毒使い   作:キタノユ

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ep.2 弟子志願

 森をさまよっていた少年の名は青(せい)。

 青を妖獣から救った仮面の男は、藍鬼(らんき)と名乗った。

 

「ひとまずここで一晩休め。明るくなったら森を出る」

 藍鬼は青を、森の中の(いおり)へ迎えた。

 

 月光を拒むかの岩壁に、ぽっかりと黒い口腔(こうくう)のような(あな)穿(うが)たれている。穴の暗がりを塞ぐように、簡素な草ぶきの小屋が建っていた。

 

 湿った夜風に(さら)された外壁はところどころが黒く苔むし、板の隙間には細かな草の根が、まるで小屋を締め上げる血管のように絡みついていた。人の住処というよりは、森に取り残された(むくろ)のようにも見える。

 

「……」

 青の足が縫い止められたように止まる。すがるように手を伸ばし、藍鬼の下衣の布地を指先で手繰り寄せるように握りしめた。

 

「!」

 不意にかかった重みに、藍鬼もまた歩みを止めた。腰元の小さな気配を見下ろす。

 しばらく、重苦しい沈黙が二人の間に降りた。

 

「何もいない」

 やがて、仮面の奥から低く声がして、「入るぞ」と大きな()が、戸へ導こうと青の背に添えられた。

 

 入り口の引き戸を引く時に、歪んだ桟と戸がかみ合わず、ガタガタと立て付けの悪い音がする。藍鬼が力任せに引いてようやく戸が全開し、長く閉じ込められていた夜の冷気が、二人の頬を撫でた。底知れぬ洞窟のような闇が口を開け、かろうじて視認できるのは、入り口の踏み固められた土間だけだ。

 

「青、お前の姓……名字は?」

 問いかけながら、藍鬼は暗渠へ足を踏み入れた。指先に灯した火を行燈に移すと、闇に室内の輪郭が浮かび上がる。

 

「……ミョウジ?」

 藍鬼の影を追うように、青も恐る恐る土間へ片足を踏み出す。

 

 揺らめく灯りに照らし出されたのは、六畳ほどの狭小な空間だった。四方の壁は背の高い木棚で埋め尽くされ、棚板には、背表紙の擦り切れた書物や、葉や蔓がはみ出た木箱が詰め込まれていた。

 

「分からないのか」

 首を傾げる青の反応に、藍鬼は嘆息ひとつ()くことなく、淡々と()の加減を調整する。

 

 やがて目が薄暗さに馴染んでくると、突き当たりに黒い板戸が浮かび上がった。奥にもう一部屋あるようだ。

 

「お前、いつから旅をしていた」

「ずっと」

 あっけらかんとした様子で、青は短く答える。

 

 物心がついた頃から、記憶にあるのは母との旅。

 どこから来て、どこへ行く旅なのか。

 母の出自、父親という存在――無知であることに、何も疑問を持たなかった。

 

「――そうか」

 青の無知な返答すべてに対し、藍鬼はそう応えた。

 こうした境遇の子どもが、珍しいわけでもない。

 

「手当をしてやる。そこに座れ」

 藍鬼は、狭い土間に立ったままの青を、床板が張られた居間へ上がらせた。

 促されるまま、青は部屋の真ん中に置かれた踏み台に腰掛ける。

 

 粗末な外観とは裏腹に、室内は掃き清められ、清潔さを保っていた。カビ臭さもない。

 

「おじ……藍鬼さんは森に住んでるの?」

「ここはただの作業小屋だ」

 

 おじさんこと藍鬼は、本やモノで埋め尽くされた壁面棚の前に立つ。

 棚は経年で色褪(いろあ)せ、あちこちに染みが浮いており、下段には薬研(やげん)や乳鉢《にゅうばち》、様々な形状の(びん)、計量器――雑多な道具がこちらも無駄なく納まっている。

 

 興味深げに眺める青の前で、藍鬼は小瓶や木箱を棚から取り出した。

 それらを、青の前に並べていく。

 

