毒使い   作:キタノユ

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ep. 41 一蓮(4)

 狛の「好きに見ていい」の言葉のまま、青は棚の端から順番に手を伸ばす。

 

 どれくらい時刻が経過したか。

 

 気が付けば机の上が、巻物や積みあがった綴本で埋まりかけていた。

 

「あ……これか……似てる似てる」

 裏面に革が張られた巻物を慎重に開くと、そこに初代白王狼、犲の肖像画を見つけた。

 

 絵柄の線が簡略化され象徴的ではあるが、伝承通りの美丈夫である事が分かる。

 巻物の文字や図を辿ると、犲の妻や子どもたちの名が延々と記されていた。

 

「中身は正反対だな」

 女が寄ってくるのは同じでも、キョウには噂の一つも立たない。

 彼が幼少のころから任務と訓練に明け暮れている事が、周知の事実であるからだ。

 

「これキョウさんに見せたいなー、びっくりするよな。庵さんがいれば模写できるのに」

 自分の絵心の無さを呪いながら、せめて記憶に刻もうと巻物に目を凝らす。

 

「そんなにその顔が気に入ったか」

 唐突に耳元で声がした。

 

「え」

 振り返ると、目の前にキョウの顔。

 

「うわっ、え??」

 反射的に体をひいて椅子から落ちかけて踏ん張る。

 

 二歩ほど離れてみると、目の前にいるのは当然ながらキョウではなく、幾分か年齢を重ねた印象の、長い白銀の髪を後頭部で結んだ、碧い瞳の男だった。

 

 上衣を染めるやや青みのある赤――蘇芳色の落ち着きと対照的な明るい髪と男の表情が、全体の印象を高貴に見せている。

 

「……まさか」

 青の視線が手元の肖像画と、男の顔を三往復。

 

「娘と仲良くしてくれているようだな」

 そう、白狼ノ國の王は、目じりに皺を作って破顔した。

 

「白狼王でおられますか……ご無礼を」

「狛の父だ。娘が世話になっている、シユウ殿」

 

「……」

 既に名前を把握されている。

 

 居住まいをただそうとした青を制し、白狼王は机の上の有様を眺めて笑った。

 

「東の御仁はずいぶん勉強家なのだな。存分に過ごしてくれて結構。狛が許しているのなら我が口を出す事ではない。ま、座ってくれ」

 

 白狼王は青に改めて隣に着席を促す。

 すべてを先回りされているようで、青は少なからず畏怖を覚えながら腰を下ろした。

 

「狛をどう思う?」

「……どう……」

 

 どう、とは。

 

 唐突な王からの問いかけに青は、口端を引き締めた。

 ここで答えを間違えたら不敬罪で殺されるのでは、という考えが瞬間的に巡るが、目の前の王がそのように狭量な小人物とも到底思えない。

 

「清廉潔白な志に従い、自ら行動している方であると、存じます」

 青は素直に答えた。

 

 蒼狼の使者を追って翡翠まで足を伸ばしたり、子ども達を案じ黒鉄や青ら外への協力を求める行動力は、深窓の姫君の枠から逸脱している。

 

「ほう」

 地底湖色の瞳が、丸く見開かれ、

「――そうか」

 弧を描いて細められた。

 

「狛は昔からしょっちゅう谷を抜け出してな。初代に似たのやもしれぬ」

 白く長い、王の指先が机上の肖像画を指す。

「気が多いところだけは似ないで欲しいがな」

 

 黒鉄の事は黙っておいたほうが良さそうだ、と青が考えていたところへ、

 

「父上!」

 狛が駆け込んで来た。

「おう、狛」と父王は気さくな笑顔と共に娘を振り向く。

 

「ご帰還されたと聞いたのに姿が見えないと思ったら」

「すまんすまん。つい珍しくてな。では失礼するよ、お客人」

 

 最後に青へ目配せを残し、白狼王は娘に背中を押されて部屋を追い出された。

 ただちに寄り集まる臣下の者たちに寄り道を叱られながら、王は谷へと降りて行った。

 

