シユウとしての初任務成功の翌日。
大月青としての勤務先で、青は隊長と再会した。
偶然にも、前日、医療班によって運ばれた先が、青の勤務する医院だったのだ。
青が配属された医院の正式名称は、「三葉診療所」。
もともとは医者の家系である三葉家の当主が「町医者」として開業したのが始まりだった。数代前に法軍と提携したことで、法軍人の救急搬送先としても選ばれるようになったのだ。
「見回りに行ってきます」
入院病棟を巡回していた青は、入院患者の資料の中に一色隊長の名を見つけた。
だが、今の青はシユウではなく、医療准士・大月青。
昨晩、緊急入院した一色上士とは、「初対面」の体でなければならない。
ちなみに、「医療准士」とは。
診察や診断といった判断や責任を伴う行為は制限されるが、医師の指示のもと、各々の資格に応じた医療行為を行える立場である。
「失礼します」
一色トモリ、と名札が掲げられた個室の引き戸を静かに開ける。
患者が眠っている場合が多いため、小声で、忍び足で。
障子が閉められた室内。障子紙越しの柔らかな陽光が、静かに注がれていた。
見回り役が病室で行うべきこと。
患者の呼吸や発汗の状態を観察し、包帯の汚れや傷の開きがないかを目視で確認する。
昨晩の任務での光景が脳裏に焼き付いているせいか、青はいつも以上に念入りに、一色隊長の様子を観察した。
中士二人を
血を使うことで、神通術は威力を増す。
神通術とは、術者の気や生命力を捧げることで発動する術。
その
その名の通り、「
術者への負担が極めて大きく、「禁止事項」として教えられるものだ。
これまでに幾度も現場で、やむを得ずそれが使われる光景を目にしてきた。
一色隊長は、半身を
その負担は、計り知れない。
だが、あの状況下で彼は、自らの身を
隊を守るために。
「異常、なし」
眠る隊長の様子に安堵し、青は小さく息を吐く。そして、手元の確認表に印をつけた。
*
「ぐだぐだうるせぇ!」
「っ……!」
胸部を強く押され、青——シユウは、二歩ほどよろめいた。
また別の日の任務。
任務依頼にあった解毒薬と防毒薬を届けに、青は待機場所へ合流した。
その効用と用法の説明をしているさなか、隊長の上士が、しびれを切らして怒鳴りつけたのだ。
その日の任務は、十数人規模の小隊による妖獣
「ごほっ……っ」
上士の
「も……申し訳……ありません」
胸元を押さえ、呼吸を整えながら引き下がる。
青が頭を下げると、隊長は居心地の悪そうな顔をした。気が済んだのか、それとも
「……もういい」
隊長は踵を返し、その場を去っていった。
経験豊富な上士にとっては、解毒薬や防毒薬の説明など、何十回と聞かされてきた話だったのかもしれない。
「ダイジョーブか? オレが預かるよ」
その時、横から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。
「!」
振り返ると、そこに立っていたのはトウジュだった。
二年以上前に先んじて下士となって以来の再会。
だが、今の青は「シユウ」。
故に、これは「初対面」の体でなければならない。
「……あ、すみません。では、説明を」
思わず「トウジュ」と呼びそうになった声を飲み込み、
青は持っていた紙袋を差し出した。
トウジュの後ろには、同じく下士と思われる男女が立っている。
中に説明書も入っていると前置きし、青はそれぞれの薬の効果と用法を説明した。
トウジュと二人の下士たちは、頷きながら耳を傾ける。
「あのさ」
一通りの説明が終わると、トウジュは青——シユウへと、学校時代と変わらない笑顔を向けた。
「さっきは、隊長がゴメン。悪く思わないでやってくれな」
「は、はい。もちろんです」
青の口から、ぎこちない返答が漏れる。
トウジュに対して、この言葉遣いは、まだ慣れない。
「隊長、ここんとこ任務続きでさ。あんま寝れてねぇらしくて」