「お家は他にあるってこと?」

「ああ」

 

 一通りの道具や薬品を揃えて、藍鬼は青の前に腰を下ろした。

 まずは、最も目立つ足首の傷を診はじめる。

 脚絆を外し、血で汚れたサラシを取り外しにかかった。

 

「お家があるところは、『ナギノクニ』っていうところ?」

「そうだ。俺は凪の国民で、この森も凪の領地内だ」

 

 藍鬼は自らの左腕に装着した革帯を示した。

 それは刃物差しでもあり腕章(わんしょう)も兼ねていて、紋章が刻印されている。

 

「母さまは、凪之国に行きたかったのかな……」

 母が何の目的で、どこへ向かっていたのか、青には分からない。

 どこへ行く、という青の問いに、ただ母は「青が幸せになれる場所よ」とだけ答えていた。

 

 言葉にした途端、胸の奥に残っていた痛みが、堰を切ったように広がった。

 

 膝上に乗せていた青の手が、薄浅葱色(うすあさぎいろ)(すそ)を強く握る。震える指先、幼い爪が白くなるほどに力がこもる。

 小さな丸い甲に、涙の粒がぱたりと、雨に似た音をたてて落ちた。

 一粒ごとに、母親の記憶がこぼれていくようだ。

 

「……」

 手当をする藍鬼の手が止まる気配はない。(なぐさ)めの言葉もない。

 ただ狭い小屋の中で藍鬼が作業をする音――小瓶が触れ、布が擦れ合う微かな音だけが流れた。

 

 静寂を終わらせたのは、青だった。

「……ねぇ、藍鬼さん」

 ぐずぐずと鼻をすする音と、呼吸を整えようとする浅い咳が続く。

 

「……そのお面、いつも着けてるの?」

 泣き腫らした瞳が、仮面を覗き込んだ。

 

「……黒い猫……? 何の動物なの?」

鬼豹(キヒョウ)。伝承上の幻獣だ。お面じゃない、仮面と呼べ」

 藍鬼の態度は、変わらなかった。

 

「家の中なのに、外さないの?」

 妖獣と戦っている最中も、戦いを終えた後も、そして小屋の中でも、藍鬼は終始、仮面を外さない。

 

「まだ、知る必要はない」

「……ふうん」

 

 薄暗い森や室内で、よく転ばずに動けるな、などと青は内心で感心する。顔に見られたくない傷があるのか、それとも素性(すじょう)を隠すためか――理由は分からないが、幼いながらにも、何かしらの事情を抱えているのだろうと、青は察するのだった。

 

「エンシン・ヘキと、サンって、どういう意味?」

 代わりに継いだのは、新たな問い。

 

「ん?」

 急な話題転換に少し面食らったようだが、藍鬼の手当ては止まらなかった。

 

「術を使う時に、言ってたでしょ」

 それは、藍鬼が妖獣を牽制(けんせい)した時に用いた術を指す。

 青は無知だが、記憶力は確かであった。

 

「エンシンは炎の神、ヘキは壁、サンは散る、だ」

「それってジンツウジュツって言うんだよね?」

「神通術について誰かに聞いたのか」

「水の術を使った人は見たよ」

 

 足首の手当を受けながら、青は旅の道中で出会った術の使い手について語った。

 

「スイジンって言ってたから、水の神様って意味だったんだね。他にも風とか土とか光とか闇もあって、七つの神様の力を借りる術なんだって、おば……ち、違った『キレイなお姉さん』って言えって言われたんだった、キレイなお姉さんが言ってた」

「っん……そ、そうだな」

 

 ガキに「おば」ちゃん呼ばわりされた名も知らぬ女を思いやって、失笑を抑え込みつつも、藍鬼の手元は淀みなく動く。

 薬草から作った薬を手のひら大に切ったサラシに塗布し、青の細い足首の傷に重ねた。草の青臭さも、薬臭さもなく、傷に触れてもまったく染みない。

 

「……その薬は何からできてるの?」

 青が腰を屈めて足首、藍鬼の手元を覗き込む。

 

