毒使い   作:キタノユ

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ep. 38 訪問者

 翡翠(ひすい)より北西に位置する不可侵の中立地帯、くりんの里。

 諜報部・東雲(しののめ)准士の提案により、翡翠からくりんの里への経路開拓隊が編成される事となった。

 

「今日は別の任務に出向いていて不在だが、面子に俺の(めい)っ子、チョウトクの東雲暁(しののめ・あき)を加えて欲しい」

「姪っ子ちゃんもチョウトクかい」

 と猪牙。

 

「東雲家は代々、チョウトクに身を捧げてきたんでね。西方任務で行方不明になったオレの兄貴、向陽《こうよう》も」

「……」

 瞬間、青、キョウ、檜前(ひのくま)の視線がかち合う。

 

 運命が許せば、また出会える。

 東雲向陽ことコウの意志を尊重し、この場で三人は暗黙のうちに口をつぐんだ。

 

「姪っ子だからって訳じゃない。暁は、くりんの里にたどり着いた経験がある。役に立つはずだ」

「ほう。なかなかやるな、姪っ子ちゃん」

「昔、オレが片腕吹っ飛ばして死にかけた時に、くりんの里の者に助けられてな。距離的には遠回りになるが、獅子國から北を経由した方が移動しやすいって話していたのを覚えてたみたいで」

 

 天陽と猪牙の会話を聴きながら、青は東雲中士を拾った夜の事を思い出していた。

 

「姪御さん、もしや翡翠付近にある隠れ里にも立ち寄ったと仰っていませんでしたか」

「ああ、その通り。他にも世話になった場所がいくつかあったみたいで」

 

「姪っ子ちゃん、安全な場所を見つける嗅覚でもあんのかもしれねぇな」

 ガハハ、と豪快に猪牙は笑う。

 

「あと……この子も」

 と、天陽が次に推薦したのは、あさぎだった。

 

「!」

 輪の外側で大人しく立っていた少女の目が、途端に爛々とする。

 

「年齢で判断するわけじゃねぇが、大丈夫か?」

 猪牙の疑念に、天陽は深く頷いた。

「任務の経験は浅いが、今回の旅路には必要になるはずだ」

「何か理由が?」

「瘴気だ」

 

 天陽が再び、地図を指し示す。

 

「くりんの里は普段、瘴気の霧や川で囲まれていてな。これは推測でしか無いが…里に迎え入れても良いと判断されなければ近づく事もできないんだ」

「里へ入る条件は?」

「思い当たるとすれば……オレは瀕死だったし、姪っ子も一人で途方に暮れた状態だったんで……弱ってるとか困ってる奴って事なのか」

「それで、なぜその子が必要に?」

 

 キョウの問いかけに、

 

「はい、ワタクシから説明いたします!」

 

 あさぎが右手を勢いよく挙手し、一歩前へ進み出る。まるで学校の授業ではりきる子どものように。

 場の視線が向くや否や、あさぎは腰に差した小刀を抜くと自らの左腕に突き立てた。

 

「え!?」

「!?」

「お、おい!」

 

 前腕部に半分沈んだ刃を引き抜くと小さな血飛沫が飛んで、あさぎの頬を汚す。

 

「な、何やってんだ馬鹿!!」

 狼狽した声を上げよぎりが駆け寄り、あさぎの二の腕を掴んだ。

 

「大丈夫、見て」

 得意げな面持ちで、あさぎは取り出した手拭いで紅く濡れた前腕をおざなりに拭き取る。

 

「え……」

 よぎりが瞳を見開く。今この場で初めて目の当たりにしたのか、片側が茶、もう片側が色素が薄い銀の瞳が、動揺に揺れていた。

 

 青の予想通り、穴が空いているはずのあさぎの前腕部には、猫に引っ掻かれた程度の小さな傷しかなく、それも面々が見守る前で、時間を巻き戻すように消えていった。

 

「凄ぇな、ここまでのは初めて見る」

「特異体質か」

「はい!」

 あさぎは、すっかり綺麗に完治した腕を、猪牙とキョウの両名の正面に掲げる。

 

「この通りの脅威の治癒力、妖瘴(ようしょう)も無害化、そしてそして! 耐毒訓練の「特」まで一週間で完了しましたが、この通り後遺症もなく元気です!」

 

 商人の売り文句のようなあさぎの自己紹介に、ホタルが「くくっ」と笑いを噛み殺す。

 

 法軍の耐毒訓練は微弱な毒から徐々に体に慣れさせ、軍医監修のもと体質に応じて個人の限界値が設定される。

 そのため最上位の「特」に挑む事を許可される人数はごく限られており、更に毒性への適応に数ヶ月から年単位を要するのが一般的である。

 

「一週間でか?! 峡谷お前、特はどれくらいだっけか?」

「俺は一ヶ月かかりました」

 それでも当時は「驚異的」と称された短さだった。

 顔を見合わせる二人の上士。

 

「その子が言ってる事は本当だ。オレが立ち会った。諜報部として保証する」

 天陽の助太刀にあさぎは「うんうん」と大きく頷いた。

 訓練結果は記録を調べればすぐに分かる事だ。嘘を吐いたところで意味は無い。

 

「やはり諜報部は知ってたのか……」

 覆面の下で、青は聞こえない独り言を呟いた。

 青の予想通り、諜報部はあさぎの体質を見抜いた上で引き抜いていたのだ。

 

