毒使い   作:キタノユ

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ep.30 覚悟(後)【第二部完結】

 毒術師・虎の位、シユウに暗殺任務が命じられてから、半月後。

 七重塔・長執務室にて。

 

「こちら、任務報告書が届いております」

 任務管理官の文官が、報告書を携え、長の前へ進み出た。

 

「どれ」

 長の手が、それを受け取る。

 

 表紙には、任務依頼書の写し。その下に、任務の件名と概要が記されている。

 二枚目以降が、任務遂行者による報告書だ。

 

「……」

 文官が見守る中、長は無言のまま、一定の速度で頁を捲っていく。

 天井の高い、広々とした室内に、しばし紙が擦れる音だけが響いた。

 

「ふむ」

 独り言のような溜息。

 

「いかが致しましょう。シユウ練師本人からは、報酬等の一切を辞退するとの記載ですが」

 書類を捲る指が止まるのを見計らい、文官が問いかける。

 

「君は、どう思った?」

 長は書類から顔を上げ、正面の文官へと視線を合わせた。

 

「どう……と申しますと」

 迂闊な発言を避けるような慎重な口調の文官に、

「君の個人的な考えでいい」

 と、長は付け加えた。

 

「個人的な意見としては、経緯は兎も角として、結果的に目的は達成されたのですから、規定通りの報酬を受領する権利はあるかと考えます。そこに至るまでの稼働もありますので」

 

 文官の言葉通り、結果は、依頼元が望む形で幕を閉じた。

 

 標的の男は、もともと酒に溺れ、周囲に暴力を振るっていた。その様子は屋敷の使用人や関係者によって、幾度と目撃されていた。

 

 特に近頃は、男の異常な言動が目立っていた。

 眠れぬ夜を過ごし、夜中に奇声を上げる。

 日中はうわごとを呟き、酒に浸っている。

 目の色は淀み、尋常ならざる顔つきである。

 その様子は、近隣の人々の間でも噂となっていた。

 

 ある夜、屋敷の奥から狂った獣のような金切り声が響いたかと思うと、女中や家人らの悲鳴が続いた。

 

 音が止み、静寂が訪れた後、洒に駐屯している法軍の御巡(みまわ)り役が屋敷に駆けつけた。

 

 そこで発見されたのは――庭に倒れた血まみれの男の死体。

 屋敷の主人、すなわち標的の男であった。

 

 自ら首を掻っ切り、自害したのだという。

 さらに、屋敷内を調べた法軍の兵が目にしたのは、奥の部屋で、刺殺された妻子と家人の遺体だった。

 

 生き残った女中や使用人たちの証言によれば。

 夜中、主人が突如として気が狂って暴れだした。

 かと思うと、刀を抜き次々と家人を斬り伏せて回ったという。

 

 何かをしきりに叫んでいたが、彼ら自身も気が動転しており、その言葉を正確に聞き取った者はいなかった。

 

 しかし、以前から続いていた異常な言動や酒への溺れ方を考えれば、

「さもありなん」

「男の自業自得」

 事件を耳にした者たちの間では、そうした冷ややかな風潮が広まりつつあった。

 

「家名や血筋を御旗に担ぎ上げられ、器量に見合わぬ重責に潰されて自滅……といった筋書きかな」

 

 長は報告書を閉じ、表紙に判を押す。

 

「これで狸どもは大人しくなるだろう。シユウ練師には、報酬に十分な色をつけてやってくれ」

「――は、色を……?」

 文官が戸惑いをにじませる。

 

「『病死』に見せかける。何も、体の病だけではない、ということも言えるね」

「……!」

 

 文官の口元が「あ」の形に開き、小さく息を飲む音がした。

 

「承知しました。そのように」

 長から書類を受け取り、文官は恭しく一礼する。そして、静かに執務室を後にした。

 

 一人になった広々とした空間の中央で、長の涼やかな目許が、微かに細められる。

 

「あの子は、君が期待した以上かもしれない。それに……」

 長の視線がふと、壁に飾られた万邦地図の綴錦へと向かった。

 

「『アレ』の片鱗を、あらわしはじめたみたいだよ」

 

 誰にともなく呟かれた言葉は、高く白い天井へと、静かに昇っていった。

 

 

 それから約一刻後。

 凪の南の森にて。

 

 任務報告書を提出し終えたシユウ――青が、小屋へ戻っていた。

 

「ただいま」

 半月ぶりに開けた小屋の戸は、前回よりもさらにガタつき、全開するのに力を要した。

 このままでは、いずれ凍り付いて開かなくなってしまいそうだ。

 

「庵さんに教えてもらおうかな」

 職人を呼ぶわけにはいかず、自分で修繕するしかない。

 藍鬼も、ここで大工仕事をしていたのだろうか。

 

