毒使い   作:キタノユ

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第五部以前
ep. 53.1 ミツキの秘密(前)


 (ハク)率いる白狼隊とミツキが、白妙村を後にして露流河(つるかわ)を見下ろす峰を越えると、前途に別の部隊の姿があった。

 黒鉄(クロガネ)と、彼が束ねる獣鬼隊の一行だ。傍らには数人の子どもたちの姿がある。

 

「ミツキちゃん、おかえり!」

 みながミツキの帰還を歓迎し、黒鉄も、隊を勝手に離れたミツキの行動を(とが)めなかった。

 

「そうか。あいつを助けてやったんだな。エラいぞ」

「『あいつ』じゃないの。シユウ様だよ」

 

 ミツキは、小さな胸をぐっと張った。

 

「――なんだ、すっかり『シユウ様』に懐いちまって」

「ミツキの働きは見事であったぞ」

 

 狛が、ミツキが身を投じてシユウを救った顛末を語ると、黒鉄は日に焼けた顔をほころばせた。

 

「変化も泳ぎも苦手だったのにか……!? 大したもんだな!」

 

 蒼狼の要塞から救われて、四月(よつき)。獣鬼隊の子どもたち一人ひとりの資質と成長を見守ってきた黒鉄だからこそ、この一件がミツキにとってどれほど大きな飛躍か、痛いほどわかるのだった。

 

「ミツ――」

「ぴゃ……っ」

 

 ミツキの頭を豪快に撫で回そうとする黒鉄の手が、寸前で空を切る。反射的にミツキが両手で頭を覆って、身をかわした。

 

「うっ……」

 大げさに胸を押さえ、黒鉄はわざとらしく肩を落としてみせる。

 

「そんなに『シユウ様』のほうがいいのか……!」

 その芝居がかったやりとりを見て、周りにいた年少の子どもたちが駆け寄り、

「嫌われちゃった?」

「暑苦しいからじゃねーの?」

 と、からかい半分、慰め半分に、次々と黒鉄に飛びついた。

 

「ごめんなさい、黒鉄先生……」

 先程の拒絶を悔いたように、ミツキがとぼとぼと、黒鉄の足元へ戻ってくる。そこで不意に重要なことを思い出し、小さな顔をぱっと輝かせた。

 

「そうだ! 黒鉄先生に、報告しなくちゃ」

「お、なんだ?」

「あのね、獣鬼隊の卒業生だっていう人たちに会ったの!」

 

 その言葉に、黒鉄の表情が固まる。

 

「――え」

「でね、僕もね、隊訓をちゃんと言えたんだ!」

 

 子どものたどたどしい言葉で語られる夜梟とイズナとの出会いを、黒鉄は笑みを固めたまま、生返事を繰り返して聞いていた。

 

「そのお兄さんとお姉さん、シユウ様たちと同じようなお召し物だった。ということは、僕も大きくなって卒業したら、またシユウ様と一緒にニンムとか、できるってこと?」

 

 ミツキの瞳は、未来への無邪気な期待にきらきらと輝いている。幼子の希望を砕かずにどう説明してやるべきか、黒鉄は僅かに逡巡したのち、改めて日に焼けた顔に白い歯を見せて、笑顔を作った。

 

「そうだな、できるようになるには、よく寝て、よく遊んで、訓練も勉強も頑張るんだ。な?」

「うん!」

 

 満面の笑みで頷いたミツキだったが、その瞳の奥に、ふと寂しさを押し殺したような影がよぎったのを、黒鉄は気づいていた。

 

 

 一行は、翡翠ノ國の西に続く白狼ノ國の領土を目指した。

 気候がのどかな翡翠ノ國の領内は、比較的地勢(ちせい)が穏やかな経路を選んで可能な限り徒歩で進み、体力を温存する。

 

 問題は、白狼ノ國へと至る山岳地帯からだった。

 人の足では踏破が難しい険しい地形が、そこから先は続く。

 そうなれば、駆動力に乏しい子どもたちは白狼隊の狼たちの背に乗せ、飛翔の能力を持つ者は、自力でその難所を越えるという算段になっていた。

 

