村は小ぢんまりとした箱庭のような、それでいて貧しさを感じさせない清廉さが漂う。
夕餉刻という事もあり小屋には明かりが灯され、飯炊きの白煙が上がっていた。畑や田から小屋へ戻ろうとする幾つかの人影や、気配に気づいてか小屋から顔を出す人影が見える。
人影は老若男女、さまざまだ。
「こんな山林の只中に……」
長閑な風景に反して、青は拭いきれない違和感に襲われる。
奥深い山間部、他の集落とも隔絶し、自警団がいる様子もなく、いつ妖や賊に狙われても不思議ではないはずの環境だ。
「
「おかえりなさい、白妙さま」
少女と、少女がつれてきた一隊に気づいた村人のうち数人が、近づいてくる。大柄な男も含む武装集団の登場に、誰も警戒する様子を見せない。質素で色数が少ない身なりの村人は、白い少女と同様に夕暮れを浴びて朱に染まっている。
「……瞳が……?」
額当てに隠れた瞳で、青は村人の一人一人をつぶさに観察した。
夕焼け色が反射しているかと思われた村人たちの瞳が、ほのかに朱く見える。白妙と呼ばれる少女と同じ、瞳の色だ。
「まあ、珍しいこと。また外から人がいらしたの」
年老いた女が一隊の面々を見渡し、顔面の皺を更に深く刻んで笑みを象る。
「また……とは?」
キョウが尋ね返した。
「つい最近だねぇ、お兄さんたちと同じようなナリの娘さんが迷い込んできてねぇ」
「気がついたらそこのお堂の軒下で寝ていたの」
途中、中年の女も加わった。ここでもキョウの周りには女が集う。
「あちこち怪我をしていてたいそう疲れていたようだから、ご飯やお薬と寝床を勧めたんだけど、知らないうちに消えてしまっていたよ」
「……」
東雲中士だろうか。
村人たちの話を聞きながら、青は西から逃げてきたチョウトクの中士を思い出していた。
「お兄さんたちは消えたりしないわよね」
「歓迎するよ」
女たちは楽しそうだ。その「歓迎」が主にキョウに向けられているだろう事は、隊員の誰の目にも明らかである。
「あ〜……俺たちは夜露をしのげさえすりゃいいんで、おかまいなく」
猪牙隊長が強引に、キョウと女たちの間に割って入った。だが女たちは嫌な顔する事もなく、
「こっちのお兄さんは、お髭がご立派で」
「熊っ子みたいだねぇ」
と今度は猪牙を取り囲む。
「ほら、みんなお帰りよ。お兄さんたちが休めないよ」
白妙がそう声をかけると、女たちは「はーい」と声を揃えて離れて行った。
「小五郎」
「はい、白妙さま」
「お兄さんたちを案内してあげて」
「はい、白妙さま」
入れ替わるように、名を呼ばれた村民が白妙の側へやってきた。年の頃、十四、五ほどの少年。
「……!」
隊列の後方、青の近くに立っていた檜前が目を見開いた。
「惣太!」
隊員たちをかき分けて前へ駆け出ると、片膝をついて少年の両肩を掴んだ。
「お前……惣太だろ……!? 生きていたのか!」
「……ソウタ……?」
檜前に肩を揺さぶられて、少年は眉根を寄せて身を捩る。体躯の大きな男の剣幕に、恐怖しているようにも見えた。
「檜前准士、この少年を知っているのか?」
キョウが尋ねる。
「幼馴染です、獅子國で共に育った……十年前に共に国を脱出して……」
「十年前……?」
その場にいる隊員誰もが、すぐに違和感に気が付いた。
「惣太、悪かった、すまなかった……あの時俺はお前を置いて、見捨てて、何も出来なかった……でも生きていたんだな、惣太……!」
ただ一人、檜前だけが、縋るように少年に詫びの言葉をかけ続けている。
「ソウタって誰だよ、お兄さんは誰?」
少年は恐怖と嫌悪感の混ざった目で檜前を見据えた。
「何を言っているんだ惣太、俺だ、檜前ユウだ。わからないのか」
珍しく、檜前の声は焦燥に揺れていた。寡黙で冷静である常の姿からは、想像できなかった姿だ。
「お兄さん、この子は小五郎だよ。この村で炭焼きをしているの」
白妙の細く小さな手が、少年の肩を掴む檜前の腕を、掴む。
「そんなはず……、うっ……」
掴まれた腕に痛みを感じて、檜前は咄嗟に少年から手を離した。
「似ている子がいるのね」
穏やかな声に反して、白妙の瞳が毒々しい血色に光る。