「……あさぎ、お前……」

 どこかで思い当たる節があったのか、双子の兄は幾分か困惑が残った顔色で、だが平静に妹の横顔を見つめている。

 

「疑ってる訳じゃないよ。よくわかった、君にはぜひ――」

 

 あさぎを一瞥したのち、キョウは天陽へその水面色の瞳を向ける。次に口を開きかけたところへ、

 

「ま、待って下さい!」

 遮るように、青がキョウの前に出る。

 

「麒麟が護る里の瘴気の毒性は未知数。そんなところに、特殊体質といえど体も未発達で経験の浅い若手を、安易に投じる事には反対です」

 

 それに、と青は言葉を続けながら、あさぎの面持ちを覗き込んだ。

 

「汗ばんで顔も紅潮し心拍も乱れている。治癒力が高くとも痛覚はあるのです。耐毒訓練だって期間が短かった分、苦痛は大きかったに違いない」

「………」

 ぽかんと、あさぎは小さな口を半開きにして青を見つめた。

 

 同じような事を、かつて「大月保健士」にも言われた事がある。

 

「わ、私は大丈夫です、痛みには強いんです!」

 あさぎの手が、縋るように青の外套の裾を掴んだ。

 

「それは強いのではない、慣れて麻痺しているだけだ」

「何がダメなんですか?!」

 反論する青の語尾に喰らいつくように、あさぎは更に青に詰め寄った。

 

「あ、あさちゃん!」

「あさぎ……失礼だぞ!」

 

 天陽とよぎりが慌ててあさぎの両脇に駆け寄るが、あさぎは引こうとしない。

 

「疑うなら、耐毒訓練の特よりも強い毒で、試してみてください!」

「疑っているわけじゃないんだ」

 

 圧に押されて青は上背を引く。毒を使ってくれと請われるなんて初めてだ。無意識に助けを求めるようにキョウへ視線をやると、

 

「二師の仰る事は、ごもっともです」

 

 整った顔が静かに頷く。

 だが続く言葉は「でも」だった。

 

「良いじゃないですか。日野「下士」は、自らの特性を活かそうとしている。それに、痛覚があるにもかかわらず彼女は微塵(みじん)の迷いもなく己に刃を突き立てた。その覚悟は評価に値すると思いませんか」

 

 青を見据えるキョウの瞳が、光を受けて薄氷色に耀う。

 

「峡谷上士……」

 あさぎが学生の身分であれば、キョウの判断は違っていたのかもしれない。

 

 あえて「下士」を強調した彼の意図が、青にも理解できた。

 あさぎの体質が、未知領域の探索において有効活用できる事も。

 

「……では、私も日野下士と同隊に加えて下さい」

 それでも青はあさぎに、安易に身を削る癖をつけさせたくはなかった。

 

「元より、そのようにお願いするつもりでした」

 キョウの形の美しい瞳が、細められる。

 

「ありがとうございます! 頑張ります!」

 同行が叶うと知ってあさぎは手放しで喜び、天陽はキョウと青へ交互に「ワガママを聞いていただき感謝します」と頭を下げて場を宥めていた。

 

「ただし私が同行するからには」

 青は覆面の下で低く、静かに、溜め息のような声を発した。

 

「毒や瘴気への対応について、私の指示に従ってもらいます」

 精一杯の戒めの色を含ませて。

 

 青の反発が意外だったのか、場に静寂がよぎる。

「ええ、もちろんです。頼りにしています、二師」

 その中でキョウは変わらず、満足げな微笑をたたえていた。

 

「……」

 視線から逃れるように、青はキョウの面持ちから顔を逸らして、目を伏せた。

 

 外套(がいとう)(すそ)に見え隠れする己の手甲、そこに(たたず)む獅子を見やり、つい強い論調で反駁(はんばく)してしまった己を省みる。

 

 誰の尊厳や道理を傷つける事なく場を収めてみせたキョウと、平身低頭な姿勢の天陽の穏健さに救われたが、己の信条に反する事態への強い反発心を抑えきる事ができなかった。

 

 これが高位技能師の驕りなのか、専門家としての責任感なのか、今の青には分からなかった。

 

「張り切るのは結構だが、専門家センセイの言う事はよ~く聞くんだぞ。んじゃ、続けよか」

 

 最後に猪牙が粗く、だが的確にまとめて、議事が再開した。

 

 

 議題は引き続き、くりんの里へ向かう経路および、隊の編成だ。

 

「北周りで里を目指す場合は、冬季は避けた方がいい。だがそれ以外の気候は穏やかだし、大小の湖や川がまたぎはするものの剣祖(けんそ)な山岳や渓谷地帯は少ない。不毛地帯もなく、森と水に恵まれた国々が多い」

 

 翡翠から直線で西進する場合、砂漠化した広大な不毛地帯と草原を横断する必要があり、越境する国の数は少ないものの過酷な自然環境が待ち受けている。

 

 南周りは活火山群や亜熱帯の広大な森が連なっており、その気候環境故に巨大化した爬虫類や昆虫類が多く生息しているという。

 

「なるほど。だから北西側に国の数が偏っているように見えるのか」

 地図を眺め、キョウがつぶやく。

 

「そういえば檜前、雲類鷲(うるわし)、お前らはどこを通って凪まで来たんだ?」

「こうして地図を改めて見ると、我々も北へ迂回したようです。砂漠地帯を通った記憶は無いので、おそらくこの辺りを」

 猪牙に呼ばれ、雲類鷲が地図を指し示す。

 

