自称・弟子は
「師匠!」
勢いよく戸が開いた。
「……お前、どうやってここまで……」
掘っ立て小屋の戸口に立つ青を前に、
「良かった、いた。やっぱり仮面はつけたままなんだね」
都の福祉官のもとで過ごしたひと月の間に、青はほんの少し背を伸ばしていた。黄土色の背負い袋を担ぎ、再び藍鬼の庵へと足を運ぶ。
「俺の質問に答えろ」
「転送陣でだよ」
「そんなはずがあるか……」
都から、藍鬼の庵が建つ森へと至るには、転送陣を使うほかない。子どもの足では到底たどり着ける距離ではなく、そもそも通行証を持たない者の利用は許可されていないはずだ。
「これを使ったんだ」
狼狽する師匠の様子が面白くなり、青は得意げに道具袋から小瓶を取り出した。
「……俺がお前にやった解毒薬だな」
瓶に施された箔模様を
「これを少し分けてあげるからって頼んだら、通してくれたよ」
「は……?」
「師匠ってすごいんだね! みんな、これを見て驚いてたよ」
青の手のひらに乗る薬瓶には、龍の箔押しが施されていた。
藍鬼の手甲の銀板にも、同じ紋章が刻まれている。
「価値があるのは俺じゃなく、その紋章だ。……それで、村からここまでどうやって来た」
陽があるとはいえ、この森を二刻も歩くのは、子どもにとって危険すぎる。
「師匠と歩いた跡をたどっただけだよ。獣にも妖獣にも遭わなかった。師匠、すごいね! どうやって分かるの?」
「……」
藍鬼は、肩を落とした。
まさか、子ども連れであることを考慮して選んだ安全な経路を、逆に利用されるとは。
恵んでやった薬の使い途といい、完全に裏目に出てしまった。
「それで。何をしにきた」
「お薬作ってたの? 僕、お手伝いしたい!」
藍鬼の体の向こう、青が室内を覗きこむ。居間には大判の半紙が拡げられ、大小の
「お掃除とか、お片付けとかもするから!」
「……邪魔はするなよ」
追い返す理由を考えるのも面倒になった師匠は、あっさりと折れた。
自称・弟子は「邪魔をするな」という師匠の言いつけを守り、質問攻撃を我慢して、黙々と雑用に勤しんだのだった。
藍鬼が薬草をすり潰している間は飛び散った草や木の実のカスを掃く。
使い終わった器具を川へ洗いに行く。
中途半端に余った材料を仕分けする、など。
藍鬼の作業工程を穴が空くほど観察しながら、必要な雑用を見つけ出すのだ。
「お前、学校はいつからだ」
青の働きによって作業が早く終わり、藍鬼に会話をする時間が生まれた。
「卯月からなら、もうすぐだろうに」
それも青の作戦だと気づきながら、師はあえて幼い弟子の策略に乗る。
「うん。でもまた来る。来てもいいでしょ?」
青は藍鬼と向き合う位置に座り、背を正した。
黒い仮面の下から、深い溜め息が漏れる。
「俺は四六時中ここにいる訳ではない。俺は法軍の一軍人だ。任務の命が下ればいつ何時でも発たねばならない」
法軍とは、凪之国の国軍を指す。
いずれ青も、学校で学ぶことになる一般教養の一つだ。
「任務ってお仕事のこと? どれくらいかかるの?」
「二刻足らずで終わる物から、国の外に赴いて数月単位のものまである」
「どんなお仕事なの?」
「人ならざるものの討伐や、対象が人の時もある。戦もな」
藍鬼ほどの使い手なら、難易度の高い任務が舞い込むのも当然だった。
それはつまり、命の保証が無い危険をともなっている、という意味でもある。
誰でも死ぬかもしれないのだ。
母さまのように。
「それでも、何度も来たい。学校の勉強も頑張るから。お願い!」
「お仕掛け女房かお前は……今のは覚えなくてもいい」