「お前が手当てしていたのと同じ、ヨモギだ」

「本当? じゃあ母さまが教えてくれた通りだった」

 

 思わず嬉しくなり、青の足がぶらぶらと揺れる。

 

「動くな」

 と藍鬼に短く窘められた。

 

「これ、全部おじ……藍鬼(らんき)さんが作ったの?」

 

 (せい)は軽く背を伸ばし、壁棚へと視線を移した。

 たしなめられたことなど、気にも留めていない。

 

 とりわけ興味を()かれたのは、棚の一角を占める硝子瓶の数々であった。顔料を水に溶かしたかのように、橙、白、緑、そして濁った青と、色とりどりの色水が並んでいる。

 

「勝手に触るなよ。劇薬や猛毒もある」

「毒もあるの?? あの真っ黒なのとか、真っ赤なのとかそうなの??」

 

 小さな指が示す先に、ヘドロのようにどろりと重そうな黒い液体が入った瓶と、乾いた血のような赤黒い色に満たされた瓶が並んでいた。

 

 藍鬼はちらりと棚の方へ視線を走らせると、微かな舌打ちを漏らした。すぐに腰を上げて、色水の瓶の中から数個を選び取ると、奥の戸を開けた。

 

 開かれた奥の空間は、四畳ほどの狭い物置であった。

 積み重ねられた葛篭(つづら)の角が見える。

 

 藍鬼は手にした薬瓶を、奥の葛篭の蓋を開けて仕舞い込んだ。

 隠し終えるとすぐに戸を閉め、板張りの居間へと戻り、手当の続きに入る。

 

「奥には絶対に入るなよ。触ったり吸い込んだら死んじまうものもある」

「さっきの妖獣を倒したやつみたいに?」

 青は肩を小さく震わせ、

「分かった」

 と、真剣な顔で頷いた。

 

 足首の次は、妖獣の放った衝撃波で負った切り傷の手当だ。

 藍鬼は青の手を取り、手首のサラシをゆっくりと解いた。

 

 作業を眺めながら、青は問いかけを続けた。

「神通術って、どうしたら使えるようになるの」

「使えるようになりたいのか」

 青は細い首を大きく上下に動かして応える。

「そうか」とだけ相槌(あいづち)を打って藍鬼は青の袖をまくりあげ、細い腕に刻まれた無数の傷へ、優しく軟膏(なんこう)を塗り込んだ。

 

「腹、見せてみろ」

 最後に藍鬼は青の上着の裾を捲り上げる。

 

「……っ!」

 刹那、仮面の奥で藍鬼が息を呑んだ。

 

 三ツ目猪が発した衝撃波が腹部の布を裂き、青の脇腹にも薄い裂傷(れっしょう)ができていた。痛みが無いので青も気付いていなかったが、傷の大きさの割に周囲の肌が内出血のように黒ずんでいる。

 

「……妖瘴が残っている……お前……何も感じないのか」

「ヨ―ショー? なあに?」

 

 きょとんと首を傾げる幼子へ、藍鬼は諦めたようにため息をつく。

 気を取り直したように、藍鬼の手が腰の道具入れへ伸び、何かを引き抜いた。

 人差し指と中指に挟まれているのは、長方形の紙片。

 墨で文字が書かれている。

 

「妖獣や妖魔の呪いや毒のようなものだ」

「ど、毒なの??」

 

「毒」の一言に、青の顔から血の気が引いた。

 毒が塗布(とふ)された針一刺しで小丘のごとき巨体が沈んだ光景は、まだ幼い少年の記憶に鮮明だ。

 

「解呪」

 短い言葉と共に、藍鬼は指に挟んだ紙片を患部(かんぶ)に押し当てた。

 紙片の文字列が淡く発光したかと思うと蒼い炎に包まれ、藍鬼の(てのひら)がそれを握りつぶした。

 