 獅子國を旅立ち、緩やかに北へ迂回しながら翡翠を掠めて露流河を越えていく。惣太のように機動力の無い子どももいたために、雲類鷲の俯瞰(ふかん)の目を頼りに、なるべく安全性の高そうな地形を選び蛇行しながら進んだという。

 

「北を経由するよう、誰かに助言されたのか?」

「いいえ。ただ、南に行けば火の山がそびえていて炎の蜥蜴や人食い龍がいるだとか、東へまっすぐ進めば死の大地や草原や谷が続いて、狂暴な狼属が群れをなしていて侵入者はなぶり殺しにされるだとか、色々と物語や噂では聞いていましたので」

 

 幼い頃に耳にして刷り込まれていた御伽話の強い記憶から、消去法でおのずと北経由をとったという訳だ。

 

「なるほど」

 キョウが腰を屈めて机上の地図へ顔を近づける。

 

 西方の南側は情報が少ないようで、火山と思わしき朱色に塗られた峻険(しゅんけん)な山々や、地獄の釜のような地形が描かれているものの、他地方と比べて地名等の情報が少ない。

 

「こうして眺めてみると、北周りの経路を描くように小さい国々が並んでいるように見える」

「獣道じゃないが、大昔から歴史的に人の移動に適した経路だったんだろうな」

 

 天陽の西方歴史講座によると、獅子國から見て南東、真東に比べて、北東の国々の多くがかつて宗国獅子國の支配や干渉を受けていた歴史の記録が多いという。

 

「……なぜここに里を拓いたのか……」

 同じように地図を見下ろしていた青の呟きに、一同が視線を向け、キョウも顔を上げた。

 

「なぜ、と言いますと?」

「あ……いえ、すみません。独り言で」

 声が漏れていた自覚が無かった青は、思わず片手を口元に当てる。

 

「良ければ、聞かせて下さい」

「いいえ……まったく他愛のない事です」

 

 苦笑と共に逃れようとするが、

 

「二師の考えに、興味があります」

 直線的な氷色の視線に縫い留められた。

 

「………」

 大人げなく抗弁(こうべん)を垂れた手前、本日はもう大人しくしていようと思った矢先だ。

 

「妄想、戯言(ざれごと)と思って聞いて下さい」

 諦めたように息を吐ききってから、

「この場所に麒麟が隠れ里を拓いた理由を、考えていました」

 と、青は地図へ指を添えた。

 

「獅子國からの逃走者や、周辺国の弱者の保護では」

 キョウの水面色の瞳が一度、地図と青の横顔を往復した。

 猪牙ら、周囲の面々からも反論はない。外周で双子がまた何やら耳打ちしている。

 

「ええ。もちろんそれも理由としてあると思いますが、さきほど東雲准士の仰った「獣道」でふと思いついて。なぜこの位置、場所なのだろうかと」

「位置が?」

 

 青の指が、くりんの里があるとされる場所を中心に、ゆっくりと渦を巻くように円を描く。

 

「里を護る瘴気の範囲がどれほどかは分かりませんが、里が道を塞ぐように位置しているようにも見えるな、と」

「道を、塞ぐ……」

 

 次に青の指は、東側から里へ向けて滑る。

「東方から獅子國方面への侵入者を防ぐためか」

 

 続いて今度は、獅子國側から里へ向けて滑る。

「もしくはその逆か。前者であればもっと東南側の地域を選んだ方が効率が良い。だからなぜ「ここ」なのか。獅子國方面から東への流れを止めるため、の方が説明がしやすい位置に思えたのです」

 

「だとしたら、くりんの里へ足を踏み入れたオレや姪が凪へ帰還できたのは、運が良かったのか……?」

 と天陽が厚い肩を震わせる。

 

 推測にはなりますが、と前置きして青は応える。

「可能性としては「余所者」であれば去る者は追わず……なのかもしれません」

 

 しろたえの里が、そうであったように。

 

「檜前、雲類鷲准士ら獅子國を脱出した子どもたちは、くりんの里を経由していないので何とも言えませんが」

「……」

 そこで檜前と雲類鷲は顔を見合わせる。

 

「ならこの里は、何をせき止めようとしていたのか」

 まるで一同が物語に耳を傾けているかのように、議場に青の声だけが静かに響く。

 

 そんな時だった。

 

「取り込み中のところ、失礼する」

 静かに扉を開けて、議場に足を踏み入れた新たな人物がいた。

 

「一色か、どうした?」

 猪牙がその名を呼ぶ。

 翡翠の陣守村の管理責任者である、一色上士だった。

 青もシユウとして何度か任務で顔を合わせたが、西方進出以降ぶりの再会だ。

 

「会ってほしい客人がいる」

「客人?」

 

 翡翠に陣守村を開いてからというもの、村への訪問者は日に日に増加している。

 

 住処の無い流れ者、村に保護を求める貧しい者、村で商売を始めようという者、凪の人間と繋がりを作り凪との交易で一旗揚げようとする者など、それぞれ村にあやかろうという人間が翡翠内外から集まって来ているという。

 

 そうした人々の対応を行い、さばくのも、村の管理責任者たる一色および楠野の重要な職務の一つだ。

 

「急を要する用件なのですか?」

「凪の長にお目通り願いたいという、某国の使者が訪ねてきている」

 

 議事を止めてでも優先するべき客人の訪問が、凪に一つの大きな選択を迫る事になる。

 

 

 猪牙とキョウの上士二人が呼ばれて部屋を出ていってから間もなく、

 

