毒使い   作:キタノユ

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ep. 39 鬼隠し(5)

 すっかり子ども達の悪役になってしまった青は、やんやと興奮冷めやらぬ少年たちの様子を眺めながら、考えていた。

 

「キョウカ様」と少女の口から出た名前。

「ジュウキ隊(おそらく獣鬼隊)」が組織名であるなら、彼らには上役の存在があるという事だ。

 

 話が通じる人と対話したい。

 

 という本心を隠しつつ、

「君たちの上官はどこにいる? その人と話をさせてくれないか」

 平静な声色で問いかけた。

 

「ジョーカン……? 冗談? 冗談なんかじゃねーぞ! バカにすんなよ!」

「……」

 失敗した。

 

「キョウカ様というのは?」

 質問の仕方を変えてみる。

 

「ババアの話は関係ないだろ!」

「綺麗なお姉さんって言わないと殺されるよ」

「う」

 背後の少女からの警告に少年は大げさに肩を震わせた。

 よほど怖い上官がいるらしい。

 

「あ、あのね、君たち……」

 更に少女の背後では、兎族の男が困ったように視線を右往左往させていた。

 

 その側で花弥も何が起きているのか理解し難い顔で大人しくしていて、柚斗は「悪そうな大人 対 鬼の戦士さま」の構図に表情を輝かせている。

 

「とにかく! 悪人はぶっ倒す!」

 強引に結論付けた少年は双刀を構えるや否や、青に向けて地を蹴った。

 

「はぁ……、仕方ない」

 諦めて青も片手に中刀を逆手に構えた。

 

 迫る刃を受け流しながら、前後左右に避けて少年を翻弄する。きかん坊は疲れさせて、大人しくさせれば良い。

 

 少女は「弱いもの」たちの守り役に徹しているのか、兎族の男や花弥を背中に庇う姿勢から、動かない。

 少年よりは少し年長だろうか、いざとなれば前に出てくる可能性はある。

 

「このヤロー……! ちょろちょろと」

 少年の面持ちに苛立ちが露わになりはじめる。

 

 傷つけないように攻撃をかわしながら、青から時おり適度に体を押し返したり足を掛けて、体力と同時に気力も削いでいく。

 

「よく訓練されてはいるけれど……」

 

 対峙した時点で力の差の見極めができていなければ、命取りになる。

 そうと悟っていながらこの少年は弱者を救うために立ち向かっているのか、だとすれば殊勝な心がけだが、退く見極めも強さの一つだ。

 

「そろそろ話を聞いてくれないか」

 青は身を沈めると、少し強めに少年の足元を払った。

 

「っぎゃ!」

 再び少年は顔から落ちて転がった。

 

「ぃってーな!!」

 わめきながら、すぐさま身を起こす。

 気合を入れようと少年が勢いよく頭を振ると、再び垂れ始めていた鼻血が辺りに飛び散った。

 

 沼の水にまで飛んだ血が、水面にいくつかの波紋を描く。

 

「脳震盪にでもなったら大変だ。そろそろ止めよう」

「うるせー! ナメるな!」

 青の声かけが少年には逆効果だったようで、文字通り怒髪天を衝くがごとく、少年の髪の毛が逆立つ勢いだ。

 

「……本当どうしたらいいんだ」

 いよいよ青は困惑し始める。

 凪の学校でここまでのきかん坊はいなかった。

 気難しい人柄の上士や特士だって、話は通じた。

 キョウならこういう時、どうするだろうか。

 

 青の心情に同調するように、沼から湿度の高い不愉快な風がそよいだ。

 

 ――ど……こ……?

