毒使い   作:キタノユ

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ep.30.4 峡谷豺狼の、ある日

 都の大門前にて。

 

「この人は確か……」

 急遽招集された任務の依頼書をながめるキョウは、思わず独り言を漏らした。

 

「峡谷上士」

 呼ばれて顔を向けると、集合した隊と思われる集団から、一人が手を振っている。すでに集合時間を少々、過ぎていた。

 

「遅くなって申し訳ない」

「いいえ。急遽の合流、ありがとうございます」

「ご一緒できて光栄です!」

 

 遅刻を詫びるが、逆に丁寧すぎるほどに恐縮される。いわゆる羨望の眼差しを向けられる機会が多い自覚はあるが、いつまでも慣れることはできなくて、居心地の悪さは拭えない。

 

「じゃ、ぼちぼち行くぞー」

 隊長の上士が出立を促す。

 顎髭を蓄え、体躯の大きさがひときわ目立つ、親分肌の男だ。

 

「一人足りないのでは」

 依頼書に記されている人員の一人が見当たらない事に気づき、キョウは隊長に声をかけた。

 

「毒術のヤツは現地集合だ。下ごしらえをしといてくれるっつってな」

「下ごしらえ」

 

 キョウにとっては聞き慣れない単語だ。

 

「現地に着いてみりゃ分かるさ」

 と目を細める隊長の言葉の意味は、その通りに現場で判明する。

 

 

 任務内容は、山賊退治だ。

 根城を持たず絶えず流浪しているために、規模も動線も掴みづらい。

 

 これまでの被害状況情報から諜報部が算出した、次の出現予測地点を張る。国境線へと繋がる峠道にほど近い山林一帯。山林道の脇にある廃村周辺が怪しいと踏んで、手前に陣を設けた。

 

「猪牙隊長、峡谷上士、毒術のシユウ練師が合流しました」

 

 隊長の天幕で打ち合わせをしていたところに、中士が報告にやって来る。入れ替わって天幕に姿を現したのは、覆面と額当てで人相を隠している毒術師、シユウ。

 

「……っ」

 キョウの姿に驚いたかのように、シユウの覆面の下で小さく息を呑む音がした。

 

「下準備完了の報告に参りました」

 次の瞬間には何事なかったように、シユウは手にした軍用地図を広げ、猪牙隊長へ向き直る。

 

「……」

 キョウの視が、シユウの手の甲をとらえた。

 最後に任務で会った時には狼だった紋章が、虎に変わっている。

 そういえばさきほどの中士はシユウを「練師」と呼んでいた。

 

「罠の効力範囲を色付けしています。そこには決して近寄らないよう」

 広げられた地図には斑模様に薄朱や薄緑が塗られている。

 

「朱は痺れ毒。こちらは風向き次第でかなり広範囲に拡がります。緑は地雷型の水罠で、範囲は狭いですがまともにくらうと即死します。解除が必要な場合は―」

 

 なるほど。

 これが「下ごしらえ」か。

 出立前に隊長から聞かされた言葉の意味を、キョウはただちに理解した。

 

「諸々、ガッテン承知だ! いやあ助かる!」

 最後に地図を受け取った隊長は、豪快に口を開けて笑う。

 

「では、一旦これで失礼します」

 言葉少なに一礼して、シユウは天幕を出ていった。

 

「よし、峡谷。覚えるぞ」

「はい」

 

 キョウは猪牙隊長の隣にならび、机上に広げられた地図の隅々まで目を凝らす。印がつけられた場所を、記憶しなければならない。

 

 上士二人で舐めるように地図を見回す。目で見たものを、画像として記憶に焼き付ける。それが最も早い暗記法だ。

 

「よし、もういいだろう」

「こちらも」

 

 深い呼吸を五回分ほどのうちに、両者どちらからともなく、顔を上げる。

 

「いやあ、それにしても」と隊長は地図を畳みながら、白い歯を見せて豪快な笑顔を見せた。

 