「そうでしたか……。こちらこそ、配慮が足りず」
後々、任務を重ねるごとに、青も知ることになる。依頼が集中しやすい人材は、確かに存在する。そうした人物は、言葉を選ばなければ、「上にとって便利な道具」と見なされる。
それは、どの組織でも変わらぬ常だ。
「ありがとーな! これ、みんなに配っとくから」
会話を切り上げ、トウジュは薬を手に、下士仲間二人を連れて去っていく。
その背中を見つめながら——
「トウジュは、絶対に良い隊長になるだろうな」
頼もしく成長した友人の背中が、青には何だか誇らしく見えた。
「えーっと……」
まだ鈍い痛みの残る胸元をさすりながら、青は次に、陣の後方に設けられた医療班の幕へと向かった。
「
隊に合流している薬術師を探す。
「私だけど、何かご用?」
白い陣幕の一つが
高い声。その務め名の通り、裾が蓮華色に染められた外套。そして、華奢な体格。
女性であることは、一目瞭然だった。
目元には、花弁を連想させる
手甲には、獅子の銀板が刻まれている。
「毒術師・狼の位、シユウと申します。」
深々と礼をした青へ、蓮華は「あら」と小さく首を傾げた。
「毒術は、リセイ練師が派遣されると聞いていたけど?」
練師は虎を表す。つまりリセイは、毒術の「虎の位」を持つ者。虎は、狼より一つ上の位にあたる。
「はい、練師は明日合流予定です。別の任務で負傷されたとのことで、代わりに調薬とお届けを僕が……」
青の説明を聞き、蓮華は「なるほど」と口元に微笑を浮かべた。
上位の技能師を補う、それが狼の役目。
事前準備、調薬、配達、後始末、そして雑用全般——とにかく、やることは山ほどある。
「楠野隊長が不眠で調子が芳しくないと、榊下士から聞きました。」
トウジュに薬を託したことを伝えた後、青は本題を切り出した。
「あら」
「お手すきの時に、診ていただけたらと思った次第です。」
「ふうん」
「……何か?」
蓮華二師の含みのある笑みに、青は思わず半身を引いた。
「さっきは手酷くされたのに、優しいのね。」
その言葉に、近くで作業していた治療班の面々が手を止め、青の方へ視線を向ける。
狭い谷間で、あれだけ怒鳴り声を上げられたのだ。嫌でも耳に入る。
「いえ、指揮官の状態は任務の成否に関係する事ですから」
青個人の感情よりも、重要視されるべきは隊長の機嫌と健康状態である。優等生な青の返答に、蓮華はまた「ふうん」と唇を微笑みに象った。
「了解。後で楠野の
芝居がかった蓮華の言い草に、背後で手を動かしている医療班の面々が、小さく吹き出す。
「……僕はこれで」
慣れない空気に居心地の悪さを感じながら、青は腰が引け気味に踵を返した。
「教えてくれてありがとう」
蓮華色の獅子は、まだぎこちなさの残る若狼へ、再び含みのある笑みを手向けた。
*
朝。青はひとつあくびを呑み込んだ。
「……あれ、寝不足かな」
学校の保健室の鍵を開けながら、二つ目のあくびを噛み殺す。
下士としての医院勤務、毒術師としての活動が同時に始まり、二週間が経過している。気がつけば、睡眠時間以外の休みはほとんどなかった。
夜は立て続けに任務を受け、日中は医院勤務か保健室通い。その合間に毒薬や解毒薬の制作依頼も入る。
空いた時間は蟲之区や森の小屋で勉強と研究、あるいは訓練に充てた。
「師匠はこれに加えて、僕の面倒まで見てくれてたんだよな……」
二人の師匠が、自分のために割いてくれた時間の重さを、今になって改めて実感する。
もっと師匠孝行をしておけばよかった。
そんな思いが胸をよぎり、一人、開け放った保健室の窓枠に手をかけて下を向いた。
「いてて……」
胸に痺れるような痛みが走り、思わず声が漏れる。不眠症の楠野隊長から受けた掌底の影響が、まだ残っていた。
「八つ当たりにしては痛すぎるんだよ、くそー……」
窓枠に
任務の