「まったく。たまに気まぐれを起こすものだから困る。シユウ殿、父に変な事を吹き込まれてはいないであろうな?」

 

 狛は青へ向き直る。

 机上に初代白王狼の肖像画が広げられている様子に、苦笑する。

 

「いいえ。娘を心配する、普通の父親でした」

「……?」

 

 狛は小首を傾げた。

 

 

 丸一日を書物漁りに費やした翌日。

 

 青は、鉄壁に囲まれた要塞を望む、川の対岸に来ていた。

 

 要塞は四方それぞれ異なる地理条件で囲まれている。片側は森、片側には川、片側は岩盤地帯、そして見通しの良い白狼側の乾いた地帯だ。

 

 周辺地図や地理資料および見取り図から、要塞内に引き込まれている水の流れはあらかた推測できた。

 あとは地中の水脈を読み、生活水の流れをより詳細に把握する必要がある。

 

「井戸の数が少ない……という事は中に川か湧き水があるはず…」

 

 見取り図を片手に独り言をつぶやきながら、青は川に沿って歩く。

 

「黒鉄先生、あの方は何をしてるのですか?」

「いつも言ってるだろ? 敵をよく知るべし、ってな。多分そういうやつだ」

「散歩で分かるの?」

 

 その数歩後ろを黒鉄と、数人の少年少女たち。

 いずれも黒を基調とした装束――白兎のトウキらも着用していたものと揃いのもの――を身に着けている。

 

「静かに。邪魔をしてはいけない」

 そして狛も続いた。

 

 子どもたちは黒鉄が受け持つ獣鬼隊の一員で、いずれも鼠や鳥族の面々だ。要塞の見取り図を作成するにあたって内部侵入した経験から、青の調査に役立つであろうと、黒鉄が帯同している。

 

「下水がどこまで整えられているのか……」

 背後の無邪気なはしゃぎ声を全く気にかける様子もなく、青の意識はただ見取り図と地図と視界に入る風景だけに注がれていた。

 

「この辺で見てみるか」

 川がいくつかの支流に分かれている手前で、青は足を止めた。

 

「?」

 川べりに片膝をついて背を屈め、両手を水に浸して動かなくなった青を、狛や子どもたちはきょとん顔で見守る。

 

「あれは……水術……澪、か」

 一人、黒鉄は目を細め、指先でこめかみに触れる。

 

「術を使っているのか? そうは見えぬが」

 黒鉄の独言に気づいた狛が、肩を寄せて小声で尋ねた。

 

「水を辿って、要塞内の水脈を探っているんだろう」

「そんな事ができるのか、東の術というのはどれも有用なのだな」

 

 狛は感心した面持ちで、動かない青の背中を見つめる。

 獣鬼隊の子どもたちの中で年長の少年も興味深げにしていたが、年若い子たちには退屈であるようで、川辺の石拾いに興じ始めていた。

 

「それにしても、よく気が付いたな」

「……どこかで見たんだよな……同じ事をしている奴を……」

 

 呟きながら、黒鉄はまた指先でこめかみに触れる。

 頭痛に耐えているように細めた目端が微かに震えていた。

 

「黒鉄……?」

「あ」

「?!」

 子どもの声がして、狛は反射的に川の方へ視線を戻す。

 

 見ると、水から上がった青が、川べりの草地に尻もちをつくように座り込んでいる姿が見えた。

 

「お兄さんどうしたの?」

 石拾いをしていた数人の子どもたちが、青に駆け寄り肩や背中をさすってあげている。

「どうしたのだ……!」

 

 集まる面々に、青は俯いたまま無言で片手を上げた。

 

「眩暈でも起こしたんだろ。治まるまでそっとしといてやれ」

 黒鉄が子どもたちの手をつないで青から引き離す。

 狛も倣って、困惑した様子の少年に「下がろう」と促した。

 

「あの手の術は神経すり減らすからな。この距離から、あの広い範囲を探るのは相当に骨が折れるはずだぜ」

「以前に話していた、代償、という事なのだな」

 

 神通術は、力無き人間が、己の生命力・気を捧げる事で力を得る術式。黒鉄からそう教わっていた。

 