自分が漏らした軽口に苦笑しながら、藍鬼は立ち上がる。奥の一室へ向かい何かを探し出すと、またすぐ居間へ戻ってきた。
手には、漆塗りの箱。
箱を開けると、中には数枚の木片と、膨らんだ巾着袋。薄汚れたように
青が見守る中、藍鬼は小刀を逆手に握り、左袖をまくると、腕にすらりと線を引いた。
「え!? な、何してるの?!」
驚く青を置いてけぼりに、藍鬼は黙々と作業を続ける。
腕に引いた線からぷつぷつと顔を出した血の玉を集めるように指でぬぐい、木片の一枚に血文字を書いた。
次に巾着袋から直方体の石を取り出し、片面で傷口をぬぐって血を塗りつけ、木版に押し当てる。
龍紋の血判だ。
「次からこれを使え」
差し出された血文字と血の判を押された木片を、青は恐る恐る受け取った。
角張った紅い文字が、こちらを
「この森への通行証だ。俺が生きている間は使える」
「い、いいの……? ありがとう!」
半紙でざっと血を拭き取る仮面の横顔に、青は満面の笑みを向けた。
「あこぎな商売でも覚えられたら困る。子どもに何を教えているんだってな」
薬の使い途について、根に持っていたようだ。
「日が落ちる前に帰れ」
開け放たれた戸口から外を見る。
影が伸びつつある時刻だ。
森の陽が落ちるのは早い。
「今日は助かった」
「また来るね!」
戸口で見送る仮面へ、青は森の入り口から嬉しげに両手を振る。
見送る藍鬼の視線を背中で感じながら、村へ続く獣道へと分け入った。
何事もなく陣守の村まで帰還した青は、一直線に転送陣の堂へ向かう。
木片を見せると、転送陣を護る兵たちは表情を微変させた。
「龍の血判通行証か」
「よくこんな物がもらえたな」
二人、三人と集まる兵たちは口々にそう言って、青に勘ぐりの目を向ける。
「師匠が書いてくれたんだけど、珍しい物なの?」
青の尋ねに兵たちは顔を見合わせた。若い女の兵が少しだけ困ったように微笑んで応える。
「それは血判通行証といってね。転送術師が術をかけた手形板に血で署名と
ショメイ、オウイン、テガタ、コウナンイド、ショクイ、ハッコウ――知らない言葉が次々と飛び交ったが、青は問いただすことなく、それらを記憶に刻んだ。
施設の資料室で調べられると、学んだからだ。
兵たちの態度や文脈から察するに、師――藍鬼は「軍」の中でも相応の地位にあるのだろう。
「教えてくれてありがとう!」
青は深々と頭を下げ、差し出された通行証を受け取った。
*
都に戻った青は、身柄を寄せている施設――長が言っていたところの「孤児院」へと帰宅した。
孤児院の名は「
凪の都では、区画ごとに基調色が定められていた。
白月区はその名のとおり、白い石畳と石垣に囲まれ、建物の色味も揃えられている。
「おかえりなさい」
帰還した青を、施設の職員は笑顔で出迎えた。
白を基調とした長衣と、背の高い白帽を身に着けている。
帽子と腕章には、凪の紋章が刻まれていた。
ここでの暮らしに不満、不自由はない。
職員たちはみな優しく、環境も清潔だ。
だけれど、ここにいる子どもたちの瞳は、どこか遠くの景色を映しているような色をしている。
青の他にも、十人ほどの子どもが暮らしていた。
年齢は、青より幼い赤ん坊から、上は十五歳まで。
凪之国には「初等学校」と呼ばれる基礎教育機関があり、すべての国民が無償で教育を受けられる。
入学可能な最低年齢は五歳で五年制。
その後は試験に合格した者のみ、中等課程へ進学が可能だ。
中等課程を修了後、希望者は入軍試験を受け、合格すれば軍属となり、軍の宿舎へと生活の居を移す。