「檜前准士」
隣から、キョウが檜前の背に手を添えた。「ここは一旦、引くんだ」と目が訴えている。
「……申し訳ありません」
納得のいかない面持ちで、だが上官命令に従う理性が、檜前に冷静さを取り戻させた。頭を下げ、二歩、三歩と下がる。
「驚かせてごめんよ。休める場所へ、案内してくれるかい」
「……こっちだよ」
改めてキョウが微笑むと、少年は面持ちから嫌悪の色を消して、だがまだ少しの警戒心を残した面持ちで、村の中へと誘導するために歩き始めた。
*
凪の一隊は村の屋敷に案内された。
箱庭のような小さな村には不自然な、応接の間や、大宴会でも開けそうな大広間を有した、白亜の館だ。
案内役の小五郎少年によれば、
「お姉さんたちには隣に別室もあるので、使って下さい」
と言い残して、少年は去って行った。
「それはそれは。何から何まで」
「都の
不自然なほどの丁重なおもてなしぶりが、隊員たちの警戒心を煽る。
「さて、と。
少年の気配が消えた事を見計らい、
「説明してくれるかい」
近くにいた隊員たちは振り返り、外周の隊員たちはそれとなく、上士二人と檜前を中心に間を空ける。青は壁に背を預けて広間全体が見渡せる位置にいた。
「猪牙隊長と、
と前置きし、檜前は出自を語り出す。
檜前は獅子國に生まれ、十三歳の時に幼馴染の惣太、故・
獅子國では最下層に類する身分の、しかも孤児たちとあってか国から追われる事はなかったものの、山や谷や森などの過酷な地形や自然現象、賊や妖や獣ら捕食者、怪我や病――過酷な旅路が仲間の命を次々と奪っていった。
最終的に凪にたどり着いたのは、三人のみであったという。
「
「さっきの川か?」
キョウの問いに、檜前は頷いた。
「夜に現れた妖に襲われ、俺たちは惣太を見捨てて逃げるしかなく」
夜に露が溢れて、流されてしまう。
「事情はわかった。だがよ、そん時にソウタってやつは幾つだったんだ? さっきの小五郎ってガキはどう見ても十とそこそこに見えたんだが」
「同い年ですから、本来ならば今は二十四か五になるはずでした」
「だよな。その幼馴染の息子だとしても、年齢の
そこが、誰もが感じていた異和だった。
「申し訳ありません……さきほどは俺も、冷静ではありませんでした。あまりにも、あの少年が、最後に見た惣太と瓜二つだったので」
檜前は深々と頭を下げる。
「謝る事はない。弟や親族という可能性は?」
キョウの手が、檜前の背をかるくはたく。
「いいえ」
姿勢を正しながら、檜前は首を横に振った。
「俺も、惣太も、家族は内乱で死にました。この目で見たので間違いありません」
「そうか……」
感傷と不安が入り混じった空気の中、
「失礼しますよ」
廊下から明るい声がかかり、応える前に村の女が数人、両手で盆を持って大広間へ踏み入ってきた。
盆には握り飯や汁物が乗っている。
「こんなものしか用意できませんが、どうぞどうぞ」
「そんな、お構いなく」
女たちは「いいえいいえ」と言いながら盆を大広間隅の卓上に置いていき、ついでにキョウの顔を見ては「きゃー」と女同士ではしゃぎあう。
「……」
隊員たちも慣れたようで、黄色い声が収まるのを苦笑いしながら待つ。
「ごめんよ、うるさくして。外から新しい人が来るとみんな嬉しくなっちゃって」
「お兄さんたち、旅をしていたんだって? 疲れただろう。元気になる隠し味が入っているから、残さずお食べね」
「風呂の湯は、村の特別な湧き水を沸かしたんだ。病気や怪我もたちまち治ってケロリとするよ」
女たちの村自慢は止まらない。
「美味い飯に風呂。まるで
隊員の誰かが呟いた言葉に「その通りよ」と中年の女が頷く。
「ここで暮らしてもう……どれくらい経ったかなぁ……忘れてしまったけど、アタシはずっと病弱だったのに、ここに来てから今ではすっかり元気だよ」
そう、穏やかに語る女の肌は白く、シミや傷が見受けられない。他の女たちも、老女含め、誰もが同様に健やかそうだ。
「この村で暮らしたら、お兄さんはますますイイ男になっちまうね」
最後にまたキョウにちょっかいをかけて、女たちはかしましく部屋を出ていった。
