じこと。彼もまた、君という存在を通して、国難に抗う任務と向き合っているんだ」

「……」

 

 青は、ただ言葉もなく、わずかに唇を開いたまま立ち尽くす。額当ての陰で、目元が数度、戸惑うように震えた。

 いつしか二人の足は止まり、豺狼は、その身ごと真っ直ぐに青へと向き直っていた。

 

「それに……西への道行きが、いずれ麒麟奪還へと繋がるのであれば、なおさら君の我儘では断じてない。俺は、君以上の毒術師を知らない――正直、手放しで喜べないが……、いずれその大任を担うのは、君なのだろう」

「さい、ろ……」

 友の名を呼ぼうとした青の声は、途中で掠れて消えた。

 

「君が最善手(さいぜんしゅ)と信じ、里薺二師のような男を選んだ。それは、この国の、凪の毒術師の未来を見据えてのことだろう。俺は、それを断じて『身勝手』だなどとは思わない」

 

 ここまで一息に言い切ると、豺狼は、ただ言葉を失くして自分を見上げる友を前に、胸の奥底に渦巻く、もう一つの暗い想いをぐっと飲み込んだ。

 

 里薺という、凪の毒術師の未来を託すに足る人物を、青自らが選び出したという事実。

 それは、青が西の地で(たお)れる可能性を、既に見据えている証なのではないか、と。

 その最悪の筋書きを、認めるわけにはいかない。

 

 一方、青はただ、虚を突かれたように、息を止めていた。

 

「っは……」

 そのうち、息苦しさを感じ、短く息を漏らす。

 それは自嘲のようでもあり、心の底からの安堵のようでもあった。

 

「……はは」

 自分でも理由の分からない笑いが(あふ)れる。

 

「ど、どうした……」

 気が触れたのかと驚いた様子で、豺狼の片手が、青の肩を掴んだ。手甲から伸びる白く長い指先が強張り、肩の肉に食い込む。

 

「い、だ、大丈夫、大丈夫だから――おかしくなってない」

 青は両手を小さく振って、半歩身を引く。

 豺狼の手が、安心したように自然と離れて行った。

 

「ありがとう……、ちょっと、驚いただけ」

 ぽつりと呟き、青はゆっくりと顔を上げる。

 

「驚いたって、何がだ」

 ふっと緊張が解けた青の様子に、豺狼は安堵を浮かべる。

 

「俺はやっぱり、いつも君を驚かせてばかりなんだな」

「うん、そうだね」

 つられて青も、口元で微笑んだ。

「そのあといつも、僕に必要な言葉をくれる」

 

 幼い頃、蟲之区の薄暗い作業場で初めて出会った時も、そうだった。作業に没頭する横から不意にかけられた声、そして至近距離にあった美しい(かお)に、心臓が跳ねるほど驚いた。

 けれどその後に、青が作った甘い薬に込められた想いに気がついて、それを真っ直ぐな言葉にしてくれた。

 

 外つ国の要塞で鉢合わせし、正体が暴かれた時も。帰国後に森の小屋を訪ねてくれて、秘密の共有と、友の誓いを立ててくれた。

 

 そして、今。

 龍の位としての己の在り方に迷い、(さいな)まれていた青の心を、豺狼の言葉がまた、力強く救い上げ、肯定してくれた。

 

「納得してくれたなら、よし」

 深く一度頷くと、豺狼は再び前を見据え、館へと続く道へ視線を戻した。

 

「二箇所目の転送陣の開通も、そう遠くなさそうだ。次の一手を考えないとな。国へ戻り次第、すぐに軍議だ」

「承知――」

 青が務めとして応じかけた言葉を、豺狼は「あ、でもその前に」と、不意に軽い口調で遮り、再び振り返った。

 

「ん?」

 怪訝な顔をする青に、豺狼は悪戯っぽく笑いかける。

 

「君の森の小屋、遊びに行ってもいいかな。 慰労会ってことで。前に残してきた酒、二人で空けてしまおう」

 

 唐突な気安い誘いに、空気中に張り詰めた最後の緊張の糸が、ぷつりと切れた。

 

「ふはっ…、了解」

 思わず、というように噴き出した青の笑い声が、白妙村の澄んだ空気の中に軽やかに溶けていった。

 

「?」

 民家の軒先で薬草を()いていた若手の毒術師たちが、その声にふと手を止め、顔を見合わせる。

 

「お二人とも、楽しそう。どんなお話しをされてるんだろう」

「いいな〜、ああいうの」

 生垣の向こうに伸びる畦道を、笑いあいながら並んで歩く二人の横顔を遠目に捉え、憧憬(どうけい)の混じった囁き声を交わしていた。

 

 こうして青と豺狼は、次なる旅路への約束を胸に、館へと続く一本道を共に歩んでいく。

 

 白露が溶け、陽炎(かげろう)が立つ。

 新たな季節の潮流がゆるやかに、しかし抗いようもなく大地を満たし始めていた。

 

 

 

毒使い 第四部 完

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