「二師、ちょっと」

「え、はい」

 

 キョウのみが戻ってきた。半分ほど開いた引き戸の向こう、内廊下側から青へ小さく手招きしている。議事が中断となり待機する面々が見送る中、青はキョウと共に廊下へ出た。

 

 導かれるまま廊下奥の、陣守村管理責任者の執務室へ入ると、部屋の片側に設けられた応接の間に、一色、楠野、猪牙の上士三名、そして室内の奥側に見慣れぬ装束を身にまとった人物が三人、用意された座布団に座していた。

 

 三角形を描くように先頭に、広大な草原を思わせる蒼色の装束を(まと)った壮年の男。夏の濃緑を彷彿(ほうふつ)とさせる深い碧の瞳、通った鼻筋、引き結ばれた口元とで、総じて整った顔立ちである事が最初の印象として飛び込んでくる。

 

 位が高い証なのか、背後に従える二人の屈強な体躯の男と女の武装と異なり、光を受けて煌めく糸で刺繍が施された帽子を被り、上衣の袖、襟、胸元にも揃いの刺繍で縁取りが施されていた。

 

 だが青の目に留まったのは、裾に走る不自然な裂け目。

「……お怪我を?」

 見れば三人が三様それぞれに、衣服に破れが見られた。

 護衛と見られる男女に至っては、衣服の上から血止めと思わしいサラシが雑に巻かれていて、薄紅が滲んでいる。

 

「恥ずかしながら、道中で賊に不意を突かれてしまい」

 先頭の男が頷く。

「賊? ともかく、まずは傷を診ましょう」

 

 失礼、と青は先頭の男の正面に膝をついて袖が破れている片腕をとった。

 

「彼は我が国における高位の技術師で、薬学に精通している者です」

 来訪者三人の、覆面姿の青を見やる視線に微量の(いぶか)しさを読み取ったキョウが、青の身分を説明する。

 あえて「毒術」という言葉を避けたのは、異国の来訪者への気遣いだろう。

 

「そうですか、それは心強い。我々はここ翡翠(ほう)より真西に位置する、蒼い狼と書きまして「あおがみ」の(くに)から参りました」

 

 青が頭を下げるより前に、男の方から会釈が手向けられた。青も返礼して顔を上げると、男の面持ちに微笑が乗る。いかにもこうした外交の場に慣れている様子が窺えた。

 

「蒼狼……」

 蒼狼ノ國。

 奇しくも先ほど中断した会議にて何度か名前が挙がった。

 

 過酷な地理条件が続く真西の経路の途中に位置する、古國だ。男はやはり高官で、蒼狼の長からの書を携えて翡翠の陣守村へとやって来たと言う。

 

「しかし災難な事でした。他にお仲間は?」

 一色上士が高官へ話しかけている間、青は黙々と三人の傷の手当を行った。

 幸い誰も毒に侵された様子はなく、傷の程度もいずれも軽傷の範囲だ。持参していた傷薬や薬符を用いて応急処置を施す。

 

「我々、三人のみで参りました」

「たった三人で??」

 

 高官の答えに猪牙の語尾が裏返った。翡翠から蒼狼ノ國までは、凪と翡翠間と同程度もしくはそれ以上の距離があるはずだ。しかも地理や気象条件も格段に厳しい。

 

「よくそんな少人数で……」

 感心した様子の一色上士の反応に、高官の男は静かに微笑む。

「仰々しく大所帯で押しかけてはお騒がせしてしまいましょう。それに私も少々、腕に覚えがございます故――と、このような有様では格好がつきませんな」

 

 高官の男はこなれた振る舞いで眉を僅かに下げた。

 この男が神獣人であろう事は、この場にいる凪の面々には容易に推測できる。

 

 高い知能、力、国の支配層の一端を担う高位者。そして、印象的な瞳の色に、整った容姿。

 

「包帯を、外しても?」

 高官の男の手当を終えた青は、次に背後に控える護衛の片方の側へ歩み寄った。

 

 腕に応急的に巻かれたであろう白布に血が滲んでいる。檜前准士ほどはあろうかという恵体の男は無言で頷いた。高官から、余計な口をきくなと言いつけられているのであろう。まっすぐ前方を見据えたまま、青が腕に触れている間も微動だにしなかった。

 

「……」

 

 白布を外していくと、小さな木の葉や木の実が布地の間から零れ落ちた。案の定、傷口周辺は汚れたままだ。

 

 青は腰に下げていた水筒の清水で懐紙を濡らし、傷口周辺を清めていく。露わになった傷口は複数あり、人工的な刃によるものと、獣の爪らしきものが混在していた。

 

「処置は終えました。私はこれにて」

 三人分の一通りの治療を終え、青は最後に零れ落ちた木の実や木の葉を手早く拾い上げて、立ち上がる。

 

「ご丁寧に。感謝いたします」

 高官の男の目礼に合わせて、護衛二人も青に会釈を向ける。キョウの労いを背中で受けながら、青は執務室を後にした。

 

 

 会議が行われていた広間に青が戻ると、天陽、ホタル、檜前と雲類鷲、双子らが好奇心を抑えきれない様子で待ち構えていた。

 

「賊に襲われたって? たった三人なら無理も無いか」

 

 天陽も上士らと動揺の反応を示す。

 

「傷の状態やサラシに付着していた植物を見る限り、村の周辺、そう遠くない場所で襲撃を受けた様子でした」

 

