毒使い   作:キタノユ

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ep.9 任務と課題(2)

 大蜘蛛の死骸検分が行われた後、子どもたちは再び畑の中へと招き入れられた。

 

 畑の中央、沈んだ大蜘蛛を前に立つ、小松先生。

「これは妖虫の八ツ目蜘蛛です」

 再び、授業が始まる。

「このように、虫や獣を駆除すると、その土地のヌシとして妖虫や妖獣が現れる場合があります」

 

 ヌシ。

 青にも聞き覚えのある単語だった。

 かつて藍鬼と採集に出かけた時、森で遭遇した三ツ首の大蛇もまた、ヌシだった。

 

「なぜヌシが現れるのか、実は詳しくは分かっていません。ですが、妖獣たちはその土地の生き物の『気』を糧にしているという説が有力です」

「ご飯を取るなーって、ヌシが怒ってるってこと?」

 誰かがぽつりと呟く。子どもたちの間に、小さな笑いが起きる。強張っていた子どもたちの表情が、ようやくほぐれた。

 

 そんな中、青やトウジュから少し離れたところで、つゆりだけが俯いている。

 

「そういうことですよ。お腹を空かせた獣は、とても凶暴になりますしね」

 和らいでいた小松先生の面持ちが、改まる。

 

「これが「任務」です」

 笑い声やざわめきが、鎮まった。

 

「『畑のお手伝い』や遊びではないということが、わかりましたか?」

 浮つきかけた子どもたちの面持ちが、空気が、変わった。

 

「ヌシが現れるかもしれない。潜んでいる敵が現れるかもしれない。味方が狙われているかも。村の人が狙われているかも。いつも『何かが起きるかも』と考えて、注意し続けなければいけません」

 

 小松先生の言葉は、目の前の大蜘蛛の死骸と相まって、子どもたちの心に重く刻まれたことだろう。

 

 青もまた息を呑んで、小松先生の話に聞き入っていた。

 害虫探しに夢中になって、ヌシが現れる可能性なんて頭から消えていた。

 藍鬼から教えられていたはずなのに。

 気がついたのは偶然だった。

 一瞬でも遅ければ、つゆりの命は――

 

「……なあ」

 小松先生の話に釘付けになっている子どもたち。

 それを外周から眺めていた引率の士官が、隣の同僚に耳打ちした。

 

「お前、あのヌシが潜んでいたことに、気づいてたか?」

「いや……私は何も」

「だよな」

 

 士官たちの視線が、畑の中央へ向く。

 そこには、浅葱(あさぎ)色の上衣をみにつけた背中――青の姿がある。

 

「……あの子、どうやって気付いたんだろうな」

「私も同じことを考えてた。あの子が女の子に体当たりしなかったら……」

「モズの速贄(はやにえ)状態だったろうよ」

 

 士官達の視線に気づく由もなく、青は今さらになって震える手を握りしめ、息を止めていた。

 

 その日の校外授業は、村人と共に大蜘蛛の死骸から素材を採取して、幕を閉じる。

 

 畑の損害はあったが、八つ目の膜や牙、体液などは、貴重な素材や資源となる。それらを法軍で買い取る事で損失を相殺できたのは、村にとって不幸中の幸いだった。

 

 村人たちに見送られて帰りの土手道を歩く間、ジージーとヤマガラの声が頭上を飛び交う。

 子どもたち――特に男子たちは、目の当たりにした大蜘蛛討伐を思い返してか、興奮おさまらない様子だ。

 

 対照的に、つゆりは終始無言だった。

 

「大丈夫?」と青が尋ねても、首を振るだけで、そっけない。

 気を引こうとしてトウジュが軽口を叩くと、つゆりは言葉もなく先生のもとへ駆けて行ってしまった。

 

「アイツらしくねーな」

 と首を傾げるトウジュだが、青は彼女の気持ちが理解できる。

 

 つゆりはきっと、悔しかったのだ。

 

 勉強ができても、授業や練習でどれだけ上手に術が使えても、いざ敵を前にすると頭が真っ白になって、体が動かなくなる。

 

 そんな中でトウジュだけが、いつも以上の活躍を見せた。今だって、何事もなかったかのように、むしろ妖虫との遭遇を冒険譚のように楽しんでいる。

 

 それだけ、この一年と少しでトウジュが見せる成長ぶりが、目立っていた。

 

「……僕も……全然ダメだったな……」

 俯いて、青は弱々しく呟く。

 

 迫るヌシの存在に気づけたのは偶然で、つゆりに体当たりした後は、一緒になって腰を抜かしていたのだから。 

 