「……」
「どうします……、これ」
これが暢気な旅先での出来事であれば、笑い話で済むのに。隊員たちは複雑な視線を、卓上で湯気をあげる美味そうな食事に向けていた。
「この臭い……、失礼します」
檜前准士が卓の前に歩み寄ると、汁椀を一つ手に取り、顔を近づけた。次に、握り飯にも鼻を近づける。
「どうした」
「血が」
「え」
「食い物に、獣の血が混じっています」
「うげ……お前ら絶対に口をつけるなよ」
「分かってますよ……」
隊長はじめ、面々の顔が曇り、歪む。
「何だってそんな事を。俺たちを呪おうってのか」
飲食物に血を混入する行為は、昔から呪いの類で聞く事はある。恨みを込めた血を飲ませて相手を呪ったり、経血を混ぜて意中の男を射止めようとするものまで。
「檜前准士」
「はい」
壁際にいた青が檜前を呼ぶと、隊員たちが一斉に振り向いた。水が割れるように青と檜前の間から人が引く。
「村人の中に、獣血人や神獣人がいるかどうかは、判別できるものですか」
「いえ……見た目だけでは……神獣人は見目が麗しい者が多いとは聞きますが……」
「……」
「……」
青と檜前は二呼吸分ほど、無言で視線を合わせた。四年前の、大狐の頭領率いる賊討伐任務が思い出される。
「皆さん」
改めて青は大広間一同へ視線を巡らせた。
「出された飲食物だけでなく、井戸や川の水、木の実や草も含めて、とにかく「村のもの」に触れない、体に入れないようにしてください。もちろん湯殿も使わないように」
「お、おう、分かった」
「あの!」
隊員たちの影から、手が上がる。
「わ、私、この屋敷に来る途中にあった小川の水に、触れてしまいました」
首に治りにくい傷があると言っていた、小柄な准士の女だ。
「何か異変はありますか。意識が
「いいえ、むしろ、その……」
詰め寄る青に驚きながら、恐る恐る、准士は襟をはだけさせて首を見せる。つい昨日見た時には残っていた赤い
「爛れ跡が消えてる……それどころか傷の痕跡も」
医療士の時の癖で、青は無意識に准士へ顔を近づけ、首へ手を伸ばした。
指先でなぞると、傷の上から皮膚が再生しているのではなく、そもそも傷が存在していなかったかのように自然な
「あ、あの、二師……?」
「檜前准士」
ドギマギする准士に気づかないまま、青は檜前を振り返る。
「獣血人の血が人体にどのような影響を及ぼすかは知っていますが、神獣人の血ではどうなるのですか」
青の質問に、檜前は「申し訳ありません」と目を伏せる。
「俺は神獣人に近づける身分ではなかったので、そこまでは……ただ」
隊長やキョウ含め隊員たちは、疑問符を浮かべた面持ちをしながら、青と檜前准士のやりとりを静かに聞いていた。
「神獣人は獣や人よりも永き命を生き、高い知能と
「永き命……支配層……」
呟いて、それきり青は考え込む。無意識に、覆面の顎に指を当てていた。この仕草は、長考に入る時の癖だ。
「峡谷、この飯どうするよ。食ったフリして捨てた方が良いんじゃねぇか」
「うーん……」
猪牙隊長の案に隊員たちが「そうしましょう」「気色悪いし」と同意する中、キョウは少しの迷いの後、首を横に振る。
「フリをしたとて、俺達に何の変化も見られなければ、食べていない事はすぐに発覚するでしょう」
「それもそうだが」
「俺たちをどうにかしようというつもりなら、隠し味などと、何かを混入している事を仄めかしたりはしない。つまり彼らに悪意は無いのです」
「尚のこと、厄介だし不気味だぜ。嘘を吐かれた事の方が
そうでなくとも、
「このまま、手をつけないでおきましょう。その上で無理矢理どうかしてこようというなら、逃げるかもしくは……」
戦う。
キョウの言葉に、隊員たちは息や唾を呑む。
「そうだな。そうしよう」
大きく息を吐いて猪牙は、後頭部を掻いた。
*
夜間は交代で見張りを立てるまで用心したにもかかわらず、結局は再び杞憂のまま、一同は平穏な朝を迎えた。
大広間は清潔で、畳からは真新しい、い草の香り。用意されていた敷物は日干しされていたりと、宿として細部に渡り心地のいいものだった。
