毒使い   作:キタノユ

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ep.30.2 日野家の双子の、ある日

「あさぎお嬢様!」

 

 玄関の方から、女中頭の悲鳴が響いてきた。

 

「……またか」

 

 日野家の長男よぎりは自室から出て、妹の帰宅を出迎えるべく廊下を五度ほど曲がった。

 

「まあまあ、あさぎ様、またそんなに汚して!」

「ごめんってばー、自分で洗うから許して」

 

 よぎりが玄関にたどり着くと、全身を汚した双子の妹が、広い土間の隅で体についた砂を払い落としていた。

 

 取次では初老の女中頭、フキが息巻いている。彼女は、日野家の奥方―双子の母親が亡くなってから、双子のしつけや礼儀作法全般を、家長から任されているのだ。

 

「あ、よぎり……」

 

 出迎えるよぎりに気づいて、あさぎはバツが悪そうに身をすくめた。

 

「フキから聞いたけど、毎日毎日、どこで何をしたらそんなに汚せるんだよ」

「別に。学校だよ。もういいでしょ、わたし湯浴みしてくるから」

 

 そっけなく応えて脇を通り抜けようとする妹の手首を、兄が掴んで止める。

 

「いたっ、何か用?」

 

 仕方なく足を止めたあさぎは、腕を掴まれたまま口を膨らませて、よぎりを睨んだ。よぎりの、茶と銀の色違いの瞳が、あさぎの衣服の腕から足元まで移動する。

 

「そんだけ汚しておいて、スリ傷一つ無いっておかしいよな」

「え」

 

 よぎりの目が、袖から出ているあさぎの上腕に向いている。袖は淡桃の刺繍が泥団子のように土色に汚れて皺だらけであるのに、腕には傷一つ無い。

 

 同じように汚れて擦り切れている裾と、対照的にきれいな膝や脛。

 

「何よ急に……今まで私のことなんて気にしてなかったくせに!」

 

 よぎりの手を振りほどいて、あさぎは廊下の奥の湯殿へ足早に逃げていく。フキが手ぬぐいを持ってその後を追いかけていった。

 

「……」

 

 振りほどかれた手を、よぎりはしばし無言で見つめる。

 

 あさぎの腕が、少し見ないうちに明らかな、訓練でついたと見える筋肉がつきつつあるのが、感触で分かった。

 

 手を離すつもりは無かった。振りほどかれた時の力が、思っていたよりも強かったのだ。

 

「見習い先生が言っていたのは、本当だったな」

 

 教員見習いの如月つゆり先生のことだ。実習のために初等学校と中等課を行き来していて、やたらと校内事情に詳しい。

 

 数日前のこと。

 

 事務的な手続きのために久しぶりに学校へ行った所、ひょんなことから話しかけられ、会話の中で「あさぎちゃん、すごく頑張ってますよ」と妹を褒められた。

 

 そんな事は、初めてだった。

 

 周りの人間――特に大人は誰もが、よぎりを跡取りと持ち上げる一方で、あさぎの存在を腫れ物のようにして、話題にするのを避ける。

 

「ありがとうございます。あの、あさぎが何か?」

 

 思わず訊き返していた。

 

 如月先生の「情報」によると、一年ほど前から、急にあさぎの成績が上がり始めたのだという。

 

 元々から出来の悪い娘ではなかったが、体力以外は良くも悪くも目立たない存在。友人たちと学校生活を楽しんでいる「普通の生徒」だった。

 

 それが急に、体術教員や神通術担当の教員に追加稽古をせがんだり、特別講師として授業を受け持った高位式術師に頼み込んで式術を学び始めたりと、熱心に鍛錬を始めたという。

 

「一年前から……?」

 

 思い当たる事があるとすれば、校外授業で妖魔に襲われて行方不明になったという出来事。飛ばされた先で賊に襲われ、同行した保健士が負傷した。

 

 屋敷で、父親が大量の見舞い品を手配していた様子は、よぎりの記憶にも新しい。

 

 その保健士というのが、峡谷上士が「俺に勉強を教えてくれる先生」と呼び、組手の相手をしている、大月医療士だ。

 

「あの人が、何か影響してるのか……?」

 

 妹さんは元気ですか?