 手のひら上の木の実や葉を眺め、何気なく青が口にした言葉に、首を傾げたのは獣血人の二人だった。

 

「しかし村および周辺地域は凪の駐屯隊がかなり注意深く警邏《けいら》しているはずです」

「最近では妖はおろか小悪党すらも目撃されていなかったのですが…、他国の要人が襲われたとあっては、警備強化が必要ですね。後ほど、報告を上げておきます」

 

「……」

 奇妙な違和感が、青の脳裏をよぎった。

 

 自ら腕に覚えがあると話していた男――神獣人であると仮定する――と、その護衛たちが、不意をつかれたといえど、はたして村周辺の山賊程度に傷を負わされ手負いとなるのか。その状況が不自然に思えた。

 

「土着の賊ではなく、例えば暗殺者等の追手とか」

「お客人を狙って、この辺りに潜んでるかもしれないって事か」

「暗殺者だって、よぎり……!」

「うきうきしてんなよ」

 

 青の呟きに強く反応したのは、諜報部の天陽とあさぎだった。ついでに、あさぎを嗜める、よぎりの声も。

 

「上士の方々に今すぐ報せるべきでしょうか」

「待って」

 一歩、踏み出たのはホタルだった。白い長衣の裾が音もなく揺れる。

 

「面会の流れを止めるまでもないわ」

 どこから取り出したのか、手首を一回転させると指先に式符が挟まっていた。

 

「蛍の名のもとに命ず」

 

 紅をひいた唇の唱えに応じて、式符が藤色の煙と共に蒸発、煙は瞬く間に小鳥に姿を変えた。

 

「見廻りよろしくね」

 

 と主の命を受けた小鳥は、換気のために半開きになっていた窓から外へ飛び立った。

 続けてホタルが指を鳴らすと、一羽、また一羽と、指を鳴らすごとに次々と小鳥が姿を現して、合計十羽ほどの鳥が窓から村内の見廻りへと飛んで行った。

 

「ひとまずは村の中に潜り込んでいない事が分かれば」

 

 全開にした格子窓の枠に手をかけて、ホタルは小鳥たちが飛び立った軌跡を眺める。

 

 作業や職務にあたる凪の駐屯隊員たち、市場に集う商人たち、田畑で農作業をする土着の村民――村で各々の営みに勤しむ人々の間を縫い、頭上を越え、藤色の小鳥たちは飛び回る。

 

「ホタル先生は、式鳥たちが何を見ているのか、感じる事ができるのよ」

 あさぎが得意げに、よぎりへ解説をしていた。

 

 高位の式術師ともなると式と感覚を疎通させる事ができ、遠隔操作を可能とすると、青も知識としては知っていた。ホタルはまさに今、十羽もの式鳥を其々に遠隔で操り、情報を受信しているのだ。

 

「怪しい動きをしている輩は近くにいないようね」

 しばらく窓の外を凝視していたホタルが、ふう、と蝋燭を吹き消すような吐息と共に、室内へ振り返った。

 

「さすがに村ん中で事を起こすのは分が悪いって事なんだろうな」

「でも、お客さんたちが村を出た途端にグサーって……なりそう?」

 

 別の窓から、あさぎも外を覗いている。誰に向けるともない独り言だが、その場にいる全員が同様に推測していた。

 

「村の周辺を見回ってみるか」

 あさぎの背後から窓の外を覗いていた天陽が、踵を返す。

 

「駐屯隊に報告はどうしましょうか」

 と雲類鷲(うるわし)

「騒ぎを大きくするのはお客人にとっても本望じゃないだろう」

 凪にとっても、二国目との貴重な外交に水を差すのは、機会損失にも繋がりかねない。

 

「なに、まずはお得意の偵察だけだ。深追いはしない」

 天陽の提案で、天陽、青、檜前(ひのくま)、雲類鷲の四名で手分けをして村の外周を偵察する事となった。

 

 ホタルと、まだ西の地理に疎い双子はその場に残る。あさぎは置いていかれる事に不満げであったが、天陽の、

「不届きものが村に逃げ込んでくるかもしれないから、しっかり見張っててくれ」

 に、納得したようだ。

 

「……なるほど」

 二人の師弟のやりとりを肩越しに眺めながら、あさぎのような血気盛んな若手の上手なあしらい方を、一つ学んだ気になった青であった。

 

 

 村を出て天陽、檜前、雲類鷲と別れた青は、北西方向に広がる森へ足を踏み入れた。蒼狼の護衛の衣服やサラシに付着していた植物を手がかりに、おおよその方向の見当をつける。

 

 金品目的の山賊ではなく、蒼狼の使者達を標的にしている輩であるならば、無関係の人間を無暗に急襲してくるとも考えづらい。

 

 襲撃場所に舞い戻ってくる可能性が皆無とも言えないが、現場で何かしら賊の手がかりが発見できればと考えたのだ。

 

「確か、この実はこの先に……」

 すでに村周辺の生態系は調査済みである。

 村周辺は翡翠国内でも比較的豊穣な土地とあって、山菜や薬草が豊富に自生していた。

 

「……!」

 茂みを掻き分け進み、森の鬱蒼さが増して薄暗くなってきた頃、異変が現れた。

 

 人工的な刃によるものと、獣の爪と思われるものが混在した傷が刻まれた樹々や、鋭利な切断面の枝々、乱雑に踏み荒らされている草が、獣道を描くように転々と続いている。

 