 

 風と共に、不気味な音が耳に届く。

 

 ――わたし……の……こど……も…………

 

 音は徐々に、明確な言葉となる。

 風音は物悲しい女のすすり泣きへと変わる。

 

「え……」

「よそ見してんじゃねーよ!」

 

 沼へ気を取られた青の横顔へ、少年は腕を振り降ろした。振り返る事なく投げられた小刀を叩き落とすと、また少年の「くそー!」と罵る声がした。

 

「待て、沼に何か」

 

 風が止んだ。

 鳥も、虫も、一斉に声を顰める。

 森がゆっくりと、しじまに沈んでいく。

 

 妖だ。

 

 ――わたし……の……子……かえし……て……

 

 風が哭き、女のすすり泣く声がより鮮明に、耳にまとわりつく。

 

 靄の奥、水面に、ゆらりと影が立ち上がった。それは次第に輪郭を帯び、人形《ひとがた》となる。

 

 濁り沼と不釣り合いな、極色彩の着物をまとった女だ。

 

 その身なりはひどく乱れ、帯は解け、胸元はゆるみ、袖は垂れ下がるまま水面へと広がり、泥の波紋を描く。ざんばらに垂れ下がった長い黒髪が、風にあおられて柳の枝のように揺れる。

 隙間から覗く黒い目が、虚ろにこちらを見ていた。

 

「な、なんだあいつ!?」

 ようやく少年が青から気を逸らして沼を振り返った。

「幽霊……妖怪か……!?」

 

 黒髪の隙間から見え隠れする虚ろな女の、黒で塗りつぶされた両目が、少年を見た。

 

――わたし……の……子……そこに……い……た……

 

 水草が絡まった女の枯れ枝のような腕が、沼の中央から少年を指し示す。女の黒髪が伸びて、意思を持って少年に迫った。

 

「ぇっ!?」

 腕と足を女の髪に絡めとられ少年の体が引き倒され、そのまま沼へと引きずり込まれようとする。

 

「逃げろ!」

 青は両手で咄嗟に苦無を握りこんで放った。数本の苦無の刃先が黒髪を切断、少年の体は沼の淵手前で止まる。

 

「うわっ、うわわぁああ!」

 少年は慌てて沼から距離を取ろうと四つん這いで藻掻いた。

 

 すぐさま青が駆け寄り、混乱状態の少年の体を片手で抱えて、次に腰を抜かしている柚斗の元へ。

 

「邪神獣様……!」

 少女の背後に庇われていた兎族の男が、沼の方へ飛び出した。

 

「おじさん!?」

「わしを、わしを喰らってくだされ!」

 

 花弥や少女の手をすり抜けて、兎族の男は沼の中央に浮かぶ女に向けて叫ぶ。

 

「ですから、どうか、わしの子を、村の子を助けてくだされ!」

 

――わたし……の……子……わたし……の……

 

 女の虚ろな黒目が兎族の男へ向いた瞬間、無数に別れた黒髪の先が男に降り注ぐように襲い掛かった。

 

 人間が理解できる音を発しても、妖は意思疎通ができる存在ではないのだ。

 

「駄目だ……!」

 少年と柚斗を沼から離れた方へ放りだし、青は兎族の男の方へ地を蹴った。風術を発生させて一気に距離を詰める。背後から兎の腕を掴んで引き寄せ、女に背中を向ける形で抱きこんだ。

 

「ぅあっ!」

 

 鋭く硬化した女の髪先が掠った。

 肩から背中にかけて激痛が走る。

 

「え……?」

「何で??!」

 少女と少年の困惑した声が聞こえた。

 

「風神……」

 再び風術を発生させ、男の体を抱えて沼から距離をとった。

 

「逃げろ……すぐ! 走れ!」

 解放した男の体を強く森の方へ押しやる。

「あ……、ぁあ」

 と混乱した状態の男はだが、青の鬼気迫る怒声に従い、本能のまま森の方へ縺れながら駆けだした。

 

「痛ってぇ……」

 青は痛みに顔を顰める。

 体面など気にかけられる状態ではない。

 

「あれは……」

 残った子どもたちの方へ振り返れば、一羽の大きな梟が鍵爪で花弥の衣服の背中を掴み、続けざまに繰り出される女の黒髪の雨を掻い潜って、呆然としたままの柚斗の元へ飛来するところだった。

 

 花弥の足が着地すると、梟は元の少女の姿へと変容する。

 梟の獣血人だ。

 

 一方の少年の方は――

 

