二回も狼藉者と間違われたあの夜から、数日後。
シユウとして式鳥に呼ばれ任務管理局へ出向いてみれば、渡された任務依頼書の備考欄には「峡谷豺狼上士より指名」との記載があった。
「お、おぉ……」
思わず呆けた声が漏れる。
この四年の間にキョウとは、偶然および朱鷺の指名で参加した任務でかちあう事は数度あったものの、直接指名は初めての事だ。
「朱鷺一師の後継者と思ってもらえているのか、試そうとしているのか……」
任務内容を確認してみると外つ小国へ赴く依頼で、隊の編成人数も三十名と決して小さくない。自分を指名したキョウに恥をかかせる訳にはいかない。加えて獅子となって初めての任務同行でもある。
「よし」
出発前に立ち寄った小屋で道具や薬を揃え、身支度をする。
必需品を詰め込んだ鞄を背負い、道具入れや刃物差し、覆面や額当てを装着して任務用の雨よけの頭巾が装着された外套を纏う。
そして最後に、獅子の手甲に手を通して革帯を止めた。この瞬間が、最も気が引き締まる。
「行ってきます」
棚の黒仮面に声を投げかけて、青は小屋を後にした。
もちろん最後は幻術で小屋を消す事も、忘れない。
*
奇しくも集合場所は、南の森の陣守の村だった。
青はあえて遠回りして村の北側から回り込み、隊との合流を目指す。
合流といえど、技能師の場合は大概が隊の最後尾や列から距離を取って気配を消し、点呼の時だけ名乗り出て、後はまた気配を消している事が多い。
それが気楽だと感じる技能師も多く、青も多例に漏れない。
陣守村までたどり着くと、南側の門の前、獣除けが並ぶ広場に、すでに士官達の集合が完了しつつあった。
早朝だというのに世話好きな村の女性たちが、菓子や握り飯を持ち寄っては孫ほどの年齢の士官たちへ「持っておいき」と配り歩いている。
中でも老若関係なく人気があるのが、キョウであるのは言うまでもない。
「さすがキョウさん」
集団から距離をとって様子を見ていた青の目にも、村の女性陣に囲まれて困っている色男が映っていた。
技能師よりむしろキョウの方が顔を隠す必要があるのでは。などと考えて独りで苦笑しながら、青は場が収まるのを待つ。
「あ……」
困った顔が、杉の巨木の影に隠れて立つ青―シユウの存在に気がついた。食べ物を差し出す女性たちを「務めがありますので失礼」と優しくかわして輪を抜け出し、
「シユウ二師」
と駆け寄ってくる。
「え」
「あれ」
「いつの間に」
同時に、幾人かの隊員たちの視線が一斉に青を向いた。「下っ端かと思った」という声も混在していたがそれは無理もなく、シユウの外貌が身長以外で狼時代からさほど変化が無いのだから。
武具工の虎である庵作の手甲、脚絆、武器、道具入れや針差しなど、細かい箇所は進化を遂げたが、覆面も額当ても外套も変わらず軍支給品目録状態だ。
御洒落にこだわる要の追求には「獅子になったら考える」「龍になったら考える」で逃げ続けているのは、余談である。
「峡……」
「指名の承諾、感謝します。シユウ二師」
青が頭を下げるより先に、キョウが一礼して微笑む。
キョウのシユウに対する言葉遣いが、変わっていた。
技能師の表の顔の総合職位は、秘匿されている。そして高位とされる技能師の獅子以上は、総合職位に換算すると上士以上と解釈されるのが一般的なのだ。
「……」
ふと周囲を目だけ動かして見やると、いつもよりも人の視線を感じる。
狼や虎の時には感じることの無かった、藍鬼、ハクロ、朱鷺と行動を共にしていた時は彼らに向けられていた視線が、今は自分に向いていると気付いた。
峡谷上士が丁寧に挨拶を向ける相手―つまりそれが、高位の者であるという事。
畏怖や敬意は責任の重さと、期待の高さに比例する。
「こちらこそ。峡谷上士」
獅子の紋章の重さを改めて自らに戒めながら、青は静かにキョウの礼に応えた。
「ではまた後ほど」
失礼、と礼を残し、キョウは隊長を務める上士の元へと戻って行った。
そこへ入れ違うように、
「シユウ殿」
横から声を掛けられた。
大きな影が青の影に重なる。
首だけそちらを振り向くと、見知った顔。