「あ……」

 木々の奥へ目をこらすと、薄闇の中に鉱石のような光が二つ、瞬いた。

 

 獣の目だ。

 

 折り重なる枝が作り出す影の中から、目の持ち主が一歩、また一歩と、草や小枝を踏みながらこちらへ近づいてくる。足音からは、さほど体重を感じられない。

 

 猪や熊の類ではない、しなやかな体躯の四つ足が、木漏れ日の下に輪郭を現した。

 

「狼……?」

 

 陽の光をうけて銀色に輝く毛並みを持った、一頭の狼。威嚇する事もなく、唸り声をあげるでもない。ただ真っすぐに青を見つめ、数歩手前で立ち止まる。

 

 人を見れば即、逃げるか襲いかかってくる野生種と異なる振る舞いだ。

 

「……どこから来た?」

 青は狼に話しかける。

 狼は揺らぐことなく、青を見つめている。

 

「この辺りに棲まう種ではないはずだ」

 

 瞬間、氷色の瞳が僅かに揺らいだかと思うとススキのような尾毛が逆立ち、四つ足が土を抉る僅かな音の直後、獣の姿が目の前からかき消えた。

 

「よく見抜いた」

「!」

 耳元で、囁く人の声。

 

 反射的に青は背後へ強く肩をぶつけて押しやり、反動で振り返りざまに距離をとる。勢いで外套の裾が大きく翻った。黒布の向こうに、人影。狼と同じ、光を受けて銀色に輝く頭髪と、空色の鉱石のような瞳の若い女が、そこにいた。

 

「さっきの、狼……?」

 

 状況からそうとしか考えられないが、それよりも青を喫驚させたのは、女の相貌だ。

 

 かつて、青の幼く淡い記憶に残る「誰か」を彷彿とさせる美貌。絹糸のような長い銀髪が頭部の低い位置で結えられ、まるで陣旗のように風に揺れている。

 

「貴殿は、東から来た客人か」

「え?」

 女の唐突な問いかけに、青は間の抜けた吐息を漏らした。

 

「ならば東方国の長に伝えよ」

 女は旅装束にしては軽装な出立ちで、腰に武器を収めているであろう革の鞘を取り付けている。手練れの武人が醸し出す佇まいでありながら、殺気や敵愾心といった負の気が感じられない。

 

「蒼狼の話に耳を傾けるべからず」

「蒼狼ノ國からの使者の事か……?」

「彼奴らが道を開けば、東方に(わざわい)がもたらされよう」

「それはどういう……」

 

 青の問いには答えず、女はふいと頭上を見上げた。

 

「その意味を知るものが、東にもいるはずだ」

 

 一陣の風が吹き抜ける。

 女の長い銀髪が風に煽られたかと思うと、すすきの如き尾に変わり、青の目の前に立つのは再びの銀狼。

 

「あ……、待っ……!」

 

 呼び止める間もなく、狼は僅かな跳躍動作の直後、木々の枝葉の狭間へと姿を消した。

 

 

「確かに、我々が遭遇した「賊」の特徴と一致します」

 青が村外の森で鉢合わせた、銀狼の女。報告を聞いた蒼狼の高官は、沈着な反応を見せた。

 

 蒼狼ノ國の長からの書簡が一色らに手渡され、面会における式次第が一段落した頃合いを見計らい、青が報告にあがったところである。女からの不穏な警告については伏せたまま。

 

「お心当たりはありますか」

 穏やかな声調を崩さず、一色が高官に尋ねる。言葉の裏に「ここいらの賊ではないようだが」という含みを、青には感じられた。

 

「……特徴から察するに、灰犲(はいいぬ)の者どもでしょう」

 取り繕う事を諦めたようで、高官の男は正面の一色へ軽く肩をすくめる仕草を見せる。

 

 灰色のイヌ。

 その言葉に、刺すような侮蔑の色と音が感じられた。

 

「これで、よくお分かりかと。こうして不意を突いて邪魔立てを企てる、彼奴らの狡猾さ。まさに犲の如く」

 高官が立ち上がると、合わせて二人の護衛も腰を上げる。

 

「では、あまり長居をするわけには参りません。我々はこれにて」

 装束の袖や襟の折り目を整え、改めて凪の上士らにそれぞれ目礼を巡らせた。

 書を渡すという蒼狼一隊の目的は達成されたのだ。

 

「国境付近まで我が国の護衛をつけましょう。また襲撃を受ける可能性が」

 という一色の提案を、

「ご心配に及びません」

 恭しい礼と共に、高官は辞退を示した。

 

「復路は万全を期す故」

 高官いわく「万全」の意味は、この後すぐに知れる事となる。

 

 

 村の西門、見送る凪の面々の目前で、高官の男は巨大な蒼き狼に、護衛二人も蒼毛混じりの黒毛の狼へと姿を変えた。

 

「うわぁ、おっきぃ!」

「狼の神獣様だ!」

 

 遠巻きに様子を見ていた村の子どもたちの間から、歓声が上がる。

 幼い声に応えるように蒼き神獣は、煌めく尾を振った。その軽い一振りが子どもたちの周辺につむじ風を生んで、落ち葉や小枝が巻きあがる。子どもたちがはしゃぎ声をあげた。

 

 大人たちも足を止めて、中には手を合わせていく者もいる。

 翡翠の陣守村で一年を過ごした凪の駐屯隊たちでさえ、そうそうお目にかかる事のない神獣を前に、口を開けていた。

 

