毒使い   作:キタノユ

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ep.15 選択【第一部完結】

 森で発見された青は、保護された。

 都へ戻るとすぐに診察を受けさせられ、その結果がこれだった。

 

「栄養失調と脱水症状、あと貧血と風邪だわい。しばらく入院してもらおうかね」

 老医者いわく、『家出少年が出す症状、全部のせ』だ。

 

 妖獣を倒した直後、青は意識を失い、キョウに担がれて都へ戻った。

 そのまま病院に運ばれ、三日間眠り続けたのだ。

 

 四日目に目を覚ますと、霽月院(せいげついん)のおばあちゃん職員がそばにいた。

 交代で面会に来ていたようで、青が眠っていた間の出来事を説明してくれた。

 

 病院へ最初に駆けつけたのは、小松先生とトウジュ、つゆりの三人だった。

 青の無事を知ると、子どもたち二人は泣いて喜んだという。

 

 派手に書架を倒した蟲之区については、特にお咎めは無かったこと。

 子どもの体調不良であり、致し方なしと見逃されたようだった。

 

「あの、キョウ……僕、探しに来てくれた人にきちんとお礼が言えなくて……」

 青には、倒れてからの記憶が全く無い。

 その直前、キョウと交わした最後の会話が、何であったかも曖昧だ。

 

「青君が気にすることはないのよ。それが、法軍人さんの任務なのですからね」

 おばあちゃん職員が、白湯(さゆ)の入った湯呑みを差し出した。

 

 任務なのだから。

 老女の柔らかな声とは裏腹に、その言葉は青の胸に重くのしかかった。

 

 それにしてもキョウが下士――つまりすでに法軍人として任務を請け負う立場である事実が驚きだった。

 九歳にして、すでに成人と同じ立場で、戦力として認められている。

 

「あ、そうそう。その方からこれを預かってたの」

 思い出したように立ち上がり、おばあちゃん職員は棚の上の道具箱から折りたたまれた紙片を取り出した。

 

「キョウさんから手紙?」

 開けてみるとそこには手早く書き流された一文のみ。

 

 ――隠しといた

 

「!」

 小屋の幻影術の仕掛けを見破って、術を掛け直してくれたのであろう。

 

「どういう意味からしらねぇ」

 おばあちゃん職員は首を傾げつつ、椅子に腰を下ろした。

 青に食べさせる果物を剥きながら、学校や入院生活について淡々と話し始める。

 

「それからね、青君。これが一番、大事なお話よ」

 おばあちゃん職員は少しの戸惑いを含んだ面持ちで、空になった皿を受け取った後に、青へ封筒を差し出した。

 

「長《おさ》殿が、青君の未成年後見人、つまり、親代わりになってくださることになったのよ」

 封筒の中身は、諸々の事務手続きが済んだことを示す各種書類だ。

 

「……そう、ですか」

 青は、掠れた声で短く応じた。

 

「長が直々に、なんて私達もたいそう驚いたけど」

 霽月院(せいげついん)への入所自体が長の庇護(ひご)を受けることを意味するが、それでも直々に後見人となるのは極めて稀なことだった。

 

 なぜそれがまかり通ったのか、青には理解できた。

 任務へ出立する日の朝、青が見た藍鬼の素顔。

 

 一目見て、分かった。

 長と同じ目と、顔立ちをしていたからだ。

 

「青君の努力を、見守っていてくださったのかもしれないわね」

「……」

 

 おばあちゃん職員は瞳を潤ませている。

 青にとってそれは、藍鬼の死がまた一つ確かなものになった証明に過ぎなかった。

 

 青が知る藍鬼の死は、まだ状況証拠に過ぎない。

 もし任務での殉職ならば、軍が葬儀を執り行うはずだ。

 葬儀は行われるのだろうか。

 

 知るのが怖い。

 

 ほんの僅かでもいい。

 蜘蛛の糸よりも細く、頼りないものであったとしても。

 青は万に一つの可能性を、どうしても手放すことができなかった。

 

「あ」

 ふと思い出して青は左腕の袖を(まく)った。

 

 刻印の赤黒いミミズ腫れは、今では薄青い血管のように肌に馴染んでいた。

 光の加減によっては、ほとんど見えないほどだ。

 

「消えないでね……」

 

 これが腕に残る限り、足掻くことが許される。

 そんな気がした。

 

 