「檜前(ひのくま)中……失礼、今は准士でしたね」
四年前の匪賊討伐任務を共にした、獣血人の一人である、現在は准士となっていた檜前だった。
長身と屈強な体躯は変わらず、今もなお青より頭一つ分以上、上背が高い。青に名を呼ばれて意外そうに口を丸くしていた。
「覚えて下さっていたとは」
「もちろんです」
任務で遭遇する機会は少なかったが、忘れようがない。訓練所出身の三人の、特異な境遇と体質、そして檜前にいたっては大狐の爪から命を救ってくれた恩人である。
「小毬さんや雲類鷲(うるわし)さんもその後、お元気ですか」
挨拶代わりの青の問いかけに、檜前は口角を引き締めて微笑を作った。
「雲類鷲は、あの特性をかわれて今は諜報部に」
「そうですか、確かに無二の強みですね」
諜報部。先日からやけに耳に入る機会が多い名だ。
「小毬の方は、亡くなりました」
「え」
素のままに驚きを声にしてしまい、青は一度、視線を伏せた。
「失礼しました……それは、残念です」
青は努めて平静に応える。
しばらく姿を見なかった士官が殉職していた、という話は珍しい事でもない。
「いえ。天寿を全うしたので、本望だったはず」
「え、天寿?」
再び素のままの反応を見せてしまった。
周囲の士官たちが、怪訝そうに振り返る気配が感じられる。
「あ、いや、本当に……申し訳ない……」
青の素朴な反応にむしろ檜前は「くくっ」と笑いを堪える様子だ。
「驚くのも無理はない事です。小毬は鼠の血族。鼠の寿命はご存知でしょう」
「は、はい……」
長くとも三年程度だ。
人間に換算すれば二十代で寿命を迎えると、図鑑の記述で目にした記憶がある。
「我々、獣血人の寿命は、血の受け継ぎ方によって差が大きい。小毬の場合はそうであった、というだけです」
彼女は獣血人の摂理に従って生き、そして死んだのだと。
小毬中士を語る檜前准士の目に、悲壮感は皆無だった。
「小毬中士の戦いぶりは、今でも鮮烈に思い出されます」
「……あいつも喜びます」
青の言葉を受け、檜前准士の瞳が追憶に揺れた。
*
陣守村を出発して森へ分け入り、一隊は西に向けて徒歩で進む。
赴く地は、南の森から西へ移動した先に位置する小国、
「国」と称するにはあまりに規模が小さく、凪の一州にも満たない面積と人口だ。
翡翠ノ國は大きく分類すれば古國の一つであり、神通術とは異なる土着信仰を祖にした術法が存在するが、地のりの良さから古より妖や他国の脅威に晒されにくく、故に国軍にあたる軍事力を持たずに地域ごとに自警、自治を行っていた。
凪と翡翠はごく小規模な貿易でのみの細々とした国交にとどまっていたが、今回初めて戦力提供の協力交渉があったという。
「最近は妖やらヨソから流れてくる賊が増えてるって話だ。気ィ抜くんじゃねーぞ!」
「承知!」
先導する隊長――雄々しい顎鬚が特徴的な猪牙上士が隊列後方まで聞こえる声で発破をかける。
「やっぱり」
青は隊列から少し距離をとって歩きながら、森道の脇へ目を向けた。
最近は凪の都周囲でも妖獣の出現率が上がっていると感じている。
翡翠ノ國が凪へ戦力支援を求めてきた理由も関連しており、急増する妖や賊への対処に国内の自警力が追いつかずに、国がいよいよ難儀した故だと言う。
徒歩と風術による高速移動を交互に繰り返しながら進むこと、半日。
「ここらにするか」
枝を跳び伝って移動していた猪牙隊長が足を止め、後続を振り返った。
「このあたりで休憩にするぞー」
「うーっす」
高枝から砂地に飛び降り、隊長は辺りを見渡す。数十人が腰を下ろして休息するにちょうどいい岩場に囲まれた、平坦な広場となっていた。
「自然にできた地形じゃないですね」
広場に足を踏み入れたキョウが呟く。
地面は樹木が根こそぎ抉られた跡と見える僅かなへこみがあちこちに点在し、時間の経過と共に風雨に晒され獣に踏み均された結果、一見して平らに見えている。
過去に妖がひと暴れした跡であろう事は、想像に容易だった。
「妖の気配はしないし、休憩だけだからまあ、大丈夫だろ」
「――そうですね」
隊長の隣に立つキョウは、辺りに視線を一巡させてから、頷いた。