「あ、あれ??」

 背中を丸めて青は自分の腹部を覗き込む。へそあたりで何かが弾けた気がしたが、痛みはまるで感じなかった。

 紙片と炎、ついでに腹部の黒ずみも跡形(あとかた)なく消えていた。

 

「今、今のは、何?」

 不安を浮かべる青の目前で藍鬼が握った手を上向きに開くと、手のひらに微量の黒い粉末がこびりついていた。

 

 わずかに仮面の(あご)をずらして藍鬼が手のひらに息を吹きかけると、粉末は空気に紛れるようにかき消えた。

 

「薬剤符を使った解毒の術だ。毒や呪いを取り除く」

「それって、何の紙?」

「薬剤符は薬の効能を閉じ込めた札。解毒法は色々あるが、今のは毒術の応用だ」

「毒術は毒を消せるんだ……じゃあ炎の術は、敵の炎を消せるの?」

 

「え……?」

 初めて、藍鬼は返答に詰まった。

 

 答えがないわけではない。ただ、五歳にも満たぬ子どもが、あまりに本質的な問いを口にしたことに、不意を突かれた。

 

「――できない。神通術は、神頼み……神から借りる力だ。別の術者がその力を取り消すことはできない。打ち消すには、属性……種類が違う、もっと強い術をぶつけるしかない。例えば炎術なら、それよりも強い風や水を……とかな」

 

「……毒術と神通術って、全然違うものなの?」

「ああ」

「じゃあ、毒術って、何の神様の力なの?」

「……」

 

 立て続けに投げかけられる青の問いに、藍鬼は沈黙した。

 目の前の子どもの、非凡な頭の回転の速さに、驚かされる。

 

 つい先ほどまで初歩的な炎術に驚いていたはずの子どもが、術の根本的な違いを直感的に見抜いている。

 

 年齢にそぐわぬ聡さに、藍鬼の胸中で名もつかぬ感情が芽吹きかけていた。

 

 知識こそ浅いが、素直で物怖じしない。それこそが資質だった。

 そして森で妖獣と対峙したとき、青は敵の急所を見極め、投擲(とうてき)の才を垣間見《かいまみ》せた。戦う者としても、伸び(しろ)がありそうだ。

 

 体系的な教育を受けさせれば、こいつはいずれ、化ける――

 

「……夜が明けたら、ここを出る」

 藍鬼は青の問いには答えず、手を止めた。傷の手当はもう済んでいる。

 

「凪の役場へ連れて行ってやる」

 藍鬼は立ち上がり、道具を手早く片付けると、棚の隙間へ押し込んだ。

 

「藍鬼さん?」

 質問しすぎて、怒らせてしまったのだろうか。

 青は当惑して、ただその動きを目で追った。

 

「そこを頼れば、国が、お前を保護してくれるだろう」

「ホゴ?」

「助けてくれるってことだ」

 

 国には、難民や孤児を支える仕組みがある。住む場所、仕事、生活の手助け、そして教育も。

 

 棚から離れた藍鬼は、再び青の前に膝をつき、目線を合わせた。

 

「青、学校へ行きたいか」

 ぽかんとした幼い顔へ、

 

「術や、戦い方を教えてくれる」

 と言葉を変えた。

 

「行きたい!」

 首が千切れんばかりに、青は大きく何度も頷いた。

 

「そうか」

 青の目には、鬼豹の仮面の目許(めもと)が柔く微笑んだように見えた。

 

 

 (あかつき)を告げる鳥の声に、(せい)は目を覚ました。

 どこからか流れてきた冷たい風に身震いし、薄い掛け布団の中で体を丸める。

 

「………!」

 二呼吸ほど微睡(まどろ)みかけて、はっとして目を開いた。上半身を起こして辺りを見渡す。

 

 小屋の戸口は開け放たれ、朝陽が狭い室内を照らし、白光に舞う(ほこり)(きら)めいていた。

 

「起きたか」

 戸口に影が差し、長身が土間へ踏み込む。藍鬼(らんき)だ。

 昨夜と同じ黒ずくめの衣服に、黒い鬼豹の仮面と、同じいでたち。

 