「……トウジュに会えたし、いいか」
そう思うことにして、顔を上げた。
外の運動場から、子どもたちの
「元気だな」
七人ほどの子どもたちが、授業が始まる前の休み時間を使って鬼ごっこをしていた。
細かい規則は分からないが、鬼に触れられると鬼が増え、全員が鬼になったところで新しい鬼が決まり、また始まる——そんな遊びのようだ。
「あの子もいる」
走り回る子どもたちの中に、日野あさぎの姿があった。先日の出来事もあって、自然と目で追ってしまう。
子どもたちは鬼を避けたり、走ったりを繰り返し、ひたすら動き続ける。やがて、女子生徒たちから体力を消耗し、次々と遊びの輪から離脱していった。
最後に残ったのは三人。男子二人と、あさぎ。
離脱した女子生徒たちは運動場脇の花壇に腰掛け、残った三人の勝負の行方を見守っている。
「本当に元気なんだな、あの子」
つゆりが「元気でハキハキしている」と評していた通り、あさぎは男子生徒二人を相手に負けじと動き続けていた。
捕まえたり、捕まえられたり。勝負の流れはよく分からないが、男子二人が次第に疲れ、動きが鈍くなっていく中で、あさぎの顔色も動きもまったく変わらない。
花壇に座る女子生徒たちから、「あさぎちゃん頑張って!」と声援が飛ぶ。
「——あ」
鬼の手から逃れようとした瞬間、あさぎの体が地面に転がった。
砂に足を取られたのだろう。あきらかに不自然な転び方だ。
鬼に捕まえられ、攻守交代。すぐさま立ち上がるも、片足を引きずっていた。
「止まって、止まって!」
声をかけながら、青は中庭側に面した出口から駆け出した。
男子を追いかけようとするあさぎの肩を掴み、動きを止める。
「わ、保健室の先生??」
驚いて振り返るあさぎの、おさげ髪が軽く跳ねた。
「走っちゃダメだ。足を
「冷やして湿布を貼った方がいい。保健室へ行こう」
しかし、あさぎは首を横に振った。
「痛くないから平気。」
「そんなはずない。このまま放っておいたら腫れて、もっと痛くなるよ」
保健室へ行くか行かないかで揉める二人の頭上で、授業の予鈴が鳴り響く。
「あ~、休み時間終わっちゃった」
青の手を振りほどき、あさぎは学舎へ戻ろうとする友達の後を追いかけた。
「走るなって……え?」
すでに、どちらの足を捻ったのか分からないほどに、あさぎの走りは自然だった。
「どうなってるんだ……あの子の体は」
唖然とする青を置いて、あさぎたちは学舎へと姿を消した。
*
同日の午後、青は保健士として裏山での授業に立ち会っていた。
初等学校四年生の生徒たちが全員集められ、紅白に分かれて
持ち球は一人につき二個。
地面に落ちた敵色の球を拾うことは禁止。
ただし、味方色の球であれば拾って再利用できる。
球に当たった者は「死亡」と見なされ、その場でしゃがみ、動いてはいけない。
これは、対人任務を模した遊びだった。
「やったー!」
あさぎが投げた球が、逃げ遅れた男子生徒の背中に命中した。
息を切らしていた男子生徒は、「またお前かよー」とぼやきながら、その場に倒れ込む。
ここでも、白組のあさぎは持ち前の体力を発揮していた。
ひたすら走り回り、逃げ続けることで紅組の体力を削ぎ、時間をかけて確実に敵を減らしていく。
午前中に捻ったはずの足の影響は、まったく見られなかった。
次第に、先に脱落した白組の生徒たちから「あさぎちゃん、がんばれ!」と声が上がり始める。
味方の応援を受け、あさぎは最後に残った男子生徒を追う。
相手はすでに球を投げ尽くし、近くにも紅球は落ちていない。
つまり、丸腰の状態だった。
「どうなってるんだ、あさぎって子……」
青が独り言のように呟いたとき、同じく授業の見学をしていた実習生のつゆりが隣にやってきた。
「こういう模擬試合や遊びになると、必ずあさぎちゃんが最後まで生き残るのよね。持久走も強いのよ。すごい体力で」