その豪胆な物腰から粗雑にも見えるが、猪牙の鼻、野生の勘はあなどれないと、キョウは知っている。
「んじゃ、一刻くれぇかな。しっかり休んどけよー。日が暮れるまでには森を抜けたいからな」
猪牙は率先して適当な岩にどっかりと腰を下ろして、軍用地図を開いた。隊長に
「俺の田舎じゃこういう丸く平たい場所は『鬼の土俵』なんて呼んでたな」
「オレんところは『大狸の玉置き』。ボコボコとへこんでるだろ?」
「やだあ!」
同世代の隊員同士が取るに足らない冗談で笑っている。妖が作り上げた地形には、その形状によって地域ごとに様々な呼び名があるのだ。
「トウジュも似たようなこと言ってたっけ。猫のタマタマとか何とか」
隊員たちの雑談に耳を傾けながら、青は懐かしさに思わず覆面下で苦笑いを浮かべる。あの時もつゆりが「やだあ」と言いながらもケラケラと笑っていた。
「隊長、水を探してきます」
「おう。すぐそこに湧き水が――」
「待って下さい」
猪牙と准士の会話に、青が割って入った。
キョウを含む周囲の数名が、顔を上げて青――シユウの言動を注視する。
「どうした?」
「水に触れる前に、少し確認を」
「確認?」
疑問に応えるより先に、青は沢へと歩き出す。
猪牙は視線だけで見送るが、キョウは立ち上がり青の後を追った。水を探していた准士も続く。
広場からわずかに歩いた先、段丘崖下の窪みに小さな泉が湧いていて細やかな流れを作っていた。
「透明できれいな水に見えますが……」
「――しっ……」
疑問を口にする准士を、キョウが「静かに」と柔く制す。
青は水辺に片膝をついて、両手の平を泉に突っ込んだ。二者が見守る中、青が一つ深い息を吐き出すと、呼応するように水面が大きく揺れて黒い影が一筋、水底から立ち昇る。
青の両手が水面で黒い筋を握り込み、水と一緒に掬い上げた。両手をゆっくりと開くと、水はこぼれ落ち、手の平に黒い粉塵《ふんじん》が残る。「ふっ」と覆面越しに息を掛けると粉塵は空気に掻き消えた。
「今のは……解呪……?」
キョウの呟きに重なって、
チチッ ピチュ
小鳥の声が頭上から降った。
枝から舞い降りた数羽の鳥が、泉に羽をひたして水浴びを始める。
「鳥が……。水が浄化された、からでしょうか?」
准士が、目を丸くして水辺と青を交互に見やった。
「妖が暴れた土壌には、
手首を振って水を払いながら、青は立ち上がる。
「微量であれば妖瘴は自然と治癒していくものですから、例え浄化前の水を飲んだとしても影響は出ません。しかし蓄積されると体調を崩す可能性がありますし、妖の数が増えているのだとしたら強い個体が生まれているという事でもあるので、妖瘴の毒性も変容しているかもしれず。長期任務ですし少しでも安全な……、どうしましたか」
気づくと、キョウと准士が顔を見合わせている。
「初めて目にしたもので」
「……あ」
青は長々と一人で語っていた事を自覚した。
「失礼しました、つい、出過ぎた事を」
濡れた手で首の後ろをかきながら、青は目を逸らした。
新米時代から、つい説明や
「いいえ、二師!」
持っていた手拭いを両手で握りしめ、准士が面持ちを輝かせた。
「治りにくい傷がいつも汗でかぶれるので、水で清めたかったのです」
准士は水辺に腰を屈め、手拭いを濡らした。襟を開いて赤い
「気持ちいいです……おかげで安心できます」
目を閉じる小柄な准士の様子が、まるで鳥に混じって水浴びをしている森の生き物のようだ。
「それは良かった」
頷く青へ、
「助かりました」
と、キョウは笑みを向けた。
「大人数での長期任務になると、どうしても病で倒れる者が出てしまう……仰る通り少しでも予防できる手立てがあるのは、とてもありがたい」
「お役に立てて何より」
「せっかく浄化された事ですし、皆に知らせて水の補充をさせるよう伝えるとします」
お先に失礼、と踵を返すとキョウは猪牙隊長の元へ急ぎ駆けて行ってしまった。
その後、猪牙隊長とキョウの呼びかけにより、飲み水の補充や入れ替えが行われる事となる。
「……上手くいって良かった」