用意された食事も、血の混入に気がつかなければ、きっと美味かったに違いない。
「おはよう、お兄さんたち」
広間と廊下を仕切る襖の向こうから、少女の声。白妙だ。
「お、おう」
猪牙が応えると、音もなく襖が開いて白妙が顔を覗かせた。
すでに旅支度を終えている凪の一隊を見た白妙の瞳が僅かに見開かれ、次に紅い瞳は手つかずの食事に向く。
「ご飯、食べなかったのかい?」
白妙の声に、怒りや戸惑いは無い。
「ああ、悪い。せっかく用意してもらったんだが、規則なんだ」
「残念。じゃあ……さよならだね。行くところがあるんだものね」
隊員一同、襲い掛かられる心の準備をしていたが、これもまた、拍子抜けするほどに白妙からは敵愾心を感じなかった。
白妙は徐に襖を開ききる。縁側の雨戸は全て開け放たれており、柔らかな朝日を浴びる村が見渡せた。
田畑の向こう―村の出入口方面は山から降りてくる朝霧の影響か、遠景が白く霞んでいる。
「露もいなくなったよ。いい旅日和だ」
「あ、ああ、世話になった。助かったよ」
「良かった。あの道を真っ直ぐ進むと、村の出口だよ」
白妙が指すのは、屋敷の正面から文字通り真っ直ぐに伸びた、一本道。右手に水田を見渡せて、左手は雑木林に挟まれた、土を踏み固めただけの道だ。
「さようなら、お兄さんたち」
屋敷の前で手をふる白妙に見送られて、凪の一隊は村からの出口を目指して進む。追ってくる様子も無い。村人たちが家屋から出てくる様子も無い。
「……」
列の最後尾を歩く青は、ここでもやはりいつもの癖で視線を左右に巡らせて、村に自生する植物を眺めていた。
「二師」
「え」
唐突に腕を引かれて顔を上げると、いつの間に後列に移動していたのか、キョウがいた。
「くれぐれも、はぐれないように」
「……はい、失礼しました」
キョウの意図に気づいて、青は素直に頷いて隊列に戻る。
今ここではぐれたら、二度と帰れなくなる。そんな恐怖が急にこみ上げてきた。
「あ……」
進む道の途中、雑木林から、人影が降りてきた。
薪を背負った少年、小五郎だ。
「おう、案内してくれたボウズだな。世話になったな」
「…お元気で」
先頭を行く猪牙へ軽く会釈をし隊列を見送る小五郎の姿を見止め、隊列の中頃にいた檜前准士が、足を止める。
「……」
小五郎も、檜前に気づいて手前で歩を止めた。
「惣……いや、小五郎……だったな」
檜前は大柄な上背を折りたたむように、小五郎の前に片膝をついた。
「昨日はおどかして悪かった」
「……ううん」
小五郎は瞳を伏せる。
「炭焼きの仕事は、楽しいか」
「……うん」
「村での暮らしは、楽しいか」
「……うん」
檜前の質問に、小五郎はただ小さく静かに頷く。
先頭を歩く隊員らが足を止めた。
「幸せか」
「……え……?」
伏せられていた小五郎の瞳が、檜前を見た。
大きな黒目を丸くさせて、
「うん……」
小五郎は深く頷いた。
「そうか」
唇を引き結んで微笑み頷くと、檜前は立ち上がる。最後に小五郎の肩を片手で撫でるようはたいた。
「元気でな」
踵を返した檜前の背中を、小五郎はいつまでも見送っていた。
それから振り返る事なく真っ直ぐに進んだ一行は、小さな広場に出くわした。
村に来た時にも通った場所だ。
草が禿げて土が踏み固められた広場の隅に、目印となる小さな祠が置かれている。
「あれ?」
祠の前に回り込んだ隊員の一人が、首を傾げた。
昨晩ここを通った時に供えられていた花と饅頭が消えている。それどころか、祀られていたはずの白い玉石も、消えていた。
「……」
誰からともなく、来た道を振り返る。
広場から村へ真っ直ぐ伸びていたはずの道が、途中で藪に覆われて消えていた。
*
過酷な峠越えを繰り返すこと、丸三日。
最後の渓谷を越えるために更に二日。
凪を出立してちょうど七日をかけて、一隊は翡翠ノ國の首府へ辿り着いた。
都と表現するにはだいぶ大仰なほどに、翡翠の長が居を構える地は、白妙の村と大差ない規模の里山だった。
この小国がいかに長年にわたり地理的優位で安寧を保ってきたのかが、窺える。
