学校は、本では学べないことを、たくさん教えてくれた。
「入学おめでとうございます」
一学年百名ほどの生徒は二十人ずつ、五つの学級に分けられ、それぞれに担任の教官がついた。
「一年間、皆さんの学級の担任になります、小松
青が振り分けられた三組の担当教官は、若い女だった。
法軍人が身につける胸当てと腕章を着用しているが、小柄で華奢なため、軍服に着られているような印象を受ける。
教員の出自は様々だ。
小松先生のように教員資格を持つ士官もいれば、民間の学者や職人も教員として招かれている。
一般教養は担任が受け持ち、神通術や運動科目は法軍人、技術科目は職人や技能師が担当する。
「はーい! センセーは何歳ですか?」
さっそく、お調子者の生徒が手を挙げた。
「先生は先日、二十歳になりました」
お母ちゃんより若い、姉さまと同じくらい、ぽつぽつとそんな声が上がる。
そういえば母さまは何歳だったのだろう、などと考えながら青は教室内を眺めた。
「先生って、ショクイは何?」
今度は男子が声を上げる。
「先生は中士です」
ショクイ(職位)とは、法軍における階級を示す。
「チューシか~。しょっぼ! 父ちゃんはジョーシだぜ」
ケラケラと、鼻を鳴らす声が広がる。
軍の職位は、下から下士、中士、
悪態をついた男子の父親は、位の高い人物のようだ。
霽月院から支給された質素な服を着ている青と異なり、彼は見るからに上等な上着を身に着けている。
トゲのようにあちこちの方向へハネる髪が、奔放な性格を表しているようだ。
「だっせーの!」
男子生徒の嘲笑に、いくつかの笑いが同調する。
小松先生は、両目を微笑の形に細めたまま、教室を見回していた。
生徒たちの中には、気まずそうに俯く子もいれば、男子たちの軽口に嫌悪感を露にする子もいる。
「だっせーのはそっちでしょ!」
唐突に、青の隣から声が上がった。
「え」
驚いて振り向くと、隣の席の女子生徒が立ち上がっていた。
緑がかった髪を、横で一つ結びにしている。
馬の尻尾のように揺れる髪が、いかにも勝ち気で利発そうな雰囲気を醸し出している。
少女は腕を組みながら、態度の悪い男子生徒たちを一人ずつ睨みつけていた。
「何だよてめぇ!」
「先生に謝りなさいよ!」
「うるせぇブース!」
――轟音が落ちた。
「ひっ!」
情けない悲鳴がして、教室が静まり返る。
生徒たちの視線が、一斉に教壇へ向いた。
小松先生が、青い光を帯びた片手を顔の横に掲げている。
雷の術を使ったのだ。
誰も怪我はなく、室内に焦げ跡もない。
だが、脅しとしては十分に効果的だった。
「もう二つ、自己紹介を忘れていました」
小松先生は笑顔を崩さないまま、続けた。
「先生、得意技は雷の術です。それから……お友達の悪口を言う子には、怒っちゃいますよ」
翌日から、小松先生は「カミナリの小松」と恐れられるようになった。
ついでに、暴言を吐いた男子生徒の父親が学校の小松先生を訪ね、ペコペコと頭を下げにきたことは、余談である。
*
同世代の子どもが集う場所は、青にとって新鮮だった。
入学初日に起きた通称「カミナリの小松、激怒の落雷事件」も衝撃的だったが、それ以上に、同じ子どもでも、性格や出自が様々である事にも興味を覚えた。
青や霽月院の子たちのような孤児もいれば、全てに恵まれた子もいる。
授業が始まれば、その「違い」は更に明確になった。
「術の相性というのは、人それぞれです」
神通術の授業初日。
中庭に集められた子どもたちを前に、小松先生が最初に発した教示だ。
「先生は、雷の術が得意です」
一部の女子生徒の間で、笑いが起きる。
一部の男子生徒たちが膨れっ面をしているのは、言うまでもない。
「水もまあまあ得意かな。でも雷に比べて、炎や風は強くありません。だけど、これは忘れないでください。術が使えるかどうかは、誰が上か下かの問題ではありません」
どういうことだろう、と首を傾げる子どもたち。
「例えば、ある方は風術しか使えません。でも、それを極めることで、唯一無二の強さを得ました。一方で、すべての術を平均的に扱い、術の組み合わせで巧みな戦術を編み出した方もいます」
青をはじめ、子どもたちは小松先生の話に聞き入った。
無駄話をする子は誰もいない。
穏やかな語り口が、心に染み行くように頭へも流れてくるのだ。
「では早速、やってみましょうか。先生のマネをしてくださいね」
小松先生は片手を顔の前に、手のひらを上向けて掲げた。
「神様の中で、自分が一番好きなのを思い浮かべてください。火水風地雷の五つから選びましょう」
青は火を選んだ。
出逢った日の夜、藍鬼が青を救うために用いた術であるからだ。