 

「師匠も、ひたすら練習、訓練だって言ってたしな……」

 今日も作業小屋へ向けて森を歩く道すがら、青は校外授業での出来事を反芻していた。

 

 あの時は大人たちが助けてくれたが、実際の任務には先生や引率係、ましてや藍鬼だっていない。

 

「……あれ」

 木々の合間から、小屋の姿が青の拳ほどの大きさに見え始めた。

 だが、いつもと違う光景に気づき、思わず足を止める。反射的に木の陰へ身を潜めた。

 

 小屋の前には三人の人影。

 一人は藍鬼、もう一人は特徴的な鳥の仮面――ハクロ。

 そして、残る一人は明らかに細身で、女のようだった。

 

 話の内容までは聞こえないが、三人は身振りもなく静かに向かい合い、何やら話し込んでいる。

 その雰囲気に、青は邪魔をしてはいけないと感じた。

 

「ところで」

 突然、背を向けていた女が振り向いた。

 

「ボクはどこの子?」

 瞬きをした次の瞬間、白い衣が目の前にあった。

 

「ひゃっ!」

 ひっくり返った声を上げて、青は尻もちをつく。見上げると、白く長い袖の衣をまとった女が、そこにいる。

 

 法軍の胸当てを装着し、腕章ではなく袖の二の腕に凪の紋章が藍色に刺繍されている。そして、最も特徴的なのが、口元以外を隠す頭巾だった。

 

「迷子? そんなに驚かないでも大丈夫よ」

「青、出てきていいぞ」

 小屋の方から、藍鬼の声がかかった。

 

「う、うん……!」

 慌てて立ち上がり、青は藍鬼の元へ駆け出す。

 白頭巾の女は、不思議そうにその後をついてきた。

 

「よう、ボウズ」

「こ、こんにちは」

 妖鳥の仮面へ遠慮がちに会釈しながら、青は藍鬼の側へ寄った。

 

「一師のご子息……ではありませんよね」

 白頭巾が青を見つめる。目許は隠れているが、値踏みされているような感覚がした。

 

「イッシ」とはどういう意味だろう。疑問を抱きつつ、青は黒い仮面と白い頭巾を交互に見やる。

 

「弟子だ」

「!」

 

 藍鬼の答えに驚いたのは、ハクロと白頭巾だけではなかった。

 

「本当!?」

 

 初めて師から「弟子」と呼ばれ、青は文字通り飛び上がる。勢いで師の腰に抱きついたが、「くっつくな」と片手で頭を鷲掴(わしづか)みにされ、引きはがされる。それすらも嬉しかった。

 

「正弟子なのですか? まだ初等学校の子では」

 

 セイデシ。

 また知らない単語が出てきた。

 

 女の問いに、藍鬼は「正弟子はとらない」と短く返す。

 

「……そうですか」

 納得しきれないような色が、女の声に滲んでいた。

 

「彼女はホタル。式術の獅子だ」

「シキ……?」

 

 式術が何かは分からないが、技能職であるようだ。

 白い甲当ての銀板には、獅子の紋章が刻まれている。

 

 青の目の前には今、龍と獅子二人が揃って並んでいる。

 これがどれだけ特殊な状況であるか、その価値を、今の青には知る由もない。

 

「ホタル、ハクロ。わざわざ悪かった。話は以上だ」

 藍鬼の言葉に二人は頷き、

 

「では」

「これにて」

 

 短い別れの言葉とともに、姿を消した。

 

「話がある」

 二人が姿を消すや否や、藍鬼はさっさと踵を返し、室内へ入っていった。

 

 青が追いかけて居間に上がると、目の前に一枚の半紙が置かれる。墨で書かれた大きな文字列――

 

「何これ。毒術一級、薬術一級、式術一級、罠工一級……?」

 四字熟語が並んでいるのかと思ったが、すべて資格名だった。

 

「来年の夏までに取る」

「え?」

 

 猶予(ゆうよ)は一年。

 

「僕、式も罠もまだ全然……」

「俺が教える」

「……え……??」

 鯉のように口をパクパクさせる弟子を前に、師は頷いた。

 

「俺は『学校の成績が良ければ弟子にしてやる』と言ったはずだ」

 

 さらに、半紙の隣に重ねられた冊子が置かれる。

 

「習得項目をまとめたものだ。必ず予習してこい。用語は丸暗記しろ」

「は……」

 

 一冊を手に取ってめくると、びっしりと細かい文字で埋め尽くされていた。紙は皺だらけで日に焼けている――藍鬼自身が使い込んだものだろうか。

 