「グアオッ!」

 短い咆哮を上げながら二足で立ち上がった黒い獣が、黒髪を叩き落としていた。

 

 こちらは檜前よりは幾分も小柄ながら、熊の獣血人だ。

 

「今のうちに……」

 少年と少女が刻を稼いでいる僅かな隙に、

 

「シユウの名のもとに命ず……!」

 

 青は式符を取り出し狼を顕現させた。狼は花弥を背中へ乗り上げさせて、柚斗の襟を咥える。

 

「街道まで送り届けてくれ」

 主の命に尻尾を一振りさせ、狼はたちまち走り去った。

 

「ど、どこから狼が出てきたんだ!?」

 いつの間にか元の姿に戻った少年が、目を丸くしている。

 

――おい……で……わたしの……子たち……

 

 沼の中央から、女が少年と少女に手招きをしている。

 この妖は、子どもへ強い執着を持っているようだ。

 

「君たちも逃げるんだ、今すぐ」

「――え?」

 二人が青を振り返る。

 青の鬼気迫る様子に気圧されたのか少年が寸時「ぐっ」と息を呑んで顔を引きかけたが、

 

「あいつ悪い奴なんだろ!?」

 すぐに再び食って掛かってきた。

 

「悪い妖怪は倒さねぇと!!」

「……」

 

 ここで問答を繰り返す余裕は、無い。

 青はすぐに決断した。

 

「君たち、名前は」

 青は覆面の口元を顎下へ下ろす。

 傷の痛みで息苦しい。

 目許が隠れていれば人相は概ね隠せるし、相手は凪外の子どもたちだ。

 

「私は、シユウだ。君たちは?」

「何でお前に教えなきゃなんねーんだよ」

「サユリです」

 少女がすんなりと先に名乗った。

「と、トウキ……」

 青への態度を変えたサユリに驚いたものの、それに倣い、おずおずと少年も名乗る。

 

「教えてくれてありがとう」

 つゆりと、トウジュに似た響きの名に、思わず青は口元を緩める。

 

 似ているのは名前の響きだけではなさそうだ。

 

「トウキ、サユリ。あいつに、たくさんの子どもが喰われているんだ。さっきも見ただろう? 村の人たちがとても困っている」

 

 トウキとサユリは神妙に、青を見つめた。

 年若い少年と少女の耳と心に、あの兎族の男の嘆きがまだ、こびりついている。

 

「一緒に戦おう。君たちなら、あいつを倒せる」

「はい」

「オレ、みんなを助けたい」

 

 強い光を瞳に映したトウキとサユリは、青へ深く、頷いた。

 

――おい……で……かわいい……子たち……

 

 沼の中央から、女はトウキとサユリへ手招きを繰り返す。

 

「あいつ沼から引っ張り出せないかな…攻撃できねーよ」

 一度、沼に引きずり込まれかけたトウキは警戒して、水辺から距離をとって双刀を構えている。

 

「あいつは水の妖怪だから、水の術も効かないね」

 と、サユリ。

 

「……」

 青は二人の会話を背中で聞く。

 

 二人とも、冷静に状況を把握できている。凪の初等学校の生徒の中には、戦いの場となると途端に思考も体も止まってしまう子もいたものだ。

 

――邪魔を……しない…で……

 

 女の黒目が、青を()睨めつけた。

 直後、黒髪が一斉に迫りくる。

 

「天蓋!」

 頭上から矢雨の如く降り注ぐ黒髪を、岩壁が防いだ。青が発現させた地術だ。

 

「すげぇ!」

 背後でトウキが声を上げる。

 

 黒髪が岩の天蓋に突き刺さり動きを止めた隙を狙って、サユリが天蓋から抜け出た。

 地を蹴ると梟へ変化して沼の水面へ飛び、女の顔周辺で接近と離脱を繰り返しながら旋回。時おり鈎爪で女の顔や手を引っ掻いて牽制している。

 

 梟の妨害に気を取られてか、硬化した黒髪がしおれて落ちた。

 

「いいぞ」

 サユリの時間稼ぎの間に青は術を解き、懐から符を取り出し握り込む。

 