山あり谷あり時々妖や賊ありの道中を越えた隊員たちは「これは何が何でも絶対に転送陣を置かせてもらいたい」との強い気持ちを新たにしたのは言うまでもない。
国や都としての規模は小さいながら、翡翠の首府は決して貧相ではなかった。
翡翠ノ國の建築様式は、凪よりも石材の使用率の高さが目立つ。その国名の通り、至る所に濃淡様々な翡翠石の装飾品があしらわれ、清廉な翠の艶が首府に奥ゆかしい趣を醸し出していた。
首府の中央に鎮座する長の屋敷も、石柱、玄関までの歩道や中庭の石畳、土間と、ふんだんに翡翠混じりの石材が使われている。
大広間に通された凪の一隊は、長と対面する。
長い白髪をまるで水引のように頭部で複雑に結った、老齢の女長。その斜め後ろに壮年の女が座っており、色違いの飾り紐で長と同形の髪型である事から、後継者と思われる。
いずれも翡翠石の装飾品を、首、手首に身に着けていて、石の数と大きさで位の違いを表しているようだ。
「まあまあ、いらっしゃい。大変だったでしょう」
穏やかな声が、一同の旅路を労う。
代表者たる上士二人が儀礼的な挨拶口上を述べるさなか、大広間の両脇に並ぶ翡翠の女高官や文官たちが、耳打ちしあってはしゃいでいる。
おおかた若い男揃いの凪一同の中でどれが好みか、キョウの顔の話か、であろう。
値踏みする視線の中で、上士二人以外の男たちは居心地が悪そうだが、最後列の青は周囲の観察に忙しかった。屋敷の大広間を眺めるだけでも、凪と異なる文化、様式が詰め込まれていて、興味が尽きない。
「初めて見た……」
特に青の、他の隊員達にとってもそうであろうが、目を引いたのは、高官たちの中に並ぶ獣人の存在だ。
どう見ても「兎」が、翡翠の高官服を着て二本足で立っている。
高帽からはみ出た茶毛の長い耳が折れ曲がって顔面の両側に垂れていて、木の実のような黒目に、突き出た桃色の鼻、齧歯類特有の少し前歯が覗く口許が小刻みに動いていた。
「か、かわいい……」
「かわいい……触りたい……」
「抱きつきたい……」
青の前に並ぶ隊員たちから、そんな悶え声が聞こえてくる。
彼らの葛藤を他所に、大広間前方では長と上士二人による「外交」は粛々と進んでいた。
「あの峰々をたった三日で越えるなんて、さすがは法軍の精鋭の方々ですねぇ」
上士二人の旅話に、翡翠の長はまるで孫の話を聞くように目を細め、頷いている。
「そういえば……「露」には遭遇なさらなかった?」
「露……、いいえ、幸いにも」
「そう。運がよろしかったわ。でもご帰還の際はお気をつけてね。夜に
長の話によると。露流河とは森と連峰の間を横切る大河の名で、白妙と遭遇した河で間違い無いようだった。
露流河は太古の昔から頻繁に大氾濫を起こし、村ができては流されてを繰り返してきたという。そのために今では川沿いに人が居付かず、東方と西方を遮る難関地帯の一つとして、多くの旅人を呑み込んできた。
「露」というのは、河の氾濫と、水の妖を含めた露流河で起きる水害全般を差す言葉である事も、長の話から理解できた。
「その水の妖というのは、蛇の姿で……?」
「ええ。夜闇に紛れる黒蛇なの」
「黒……白ではないのですね」
「……あなた達、もしかして……」
若者たちの様子に何かを察したか、
「露流河には「しろたえのさと」という昔噺があってね」
翡翠の長は、ゆるりと、語りだした。
むかし むかし つるがわのほとりに
やせっぽっちの しろへびが すんでいました
から始まるよくある昔噺は、力が弱く、半端者で孤独な白蛇の物語。
白蛇は、荒ぶる黒の水神蛇に村を流された哀れな村人たちを隠れ屋へ連れていき、自らの血肉を分け与えた。
すると村人たちはみるみる元気を取り戻し、永き命を得て、白蛇とともに山間に村を築いた。
そうして孤独だった白蛇は、村人たちに「しろたえさま」と慕われて、いつまでも仲良く、楽しく、暮らしましたとさ。
露流河周辺で東西を渡る途中に倒れた旅人は、しろたえさまに導かれる――今もそんな伝承が残っているのだという。
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