 青が退院を許されたのは、目を覚ましてから五日後だった。

 失踪していた日数も加えると、霽月院(せいげついん)や学校へ戻るのは十日以上ぶりとなる。

 

「学校に行ったら、先生やみんなにちゃんと謝らないとな」

 退院の手続きをしてくれた霽月院のおばあちゃん職員と、帰宅の途につく。霽月院までの道のりを歩く間、青はやらなければならないことを頭の中で整理していた。

 

 小松先生、トウジュ、つゆりに謝ること。

 霽月院の職員に謝ること。

 キョウに会えたらお礼を言うこと。

 小屋に行って藍鬼(らんき)の手紙や箱の中身を持ち出すこと。ついでに掃除もすること。

 遅れた勉強や練習をどう取り戻すか計画を立てること。

 

 宿題が、次々と思い浮かんでくる。

 

「……消えてない」

 また、左腕の痕を見る。

 退院前と変化は見られない。

 

 あれから青は、毎日こうして左腕を確認するようになった。そして毎回、消えていないことに安堵する。

 

 気になるあまり頻繁に観察しているうちに、その時の体調や気分によって色が変化すると分かってきた。気持ちが高ぶれば仄かに赤くなり、気分が沈んだ時には黒茶けた色になる。まるで体の一部のように。

 

「着いたらおやつにしましょうね」

 おばあちゃん職員の声。

 気がつけば、霽月院は目の前だ。

 

「うん、ありがとう」

 そっと左腕を袖に隠して、青は前を向いた。

 その時だった。

 

「ボウズ」

 

 後ろから知った声に呼び止められた。

 振り向くと、そこには妖鳥の仮面。

 

「ハクロさ――」

「ひぃぇえっ!」

 

 傍らのおばあちゃん職員の、引きつった声。

 無理もない。

 

 そこに立っていたのは、任務出立時と同じ、旅装束の外套(がいとう)を羽織ったハクロ。外套は酷く汚れ、破け、血痕が目立っていた。

 

「う、う、うちの子に、ど、どのようなご用件がっ?!」

 声をひっくり返しながら、おばあちゃん職員は懸命に青を庇い立てる。

 

「おばちゃん、この方は薬術師さんだよ」

「あら……まあ……薬術の先生がこの子にどのようなご用件で……」

 

 ハクロの用件。

 青には一つしか思いつかない。

 

 藍鬼の手紙に書いてあった約束を、果たしに来たのだ。

 

「これは……失礼した」

 疲労しきったハクロの声は、弱々しく掠れていた。

 

 往来の視線が遠巻きに、異形を見るような視線を残して通り過ぎる。白を基調とした区画の中で、血と土で汚れた仮面の男は異質でしかなかった。

 

「法軍所属の薬術師、ハクロと申す。大月青君と、話をさせてもらえないだろうか」

 外套に隠れていたハクロの片手が持ち上がり、甲当が二人へ向く。

 

 銀盤に彫られた獅子。

 

 紋章を見留めて安堵したおばあちゃん職員の面持ちを確認して、ハクロは再び手を外套の中へ隠した。

 

 往来の目を逃れ、おばあちゃん職員の案内で霽月院の応接の間へ場所を移す。青の帰りを待っていた他の職員たちも、妖鳥の仮面の登場に面食らっていた。

 

 院長室と襖で仕切られた八畳ほどの、簡素だが中庭からの光を取り込んだ応接の間は、埃やチリ一つ無い清廉な空間だ。

 

「汚れているので玄関先で」と固辞しようとするハクロを、院長は丁重に歓迎した。

 茶などのもてなしの一切を断り、ハクロは部屋の中央へ歩みを進める。

 

「『箱』はもう、開けたのか」

 血や泥で汚れた外套の背中が、問う。

 

「は、はい」

「手紙は」

「読みました」

 

 青の正面に向き直るや否や、ハクロはその場に膝と手をついた。

 

「え」

 止める間も無かった。

 

「お救いすることができなかった」

 目の前には、額を床へ擦るほど低く上背を沈める男の姿。

 

「え……あ……」

 青は状況の把握に一息ほどの間を要してしまった。

 

 先に動いたのは同席した初老の好々爺である院長で、ハクロの傍らに腰を屈め「お顔を上げて下さい」と何度も声をかけるもハクロは動かず、

「子どもが驚いてしまいます」

 と言われてようやく頭を上げる。

 

