「あれ、あの子は」
青からの式鳥を受け取ったキョウが、経由地である街道まで戻ってみると、聞き覚えのある声が騒いでいた。
「本当だよ! 鬼の戦士さまがいたんだ!」
柚斗だ。同年代くらいの数人の少年たちや少女と一緒に、茶屋の前で掃き掃除をしていた母親へ、懸命に訴えている。
「またあなたたちは、そんな事ばっかり言って」
母親は、うんざりを顔に出して、箒を動かす手を止めない。
「おばちゃん、本当なの、本当にいたの!」
続く少女の訴えに「カヤちゃんまで……」と困った様子だ。
「そんで、そんで、沼の邪神獣が出て」
「柚斗、邪神獣を見たのか?! すげー!」
興奮する少年たちの真ん中で、柚斗の母親が箒を持ったまま困った様子で立ち往生している。
「いいなー、鬼の戦士さまと邪神獣と戦ったところを見たのかよ!」
「え、ま、まあな! すごかったんだぜ。髪の毛がびゅーん、びょーん、ドカーンってなって、兄ちゃんが兎のおっちゃん助けてケガして、そしたら狼がばーんって出てきておれらを運んでくれたんだ!」
情報が渋滞する柚斗の説明の中で、
「ケガ……?」
その一点にキョウは顔を顰めた。
狼はおそらく、青の式。以前も村の子どもを安全な場所まで送り届けるために、式狼を用いていた。
「そんな事、式鳥には一言も……!」
キョウは音もなく地を蹴り、街道を外れて駆けだす。雲類鷲たちと合流するつもりであったが、悠長にしていられない。
林を抜け、途中で子どもの遊び場と思われる広場を通り過ぎる。更に奥へ駆けると、森に穴を穿ったような開けた空間に出くわした。
「な、何だあれは……」
キョウの目にまず飛び込んだのは、赤黒く巨大な、卵のような球体。そして、その前に片膝をつく人影。
「二師!」
「!」
キョウの声に反応した青が、顔を上げる。覆面が下げられていて口元が露出している事に一瞬驚くが、キョウは真っ直ぐに青の元へ駆け寄った。
「これは?」
見上げると、歪な球体の中で、ブクブクと泡音をたてて何かが激しく蠢いている。
「恐らく、魚の妖魔…変容する前に…封じたのですが、中で…」
答える青の声は、乾いて掠れていた。卵に片手を当て片膝をつき、肩が苦し気に上下している。
「子どもたちが……無事に……戻れたかどうか……」
「無事です」
短く、強く、キョウは頷いた。
「鬼の戦士さまを見たんだーとか、元気に騒いでましたよ」
だから、とキョウもその場に片膝をつき、青に視線を合わせる。
「後は俺に任せて」
「……」
そんな台詞が似合うのは貴方ぐらいですよ。
朦朧とする頭でそんな事を考えつつ、青は澄んだ水鏡色の瞳へ小さく頷き返した。
「っは……」
目の前の揺るぎない自信に触れて安堵した途端、上半身から力が抜ける。体を支えるため両手を地面につくと、ぱたぱたと赤い斑点が土に垂れ落ちた。
――……んで……やる……
深淵から這い上がるような声がした。
重たい沸騰音が連続し、卵の表層がボコボコと波打つ。
「こっちへ」
「っ!」
キョウに腕を掴まれ、引き上げられるがままに前へつんのめるように卵から距離をとる。
「天嶮!」
直後、キョウの地術が発動。
ひと際大きな破裂音がした。赤黒い水飛沫が岩壁にぶつかって飛散して、その向こうから巨大な水柱が上がった。
「!」
――流して……やる……ぜんぶ……ぜんぶ……!
