毒使い   作:キタノユ

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ep. 53.1 ミツキの秘密(後)

狛姫(こまひめ)様、黒鉄(くろがね)先生……」

 峠を越え、緩やかな下り坂に差し掛かった頃。

 列の先頭から少し距離を置いていたミツキは、殿(しんがり)を担っていた(ハク)と黒鉄のもとに駆け寄った。

 

「どうした、ミツキ」

 絞り出すような声に、二人は歩みを止める。

 

 後方三人の様子に気づいた白狼隊士たちへ、狛は「大丈夫だ、先に進んでくれ」と声をかけて片手を上げた。子どもたちを肩車したり、腕にぶらさげながら、隊士たちは足取りを緩めて、行軍を再開する。

 

「さ、これで、誰にも聞こえないぞ。どうした?」

 改めて黒鉄に促され、ミツキは不安げに揺れる瞳で二人を見上げた。

 

「あのね……僕のここ、へんなの」

 ミツキは震える指先で、自分の額の、眉間の少し上を指し示した。

 

「変?」

「ここ、獣の姿になると、なんだか(かゆ)くて……掻いてみたら、ごりごりしたコブみたいなのがあるの。最近、どんどん大きくなってる……あの時も――」

 

 あの時。

 

 シユウがいると聞いて隊を抜け出し、独りで峠を越え、露流河(つるかわ)が見渡せる高台まで辿り着いた、その時――ミツキの目に飛び込んだのは、シユウが大蛇(おろち)に襲われ、水面下へと消えた瞬間。

 

 その光景を目にした刹那、ただむず痒いだけだった額の(しこり)が灼けるような熱を放ち、鋭い杭を打ち込まれたかのような激しい痛みが走った。

 

 気づけば、ミツキの身体は黒い獣へと転じていた。

 

 あらゆる音が遠のき、世界の時間が引き伸ばされたかのように、万物の動きが緩慢になった。

 眼下の急流は、そのうねりをぴたりと止め、水飛沫(みずしぶき)の一滴一滴がきらめきながら空中に静止して見えた。

 

 周囲から急速に光が失せていき、闇に閉ざされた世界でただ一点、水底へ沈みゆくシユウの身体だけが、淡い光の輪郭を帯びていた。

 

 ミツキはただ、その光を目指して急峻(きゅうしゅん)な岸を駆け下り、冷たい水の底へと身を投じた。

 渦に巻かれ、闇へと引きずり込まれていくシユウの生命の気配だけを頼りに、ミツキはその衣服に牙を掛けた。

 

――シユウ様を、助ける。

 

 その強い願いが引き金になったかのように、額に再び灼熱が走った。

 

 直後、あれほど荒れ狂っていた渦と水流の力が、ふっと弱まるのを感じた。

 それどころか、頭上に見えた淡い光に向けて、水が導いて、引き上げてくれるようだった。

 

 この件以来、額の(しこり)は育つかのように、その硬さと高さを増していた。前足で触れるたび、そこに異物が埋め込まれているかのような不快な存在感が拭えない。

 

 白妙村に逗留(とうりゅう)した十日あまり、ミツキは多くの時間を黒い獣の姿で過ごし、シユウの傍を離れなかった。

 その姿でいる間、世界は以前よりも遥かに多くの情報を敏感に伝えてくる。

 

 風が運ぶ微かな匂い、土を踏むかすかな足音――それらは、鋭敏な嗅覚を持つ白狼の隊士や、地獄耳を誇る(わし)の獣血人よりも早く、ミツキの意識に届いた。

 

「さっきもね、急にここが痛くなって、景色が暗くなって、そうしたら聞こえてきたの、羽の音が」

 

 鋭い聴覚や嗅覚をもつ面々を差し置いて、誰よりも迅速に敵の接近に気がついたのは、ミツキだった。

 

「僕、妖になっちゃうのかな……」

 (せき)を切ったように、震える言葉が溢れ出す。

 

「こわくて、おそろしい怪物になってしまうのかも……これは、よくない病気なの?」

 シユウに頭を撫でられたとき、その優しい指の動きがふと止まり、確かめるように同じ場所をそっと探る気配があった。その手つきがくすぐったくて、思わず身をよじって逃れてしまったけれど。

 

「シユウ様もきっと、変だって思ったんだ……」

 あの優しいシユウ様でさえ、少しだけいぶかしんだような顔をしていた。

 

 思い返すと胸がずきりと痛み、ミツキの瞳に涙の膜が張る。

 怖くて誰にも言えなかった秘密だった。

 

「……」

 深刻なミツキの告白に、黒鉄と狛は顔を見合わせ一瞬、言葉を詰まらせた。

 

「馬鹿だなぁ、そんなの病気でも何でもないって」

 黒鉄は、力強い手でミツキの小さな頭を優しく撫でた。今度は、避けられなかった。

 

「そりゃあ成長期だ、身体のあちこちが変わってくるのは当たり前。角だって生えるのかもしれねぇな。きっとそいつはミツキが強いって証だ。かっこいいじゃねぇか」

 

「黒鉄の言う通りだ、ミツキ」

 静かに聞いていた狛も、穏やかな声で続く。

 

「獣の血の現れ方は、人それぞれ形があるのだ。私の一族にも、ミツキくらいの年に不思議な変化を経験した者は少なくない。何もおぞましいことなどない」

「ほんと……?」

「ああ。だから何も心配するな」

 

 黒鉄がニッと白い歯を見せると、ミツキの強張っていた表情が、ようやく少しだけ和らいだ。

 

「……うん」

 こくりと頷いたミツキは、少し安心したように「わかった」と呟き、はしゃぐ子どもたちの輪へと駆けていった。

 

 