 ああ、この人は本当に「善い人」なのだ。

 混乱する頭の片隅で、青は藍鬼の言葉を思い出す。

 

「あの、ハクロさん……」

 戸惑いながら青もハクロの側に正座した。

 

「師匠は、その、本当に」

「……」

 二拍ほどの沈黙の後、ハクロは懐から布に包まれた何かを取り出す。

 

 青の前に差し出した片手のひらに乗せ布を開くと、そこにあるのは擦り切れた銀盤。

 龍が彫られている。

 

「何とかこれだけは、持ち帰ることができた。軍に返還しなければならないので渡すことはできないが……」

 藍鬼の甲当に嵌められていた、龍の紋章だ。

 

「師匠の……」

 青は頭の奥で、何かがぷつりぷつりと切れていく音を聞いた。

 

 こうして時間の流れと大人たちは、藍鬼の死を現実のものにしてしまう。

 

 再び丁寧な手つきで布に包まれた紋章は、ハクロの懐へと仕舞われた。

 

「大月青」

「?」

 

 ボウズ、ではない。

 唐突に改まって名前を呼ばれ、青は顔を上げる。

 

「は、はい……」

 背を正したハクロに合わせ、自然と青の背筋も伸びた。

 

「法軍薬術師、獅子の位、ハクロ。君を正弟子に迎える用意がある」

「え……」

 

 正弟子。

 これは法軍において技能職位独自の特徴的な制度の一つだ。

 

 師以上の技能師は、甲以下の弟子を指名することができるというもの。藍鬼と青のような個人間の師弟関係と異なり、法軍へ正式な届け出をすることで、任務への帯同はじめ、師の権限の元に綿密な弟子の育成と教育を遂行することが可能となる。

 

如何(いかが)か」

 白い猛禽(もうきん)の仮面が、青を見据える。

 

 無機質な面の下から漏れる微かな呼気には、張り詰めた気配が混じる。

 彼もまた、ただならぬ緊張の中にいるのだ。

 

 青は大きな黒目をさらに大きくして瞳を見開き、瞬き一つせず凍りつく。

「ハクロさんの……弟子、に……」

 乾いた唇がわなないた。

 

 (まぶた)の裏に、藍鬼が遺した文字が浮かび上がる。

 ハクロを頼れ。

 必ず生還させる、と。

 

 あの言葉は、己の死を前提としたもの。

 はじめから死ぬつもりで、ハクロに青を託すことを考えていた。

 

 膝の上に置かれた小さな拳が、きつく握りしめられる。

 ここで頷けば、藍鬼の死は不可逆の事実として確定する気がした。

 藍鬼の最期の望みを叶えることが正しい道だと頭では理解しても、身体が拒絶していた。

 

 目の前に差し出された手を取ってしまったら。

 もう二度と、追い求めた背中が帰ってくることはないのだと、突きつけられるようで。

 

「……」

 青の視線が、ハクロの差し出した手と、虚空との間を彷徨う。

 

 黒曜(こくよう)の瞳を丸く見開き動かない青を、霽月院(せいげついん)院長は静かに見守る。

 様々な事情を持つ子どもたちを預かる霽月院で、数多くの「転機」を見届けてきた。

 

 今が「その時」であると、分かっていた。

 

「ハクロ……二師」

 膝の上できつく握られていた青の手が、恐る恐ると、畳へ降りた。

 

「よ、よ……」

 震える声と、指先。

 

「よろしく……お願い、いたします……」

 膝の前に手をつき、震える上半身を下げる青の返答へ、妖鳥の仮面は静かに頷いた。

 

 藍鬼との訣別。

 

 青は頭の中で、最後の糸が切れる音を、聞いた。

 

 

 

 

 

 

 八年後。

 

 

 青が凪之国へ来て、十一度目の春が訪れた。

 

「セイ君!!」

 大声で名前を呼ばれて振り返ると、医療院の白衣に身を包むタイが手を振っていた。

 

「三葉先生」

 笑みとともに一礼する。タイは白衣を(ひるがえ)し、小走りで青へと駆け寄った。

 

 青は十五歳になっていた。

 初等・中等課程を修了し、卒業と同時に下士に合格。

 法軍人となった。

 

 配属先は法軍属の医療院。薬術と毒術の上位資格が認められた結果だった。

 今は医療従事者専用の、白を基調とした真新しい制服を身に着けている。

 胸元に氏名と、腕に凪之紋章が刺繍されていた。

 