水柱の中から中空に姿を現したのは、極彩色の煌めき。
「錦鯉……?」
色鮮やかな鱗を持つ巨大魚の体に、人間の女の顔が鱗に半分埋もれるように生えている。
柳のような黒髪を垂らした女の顔が譫言《うわごと》のように呪詛を吐き続けながら、二人の目前でみるみる巨大化していった。
「あいつ、体が」
岩壁が消え、妖魔の全身が明らかになる。
胸ビレあたりから下は、所々の鱗がはげ落ち、肉が削げ、骨が露出している。尾びれに至っては完全に骨になっていた。
――水が……欲しい……か……
極彩色と白骨が混在する巨大な妖鯉が、沼地の空を埋めるほどの巨体をうねらせる。
「魚の急所は……エラの横と尾の付け根です……」
「助かる」
腰を上げ、キョウは青を背に庇うように鯉の前に立ち塞がった。
「俺が動いたら、林の方へ下がっていてくれ」
――くれて……やる……!
水が激しくはねる音。妖鯉が中空で体をしならせた。
「雷神……」
唱えと共にキョウが、体の両脇に広げた掌に雷を宿す。
「っ……!」
指示に沿い、青は重たく感じる体を何とか前に進ませて、沼から更に距離をとる。視界に入る中で最も幹の太い樹木の陰に身を隠した。
「情けな……」
結局は頼ってしまっている自分に罪悪感を抱きながらも、動けない人間を庇いながら戦う事の難しさも理解している。
せめて邪魔にならないよう立ち回る、今はそれしかできる事が無い。
――流れてしまえ……!!
甲高い叫声と共に妖獣が口から水を吹き出す。
「風神……天扇(てんせん)」
襲い来る激流を、キョウは風術を宿した片手で振り払い、すかさずもう雷術を宿した拳を突き出した。
凄まじい雷流が瞬く間に水流を駆け上り、妖鯉へ直撃、更に妖鯉が纏う水を伝い、中空の鯉は青い雷撃に包まれる。
「!?」
青は咄嗟に片手で目元を覆った。
凄まじい炸裂音と共に視界が白光に眩む。
無理矢理に目を凝らしてみると、キョウの姿は消えていて、中空からの轟音に顔を上げれば、妖鯉の頭上から雷槍を振りかざす姿があった。
急所のエラの隙間を狙っている――が、
「っふ…!」
四方八方から水が渦を巻いてキョウに迫り、風術で体を翻して宙空で避ける。一本、また一本と増える水流を巧みに避けた。
「尾びれが来る!」
「!」
青の叫びに振り向くキョウの目の前に、鞭の如くしなる白骨の扇が迫る。
「助かる」
さほど慌てる様子もなくキョウは逆手に振りかざした雷槍を素早く持ち換え、横に薙いだ。
その最中《さなか》に雷槍は斬馬刀の形状へと姿を変える。
硬質な衝突音、そして瓦解音が続いた。白骨化した妖鯉の尾が根本から切断され、無数の白い破片がぶつかり合って中空で八方に飛散。
「うわ……器用」
季節外れの雹のような、降り注ぐ白骨の破片を見上げ、青は感嘆の息を漏らす。
キョウは風術を操りながら、中空でも器用に動き回り、更に同時に雷術も使いこなしているのだ。
青も以前、朱鷺に「術の制御が上手」と褒めてもらえたが、キョウのそれはまた次元が違うものに思えてしまう。制御が巧みで尚且つ、凄まじい威力も伴っているのだ。
――にく……い……、にくいぃ……、わたしの……子を……!!
妖鯉はただひたすらに、口から水と呪詛を吐き続ける。目の前のキョウではない、ここにはいない、もしくは過去の何者かへの恨みつらみ。
――雨が…降…らぬ……雨……ぁあ”あ”……!
軋音と共に切断された尾の骨が次々と再生し、より大きな尾びれが築きあがった。同時に背びれ、腹びれも肥大化して鋭い光を帯び始め、エラ周辺の鱗が肥大化して急所を覆い隠してしまう。
呪いの言葉を吐き出すほどに、妖鯉の姿はより歪に、強靭に変容していった。
「無駄なことを」
やはりさして慌てる様子もなく、キョウは雷の斬馬刀を再び槍へ変えて構え直す。断続的に襲い来る水を中空で避けながら雷術で牽制し、女の顔の正面で槍を逆手に振りかぶる。
「ふ……っ!!」
風術の気流と全体重をかけ、雷槍を女の眼球に一突き。
――ア”ァアア”……!