水辺から休憩場所へと戻るさなか、青は内心で胸を撫でおろした。
藍鬼から教わった水術や地術と解呪を組み合わせ、地を人体、水を血や循環器官に見立て浄化する事で、人間を含む周辺生物への妖の悪影響を軽減できる。
その発見をしてからというもの、密かに試行を重ねてきた甲斐があった。
長期遠征で命を落とす士官のうち、数割は原因が病であるのだから。
*
陣守村を出立して三日。
西へ進む一隊は、傾く陽を追い続けた。
緑滴る森の風景が、次第に姿を変え始める。湿度のある土に少しずつ乾いた砂が混じるようになり、士官たちの膝上まで茂っていた叢も次第に剥げ、照葉樹林は落葉樹林へと入れ替わっていく。
凪を離れ外つ界へ確実に向かっているのを、肌に触れる風の質の変化でも実感できた。
今日中に森を抜ける。その猪牙隊長の宣言通り、急激に森が開けた先は崖上で、眼下に緑の濃淡が斑を描く森が広がり、合間を縫うように大河が蛇行している。斑の森の向こうに国境となる山が連なり、その向こうは濃紺に霞んでいた。
「あれを越えた先が翡翠だ」
「おお」
幾人かの隊員たちが、眼前の景色に感嘆の声を上げる。若い隊員の中には、凪の外へ初めて出る者もいるのだ。
「あの森を越えるのに一日、山を越えるのに……ん~……二日ってところか」
「一晩を明かすのであれば、少し早いですが森へ降りずにここにしませんか」
雄大な景色と地図とにらめっこしている猪牙へ、キョウが進言する。後ろに控える士官たちも「そうしよう」という顔で隊長命令を待っていた。
「っしゃ。夜営!」
「押忍!」
振り返り猪牙が拳を上げると、隊員―主に男ども―も拳と歓声をあげて、蜘蛛の子散らすように其々が夜営準備へと入っていった。
「私は獣除けを」
「おう、頼むわ」
青も一声を隊長に投げかけて、薬瓶片手に集団から離れて森へ入る。野営地を中心に森側へ半円を描くように、獣や虫が嫌う薬を撒いていく。ついでに森の気配を探るが、妖らしき気配や血の臭いは感じられなかった。
妖とて無差別に襲いかかってくるものでもなく、相手が獲物となり得るかどうかを見極める知能や嗅覚を持ち合わせている種や個体もいる。今回のように手練れも含む数十人規模の法軍人集団を襲うなどという妖がいれば、よほどの雑魚かもしくは――
「準備が速いな」
獣除けを撒いて青が野営地へ戻ると、すでに準備を終えた数人が、焚き火を囲んで休息体勢に入っている姿が見えた。キョウは猪牙隊長と立ち話をしていて、檜前准士は羆の特性である怪力を活かして大量の薪を一人で軽々と運び、同僚たちを驚かせている。
青は独り輪の中央から外れた、焚き火の明かりがかろうじて届く距離の適当な岩を選び、地面に腰をおろした。鞄を傍らへ置き、背を岩に預けて脚を伸ばして膝上に軍用地図を広げた。
「西……か」
小屋がある場所から、現在位置、これから向かう翡翠ノ國を指でなぞり位置関係を見る。
青にとっては西方向への国外任務は今回が初となる。南の炬之国、北東の稲之国に出向いた事はあるものの、任務においては真西に縁がなかった。
「
西側には古國に類する小国、国に満たない邑や里も多く、神通祖国との国交が無い、もしくは様々な理由で排他、鎖国を貫く所が多い。青に限らず、西側方面への国外任務経験が少ない士官が多いのは必然だ。
「獣たちが集まって……その先に」
指で国々を西に向けて指し示していき、さらにその先には、獅子國(獣ノ國)の表記。
小さき獣たちが北方、東方、南方から王を護り立ち塞がっているような、扇形の隊列を描いて国や邑や里が配置されているようにも見える。その中で、翡翠は扇の外側、最も東に位置していた。
「翡翠までが……凪から一週間程度として」
地図の尺度の精度は怪しいが、手元の軍用地図で概ねの距離感を計ってみる。まるで幾重の白波のように国々の合間を連峰や谷が入り組んで縫って走り、西へ進めば進むほどに地理的条件は厳しさを増す。足止めや遠回りは避けられない。
「『かの国』までひと月……」
森の小屋で別れて、西へ消えて行った藍鬼ら一行。
西の方向から妖獣に追われて逃げ込んできた、チョウトクの東雲中士。