「そうだった、私も『大月君』って呼ばなきゃね」

 初めて蟲之区で出逢った頃と変わらないタイの笑顔が、青を迎える。

「僕もうっかり『タイさん』って呼びそうでした」

 

 タイの本名は三葉泰(みつば・たい)

 その夢を叶え、医者として医療院に勤めていた。

 

 二人は、医院の中庭に面した外廊下へ出た。

 コの形をした医院の建物が見渡せ、緑と季節の花、小さな水流が設けられた美しい庭では、入院患者と思われる人々がそれぞれの時間を穏やかに過ごしている。

 

「それにしても、おっきくなったね」

 

 外廊下へ出ると、三葉はすぐに青を振り返り、頭の高さを手で比べた。

 青の身長は、三葉より頭一つ分ほど追い抜いている。

 

「あんなに可愛かったのに」

 

 三葉の表情は、目まぐるしく変わる。ガキ大将の少年のようだった八年前の面影を残しながらも、医者としての風格、空気を纏っていた。

 

「男の子ってちょっと見ないとすぐ大きくなっちゃう」

 三葉は両手で青の肩、上腕、腿と順番に叩いていく。悪気も遠慮もない。口を挟む機会を失った青は、ただ苦笑しながら三葉の好きにさせていた。

 

「大月君は、当院期待の新人なんだから」

 最後にまた肩をバンバンと叩きまくって三葉は豪快に笑う。

 薬術と毒術はじめ四種の甲に合格した新人として、正式な周知を前に、三葉の耳に青の噂は届いていた。

 

 八年かけて、青は薬、毒、罠、式において上位資格の甲の合格を果たしていた。

 それも、今や薬術の麒麟へと上り詰めたハクロの師事と人脈の賜である。上位資格において任務経験は必須となるため、正弟子となることの意味は非常に大きかった。

 

「頑張ります」

 無難な応えと共に、青は静かに笑い返した。

 

「そうそう、可愛かったと言えば」

 思い出した、と三葉は顔の前で手を叩く。

 

「覚えてる? 『キョウちゃん』のこと」

「え」

 無意識に青の肩が震えた。

 

 キョウに会ってお礼を言う。

 それだけのことが、八年経っても叶わないままだった。

 あれから蟲之区でキョウを見かけることは一度もなかったのだ。

 

「あの子、任務バカだから都にいないことが多くて」

 三葉の中でキョウは、戦闘バカから任務バカに昇格していた。

 

「次々と武勲を立てるものだから、来年には上士になるんじゃないかって」

「凄いですね。今も任務に?」

「検診すっぽかしてね。今日は絶対に来なさいよって式を送りまくったから、そろそろ……あ」

 

 一人で青の十倍の文字数をしゃべる三葉の声が途切れた。中庭の向こうに見える正面玄関の方へ手を振ると「こっちこっち」と身振り手振りで誰かに伝えている。

 

「せっかくだから会っていったら?」

「どこですか?」

 

 外廊下の手摺に少し身を乗り出して中庭方面を探すが、それらしい人物は見当たらない。あの水面のような髪色は目立つはずなのだが。

 

「よ」

 突如、背後に長い影が落ち、低い声が響いた。

 

「ん?」

 振り向くが目の前にあるのは法軍の肩当て。

 

「え」

 顔を確認するには更に首を上げなければならなかった。

 青の頭一つ分上に、水面色の瞳がある。

 

 整った容姿の名残はそのままに、身長と骨格も鑑み総じて「精悍な青年」がそこにいた。以前は後ろで結んでいた髪も、今は全体的に短く刈られている。

 

「ようやく来たわね、キョウちゃん」

「三葉センセイ、その呼び方はそろそろ……」

 キョウちゃん、と呼ばれた青年は居心地悪そうに首の後ろをかいていた。

 

「確かにそのナリじゃもう似合わないか。あんたも可愛かったのに」

「……」

 完全に置いてけぼりにされた青は、ただ二人のやりとりを眺める。

 

「そうそう、覚えてる? 大月青君。うちの医院配属になったんだ」

 三葉が話の矛先《ほこさき》を青へ急旋回させた。青年の瞳が青を向き、細められた。

「もちろん。無事だったようで良かった」

 

 八年前の捜索任務のことだ。あの頃と同じ、大人びて落ち着いた語調だが、声が明らかに低い。「あ」とようやく青は我に返る。

 