聞く者の贓物を震わすような、おぞましい叫び声が轟いた。
「貫け!」
キョウの気合一喝と共に、妖鯉のエラが内部から粉砕され、雷槍が貫いた。
――渇き……が……か……わ……きガッ……ァ!
陸に打ち上げられた魚の如く、片目を潰された妖鯉は口を幾度も開閉させて喘ぎ、それでも呪詛を発し続けながら、中空でのたうつ。
「……」
キョウはわずかに目端を顰め、再び雷術の斬馬刀を顕現させる。風術の気流で高く身を躍らすと、妖鯉の真上から斬馬刀を降り降ろした。
「凄い……」
空を仰ぐ青の視界の中で、妖鯉の陰が両断される。
呼吸を忘れていた事に気づき、青は深く息を吐いた。
キョウの豪快な戦いぶりにいつも、見惚れている自分がいる。青が血触媒まで用いて必死に封じ込めていた妖魔を相手に、独りで立ち回っているのだ。
「炎神……」
キョウは新たな唱えと共に手を翳す。
あとは分断した妖魔を業火術で焼き払って妖魔討伐は終了――のはずだった。
「……え……っ」
炎術を唱えかけたキョウの手が、止まる。
分断させた妖鯉の下半身が蠢いたかと思うと、黒い霧を大量に吹き出して破裂した。
「何、うわっ!」
珍しく動揺が声になるキョウへ、黒い影が襲い掛かる。
――おかあ……ちゃん……
――おと……う
それは無数の、幼い子どもの影。
黒い人形《ひとがた》が張り付くように、キョウに纏わりつき、腕、体へ絡みつく。
「まさか、この子らは……!」
キョウは懸命に子どもたちの影を振りほどこうとする。
――こわいよぉ……
――ここは……どこ……?
母親や父親を求め、苦しい、寂しい、あらゆる痛みと苦しみを嘆く声と影が、キョウの体を包み込もうとしていた。
――…ぜんぶ……流れて……しまえば……いい……
半身を分断された妖鯉の顔が、大きく口を開けた。
「!?」
沼の水面が激しく揺れて水柱を上げ、宙でみるみる膨張し水嵩を増していく。
「まずい……」
生贄によって鎮められてきた、地域一帯へ水害をもたらす邪神獣。その力が放出されようとしている。
とどめを刺さなければ。
急ぎキョウは全身に絡みつく影を振り払おうとする。だが、
「何……だ、これは……?」
だがキョウの術力をもってしても、子どもたちの影を振りほどく事ができない。
それどころか、体を動かそうとするほどに、術力を発揮しようとするほどに、力と気を吸い取られていく。
「キョウさん……!」
キョウの異変に気づいた青は、大樹に手をつき立ち上がる。
「水神……」
血で濡れた符を、血に濡れた両手で挟む形で組んだ。
「水龍」
唱えと共に両手を前方に掲げ、術力を集中。
青の両手から生まれた水が意思を持って宙に渦巻き、膨張、蛇を超えて龍となる。
「黒龍!!」
短い一喝の直後、無色透明だった水龍が、墨を流し込んだかの如く変色した。
「行け」
主の命と共に黒龍は天《そら》へ昇る。キョウに憑りつく黒い影へ喰らい付き、噛み砕き、キョウの体から引き剝がした。
「……っ」
消耗したキョウの体が、宙空で揺らぐ。
そこへ大型の鷲が飛来した。
「雲類鷲准士か……!?」
咄嗟に伸ばしたキョウの手を、鷲の対趾足が掴む。不安定ながら辛うじて落下を免れた。
――…渇いた……穢れ……ぜんぶ……消え……ろ……!!