つゆりの説明を聞きながら、青は自分の初等学校時代を思い返す。
同級生の中で最も運動能力が高かったのはトウジュだった。この手の模擬訓練や運動科目では、いつも上位にいた。
だが、彼でもここまで怪我や疲労をものともせずに、動き続けられただろうか。
「あ」
つゆりがぽつりと声を漏らした。
「え?」
青が生徒たちの方へ視線を戻す。
——その瞬間。
追い詰められた男子生徒が、
続いて、あさぎも草藪の中へ姿を消す。
そこは、草の背丈が生徒たちの身長を越える場所。初等学校の生徒たちは、授業でも立ち入りを禁じられている。
「こら! 出てきなさい!」
すぐに、近くにいた教師が藪へ踏み込んだ。
だが、草は深い。長身の男教師ですら、胸元まで隠れてしまうほどだった。
「もういい、いったん止めだ! そこから出ろ!」
男教師の胸から上だけが、藪の上をうろうろと動く。どこか
すると、
「あ……おい!」
焦燥した声が上がる。
次の瞬間、教師の姿が藪に隠れた。
しばらく草むらが激しく揺れたかと思うと——教師はあさぎを抱き上げ、藪の中から飛び出してきた。
「え!?」
「なになに??」
待機していた生徒たちが騒ぎ始める。
他の教師たちも慌てる中、あさぎを抱えた教師は、まっすぐ青のもとへ駆け寄った。
「どうしましたか」
尋ねるまでもなかった。
「蛇に……!」
あさぎの前腕には、錐で開けたような二つの穴。傷口の周囲は焦げ付くように黒ずんでいる。
凪周辺でよく見られる毒蛇のものだ。
「大丈夫、すぐ解毒を——」
青は腰の道具袋へ手を伸ばしかけた——が、
「!」
とっさに傷口を隠すように、あさぎの上腕へ片手を重ねる。
傷口の周囲に、異変が起きていた。
まるで苔が広がるように、皮膚が増殖し、傷を塞ごうとしている。
誰にも見られてはいけない。
直感的にそう判断し、青の手は傷口を覆い隠した。
「保健士さん?」
訝しげな男性教師の視線を感じながら、青は恐る恐る手のひらを返す。
案の定、傷は塞がり、完治していた。
「なるほど、治癒術ですか。」
教師たちは、青が術を用いて傷を治したのだと、すっかり思い込んでいる。
「少し、お待ちください……」
青は一息つき、道具入れから解毒の薬符を取り出した。
傷は塞がったが、青は確かに見た。傷口の皮膚が黒ずんでいた瞬間を。
毒が注入されたはずだ。
青は解毒符を、傷のあった場所へ押し当てる。
符にしたためられた文字が蒼く発光する。
その上に手のひらを重ね、握り潰すように力を込めた。
——符が消失。
しかし、再び開いた手のひらには、黒い煤の一粒たりとも、残っていなかった。
「……毒反応が、無い……?」
複雑な面持ちで手のひらを見つめる青とは対照的に、教師やつゆりたちは「良かった」と安堵の表情を浮かべる。
当のあさぎは、教師たちの様子を不思議そうに眺めていた。
「先生、私、なんともないよ」
あさぎは教師の腕からするりと降り、軽く着地した。
勝利目前だった勝負を中断されたことが不満なのか、口を尖らせている。
「あさぎちゃん、待って」
他の子どもたちの元へ戻ろうとするあさぎを、青は呼び止めた。
「今日は早退して、誰か家族の人に迎えに来てもらおう」
「……何で?」
あさぎの瞳に、わずかな影が差した。
「毒蛇に噛まれたんだ。治療はできたけど、後で具合が悪くなるかもしれない。僕から親御さんに説明するから」
やんちゃをして親に怒られるのを恐れているのかもしれない。
そう考え、青なりに言葉を選んだつもりだった。
だが——。
「家族なんて、誰も来ない」
ぽつりと返ってきたのは、投げやりな言葉だった。
「私は大丈夫なの」
「待っ——」
青を振り切り、あさぎは友達の元へ駆けて行ってしまった。
淡い桃色の衣の
「……無神経なことを言っちゃったかな……」
青はため息を漏らした。
「色々と、複雑そうだね」
つゆりも、あさぎの背中を見送りながら、寂しそうに呟いた。