「水神……」

 前方に突き出した掌に顕現した水はみるみる濃緑へと変色、

「長蛇」

 唱えと共に毒の水蛇が走った。

 沼の水面全体を舐めるように滑り、渦を描く。

 

「凝固!」

 もう一唱えと共に、毒水で波立った沼の水面が急激に液体から固形へ変質。

 汚泥が女の足元から上半身に向かって飲み込むようにせり上がりながら、次々と凍結していった。

 

――アァ……ァア”ア”……

 

 地鳴りのような声を漏らし悶える女の錫色の肌が、半紙を水に浸したかのように黒ずんでいく。

 伸縮自在だった黒髪は、凍りついた泥に巻き込まれて固まっていた。

 

「沼が凍った……!」

 すかさず青の背後から飛び出したトウキが、凍りついた水面を駆け渡る。

 

「ウガァアアア!」

 女の正面で黒熊に変化したトウキ。右手、そして左手を交互に振り下ろし、女の顔面を力任せに殴りつけた。

 

――ギャァアアアッ

 

 耳鳴りのような表現しがたい高音の悲鳴を上げて、女は上半身を捩らせる。

 熊の腕力、さらに爪がまともに女の顔面を抉った。

 

「サユリ!」

 人間の姿に戻ったトウキが中空を見上げる。

 そこに、女の頭上から両手刀を逆手に握って落下してくる、人の姿に戻ったサユリの姿があった。

 

「よし!」

 思わず青は声を上げる。

 重力と全体重をかけたサユリの刃が、もがく女の首根っこから真下へ突き刺さった。

 

――ゴボォアァッ

 

 もはや悲鳴とは言い難い水嵩のある破裂音を上げて、女の上半身が縦に裂かれる。

 

「……え……?!」

 妙な手応えに小首を傾げ、サユリは着地。

 自らの手と、女の身体を二度見、三度見した。

 

 ぱっくりと空に向かって開いた傷口からは、出血や体液の噴出現象は起きていない。

 女の首は重力に従い真上を向いて大きく口を開けていた。縦に裂けた首の付け根の肉に、かろうじて繋がっている状態だ。

 

「おっしゃ! 殺ったか!?」

 動かなくなった女の様子に、トウキは片手の拳を突き上げる。

 

「凄いな。上手い連携だった」

 そこは素直に褒めながら、青は五感に意識を集中させた。

 

「……」

 眼の前の妖は活動を完全に停止させたように見える。

 

 生温く湿った風が、そよいだ。

 女が纏っている極彩色の着物の裾が、微かに揺れる。

 風に逆らう方向に。

 

「……二人とも、沼から出るんだ」

「ん?」

 

 青の呼びかけに、二人は素直に女から離れて岩場へ駆け戻った。

 

「水泡」

 

 沼に掲げた青の両掌が円を描く動作と共に、毒水が凝固した沼の外周側が半液体化して持ち上がり、上半身が大きく裂かれた状態の女を包みこんだ。

 

「え? え?」

「……見たことない……」

 

 子どもたち二人は口を開けて、沼の中で起きている現象を凝視している。

 

「封縛!」

 最後の唱えと共に、青が両拳を強く握る。

 

 と、妖を包む半液体の中で黒い筋が稲光のように走り、直後、半液体は再び急激に凝固。

 硬いものが圧縮される耳障りな軋音が少しずつ収まり、そして、止まった。

 

「……」

「……」

「……はぁ……」

 

 静寂の中、青の深い溜め息。

 一息ついたら傷が痛みだした。

 

 沼の方へかざしていた手で今度は、小さな式鳥を呼ぶ。

 

「皆を……キョウさ……峡谷上士を呼んでくれ……」

 浅葱色の小鳥は「チチ」と短く一鳴きして、飛び立った。

 

「ど、どうなってんだこれ、すげぇ」

「見たことない術……です」

 

 トウキとサユリは、妖を封じた塊に恐る恐る触れる。

 

「……」

 青も塊に手をあて、目を閉じた。

 内部に僅かな蠢動を感じる。

 