「!」
目の前で女の顔が黒髪を振り乱し咆哮する。
視界を覆いつくすほどの水が、荒れ狂う嵐のような怒涛となって渦巻いた。
「く……! 地神……」
キョウは咄嗟に片手を掲げかける。
そこへ、
「飛び降りて!」
背後から新たな声。
「え……、っ!」
振り向く間もなく、重さに堪えかねた雲類鷲ごとキョウの体が落下。だが岩場に叩きつけられる衝撃はなく、
「メ”~~~~~ッ」
ふわふわの何かに沈んだ。
「え……は?」
這い上がってみると、キョウは数頭の羊や犬の群れの中にいた。
状況を把握するよりも前に、
「水神……氷狐《ひょうこ》!」
頭上で女の声が木霊した。
宙空で妖鯉に相対した新たな人影が片手を突き出すと共に、四つ足の獣の形(なり)をした水が駆ける。
「水術……!?」
なんとか羊と犬の群れから抜け出したキョウと、人の姿に戻った雲類鷲が見上げる天(そら)を、水の狐たちが妖鯉へ突っ込んでいった。狐が駆けた跡が尾を描くように凍りつく。
――ア”ァアア”ァァ……ァ……ァ……
縦横無尽に奔る狐たちが、断末魔ごと妖鯉を凍結させていく。天を覆い尽くすほどの怒涛までもが氷結し、砕け散った。
凍りついた妖鯉が浮力を失い落下、そこへ、森から現れた巨大な四つ足の影が高速で駆け込む。
「ブルゥァアア!」
咆哮を上げて地を蹴った獣――巨大な猪が、落下してきた妖鯉へ強烈な頭突きを食らわして岩場に叩きつけた。
ぐしゃり、とひどく生々しく有機的な、肉が強く押しつぶされる打撲音。
「それくらいにしときな。証拠が無くなってしまうよ」
水術で妖鯉を凍結させた張本人が、地に降り立った。
花の髪留めで括られた、長い黒髪の女だ。髪留めの花と同じ意匠をあしらった薄若草の衣から、美しい線を描く脚を見せている。
若くも見えるが、熟練した佇まいも感じられる年齢不詳さがあった。
女は地に転がった妖鯉の元へまっすぐ向かうと、背負っていた鞘から長刀を抜く。徐ろに逆手に構え、妖鯉の顔面、大きく開かれたまま凍結した口へ、
「っふ……」
短く息を吐き出すと共に突き刺した。
こうして、水の厄災を引き起こす邪神獣は、息絶えた。
奇しくも多くの贄が捧げられてきた、台座状の岩場の上で。
長刀はまるで、墓標のように突き刺されたまま。
空で砕け散った氷の破片が牡丹雪となって、陽光を受けて煌めきながら、あたりに降り注ぐ。
「死んだ……んでしょうか……?」
妖鯉に突進した猪が、年若い青年へと姿を変えて、女の斜め後ろに立った。
「キレイ~」
キョウと雲類鷲を受け止めた羊や犬たちもそれぞれ、少年や少女へと姿を変え、空から舞い落ちる煌めきを見上げてはしゃぐ。
子どもたちは誰もが、揃いの黒を基調とした装束を身にまとっていた。
「あの子らが「鬼の戦士さま」とやらなのか…?」
雲類鷲は手を腰に差した武器に触れさせたまま、警戒して辺りを見回している。
「……っは……」
疑問符しか浮かばない状況に呆然としかけて、キョウは我に返った。
「二師は」
踵を返し青の姿を探す。
沼の水辺から少し離れた草地に、倒れた人影が見えた。
近くで、
「シユウさん……大丈夫ですか……?」
と、見知らぬ少女が膝をついて、恐る恐ると声をかけながら覗き込んでいた。
少女の傍らでは、
「し、死んでねーよな……?? ババア呼んだ方がいい??」
と、こちらも見知らぬ少年が、落ち着き無く右往左往している。
「……」
キョウは一つ、深く長い呼吸と共に、青の元へ一歩を踏み出した。
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