「丁重なもてなしに、感謝いたします」

 最後に短く礼を言い残し、狼たちは地を蹴り高く跳躍したかと思うと、一陣の風と共に姿を消した。

 

「なるほど……「万全」か」

 蒼狼の使者たちを見送った面々が村へと踵を返す中、キョウはその場に足を止めて、狼達が去った西方面を見つめる。

 

「……」

 あわせて、青も歩を緩めた。

 

「蒼い狼の神獣、美しい毛並みでしたね」

 青の視線に気がつき、キョウが「もふもふ」と空気を撫でる仕草をみせて微笑む。

真上に昇りきった太陽の光が、色素の薄いキョウの水面色の頭髪を、銀色に煌めかせていた。

 

 青が遭遇した、銀狼のように。

 

「……あの」

 毛髪の色に言及した流れから、キョウの髪色は家系なのか、との問いが喉まで出かかったところで、至極個人的な領域へ無神経に踏み込むのではと瞬時に逡巡した結果、最終的に青の口から出力された言葉は、

 

「峡谷上士の髪色も、美しいですよ」

 だった。

 

「え?」

「え?」

 

 朝露色の瞳が驚いた小犬のように丸く見開かれたのを見て、青は我に返る。

 その様子にキョウは噴き出した。

 

「どうしたんです、急に。口説き文句ですか」

「え、そ、違います! あ……強く否定し過ぎました……美しい事に変わりはありませんがこの場合の「美しい」は比喩といいますか、話の流れで――」

「っははは」

 

 青の語尾を吹き飛ばすように、キョウの笑い声が転がった。何かしらがキョウの笑いの琴線に触れたらしい。

 

「俺の髪や目の色の事を訊きたいんですよね? よく言われます」

 村へ踵を返しながら、キョウは腹部に手を添えて、笑いを収めようとしている。

 

「申し訳ありません、不躾に」

 容姿に関する言及や、それが原因で発生する問題ごとにキョウが内心で辟易しているであろう事は、長年の付き合いで青にも慮る事ができた。

 

「よく言われてきましたが、今のが一番面白かったです」

「それだけ笑ってもらえたならまあ……」

 青は苦いため息を吐き、村へ至る道をキョウと並ぶ。

 

「二師が遭遇したという銀狼の特徴、確かに俺と似ていますよね」

 キョウは、以前より伸びたこめかみの頭髪を指先で摘み、陽光にあてるように持ち上げた。

 

「俺も何となく感じていました。西方(ここ)では、俺と似た髪色や、目の色の人をよく見かける」

 

 凪の国内においても、稀有ではあるが、特徴的な髪色や瞳の色を持つ人間は存在する。

 青の同級生で幼なじみである、つゆりもその一人で、黒髪や濃茶の頭髪に、波を描くように緑がかった毛髪が混在していた。他にも赤毛や脱色したような金髪混じりの児童がいた記憶もある。

 

「家族や親族の中で、俺だけなんです。こんな髪色と目の色は」

「……そうなんですか」

 

 様々な推測が一瞬で目まぐるしく、青の思考に渦巻いた。隣へ視線をやると、絵画の手本のような輪郭の横顔がある。

 

「俺は親族の誰とも顔が似てなくて、肌の色も違う。捨て子だの妖獣の子だの揶揄われましたが、でも確かに俺は母の子で、祖母は母から俺を取り上げたと証言もした。それでも一部の親族からは、母の不貞だとか、呪われた女だとか、散々な言われようだったようです」

「それは……」

「好き勝手を言いたい輩ってのはどこにでもいますね」

 

 摘まんだ髪を指先で弾いて、キョウは呆れたように笑う。

 

「そんな理不尽な……。親子で特徴が大きく異なったり、稀有な色を持つ子が生まれる事があるのは、自然な事です」

 

 青はキョウから視線を外して、目を伏せた。不合理な迷信でキョウ母子の命が蔑ろにされているように感じて、無性に腹が立ったのだ。医療士として三葉医院で幾度か携わった助産の経験も大きく影響しているのかもしれない。

 

「突然変異も含め生物は大なり小なりの変化を起こしながら代を重ねていくものです。先祖返りと言って、遠い先祖の血が祖先に色濃く出る場合だって珍しくな……、あ」

 

 話が冗長化しかけている事を自覚した青は、唐突に言葉を区切って呑み込んだ。

 

「すみません……また悪い癖が」

 謝罪をしようと再びキョウを振り向くと、はにかんだような微笑が青を見ていた。

 

「ありがとうございます」

「え?」

「スッキリしました――戻りましょう」

 

 少しの困惑を残した青を促しながら、キョウは村への歩を速めた。

 

 

 少し遅れて青とキョウが戻ると、使者たちが去った執務室に日野家の双子以外の大人組が集っていた。

 

 一色ら、使者たちとの面会に対応をした上士たちの説明によると。

 

 蒼狼の使者たちが凪にもたらしたのは、ある取引だった。

 

 蒼狼ノ國内に転送陣の設置および、陣守村を開く事を許可する。

 その条件として、白狼ノ國が支配する「狼の背骨」と呼ばれる旧道の奪還に協力する事、が提示された。

 

 広大な草原地帯を有する、蒼狼ノ國(あおがみのくに)

 その東側に隣接するのが、白狼ノ國(はくろうのくに)

 

「灰豺。あれは蒼狼の使者たちを襲撃した、白狼を表す蔑称のようです」

 一色の説明から、自ずと蒼狼と白狼の関係性がうかがえた。

 