 しばらく立てた膝に顔を伏せて座り込んでいた青が、むくりと立ち上がって再び水辺へ。

 

 今度は少し位置を変えて、再び水へ両手を突っ込むとまたしばらく動かなくなり、そして上がってくると今度は仰向けに転がる。

 

 そして眩暈が治まると起き上がり、読み取った水脈の情報を、要塞の見取り図へ書き入れていく。

 

 それを更に三度繰り返した頃には、要塞内の水道、水脈はほぼ把握できる状態となった。

 

 その作業が終わると次に――

 

「この場所と、この場所と、この場所。この三箇所は、要塞内での生活水の供給場所と思われる井戸と、湧水です。この水がどのように使われるか、人々の暮らしの動線を把握しておきたい」

 

 川から少し離れた森の木陰にて。

 書き込みが倍増した見取り図を囲む、青、狛、黒鉄と獣鬼隊の子どもたち。

 

「今が昼の正刻前だから、昼と、それから日が沈む頃の酉の刻。この二回でお願いしたい」

「なるほど。どっちも飯どきってことだな」

 

 納得したように頷き、黒鉄は子どもたちへ顔を向けた。

 

「千鳥とイトは北のここ、霧矢は南側のここ、アヤトは東側を頼んだ」

「はーい!」

「分かりました」

 黒鉄の指示を受けて獣鬼隊の子ども達は、その場で鼠や小鳥へと姿を変えた。

 

 青、狛、黒鉄が見守る中、空と地上それぞれから要塞内へと侵入する。青が示した見取り図の特定の場所へ、それぞれが偵察に向かった。

 

「みな、肝が座っていますね」

 何の躊躇もなく川を越えて危険地帯へ駆けていく子どもたちを見送って、青は黒鉄と狛を振り向く。

 

「それ作るために何度も潜ったからな」

 弟子たちを褒められた黒鉄の面持ちは、少し得意げだ。

 

「それにしても、ここまで緻密に調べるものなのだな。短時間で水の流れや、風向きや気候までも」

 情報量が数倍に増えた見取り図を眺め、狛は何度も感嘆の息を吐く。

 

 まるで、要塞内が丸裸にされているような状態だ。

 

「あんた、東で軍師様でもやってたのか? どんだけ大規模な陥落作戦を練るつもりだ」

 一方の黒鉄は、見取り図の情報量の多さに若干の拒絶反応を見せている。

 

「シユウ殿。そろそろ聞かせてもらえないだろうか」

 改まって、狛は背を正す。

 

「貴殿が要塞を調査しにきた目的や、どのように子ども達を救出すべきと考えているのか」

「おう。作戦会議するか! 獣鬼隊で腕が立つ奴も出せるぜ」

 腕が鳴ると、黒鉄は硬い拳を厚い胸板の前で突き合わせた。

 

「……」

 対称的に静謐な面持ちの青は、茂る枝葉の向こうに望む要塞を、見やった。

 

「数日後、あの要塞は陥ちます」

 

「え……!?」

「軍勢でも押し寄せてくるのかよ?!」

 

 狛と黒鉄が見せる、至極当然な反応へ青は、ゆるゆると首を横に振った。

 

「未曾有の疫病が発生し、閉鎖空間である要塞内の人々は抗うすべもなく死に絶える」

「疫病……死に絶え……それでは子どもたちが……」

 

 狛の白い素肌が、青白く翳る。

「蒼狼でそのような病が流行っているとは聞いた事が無い……事実ならば白狼邦も無事では無いであろう……!」

 

「ここに、その予防薬があります」

 身を乗り出す狛を制するように、青は小瓶を碧い瞳の前にかざす。

 獅子が刻印された符で封が施されている。

 

「その疫病に有効な「唯一」の薬です」

 

「……あ……」

 狛の瞳が、薬瓶から、見取り図へ移った。

 

「水と風の巡り……まさか……」

 原理を理解したであろう碧色の瞳が、見開かれて揺れる。

 

「……獅子…」

 その隣で黒鉄は、青の手の中の刻印を見つめ、黒い瞳を細めていた。

 

 

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