「あの時はありがとうございました。小屋のことも」

「いいよ。それよりご愁傷さま。三葉センセイの部下は大変だよきっと」

「うるさいわね、余分に血を抜いてやりましょうか」

 

 院内から、時刻の区切りを知らせる鐘が聞こえてきた。

 

「検診行くわよ、峡谷豺狼(さいろう)准士」

 三葉は強引に青年を院内へ押し込んだ。

 

「じゃあ、大月君。明日からよろしく!」

 そして手を振って慌ただしく廊下の先へ大股で歩き出す。

 やれやれ、といった風に青年はその後を追いかけていった。

 

「サイロウ……?」

  聞き覚えのある名に、青は一瞬、思考が固まった。

 

 

 明日からの勤務先となる医院内をひと通り見て回り、挨拶も一巡したところで、青は次の目的地へ向かうため医院の敷地を後にした。

 

「はぁ……」

 歩きながら、道中で再会を果たした二人の姿が脳裏をよぎる。

 なかでも、キョウの成長ぶりには驚かされるばかりだった。

 

 蟲之区で出逢った当初は、てっきり年上の女性だと信じて疑わず、美しい人だと勝手に憧れていた。

 今思えば、犬の餌にもならないほどの浅はかさで、思い出すたびに胸がむず痒くなる。

 

「あ〜〜……」

 頭を抱えたくなるような感情が込み上げて、思わず額に手をやる。

 まさか、美少女だと思い込んでいた相手が、かの「天才」、峡谷豺狼だとは。

 

「サイロウ」という名は、つゆりがかつて学校で仕入れてきた噂話に出てきたことがある。

 曰く「学校始まって以来の天才」で、幼くして下士に合格し、法軍人として一人前に認められたのだという。

 

 森へ捜索に来てくれたあの時、「下士」と名乗っていたのに、まったく気づかなかった自分が、今さらながら悔やまれる。

 

 それにしても、だ。

 あの「キョウちゃん」と再会できるかもしれないと思った瞬間は、無意識のうちに、初恋の相手に再会できるなどと、淡い期待を抱いていた己を思い出す。

 

 胸の高鳴りと共に振り返った先に、精悍な青年が立っているなど、想像だにしていなかった。

 

「そう。あの頃は小さかったから……仕方ない、仕方ない」

 込み上げる気恥ずかしさを振り払うために、青は足を速めて頭を振った。

 八年前から気がかりだった目的は、達成できたのだから、良しとしよう。

 

「もう忘れる! 集中しないと」

 青は次の目的地である、七重塔を見上げた。

 

 

 七重塔 長執務室。

 ここへ最後に来たのは、中等課程を卒業する直前の、まだ早春の風が肌寒い季節だった。

 

 凪においては軍属となれば「成人」とみなされるため、長の未成年後見人の役目は打ち切られる。その手続きと挨拶のために謁見した時だ。

 

 今日の訪問は、難民の幼い子どもではなく、凪之国法軍の一員としてのものだ。

 

「入りなさい」

 今日は扉の両側の門番が不在だ。青は自ら扉に手をかけ、押し開く。

 

 執務室は薄暗い。

 硝子張りの窓に遮光布が掛けられているのだ。

 

「大月青、参じました」

 薄暗闇の中、中央の巨大な執務机の向こうに長の姿がある。

 灯りは長の背後と、机の両脇の燭台(しょくだい)だけ。

 扉を閉めてしまうと、執務机とその周辺二歩分ほどにしか灯りは届かなくなる。

 

 他にも異質なのが、室内の同席者の顔ぶれだった。

 執務机の脇、左右に二脚ずつ椅子が置かれ、合計四人が腰掛けている。

 

 四人とも首から足首までを隠す白い外套を身に着けており、顔にも揃いの白面を装着。薄闇も手伝って、年齢、性別、体格も隠れて判別し難い。

 

「楽にしなさい」

 長はいつもの、貼り付けたような微笑みをたたえている。

 促され、青は腕を後ろで組み、足幅を少し拡げた。

 

「ここにいる面々は、技能職位管理官だ。察していると思うが、職務にあたっては一切の素性を明かすことが許されていない。窓を塞いでいるのもその為だ。本日は立会人としての同席なので、言葉を発することもない」

 

 長が説明をしている間、四人の白仮面たちは微動だにしない。人形ではないのかと疑うほどだ。

 