 白狼は国土の大半が、岩と砂の不毛地帯で占められている。凪が更なる西方進出を目指すにあたって、天陽が北への迂回を提案した最大の理由が、そこにあった。

 

 だが蒼狼の使者がもたらした情報によれば、白狼ノ國の地形は二重構造となっており、不毛地帯の地下に広大な空間が存在しているのだという。

 

「あの高官の話によれば、その地下空間は真西へと貫通しています。上層はこの地図にもある通り不毛地帯ですが、下層には太い水脈も通っており、地上ではなく下層で生活をしている国民も少なくないそうです」

 

 大机上に広げた地図を指しながら、一色が語る。

 

「東と西をまっすぐ繋ぐ道――だから背骨ってわけね」

 地図に視線を落としたまま、ホタルが呟いた。

 

「……」

 その隣で青も地図を見つめながら、森で遭遇した銀狼――白狼ノ國の刺客が残した忠告を想起していた。

 

 ――彼奴らが道を開けば、東方に(わざわい)がもたらされよう

 

 銀狼の女が語った「道」はすなわち、狼の背骨であろう。

 そこが蒼狼の手に渡る事で東側に生じる禍とは、何を示しているのか。

 

 そもそも、銀狼の女の言葉が真実であるのか。

 蒼狼の使者が「灰豺」と称した通り、(やまいぬ)のごとく狡猾で、信用するに及ばない相手なのか。

 

「判断するには情報が足りなすぎるな……」

 堂々巡りをし始めた思考を吹き飛ばそうと、青は小さく頭を振った。

 

「つまり蒼狼の条件を呑めば、最短経路で西への道を開拓できる……って事だ。だが」

 

 と、一色の隣で腕組みをして難しい顔をしている楠野。次に続く言葉を口にする前に、一呼吸の間が必要だった。

 

「……それを呑むって事は、軍事介入だ。他国間の問題に干渉する事になる」

 

 翡翠国内の治安維持活動とは、全く次元が異なる話なのだ。

 

「動き方を間違えれば、東方と西方の対立に発展しかねない。最悪、凪が神通祖国間で孤立する危険性だってある」

「……」

 楠野の話を訊きながら神妙に地図を見下ろす天陽の片手が、切断した腕の患部を摩っている。

 

「このあと私は凪に戻り、長へ直接、書簡をお渡ししてきます」

 地図を広げた大机を離れ、一色は執務机の前へ。

 そこに蒼狼の高官から受け取った塗りの状箱が置かれていた。

 

 錦紐で結ばれた蓋の表面には沈金をもって狼と思わしき四つ足の神獣が刻まれている。見るからに、重要機密を封じるに相応しい趣の工芸品だ。

 

「おそらくただちに臨時議会が開かれるでしょう。内容だけに、結論が出るまでには時間を要する事は確実です」

「北経路探索の方は、予定通りに進めとくぜ。狼問題とは別の話だからな」

 

 猪牙の太い指が、地図上で翡翠から北西へ勢いよく弓形の線を描いた。

 最後に指が止まったのは、くりんの里があるとされている地帯。

 

「お願いします。北側の開拓は引き続き、猪牙上士、峡谷上士を中心に、進めてください」

「しゃ。広間に戻るか。双子ちゃんが待ちくたびれてるかもしれねぇ」

 

 肩を回しながら執務室を出ていく猪牙に続き、キョウや青たちも続いた。

 

 

 最後に執務室に残った一色と楠野、陣守村管理責任者である上士の二人は、足音が遠ざかっていくのを見送る。

 

「こういう事態は想定していたけれど、意外と早かったな」

 机上で鎮座するように置かれた状箱を前に、一色は小首を傾げた。気泡が弾けるような小さな音が鳴る。

 それを「じじくせぇな」と嗤って楠野も状箱を振り向いた。

 

「鼻が利く商売人連中なんかは腐るほどやってきたけどな」

 

 翡翠で陣守村が開かれ、一色と楠野が責任者として赴任した初日から、旅商人も含め周辺地域や各国から商いの許可を求めたり交易の提案を持ち込んでくる人々が後を絶たない。

 彼らの商魂逞しさに感心しつつも、気が付けば二人の業務割合の半数近くを、そうした商売人たちの話を聞く事に費やされていた。

 

「蒼と白狼の歴史や背景をもっと調べておく必要があるな。諜報部の連中には俺からも声をかけておく」

 

 西方で余計な摩擦を生まないためにも、両国の関係性および、西方における立ち位置等を把握しておく必要がある。

 

 どちらかにつくか、どちらにもつかないのか、凪にとって最良の選択肢を探らねばならない。

 

「初見でやってきていきなり戦争話を持ち込んで来るって事は、相当に好戦的だ。断り方一つ間違えたら痛い目を見るかもしれん。こじれでもしたら、獅子國に到達するまでどれくらいかかるやら」

「紅葉と楓が大きくなるまでに、母親の故郷へ行けるようになっていると良いな」

 

 応えながら一色は状箱を錦の装飾布で包み、更にその上から絹で包んで箱側で結んで、慎重に両手で持ち上げた。

 

 紅葉《もみじ》と楓。 

 それはかつての任務で討伐した、賊の女頭目が残した双子の子狐の名だ。

 長直轄の孤児院である霽月院に預けられ、成り行き上、一色と楠野が連名で後見人となっている。

 

「……」

 一色が出した二つの名に、楠野は複雑な微笑を口許に浮かべた。

 

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