 だが明るい場所で見ると、印象が変わる。

 仮面の隙間(すきま)からのぞく、(あご)から(ほほ)にかけての鋭い輪郭《りんかく》や、首に浮かぶ筋――思いのほか、若いのだと分かる。

 

「くっそーー! カオが見れなかった〜……」

「残念だったな」

 

 布団の上で足をばたつかせ、あからさまに落胆する幼い少年を軽くいなしてから、藍鬼は両手に抱えた竹籠を(かまど)の上に置く。

 ひとつの籠には数尾の魚。もう片方には子どもの拳ほどの赤い果実がいくつか入っていた。

 

「傷はどうだ」

「う、うん……」

 藍鬼に促され、青は布団から這い出る。

 

 袖や裾をめくると、サラシがどこも乱れず白いままだ。痛みも熱も感じない。

 

「痛くなくなってる、ありがとう! あ」

 青の腹が空腹を思い出して、盛大な音を鳴らした。

 

「味付けは調合用の塩ぐらいしか無いが」

 と前置きして、藍鬼は魚を手に取る。切っ先が削られた竹串を無造作に突き刺して掲げ、空いた手に小さな火球を発現させた。魚をひと撫で、ふた撫ですると、ほどよく皮に焦げ目がついて、湯気が立ち始める。

 

「うわぁあ、便利だね」

 ぽかんと口を開ける青の前に、魚の塩焼きと赤い果実を並べた皿が置かれる。

 

「それ食って薬を飲んだら出発するぞ」

 言われるや否や、青の手が魚を引っ掴む。

 恐怖と傷の痛みから解放された安堵が、幼い体に生への渇望を取り戻させた。

 

 藍鬼が棚から薬を取り出し振り返るまでの僅かな間に、皿の中はすっかり空になっていた。

 

「食欲が戻ったなら問題ないな」

 満足げに、黒い仮面が小さく頷く。空になった皿に黒い丸薬(がんやく)を置き、その傍らに竹筒に汲んだ湧き水を置いた。

 

「抗炎症薬だ。飲め」

「コーエンショー……?」

「傷が悪くならないようにする薬だ」

「わ、わかった……」

 

 青は指で摘み上げた黒い丸薬を見つめてしばらくためらった後、意を決して口に放り込む。

 

「……苦くない……」

 見た目に反して、無味無臭だった。

 

 薬を飲み終えた青が、ぎこちない手つきで身支度を整えている脇を通り抜け、藍鬼は居間の奥の部屋へ姿を消す。

 

 青が片袖(かたそで)のサラシを巻き直すのに苦戦しているうちに、藍鬼は居間へ戻って来た。手に抱えていたのは黄土色(おうどいろ)の麻袋。それを、青の前にどっかりと置く。

 麻と革で作られた背嚢(はいのう)だった。

 

「お前の荷物だ。中に、お前の道具袋に入っていた物と……お前の母さまの着物が入っている」

 

 持っていけ、と差し出された袋を受け取るや、青はすぐに中を覗き込む。まず目に入ったのは、淡い浅黄色(あさぎいろ)だった。

 

「母さまの……あ」

 丁寧に畳まれた母の着物を取り出す。その下には、青が昨晩まで腰に巻いていた道具袋。そのさらに下、まるで着物と道具袋で隠すように、小さい布袋や小瓶がいくつも鞄の底に敷き詰められていた。

 

「うわあ、たくさん入ってる……」

 青は小袋や小瓶を一つ一つ手にとっては、しげしげと眺める。

「予備の薬や痛み止めだ。あとは兵糧丸(ひょうろうがん)乾物(かんぶつ)、要するに食い物もな」

 青が顔を上げると、黒い仮面は目線を外して横を向く。

 

「いいの?」

「……余っただけだ。腐らせるよりはマシ。それだけのことだ」

「ありがとう!」

 

 藍鬼に抱きつこうとしたが避けられ、そのまま青は土間へ転がり落ちるのであった。

 

 