 ミツキが前方を行く子どもたちの列に追いついたのを見計らい、狛は潜めた声で黒鉄に語りかけた。

 

「……黒鉄。先ほどのミツキの話を、どう思う……?」

(コブ)……か」

 黒鉄の表情から、先程までの父親のような柔らかさが消える。

 

「確かに、額の少し上部あたりに、白い瘤のようなものが生えかけていた。要塞から逃げ出した頃には、なかったはずだ。あれは角ではないかと思う。だがあの子は黒狼だ……(ひづめ)があるでもないのに……」

 

 狛は、ちらと前方を歩くミツキの小さな背中を見やった。

 

「あの子は、木の実拾いの最中に要塞へ(さら)われたと言っていたな。だが今や、我や白狼隊をも凌ぐ感覚の鋭さを持っている。この四月(よつき)ほどの間に、何かが変化しているのではないだろうか……」

 

 それを「成長」と表して良いものか、狛には判断ができなかった。

 

「黒鉄は、獣鬼隊で引き取ってからのミツキについて、他に何か気づいたことはないか」

「……」

 

 その問いかけに、黒鉄は口を噤んだ。

 沈黙に確信めいたものを感じ取り、狛は黒鉄の目をじっと覗き込む。

 

「……まだ断定するには早ぇと思ったんだが」

 黒鉄は、やや躊躇(ちゅうちょ)した後に、口を開いた。

 

「ミツキには、どっちも『無い』みてぇなんだ」

「……どっちも、無い?」

 

 碧い瞳の動きが、一瞬、ぴたりと止まった。

 

「ああ、文字通り、無い。ガキたちを診てくれる医師(くすし)が確認した。今のミツキは、男でも、女でもないみてぇなんだ」

 

 狛は「あ」と声を漏らしたあと、少し恥じらうように指先で口元を覆う。

「そういう、ことか……種によっては両性具有や雌雄同体は稀にあると聞くが、どちらも『無い』のか……待て、ということは、その、排泄はどうしているのだ」

 

「無い」

「え」

 黒鉄の応えは短く明解だった。

 

「無い……。腹は減るから飲み食いはするんだが、どこにどう吸収されてるのやら。ただ、他のガキたちと比べてもかなり食が細い。果物一つで一日中、腹が膨れるんだと。それでも不思議と体力はあるんだ。病気もしねぇ。蒼狼(あおがみ)の要塞で飲まず食わずでいられたのも、そのおかげってわけだ」

「ふむ……昼餉(ひるげ)のときも、そうだったな……」

 

 狛は視線を俯かせ、深く考え込むように片手を自らの頬に添えた。

 

「何か思い当たるのか?」

 今度は黒鉄からの問いかけに、狛が躊躇い気味に答える。

 

「性選択、ということであれば――神獣や神獣の血胤にも、そういった者は少なくないのだ」

「そうなのか」

「我ら白狼の王族の中でも『王血』を継ぐ者は、己の意志で性を定める。主には、心に決めた番のために。過去には男の番と契るために、女王となった王もいた」

 

 狛は一息つきながら、少しだけバツが悪そうに続けた。

「……もっとも、初代王や父王のように、生来の女好きが高じて若年のうちから男性(おとこせい)に定まる場合もあるようであるが……」

 白狼王の子だくさん、とは国内でも有名な話である。

 

「だがこの場合も、生まれた時に両方を備え、必ずどちらかの性が優位な状態で生まれてくるものだ。それが王位を継ぐもの、「王血」の証であると言われる。ミツキのように『無性』であるとは、我の知る範囲では事例を聞いたことはないな……」

 

「へぇ……」

 一連の話を神妙な面持ちで聞いていた黒鉄は、狛が言い終えるのを待って、じっとその顔を見つめ返した。

 

「狛は、どうなんだ」

「……わ、我は生まれてこのかた、変わらぬ。これからも変わることはない。我には、王血の証が備わらなかったのだ。だから、はなから王位継承の期待もされていない、気楽な身というわけだ」

 淡々と答えながらも、狛の耳朶(じだ)は果実のように赤く色づく。

 

「そんなことよりも、今はミツキの話であろう」

 努めて冷静に、狛は思考の糸を手繰り寄せた。

 

「黒狼でありながら角を宿し、性を持たない」

 狛の白い指が、一本、二本、と立てられる。

 

「その上、ヒトの姿もとりながら、何か我々の知る理とは異なる方法で生力を補給、維持しているようで……そうだな、例えば(つゆ)のような無渡霊(わたらずのたま)理霊(ことわりのたま)、純血の神獣や、高潔な聖獣といった高次の存在のような……」

 

 白妙と一つになり「完全な形」となった露が、朝の光を糧にしていたと、シユウが話していた。

 

「……」

 二人の間に、重い沈黙が落ちた。

 互いの目に同じ結論を読み取りながら、双方とも答えを口にすることに逡巡(しゅんじゅん)している。

 

 先に言葉を継いだのは、狛だった。

 

「黒鉄だって、思い至っているのではないか?」

 その声は低く、これから語られるであろう運命の重さを(はら)んでいた。

 

 その響きに応えるように、黒鉄はふっと息を吐き、どこか達観した笑みを浮かべる。

「……ミツキはきっと、何かの『半端者(なりそこない)』だ」

 

 獣鬼隊は、半端者(よわきもの)である子どもたちが集う場所。だが――

 

「ただの半端者(なりそこない)じゃない」

 黒鉄の硬質な声が、念を押す。

 

 静かな吐息を一つはさんで、狛が「思い至る」結論を口にした。

滓霊(おりのたま)……かもしれぬな。白妙殿と一つになる前の露も、そうであった」

 

 滓霊。

 それは半端者(なりそこない)の神を表す。

 

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