「今日の毒術のヤツはアタリだったな。虎以上の働きをする」

「確かにそうですね」

 

 猪牙隊長はすこぶる機嫌が良い。シユウ練師の「下ごしらえ」のおかげで、闇雲に賊を探して山林を彷徨うハメにならずに済みそうだからであろう。

 

 キョウの任務経験で知る範囲では。任務の作戦に直接的に関わる働きができるのは獅子以上の高位技能師であり、例として挙げれば毒術師の龍、朱鷺だ。

 

「シユウ練師は朱鷺一師の弟子……なのか?だとしたら流儀が似るのも分かるな」

 

 陽乃姫騒動の任務で見た息の合う二人の様子が、キョウの記憶に蘇る。

 

 朱鷺とは何度か任務を共にする機会に恵まれたが、初見ではあの個性的な風体と仮面に驚かされはするものの、仕事ぶりは完璧かつ高度で、沈着冷静かつ時に冷酷に任務を遂行する様は感銘を受けるところも多かった。

 

 隊長の天幕を後にして、キョウは陣を一周する。夕暮れ刻の空の下、森は暖色の光に包まれていた。

 

 日が落ちる前にと中士たちが篝火を立てるなど火の準備を急いでいる。陣張りや火の支度は下士や中士達の役割だ。

 

 キョウはシユウの姿を探した。技能師は単独で其々固有の作業を行っている場合が多い。

 

「朱鷺一師だと、高い所にいる事が多いんだが」

 何と無しに視線を上に向けると、

「いた」

 想像通り、朱鷺と同じように高枝の上に腰掛ける人影を発見した。

 座椅子のように幹に背を預け、肩の力を抜いた様子で、木々の間から覗く空を眺めていた。

 

「下ごしらえ」のひと仕事をすでに終えた後だ。休憩の邪魔をするべきではないかと思いつつ、キョウはしばしシユウの様子を眺めた。

 

 おもむろに、シユウは左腕を持ち上げると、黒い袖を捲った。下から詳細を窺い見る事は難しいが、左の前腕内側を見つめて、右手指先で柔く擦っている。古傷でもあるのだろう。

 

「シユウ練師」

「!」

 

 樹の下から声をかけると、思いの外驚かせたようで、シユウは肩を震わせた。慌てた様子で左腕を袖で隠す。

 

「?」

 その動きに多少の奇異な印象を覚えたが、キョウは声音を変えずに言葉を続けた。

 

「あちらで皆、軽く一杯やるみたいで。どう、です?」

「え」

 

 キョウの手が示す陣の中央では、焚き火を囲む中士や准士、そこに猪牙隊長も呼ばれて合流するところだ。木の上のシユウは「えっと」と焦った様子で焚き火と、キョウへ視線を行き来させた。

 

「いえ、ぼ、私は、お酒はまだ……」

「あ。そうか、そうだよね」

 

 キョウは木の上に向かって、微笑んだ。

 凪の飲酒が許される年齢は、二十歳。

 

 キョウがちょうど二十歳を迎えており、シユウの年齢を把握するためにかまをかけてみたのだ。

 

 なるほど。やはり年下だ。

 

「じゃ、呑める年になったら、ぜひ」

 片手を振って踵を返し、キョウは焚き火の方へ向かう。

 

「シユウ練師か……ずいぶん若いんだな」

 体格や声の雰囲気から年上ではないであろうと推測していたが、まだ十代であの仕事ぶりには驚かされる。朱鷺に師事する賜物か。

 優秀と目星をつけた人材とは、関係性を良好にしておいて損はない。

 

 打算的だと分かっている。

 それでも、人との出会いが命を左右する事は大いにあるのだ。

 

 上士以上の高位士官の権限をいかようにも使って、少しでも人命を損なう事なく任務を遂行させるには、まず人材の把握が重要不可欠。

 

 自らの記憶にシユウの名を刻みながら、キョウは焚き火を囲む隊員らの外周に、腰を下ろした。

 

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