 そんな考えを巡らせながら、青は土間から居間へと上がる。

 同時に覆面と額当てを外し、壁の物掛けへ引っかけた。

 鞄を部屋の隅に置き、外套をまとったまま、棚の前に腰を下ろす。

 道具入れを外して傍らに置き、外套はそのままだ。

 

 そして、棚の一画に立てかけられた、藍鬼の仮面を見上げた。

 

「師匠」

 

 開け放した戸口から差し込む西日を受け、藍鬼の仮面が、眩しそうに目を細めているようにも見えた。

 

「……僕は、毒術を選んだことを後悔していない」

 

 西日に照らされた仮面は、何も語らず、ただ静かに、青の声を聞いているかのようだった。

 

 ――チィ。

 

 空気を通すために開け放した戸口から、式鳥が舞い込んだ。

 

「任務管理局からだ」

 青は立ち上がり、土間へ降りる。水瓶の上に、式鳥がとまっていた。足に結わえられた書状を解くと、仕事を終えた鳥は戸口から再び外へ羽ばたき、消え去った。

 

 青はその場で書状を開く。

 任務遂行結果を全面的にシユウの成果と評価し、報酬額が加算される旨が記載されていた。

 

「……評価、秀……」

 

 任務の成果は、「秀・優・良・可・不可」の五段階で評価される。

 それに応じて、報酬加算額も変動する。

 

 今回の任務におけるシユウの評価は、最高点の「秀」。

 

「不可にしてくれれば良かったのに……」

 青は知らせに目を通しながら、無感慨な面持ちで書状を握りつぶす。

 

 初めての任務、二度目の任務の時は、あれほど成果が良好であることを喜んでいたはずだった。

 それが今や、これほど心が動かなくなるものなのか。

 

「長の目は誤魔化せない、か」

 

 青が偵察のために潜入した時点で、標的の男はすでに酒に溺れ、精神的に病んでいた。その奇行は近隣にも知れ渡るほど、目立ち始めていた。

 

 男の自滅は、時間の問題だったのだ。

 青は、軽く背中を押しただけに過ぎない。

 

 男が口にする水を汲む井戸に、精神薄弱化を進行させる薬を混入。

 さらに、決め手となったのは、要から提供された、幻覚を見せる幻術符。

 

 男が妻子や家人を手に掛けるかどうかは、ある種の賭けだった。

 もし、男の中に僅かでも、妻子に対する愛情が残っていれば、幻術を破るかもしれない。

 

 だが、男は自らの弱さに克つことができなかった。

 

「そんなもんなのかな……」

 青は、額を撫でる風を感じながら、顔を上げた。

 西日は次第に濃さを増し、紅色の光が森の木々の間から差し込み、影を長く伸ばしている。

 秋の訪れを予感させる風が優しくそよぎ、夜を迎えようとする森の鳥たちの声が遠ざかっていった。

 

 ――チィ。

 

 再び、式鳥の声。

 

「え?」

 不意に見上げると、若草色の小鳥が舞い降り、青の肩に静かに停まった。

 

「つゆりちゃんの式だ……!」

 

 黄色く短い嘴が可愛らしい、メジロに似た式鳥。

 足に括られた手紙を解こうとするが、鳥は飛び立つことなく、青の肩にとどまっていた。

 

「どうした?」

 通常の式鳥は、手紙が解かれると同時に飛び去るものだ。

 つゆりの式鳥も、いつもならば青の頭上に飛び移り、二回転、三回転ほど旋回してから飛び去っていく。

 だが今回は、動かない。

 

「……もしかして、すぐに読めってことかな?」

 

 まるで、青が手紙を開くのを待つように。送った相手が手紙を読み終えるまで見守るよう訓練したのだろうか。

 

「分かったよ」

 青は笑って、促されるままに手紙を開く。

 

「もうすぐトウジュの誕生日だから、三人で集まってお祝いをしよう!」

 内容は、何てことはなく「いつもの」誘いだった。

 

 チィ チィ

 

 式鳥は、丸い頭を青の頬にすり寄せて数度さえずる。そしていつものように、青の頭に飛び移り、頭上で旋回した後、都の方向へ飛び去っていった。

 

「可愛いなぁ。どうやって教えたんだろ」

 式鳥の珍しい挙動に目を丸くしていると――

 

 ぽたり。

 

 土間の砂地に、液体が一粒、二粒と落ちる。

 

「あれ……?」

 

 指先で顔に触れると、しとどに濡れている。

 拭えど、拭えども、頬を伝う水滴は流れを止めなかった。

 

「何……」

 

 森は黄昏に包まれて、夜へと変わりつつある。

 薄影の中、青は理由の分からぬ涙を流し、呆然と立ち尽くした。

 

 凪の夏が、もうすぐ終わろうとしている。

 

 

 

 

毒使い 第二部 完

 

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