「……二人に、頼まれて欲しいことがある」

「な、何だよ」

 

 トウキとサユリの前に、青は腰を屈めて視線を合わせた。

 

「ここから宿場町に向かって進んだ先に、子どもたちの遊び場がある。そこでまだ遊んでいる子たちがいるはずだから、安全なところまで送り届けてやってほしい。それから、さっきここにいた男の子と女の子が無事にたどり着いたのかも、確認して欲しい」

 

「えー? でもこいつはどうするんだよ」

 こいつ、でトウキの手が塊を叩く。

 

「その子たちは、君たち「鬼の戦士さま」に憧れているんだ。沼の妖怪を退治した話を聞かせてあげるといい。きっと喜ぶよ」

 

 あえて問いには直接的に答えなかったが、トウキは顔を明るく輝かせた。

 

「え~~、そうなのか~、しかたねーな~」

 憧れられている、という言葉に気分を良くしているトウキの隣で、サユリは表情を変えず青の顔から視線を下に落とした。

 

「……」

 サユリの視線を追ってみると、足元の岩に赤色が数滴。

 再び視線を上げると、サユリのもの言いたげな視線とかちあった。

 

「わかりました。子どもたちを送り届けてきます」

「はあ?? サユリなんでこいつの言うこと聞いてんだよぉ」

「行こう、トウキ」

 

 きかん坊の弟分の手を引いて、サユリは強引に街道方面へと足早に歩いていく。

 トウキの騒がしい声が、林の中へと遠ざかっていった。

 

「ふー……あれくらいの年代の女の子はやっぱりしっかりしてるな」

 

 ようやく静寂を取り戻した沼で、青は細く長く息を吐いた。

 痛みを和らげるため数度深呼吸を繰り返しながら、衣服の上から簡易的にサラシで肩から背中にかけて縛り止血する。

 

 次に腰の道具入れから薬剤符を一枚取り出すと、自らの胸元に押し当てた。

 患部の直接的な治癒ができないため、鎮静効果のあるもので気を紛らわすしかない。

 

「サユリちゃんが察しの良い子で助かった」

 

 最後に再び外套を羽織り直して襟留をし、一息つく。

 まともに「逃げろ」と言ってもトウキが言う事を聞かないだろう。

 

「……ここで暴れられる訳にはいかない……」

 青は塊を見上げ、手を当てた。

 

 ここに閉じ込めた妖は、一時的に動きを封じているに過ぎないのだ。

 

 生け贄を捧げるほどの「邪神獣」ならば、凪で類する所の妖魔であるに違いない。妖魔は真の姿を隠しており、その姿を現した時こそ本領を発揮する。

 

 女の極彩色の着物の袖が不自然に揺れたのを、青は確かに見た。

 咄嗟に閉じ込めた判断は正しく、今もこうして手の平に、封印の中心部からの蠢動が伝わる。

 

「あの子たちの「指導者」はきっと、しっかりしている人なんだろうな……」

 

 トウキとサユリの戦いぶりを見て、確信した。

 確かにそこらの警吏隊よりよほど、戦える。

 だが彼らを指導する何者かが、妖魔級を避けていたであろう仮説は、あながち間違いでもなさそうだ。

 

「それでも、これが良いきっかけになるかもしれない」

 

 妖魔としての正体をあらわす前とはいえ「生け贄を食らう邪神獣を白兎の子どもらが倒した」という実績ができた。

 

 まだ戦力として未熟ながら、あの子らには、人を妖から救うために戦う強い意志がある。

 

 ドプッ……ゴボゴボ……

 

「!?」

 耳元で重たい水音がした。

 妖の封塊に目を凝らしてみると、黒ずんだ内部が仄かに紅く色づき、溶岩のように内部で流動している様子が微かに見えた。

 

「凝固させたはずが、溶け出している……」

 

 ゴボッ……

 

 大きな泡が弾けた音。

 封塊の中心で何かが旋回した。

 

「……魚……?」

 中心から徐々に紅が拡がっていくその様は、まるで巨大な魚卵。

 