「さて」

 と、長の視線が白仮面たちから、青へ改まる。

 

「本日君に参じてもらったのは、意思確認のためだ」

 呼び出しを受けた理由は事前に聞かされていた。他でもない、この八年間、青の「正式な」師匠であった薬術師のハクロから。

 

 技能職位は三級から始まり一級までが「資格」。

 その上は丙から始まり甲までが「上資格」。

 その先は「専門職位」となり、選択できる師道は、ただ一つ。

 

 よって技能術の甲の合格者は必ず、技能職位管理官立会のもと、長との意思確認面談を受けなければならない。

 

 つまり、あらゆる技術師の素性を知る者は、長と技能職位管理官のみに限られる。

 

 また秘密厳守は技能師本人にも厳しく課せられる。

 狼獲得前には師との正弟子関係は解消しなければならない。

 狼の紋章を獲得した暁には、技能師として活動するに際し顔を隠し、また「務め名」と呼ばれる偽名の使用が義務付けられる。

 

 師や家族にさえ、知られてはならないのだ。

 

 そこまで厳秘に付する理由。

 技能師本人と、創造物を保護するためだ。

 

 高位の技能師はそれぞれ独自に術や道具や薬品等の創造物を生み出す。

 いずれも高威力・高効能を持ち、中にはあまりの効力の凄まじさに発禁扱いとなる物もある。

 

 そうした創造物を凪の資産として保護するために、作り手の素性を隠すことで作り手自身も護り、国内外での強奪による流出を防ぐ目的があるのだ。

 

「君は今、四つの甲を取得している。残念ながら選べる道は一つだ」

 長は書類を机に置いて脇に避け、両手を体の前で組んだ。

 

「その心は既に、決まっているのかい」

「はい」

 

 青の返答に躊躇は無かった。

 部屋に入室した時から、長の瞳を真っ直ぐに見つめ続ける。

 

「毒術を選びます」

「……なるほど」

 

 長の瞳孔が、微動したように青には見えた。

 心の揺れを隠すかのように、長は机上の書類の中から一枚を手に取る。

 

「知っていると思うが、今、毒術の麒麟は不在だ」

 四人の技能職位管理官も、変わらず微動だにしない。静かな室内で、吐息の変化すら感じ取れなかった。

 

「毒術師、禍地。十年ほど前に麒麟の称号を受けて間もなく、凪から出奔した。禍地の死が確認できない限り、新たな麒麟を座に据えることはできない」

 

 長は淡々と事実を読み上げた。

 

「重々理解していると思うが、法軍人による国外逃亡は死に値する大罪だ。技能師に限らず。下士であろうと特士であろうと罪の重さは変わらない。必ず探し出して抹殺しなければならない」

 

 青も中等課程の講義で聞いたことがある。

 高難易度任務の一割は、反逆者の捜索と抹殺だ。

 

 最大の目的は「力を持つ者を野放しにする危険性」の排除だ。「持つ者」の目は眩みやすい。

 技能師の出奔の場合はそこに、技術力や創造品の流出の阻止という側面も出てくる。

 

 さらに麒麟には特有の「継承制(けいしょうせい)」がある。

 唯一の存在である麒麟は、同職の龍にのみ引き継がれるというもの。

 麒麟は次の麒麟を選ぶのだ。

 

 しかし、麒麟に異常ありと判断されれば――龍の一人が選ばれ、その抹殺を命じられる。

 

「八年前、我々は麒麟抹殺任務に龍を送り込んだ。だが、失敗した」

「……」

 青と長の視線がかちあい、刹那、静寂が()ぎった。

 

「よって、毒術で麒麟を目指すならば奴を抹殺するか、誰かに殺されるか、さもなければ寿命が尽きるのを気長に待つしかない」

 

 麒麟の継承が途切れる――それが凪の毒術師、さらには技能師全体の不名誉となることを、青は理解していた。

 

 麒麟抹殺に失敗した藍鬼の名誉も、地に墜ちる。

 

「今の毒術の道は、かつてないほど険しい」

 誰かの、細く長い吐息が聞こえた。

「それでも、毒術を選択するか」

 

「はい」

 青の答えは短く、明瞭だった。

 

 

 ――俺と同じ轍を踏まないで欲しいと願う

 

 

 この瞬間、青は初めて師・藍鬼の願いに背いた。

 

 

 

毒使い 第一部 完

 

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