最年長の十五歳の子も、この春には霽月院を出ていくという。
青はまっすぐに資料室に向かった。
忘れないうちに、陣守村の衛兵から聞いた言葉を調べなければならない。
壁際の書架前に置かれた机は、青のお気に入りの場所だ。
入口から遠く、雑音が入りにくい。本の取り出しにも便利なのだ。
霽月院に入ってからの青は、とにかく多くの時間を資料室で過ごした。
寝食以外の時間を費やしているといっても過言ではない。
あまりに長時間入り浸るものだから、職員たちに心配されるほどだ。
本を開けば、見慣れぬ言葉が並んでいる。
辞書を引きながら読むが、とても時間がかかる。
意味がつかめぬまま、ただ書き写すこともあった。
だから、とにかく頭に叩き込んだ。
そうするうちに、藍鬼や周りの大人たちが話す内容、意味が理解できるようになってくる。
それが楽しくて、もっと知りたくなる――その繰り返しで、青は資料室の本を全て腹にかきこむ勢いで、読み漁った。
青が最初に読破した本は、凪之国の成り立ちを描いた児童書だった。
難民として放浪していた青の身の上を知った、資料室の管理人が、薦めてくれた本だ。
この本で、青はようやく「五神通祖国」の意味を知る。
神話の時代より、人類は長らく妖魔、妖獣、鬼らの捕食対象であった。
そんな中、七人の賢人たちが現れ、それぞれ火、水、風、雷、地、光、闇の神へ己の生命力・気を捧げ、力を得た。
これが「神通術」の始まりである。
七賢人は神通術を体系化し、汎用性の高い術法へと確立。
人々へ教示し、導いた。
七賢人たちは人々を護り暮らしを与えるために里を築き、やがて火、水、風、雷、地の五人は国を築いた。
それが「五神通祖国」の始まりである。
凪之国は、水の賢人が築いた国である。
「凪」という名には、「
その紋章には、穏やかな漣と、薙ぎ斬る刃が描かれている。
水の賢人は、水の神と契りを交わし、水の賢神となった。
今もなお、凪之国を見守り続けているという。
――と、ここまでが児童書の内容だ。
五神通祖国は、「五大国」とも称される。
共通の軍事機構と術法を有し、捕食種族への抵抗を続けてきた。
五大国の軍事機構を「法軍」――これは国軍を指す。
「法軍」の名は、神通術の正式名称である「神通術法」を五国の共通術法としたことに由来する。
そのため、五国では「法軍」といえば、すなわち国軍を表すようになった。
青の師、藍鬼は五大国・凪之国の法軍人だ。
特別な許可証を発行する権限を持つ、上位の者。
神通術を操り、毒と薬に精通し、針一本で妖獣を仕留めることもできる。
『運が良かったよ。拾ってくれたのがあのセンセイで』
陣守の村の店主から言われた言葉が、ふと思い出された。
その言葉は、正しかった。
青は、本の頁から目を離し、傍らに置いた通行証を見つめた。
「弟子だって、言ってもらいたい」
この人から、限りのことを、学びたい。
学ばなければならない、と強く思う。
母が凪を目指していた理由は、今となっては分からない。
無力な孤児である自分に、できることはたかが知れている。
だからまずは、学ばなければ。
知らなければならないのだ。
「青君、そろそろ夕食の時間だよ」
「!」
穏やかな初老の声に、青は顔を上げた。
窓の外はすでに暗く、資料室の室内には灯りが揺れている。
出入り口付近では、管理人が帰り支度を始めていた。
「はい! ただいま」
本を棚へ戻し、荷物をまとめ、小走りで管理人のもとへ向かう。
「今日もたくさん勉強していたね」
「はい、お腹空いた~!」
青は満面の笑みを浮かべ、好々爺の腕を軽く引いた。