「思い浮かべたら、自分の手を見つめながら、想像してみてください。例えば火なら、ロウソクの小さな灯りが指先にぽっと点く、みたいに。水なら雨粒が手のひらに溜まっていく様子、風なら――」
言われた通りに、生徒たちは自分の手のひらをじっと見つめ始める。
青も手のひらを見つめながら、炎を思い描く。
「思い浮かべましたか?唱えてみてください。火は「炎神」、水は「水神」、風は「風神」、地は「地神」、雷は「雷神」、最後に「ギョク」」
「炎神・
言われたままの言霊を唱えた。
手のひらから指先へ向かって、熱が駆け抜ける感覚がした。
「あれ」
だが、炎は出ない。
周囲からも「出なーい」と落胆する声と、「出た!」と喜ぶ声と半々だ。
「出なくても大丈夫ですよ。慌てないでくださいね」
術を出そうと試行錯誤する生徒たちの間を歩いてまわり、小松先生は一人一人に声をかけていく。
その時――
「うわあっ!!」
悲鳴と同時に生徒たちの間から炎柱が上がった。
「!?」
「センセ……っ」
腕が炎に包まれた、男子生徒の姿。
初日に暴言を吐いた子だった。
術が、暴発したのだ。
「榊君!」
いち早く小松先生は、騒ぎ慌てる生徒たちをかき分ける。
「消えない……! どうしよ、」
焦りがますます術を暴走させ、炎柱がうねり始めた。
「水神・
唱えると同時に小松先生は男子生徒――
ジュウと蒸発音がつんざき、水蒸気が
「小松先生!?」
異変に気付いた他学級の教員達も学舎から飛び出してくるが、中庭は水蒸気の霧に包まれて何も見えない。駆けつけた教員の誰かが風の術を使ったのか、一陣の突風が横切り視界が急に晴れた。
炎柱は消失していた。
そこには、しゃがんで蹲る男子生徒の背中を抱いて「大丈夫ですよ」となだめる小松先生の姿があった。
先生の黒髪の先が、わずかに焦げていた。
白い頬には煤がつき、火傷の痕が残っている。
「ご、ごめん……先生、ごめんなさい」
榊は体を震わせ、立ち上がれない。
小松先生は、そっと膝をついた。
「大丈夫ですよ、大丈夫……」
穏やかな声が繰り返される。
「……」
青とつゆりは、その光景を静かに見つめていた。
*
駆けつけた教員たちが、混乱する生徒をなだめる間に、小松先生は
「小松先生、大丈夫かな……」
青の近くに立っていた女子生徒たちが身を寄せ合い、ひそひそと
「サカキ君、だっさーい」
「ね。先生の悪口言ってたくせに」
「やめなさいよ」
それをたしなめる声が、横から入った。初日に榊ら男子生徒を叱り飛ばした、緑髪の女子生徒、
「つゆりちゃん……」
思いがけないお叱りに、女子生徒たちは肩を縮める。
「榊君、謝ってたじゃないの」
「でも……」
「そうでしょ、青君?」
「え」
突然話を振られ、青は口を丸く開けたまま固まった。
まったく別のことを考えていたからだ。
「何よ、ぼけーっとしてないでよ」
つゆりの瞳に、少しばかり失望の色が浮かぶ。
青は「ごめんね」と笑ってごまかすしかなかった。
「榊君の術、すごかったなって。僕は全然ダメだったんだけど……」
青の応えに、つゆりが目を丸くする。
「……私も、同じこと思った」
そして徐々に、目を伏せさせた。
「すごいけど……でもすっごく悔しいの」
下唇を噛むつゆりが、青にはひどく印象的だった。
半刻もしないうちに、小松先生と榊少年は中庭へ戻ってきた。
「小松先生!」
「センセイ、大丈夫??」
女子生徒たちが、小松先生の周りへ駆け寄る。
「治癒師の先生のおかげで、大丈夫、治りましたよ」
顔を汚していた煤ばかりか、火傷の痕も、すっかり消えていた。
小松先生の背後から、榊少年が気まずそうに姿を現す。
女子たちの視線が痛く、怖い。
「はい! 初めての神通術は、榊君が『がんばりました賞』ですよ! あんな大きな炎を出せるなんて、すごいことです」
手を叩きながら、小松先生が明るく声を張る。
「次の『がんばりました賞』がとれるように、皆さんも練習の続きをしましょうね」
「はーい!」
先生の促しで、生徒たちは自然と輪を描くように散開する。
「榊君」
輪の内側から外れようとする榊少年へ、青は声をかけた。
「さっきの術、すごかったね! 僕にも教えてほしいな」
「な、なんでだよ……」
気まずさ故か、榊少年は口を歪めて身を引きかける。
「僕、全然ダメなんだ」
青が照れ笑いを見せると、榊の顔から次第に戸惑いが消えていった。
「……トウジュでいい」
「ん?」
「榊
「僕は青。よろしくね」
「あたし、如月つゆり!」
そしてなぜか、つゆりが割り込んできた。
初日のことを覚えているのか、トウジュは「うげっ」と顔をしかめる。