 顔を上げると、正面には腕を組んだ黒き仮面。表情は見えないが、蒔絵の鬼豹が厳しい真顔でこちらを見据えているように思えた。

 

「やるのか。やらないのか」

「やります!!」

 

 半紙と冊子をかき集めて胸に抱き、青は力強く声を張った。

 

 

 日が暮れる前に青を帰した後、藍鬼は一人、小屋の奥部屋にいた。

 

 奥部屋は寝室兼倉庫で窓はなく、避難用の扉が棚の裏に隠されている。壁はほぼ本棚や収納棚で埋まっていて、部屋の四隅には葛籠(つづら)が積まれていた。

 

 ここに誰かを入れたのは、青が藍鬼を看病した時の一度きりだ。

 

 手燭の小さな灯が蛍のように薄暗闇を照らす中、藍鬼はしばらく胡坐をかいた姿勢で、じっと動かない。外した仮面は、だがすぐ手元に置いてある。

 

 考えていたのは、今日をもって弟子と認めた青のことだった。

 

 課題を与えた時や、冊子を突きつけた時の青の瞳は、まるで新しい玩具を与えられた幼子のように煌めいていた。

 未知なる知識や技術への期待と、何より成長への渇望があった。

 

 あれはきっと、強くなる。

 

 青との出逢いは、偶然に過ぎなかったはずだ。

 

 あの夜――

 妖獣の咆哮が小屋まで響いた。

 一度なら気にも留めなかったが、二度目の咆哮が続いた。

 

 珍しいこともあるものだと様子を見に行くと、三度目の咆哮(ほうこう)が轟いて、幼子――青が襲われていた。

 

 青の抵抗が妖獣に二度、三度と吠えたけらせたのは、思えば出逢いは偶然ではなく、青が引き寄せた縁だったのかもしれない。

 

 青がもし、凡庸(ぼんよう)な子であったなら、音もなく食われていただろう。

 あの子の母親のように。

 

 小屋へ連れ帰って手当をしたのは、無意識に青を特別視していたからかもしれない。

 長が指摘した通り、本来ならば、助けた足で陣守村へ送り届け、衛兵に引き渡せばそれで終わるはずだった。

 

 だが、藍鬼は何かを、期待していた。

 

「五歳のガキに、か……」

 自嘲の苦笑が、暗がりに虚しく響く。

 

 青を入れた「霽月院(せいげついん)」は、長の許可を得た特別な事情を持つ子どもだけが入所を許される施設だ。

 

 例えば、やんごとなき身分の落とし種、遺伝的な特殊能力を持つ血族の末裔、才を見込まれた子ども、などが集められている。

 

 そして、青が通う学校。初等学校は凪全土に設立されており、国民であれば誰でも入学が可能である。

 

 だが都の本校は、格が違う。

 

 法軍人および国の高官など、凪之国の将来を支える人材の育成場所であり、通っている子どもたちも名のある家柄か、もしくは将来性を見込まれた子ばかりなのだ。

 

 そんな環境で、どこぞから流れてきた孤児が、ものの一年でよく食らいついている。

 

 神通術の素質や、運動神経の才で上回る子は、他にいくらでもいるだろう。

 

 だが、青には努力を惜しまない力と、素直さという才が備わっていた。

 成長のために、それは何よりの武器となる。

 

 十年後、二十年後――あの子はどのような大人になるのか。

 

「……」

 ジジッ、と手燭の火が焦げる音がした。

 

 藍鬼はゆるりと立ち上がり、部屋の暗がりに置かれた葛籠の一つを開ける。

 しばらく中を漁り、絹の風呂敷に包まれた直方体の物体を取り出した。

 

 軽くはたいて埃を払い、包みを解く。

 

 包まれていたのは、漆塗りに蒔絵が施された文箱――中は空だ。

 

「……これにするか」

 

 いつかの任務で他国へ赴いた時に、礼だと押し付けられた工芸品だ。

 その価値を測るほどの知識を持ち合わせていなかったが、美しい蒔絵(まきえ)螺鈿(らでん)の細工が、そこそこ気に入っていた。

 

 藍鬼は小さな文机の前に腰を下ろし、箱をその上に置く。

 半紙と筆を手に取り、手燭(てしょく)の頼りない灯りの中、さらりと筆を滑らせる。

 

『形見』

 

 そこまでしたためて、筆を止め――

 

「……ふ……」

 

 苦笑とともに、紙を丸めた。

 

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