「……」
青はふと地図から顔を上げ、檜前准士を探した。
森が開けた崖、連峰の向こうに沈もうとする太陽が橙色に稜線を縁取る。日没の様子を、ただ静かに見つめる檜前准士の横顔がある。
遥か先の、だが確実に近づいた故郷へ、思いを馳せているのだろうか。
そんな時、
「今日は高い場所ではないのですか」
西日を背に長い影が、青の足元に差した。
顔を上げると、キョウが立っている。
「手頃な枝がなくて」
青――シユウの返しにキョウが「なるほど」と笑った。
「少し、話をしても?」
「承知しました」
「そのままで」
立ち上がりかけた青を制し、キョウは青が背を預ける岩の側面に腰を下ろした。
「……」
青はキョウから反対側へ僅かに顔を逸らした。
あまりシユウの状態でキョウと長話はしたくない、というのが正直なところではある。
言葉選びに細心の注意を払い、言葉数を限定し、声を低く抑えるなど、いつもより何倍も気力と頭を使うのだ。
「翡翠ノ國ではその名の通り、上質な翡翠石が多く採掘されるのだそうですよ」
口火を切ったキョウから出たのは、そんな話題からだった。
「?」
何故その話を。と思いつつ、青はキョウの言葉の続きを待った。
「翡翠は国を閉じているけれど、凪との間では細々と、この翡翠石の取引だけは長年続いているとか」
「……」
「翡翠は宝石として装飾品に使われる他に、神具や呪具といった道具にも用いられていて、翡翠ノ國産は高純度、高品質で稀少中の稀少なのだそうです」
「お詳しいんですね」
「勉強家な友人からの受け売りですよ」
恥ずかしながら、と苦笑するキョウの声。青は思わず肩越しに振り向きかけて、思いとどまる。彼が今どんな顔をしているのか、見たくなってしまった。
キョウの言う通り、この話はいつかの蟲之区で青がキョウに語った内容だ。「西方への任務が続きそうだから予習したい」と持ちかけられて、西方古國の国々について共に資料や本をひっくり返したのが、つい先日の事だ。
その後にまさか、シユウとして指名を受けるとはその時は思ってもいなかったけれど。
「この道程を考えれば、稀少なのも当然ですね」
庵や要いわく翡翠ノ國産の石は「下っ端の技能師じゃ手が出ない」素材の一つだと、青も聞いたことがあった。軍人の足をもってしても七日はかかる道程は、商人が鉱物を抱えて往復するには困難な道のりだ。
「この任務を皮切りにした翡翠での最終目的は、翡翠国内に陣守村を置く事なんです」
「転送陣を、翡翠に?」
「俺たち第一陣の役割は任務依頼書にある通り『翡翠国内で増加した妖獣や賊の掃除』ではあるけれど、平たく言えばそれで翡翠に恩を売る。凪軍の駐留や転送陣の必要性を認識させて来い、というのが上の本来の狙いです」
国外での任務は十中八九が外交の手札。
翡翠に転送陣を敷く事で双方に利点は生まれる。
翡翠側は貿易の活性化、凪の法軍が駐留する事による国内の安全強化。
凪側においても貿易面の利点は言うまでもなく、考えうる最大の利点は――
「凪が、西方へ進出する足がかり、ですか」
「そういう事です」
キョウが姿勢を変えた気配が、岩越に感じられた。振り向くと、長い脚を折り曲げて肘を乗せた楽な姿勢をとっている。
「小難しい話はまた、あらためて。ところで二師は」
焚き火の明かりに照らされた端正な面持ちが、笑みを見せた。
「酒を飲める年齢になりましたか」
「い、一応……」
また急な話題の振り方に戸惑う。そういえば以前、十代の虎だった時に任務で同じ質問をされたことを思い出す。酒にかこつけて年齢を探っているであろう事は、気づいていた。
「ただ、この姿である時は極力、口にしないようにしています」
「残念。確かに技能師が呑む所を見たことがないですね」
理由は明快で、説明するまでもない。
「峡谷上士は、お強いんですか」
「フチだけの水瓶と言われるくらいには」
「っふは、ぁ」
思わず素で笑い声をあげてしまい、青はまた覆面の上から手で口許を隠した。キョウは一瞬、驚いたように目を丸くしてから、両目を細める。
「いつか許される時がきたら、飲みに行きましょう」