「ねえねえ、前みたいに、肩車して!」

「オレも〜〜」

 

 子どもたちは歩きながら自然に、白狼隊の隊士たちへまとわりついている。

 

「よっしゃ、落っこちるなよ?」

 屈強な白狼の獣人の一人が慣れた手つきで子どもを肩に乗せてやると、きゃっきゃと喜ぶ声が上がった。

 

「悪いな、ガキたちがみんな、『白狼の兄ちゃん』たちと遊びたいってそればっかりでよ」

 口ではそう詫びながらも、子どもたちに注がれる黒鉄の眼差しは、隠しようもなく弾んでいた。

 

「気にするな。皆も、弟や妹ができたようで満更(まんざら)でもないのだ」

 狛は、その光景を穏やかに見つめていた。

 

 一行がゆく峠道は木々に覆われ、時折、その切れ間から深い谷と広大な森が覗く。空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。

 

「ほどほどにしろよー、白狼の隊士さまだって疲れちゃうからな!」

「はーい!」

 

 黒鉄が父親のような口調で釘を刺すと、あちこちから元気の良い返事が跳ね返る。

 

「まだまだ!」

 子どもたちの歓声に、屈強な白狼の隊士たちが野太い声で応える。

 

 その屈託のないやり取りを、狛は知らず口元を緩ませながら眺めていた。

 

 白狼ノ國と、獣鬼隊。

 そこに正式な盟約こそないが、翡翠での一件を経て、両者の間には確かな信頼が根付き始めていた。

 此度の獣鬼隊の働きは、結果的に翡翠邦や凪邦における白狼ノ國の威信を高めたと言える。

 

 この成果を手に父王へ謁見すれば、外の世界と手を結ぶことの重要性を、頑なな重臣たちにも理解させられるはずだ。

 

 狛の脳裏に、先の議場で兄・狩莅(しゅり)が放った言葉が蘇る。

 

――いつまでも蒼狼(あおがみ)に「(あなぐら)灰犲(はいいぬ)」呼ばわりをさせておいて良いものか、考えなくてはならない時期ではないか。

 

 かつては、ただ近寄りがたいだけだと思っていた腹違いの兄だが、今は彼が見据える国の未来こそが、狛の想いと重なっている。

 次代の王となるであろう兄を支えること。それが、これからの自分の役目なのだと、素直に思えた。

 

 振り返れば、翡翠の青々とした山野が遠ざかっていく。

 狛は、故郷へと続く目の前の道筋を、決意を秘めた瞳で真っ直ぐに見据えた。

 

 

 峠道はさらに高度を上げ、一行の眼下には、まるで緑の(うみ)のように広大な森が横たわっていた。

 木漏れ日が地面にまだらな模様を描き、森の奥からは穏やかな鳥のさえずりが聞こえてくる。

 

「よし、少し早いが見晴らしもいい。ここで昼餉(ひるげ)にしようぜ!」

「それは良い趣向だ」

 

 黒鉄の号令で、子どもたちがわっと歓声を上げ、白狼の隊士たちも賛同した。

 それぞれが干し肉や木の実、水筒などを取り出す中、ミツキは一人、輪から離れて大きな樫の木の根元にそっと腰を下ろした。

 

「ミツキ、食わねえのか?」

 黒鉄が声をかけると、ミツキはこくりと頷く。

 

「うん。お腹、すいてないの」

「……またか。本当に平気か?」

「平気。こうして、木のそばで、風の声をきいてると……なんだか、お腹いっぱいになるんだ」

 

 そう言って、ミツキは気持ちよさそうに目を閉じた。

 ミツキが腰を下ろす大樹の根元には、春の訪れを告げる野の花が健気に咲き誇っている。

 

 夜空の星を写したようなキクザキイチゲの白い花弁、雪のように清らかなニリンソウ、小さなスミレの濃い紫色、その花々が、まるで幼子が母を慕うかのように、その花びらを愛おしげにミツキに向けていた。

 

 頬を撫でるそよ風、甘やかな花の香り、ざわめく木々の葉音、土の匂い。

 そのすべてを全身で吸い込むかのように、ミツキは穏やかで満ち足りた表情を浮かべていた。

 