「まずい……!」

 青は符を指先に挟んだ手を、封塊の表面にあてる。

 

「……!」

 ふと、腕に赤い筋が線を描いている事に気がつく。肩から伝い落ちてきた、血液だ。

 

「……」

 一呼吸ほど迷い、だが決断し、青は符ごと手で血を拭い取った。

 血が染み込んだ符を押し込むように、血で濡れた掌で塊に手をつく。

 

「水神……澪……!」

 唱えと共に目を瞑り、掌を通して封塊の内部へ意識を沈ませ、符から発現した猛毒を、中へ、中へと浸透させていく。

 

 ゴボッ ゴボッ

 

 毒を感知したか、封塊の内部で徐々に、水の流動音が激しくなった。

 

 ゴボッ ゴボボッ

 

 深い水底から響くような、重たい震動が掌に伝わる。

 封じ込められた卵から、外へ、外へと、孵ろうとしている。

 

「簡単に破られてたまるか……」

 青は血で濡れた手に、更に血で汚れた手を重ねた。

 

 毒術師の自分にできるのは、仲間が到着するまでに、少しでも妖魔を弱体化させておく事だ。

 

 そんな時に、最初に思い浮かぶのは、キョウの顔。

 

「彼にばかりに負担をかけさせるわけにはいかない」

 手強い敵を相手にする時、キョウに頼らざるを得ない状況に青は常に歯がゆさを覚えていた。

 

「鎮まれ……!」

 

 一喝すると共に、術力を掌に集中させる。

 紅潮していた卵がその瞬間、墨を零したかのように漆黒を帯びた。

 

 

 一方その頃――

 

「痛い、痛いってサユリ!」

 トウキはサユリに腕を引かれて、雑木林を駆けていた。

 

「待てってば!」

 強引に腕を振り払うと、ようやくサユリも足を止めてトウキを振り返る。

 

「サユリさー、何であいつの言うこと聞いてんだよ!」

「……どういう意味?」

 

 わかりやすく顔を紅潮させているトウキと対照的に、サユリはいつも顔色に変化が無い。

 

「オレたち、せっかく邪神獣を倒したのにさ。あいつ手柄を独り占めしようってんじゃねーの??」

 

 沼の方を振り返り、トウキは頬を膨らませる。

 

「トウキは、シユウさんがそんな人に見えるの?」

「思ってたより……悪い奴じゃなさそーだけど…それだよ、それ。急にあいつに「はい」とか「わかりました」とか言っちゃってさ」

 

「はあ~……」

 子どもの駄々っ子じみた事を言う少し年下の戦友に、サユリはわざとらしい溜め息をついた。

 

「キョウカ様と同じよ」

「なんでそこでババアが出てくんだよ……」

 

 よほど苦手意識があるのか、トウキの顔がまたわかりやすく歪む。

 

「弱き者は、強くて良き人の言う事を、聞いたほうがいいんだよ」

「オレらが弱いってのかよ!?」

「弱いんだよ」

「え」

 

 にべもないサユリの即答が、トウキを硬直させた。

 

「シユウさんが悪い人だったら、とっくに私たちは死んでいたよ。シユウさんの不思議な術のおかげで、あの妖怪を倒すことができたんだって、トウキも分かるでしょ。沼の水を凍らせたり、敵の動きを止めてくれたり、それに…あれは毒なのかな、私の刀で簡単に妖怪の身体が切り裂けたのも、シユウさんのおかげなんだよ」

 

「……」

 

 トウキは目を伏せた。

 頭のどこかで分かっていたのだ。

 最初に対峙した時、いとも簡単にいなされた時も、敵わない相手だと分かっていた。

 

 けれど、負けたくなかったのだ。

 

「ほら、早く子どもたちを探して安全なところへ送り届けよう」

 再びサユリはトウキの手を取る。

 今度は振り払われなかった。

 

「そしたら、キョウカ様や、みんなを呼びに行こう」

「だから何でそこでババアが出てくんだよ…」

 

 サユリの瞳が、沼の方に向けられ、そして再びトウキへ向いた。

 

「助けにいくんだよ」

 




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