 小屋から出たところで、藍鬼は振り返った。

 片手で空中に図形のようなものを描き、小さく何かを呟く。すると、目の前の小屋がかき消えた。

 

「え!?」

 

 最初から小屋などなかったかのように、目の前に見えるのは、岩壁に穿たれた小さな洞と小川だけ。

 

「幻術だ。隠しているだけで、小屋はそこに『ある』。毒術と同じで、これも神通術とは系統が違うものだ」

「いま僕が質問しようとしたのに」

「お前の傾向と対策はもう分かった」

 

 黄土色(おうどいろ)の袋を背負った小さい背中が、先を歩き始めた藍鬼の後を追う。

 

 森の小道を行く、大小ふたつの影。

 青は昨晩から身に着けている薄い浅黄色(あさぎいろ)の上下、両手足には藍鬼から提供された真新しいサラシを巻いている。足首には、彼が縫いつくろった脚絆(きゃはん)が重ねられていた。

 

 一方の藍鬼も、昨晩と装いに大きな違いはない。だが、陽光の下で並んで歩くと、気が付く点がいくつかあった。

 

 黒い手甲が手首を覆い隠し、甲当て部分には獣らしき模様が彫られた銀板がはまっていた。蛇か蜥蜴(とかげ)のようではあるが、青は見た事がない生き物だ。

 

 腰に巻かれた革帯に道具袋が吊るされている他、背、腰、腕と、体のあちこちに刃物を差す革帯が巻かれていて、小刀、千本、苦無だろうか、どれも鋭く研がれている。うっかり触れたら、青の指など簡単に飛びそうだ。

 

 軽装に見えて、隙がない。

 

 藍鬼の武装の物々しさとは対照的に、太陽の下にある森は、昨夜とまったく異なる平穏な姿を見せていた。

 

「森を抜けるまで、どれくらいかかるの?」

 

 眩いほどの木漏れ日があちこちで瞬き、風は穏やかだ。夜に(うごめ)き地を這う獣たちの唸り声は鎮まり、代わりに小鳥や小動物たちの鈴のような声が飛び交う。

 

「二刻半も歩けば、陣守の村に着く」

「ジンモリの村?」

「行けば分かる」

 

 青は空を見上げた。木々の密度が高すぎて遠景がまったく見えず、森を抜けるまでの距離感がまったく掴めない。

 

 昨晩もし妖獣に遭遇しなかったとしても、永遠に森を彷徨って餓死していたかもしれなかった。

 

 むしろ襲われたことが不幸中の幸いだったとも思える。

 こうして、救い人に出逢えたのだから。

 

「……なんだ?」

 視線に気づいたのか、鬼豹の仮面が斜め下の青を見た。

 

「学校って、どんな勉強ができるの」

「いろいろ、だ。凪之国で生きて行くために必要なことは、一通りな」

 

 神通術や体術、言葉、算術、国のこと、そして世界――。

 凪之国で生きていくため、それはすなわち、国への忠誠と引き換えに生活が保障されることを意味する。

 だが、藍鬼の口から、その説明がなされることはなかった。

 

「毒術も、教えてくれるの?」

「基礎的な部分はな」

「藍鬼さんみたいになれる?」

「……」

「僕、藍鬼さんに教えてほしいな、毒や薬のこと」

 

 黒豹の仮面が前方へ視線を戻した。

 

「……学校の成績が良かったら、考えてやる」

「本当!? じゃあ、僕のおシショーになってくれる?」

 飛び跳ねたはずみで、麻袋の中で小瓶が音を立てた。

 

「変な言葉は知っているんだな……」

 頭上から小さいため息が零れる。

 下から見上げると、仮面の隙間から見え隠れする口元が、青の目には微かに笑っているように見えた。

 

「お前は、『麒麟』になれるかもしれない」

「キリン?」

「良き毒術師になれる、という意味だ」

「藍鬼さんみたいにってこと!?」

「……どうだろうな」

 

 

 麒麟。

 

 その言葉が持つ重みを青が知るのは、まだ先の話となる。

 

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