「文句あるの? ほら、あっちでいっしょにやろ」
つゆりに強引に腕を引かれ、青とトウジュは顔を見合わせながら苦笑するのだった。
*
それから半刻ほど、術を発動させる練習が行われた。
トウジュは火の術を避けて水に切り替えた結果、やはりあっさりと手のひらに水を出現させた。
つゆりは、何とか一度だけ、小さなつむじ風を発生させた。
一方の青は――やはり手に熱が集まる感覚はあったものの、炎を生じさせるには至らなかった。
「全然ダメだった……」
これが「相性」もしくは「素質」の違いなのだろうか。
初日に術が発現しなかった生徒は、半数ほどいた。
それでも、楽しみにしていた授業だけに、青は落胆を覚える。
「今日うまくいかなかったからといって、がっかりする必要はありませんよ」
生徒たちの様子を見渡して、小松先生が声をかけた。
「神通術は七つあるのですから、自分に合ったものを、これから何年もかけて探していくんです。まだまだ先は長いですよ? 今は特士の方だって、一年生の二日目から何でもできたわけではないんですからね」
先生を囲む輪から、笑いが起きる。
二日目にして生徒たちは、小松先生を大好きになっているようだ。
「あの、先生」
青が手を挙げる。
「はい、
「大月」とは、青が凪之国の国民として
霽月院出身で名字のない子は、みな「月」「夜」「白」のいずれかにまつわる姓を付けられるという。
「質問してもいいですか?」
「もちろんですよ」
「神通術をうまく使えないけど、特士や上士になった人はいるんですか」
子どもたちの間からあがった「いないだろー」といった声は、
「いますよ」
との小松先生の回答に、静まった。
「特士や上士という呼び方ではありませんが、特士や上士と同じくらい、高い職位があるんですよ」
再び、子どもたちがざわめく。
「ししょーのことかな……」
青も身を乗り出した。
「これはもう少し後の授業でとりあげるお話なのですが、せっかく大月君が良い質問をしてくれたので、ちょっとだけお話ししますね」
そう言って、小松先生は地面から適当な枝を拾い上げ、土の上に図を描き始めた。
種のような楕円が二つ。
片方に「神」もう片方に「技」と書き込んだ。
「左は神通術。右は技能術です。技能術は神通術と違って、神様の力を使わないものも、あります」
「使わないのに、術っていうの?」
周りの子どもたちが顔を見合わせる中、青は神妙に小松先生の話を聞いていた。
「神通術と、技能術は、ぜんぜん違うものだと覚えて下さい」
小松先生の枝先が、神の種と技の種からそれぞれ棒を上に伸ばす。
種から芽吹いた芽か幹のようだ。
それぞれのびる幹は、お互いに交わらない。
「技能術には、例えば、薬、毒、式、罠工、武具工、幻術などがあります。いくつか、物作りをするものがあるのが、分かりますか?」
小松先生の枝が、次に技の種から伸びた幹を七分割し、更に一番下を三分割、上を四分割した。
「技能術には専門の職位があります。それを『技能職位』と言います。中士や上士というのは『総合職位』です。上から特士、上士、准士、中士、下士の五つです。皆さん知ってますね。でも技能職位は……見て下さい」
小松先生の枝が、技の種から伸びた幹を細かく分割する線を示した。
「技能職位はなんと、十二もあります。さて、なぜでしょう?」
十二、という数字に驚きざわめく子どもたち。
その後ろから、青は手を挙げた。
「とても難しいから、ですか」
青の回答に、小松先生は笑みと共に大きく頷いた。
「そうです。技能術には、神様の力を借りないものもあるのです。物作りは、神様の力ではなく、自分たちで考えて、工夫して、手を動かさなければ、形になりません。そのためには膨大な知識と、高度な技術が必要になります」
実感が持てずに目と口を開くばかりの子どもたちへ、小松先生は一息を挟んで力強く続けた。
「もう、わかりましたね。神通術が使えなくとも、技能職位を極めて、高い位になった方もたくさんいるのです」
土の上に描かれた図を前に子どもたちは顔を見合わせたり、考え込んだりと、様々な反応を見せた。
幾人かの聡い生徒は、これから知らねば、学ばなければならない事柄の膨大さに気づき、
「はーい、先生!」
興味深げに図を観察していたつゆりが、手を挙げた。
「技能職位って、どういう呼び方になるんですか? 特士や上士とは言わないんですよね」
「そうですね、十二個もあるのでそのお話はまた今度、別の授業でお話ししますね」
学舎から、折よく授業の終了を告げる鐘が鳴った。
「最後に、せっかくだから一つだけ、書きます」
そう言って、小松先生の枝は「技」の幹の頂点に難しそうな文字を書き入れる。