「なんだか、(かすみ)を食ってるような子ですな」

「……」

 白狼隊士が何気なく口にした軽口が、やけに狛の脳裏に残る。

 

「あ、リス!」

 食事の最中、一人の子どもが指さすと、他の子どもたちも「どこどこー?」と屈託のない声を上げた。

 

 その平穏を破ったのは、唐突な出来事だった。

 

「っ!」

 微睡(まどろ)んでいたミツキの瞳が、開かれる。鼻をひくつかせ、険しい顔で空の一点を睨みつけた。

 

「グルルゥ……」

 次の瞬間、ミツキの身体は見る間に黒い四つ足の獣へと転じる。

 何もないはずの青空に向かって剥き出しにされた牙の間から、低い威嚇の唸り声が漏れた。

 

「ミツキ、どうしたの?」

「何もないじゃないか」

 

 突然のことに、子どもたちも白狼の隊士たちも昼餉の手を止める。

 

「ミツキ」

 ただならぬ様子に、狛がそっと黒狼の(かたわら)に膝をつき、唸りを上げるその頭部へと手を伸ばした。(なだ)めるように毛並みを撫でる。

 

「?」

 狛の指先に、柔らかな毛皮の下で硬い感触が伝わった。

 骨とも、石ともつかない、不自然な突起の存在がある。

「……角?」

 

 その直後だった。

 

「――来る!」

 白狼の隊士たちが一斉に臨戦態勢をとる。風を切る音が続いた。

 長閑なそよ風を引き裂く重たい羽音がして、木々の梢の向こうから巨大な影が姿を現す。

 

 禿げ上がった頭に、(かぎ)のように曲がった(くちばし)。腐肉を漁る妖鳥――巨大なハゲタカだった。濁った目が、隊列の中の子どもたちを獲物と定めている。

 

「散れ! 隠れろ!」

 黒鉄の怒号が飛ぶ。

 

 子どもたちは悲鳴を上げる者もなく、蜘蛛の子を散らすように大樹の影や背の高い藪の中へと身を隠した。日頃の訓練の成果だ。

 

 妖鳥が、翼をたたみ急降下する。

 だが、その鉤爪が獲物に届くことはなかった。

 

 白狼の獣人が雄叫びを上げると共に両の掌に鋭い氷の刃を形成、腕の一振りで放たれた氷の刃が、きらめきと共に妖鳥の翼の付け根を深く貫いた。

 

 大きく体勢を崩して悲鳴を上げる妖鳥に、間髪入れず別の隊士が躍りかかり、その屈強な腕でたやすく首をへし折る。

 

 すべては一瞬の出来事だった。

 

「よく気づいた! ――ミツキ?」

「ウゥウウウ……」

 

 騒ぎが収まっても、ミツキはまだ黒狼の姿のまま、しきりに前足で額のあたりを掻いていた。

 狛に続き黒鉄も駆け寄り、その背を力強く撫でる。

 

「すごいぞミツキ、一番乗りで気づくなんてな。……(かゆ)いのか?」

 

 ミツキが気にしている額のあたり、その黒い毛を押し分けるようにして、親指の頭ほどの白い瘤のようなものが、はっきりと盛り上がっていた。

 

「……」

 黒鉄は、はっとしたように顔を上げる。

 視線の先で、狛と視線が交わる。

 

「もう平気?」

「黒鉄せんせー?」

 姿を隠したままの子どもたちから、恐る恐ると声があがる。

 

「あ、ああ、もう大丈夫だ! 白狼隊士の兄ちゃんたちが倒してくれたぞ」

 

 ミツキを狛に任せ、黒鉄は白狼隊士らに礼を言ってまわりながら、姿を隠した子どもたち一人一人に声をかけていく。

 

「うわ、大きい鳥!」

 子どもたちは体の数倍もありそうなハゲタカの死体を囲んで、おっかなびっくり覗き込んだ。

 

「このあたりは、ハゲタカの巣があるのかもしれない。早いところ通過してしまおう」

 狛の指示に従い、一行は足早に山道を通り抜けた。

 

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