 

 と、大月医療士も、あさぎを気にかけてくれる大人の一人だった。

 

 ガラガラガラーン!

 

「はしたない!!」

 廊下の奥から、風呂桶が乱雑に転がる音と、フキの怒鳴り声。

 

「……」

 よぎりは、あさぎが姿を消した湯殿方面を振り返り、目を細めた。

 

 

「いたたた」

 一方その頃、湯殿では。

 

 湯けむりで前方不注意だったあさぎが、盛大に風呂桶と手桶を蹴飛ばしていた。脱衣所から「はしたない!」とフキの叱る声。

 

「はいはい、ごめんなさーい!」

「お返事は一回でよろしい!」

 

 もう何百回と繰り返したであろうやりとりに苦笑しつつ、あさぎは体についた泥を洗い流して湯船に飛び込んだ。

 

 庭の池ほどもあろうかという広さの浴槽の中で水をかき分けて、中庭が見渡せる窓際により掛かる。檜の香りにウトウトしながら、暮れ空を見上げた。

 

「今日の訓練は楽しかったな~」

 体術の先生に頼み込んで、最近は訓練所の訓練にも参加させてもらっている。

 

 様々な出自の人間が集う訓練所では、組手の相手が年上になる場合がほとんどだ。しかも他所での戦闘経験のある者も多いので、学校での体術授業とは比較にならないほどに実戦的だ。

 

 今日のように野外での訓練では、何度も地面に倒されて、転んで、頭のてっぺんからつま先までが砂だらけの泥だらけだ。

 

 両腕、両脚に幾つも擦り傷を負った。打撲や捻挫もした。が、どれも数秒で完治する。

 体力と回復力なら、訓練所のあらゆる訓練生だけでなく、教官の上士にだって負けていない。

 

 術力の弱さは「血触媒」を使う事で解消できる事も、分かっている。

 大月先生は「使うな」と咎めたし、学校でも「禁じ手」だと教わった。

 

 だけどそれはあくまでも、術者の体への負担を慮ってのこと。この無尽蔵な体力と回復力で、術力の弱さを補える手段があるのだ。

 

「わたしは、強くなれるんだ」

 それに気がついてからは、訓練や勉強が楽しくて仕方なくなった。

 

 日野家の跡継ぎとして期待されるものを全て持っている兄と対極にある、凡庸な妹。

 それが、あさぎだった。

 

「適度に教育を受けさせたら、良き時に良家へ嫁に出せばいい」

 そんな事を言う親戚もいた。

 

「斬られたところ、完全に消えてる」

 白濁色の湯から、紅潮した腕を持ち上げる。森で受けた刀傷の跡は、跡形もなく消えていた。

 

「母さま……」

 治りの早い傷を見る度に、思い出す。

 

 全身を毒に侵されながらも、双子の出産に踏み切った、母。

 

 どうせ死産であろうからと堕胎を勧められても、決して承諾しなかったと、涙ながらのフキから聞いた。

 

 家の外で自分たちが「忌み子」と呼ばれているのも、知っている。

 

 記憶にある「泥人形」は確かに母親で、無理を通して子を産まなければ、母はもう少し生きられたのかもしれない。

 

「……わたしは、強くなる」

 

 母が自分に命を繋いだ意味を、失わせたくない。

 今は強く、そう思う。

 

 あの日の校外授業。

 大月先生と飛ばされた森で。

 

 賊から懸命に自分を救おうとしてくれた大月先生を見て、血が沸騰するのを感じた。

 

 助けなきゃ、と。

 

「大月先生、元気かな」

 あんな風に、誰かのために一生懸命、戦えるようになりたい。

 

 あれきり保健士の任を解かれた大月先生を思い出しながら、あさぎは湯船に顔を半分浸からせてぶくぶくと泡を吹いた。

 

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