秋の夜の
川向うから飛んできた一羽の小鳥が、
「おう、戻ったな。千鳥が最後だ」
黒鉄の出迎えを受け、ヤマガラは一鳴きあげて、少女の姿へ変容。要塞の偵察を終えた、
「千鳥、戻りました! 報告しますっ!」
ごっこ遊びを楽しむように、少女はまっすぐ片手を上げて背筋を伸ばす。
「よーし、では頼んだ」
娘の遊びに付き合う父親のように、黒鉄も調子を合わせた。千鳥は得意げに、偵察で見聞きした光景や情報を語りながら、見取り図を指さしていく。
水場を使う人間、水の使われ方、食事習慣など。
見事な観察眼と記憶力を発揮した。
「これだけ情報が揃えば、十分です」
子どもの偵察内容を書き留めていた青が頷くのを確認して、黒鉄は「よくやった」と千鳥の頭を撫で回す。
「……」
くすぐったそうな笑顔を見せた千鳥だが、直後に暗い影を面持ちに落とした。
「どうした」
「北の、裏の門からね、新しい子どもが連れてこられていたの。縄と鎖で縛られていたから、間違いないよ」
「!」
「……ちくしょうが……」
歯ぎしりする黒鉄と、目を伏せる
「みんな助けてあげてね! 私も偵察とか、何でもやるから」
大人二人を鼓舞するように、千鳥は握った小さな拳を上下に振った。
仕事を終えた獣鬼隊の子ども達は先に帰らせて、その場に青、黒鉄、狛の三人が残った。
黒鉄は憎々しげに闇に浮かぶ要塞の
「子ども達と、要人や軍人らとは水場も食事も分けられている……都合が良い」
指先に灯した玉の炎に照らした、鬼獣隊の子どもたちの手によって完成した動線図を、青は満足度の高い笑みを浮かべて眺める。
凪の初等学校でも地図の読み方、書き方、調査を学ぶが、実践で鍛えられたであろう黒鉄の弟子達の手際は感心しきりだ。
白兎の子どもたちの様子を見ても感じたが、鏡花や黒鉄の教育手腕は凪も見習うべき点は多いと感じる。
「これで、下調べは完了です」
「この後の流れは、どうするんだ」
鼻息の荒い黒鉄が振り返る。
千鳥の報告にあった、新たな子どもの拐かしに腸を煮え繰り返している様子だ。
「明日から三日かけて、まず子どもたちの口に予防薬が入るよう、薬を流します。体が小さな子ども達ですので、三日もあれば抗体がつくでしょう」
青の指が要塞見取り図の外郭、水脈を表す線の一つを指し示す。幽閉された子どもらが口にする水や食事に使われる湧水に繋がっている。
「詳細は機密とさせて頂きますが……三日目の深夜に「疫病」が要塞内に蔓延しはじめます。二日も待てば……」
獅子の銀盤の手甲が、水平に空気を切った。
チョウトクの調査隊が要塞に到着するのは、今の時点から七日後。
その前に、狛と黒鉄、獣鬼隊の手を借りて子どもたちを救い出す余裕は十分にある。
「我らは、どう動けば良い?」
地図を覗き込んでいた狛が、顔を上げた。
*
三日後、深夜。
青は要塞の南側に広がる森から、鉄壁を見上げていた。
膨らみかけた十日夜の月が、漆黒の壁を不気味な鈍色に照らしている。チョウトクが到着する頃には満月となっているであろう。
「そろそろ……か」
要塞内が、見張り番を除いて寝静まる頃、青は高枝から飛び降りた。
気候も、風の流れも、下調べ通りの条件。
狛と黒鉄には要塞の北側、西側近辺での見張りを頼んでいる。
青は懐から数枚の式符を取り出した。
「シユウの名の……」
唱えかけた、その時だった。
「?」
鉄壁付近の
獣でも通りかかったのだろうかと、一旦、手を止めて暗闇に目を凝らす。
そのうち、要塞側から怒鳴り声が聞こえ始めた。
「こっちか!」
「逃がすか!」
声がする方で、ちらちらと松明の灯りが、夜の虫のように鉄壁の下で蠢いている。
要塞から逃亡してきた子どもを保護した事があると、黒鉄が語っていた事が脳裏に蘇る。
「!」
藪の中を動き回る何者かが、蛇行して迷走しはじめる。方向感覚を失ったのかもしれない。このままでは要塞の方へ逆戻りしてしまいそうだ。
青は背を屈めて藪を進んだ。
闇雲に藪の中を彷徨う影へ、手を伸ばす。
「ひゃっ……!」
細い腕を掴んだ感触と同時に、か細く高い悲鳴が上がった。
「こっちへ」
掴んだ腕を手前に強く引っ張ると、細い体が胸元に飛び込んだ。
勢いのまま抱きとめた体を黒い外套で包みこんで隠し、自らも藪に伏せる。
「は、離し……」
「しっ……」
静かに、と囁くと、暴れかけた体が大人しくなった。
「こっちか」「そっちか」と怒鳴り声と共に足音が複数、近づいてくる。
青は新たに式符を取り出した。
「シユウの名のもとに命ず」
符は狼へと姿を変え、地を這う低い姿勢で西方向へ駆けていく。
「いたぞ! こっちだ!」
一人が蠢く藪を追いかけて西方向へ走り出す。
釣られて残りの追手も続いた。
「……」
「……」
追手が遠ざかるのを待つ間、胸に抱いた細い体は、大人しく、従順だ。
「まずは、ここを離れよう」
気配が途切れ、青は体を起こした。
返事を待たず、細身の子どもらしき体を抱き上げ、森へ戻る。
十分に要塞から距離を取ったところで足を止め、横倒しになった倒木の上に、子どもの体を下ろして座らせた。小さな気配は、逃げる様子を見せない。
「玉」
指先に炎を灯す。
森の闇が、
白く細い手足が浮き上がる。
一目で白狼ノ國の民と分かる少女もしくは少年が、不安げに青を見つめていた。
年の頃は十歳よりも幼い――六つか七つほどか。
少し長めの銀髪は一見して少女に見えるが、キョウの前例があるので性別は判別し難い。
「乱暴な真似をしてすまない、擦り傷になってしまったね」
子どもの腕に血汚れを見つけ、青は怖がられるより前に素早く手をとると、薬剤符を用いて手際よく治療を終わらせた。
「他に、痛いところは?」
包帯を巻き終えて、青は子どもから二歩ほど距離をとって話しかけた。
子どもは首を横に振る。
一見して外傷は無いが、やつれ、疲れ切った顔つきだ。
「……なか……」
「ん……?」
「おなか……空い……た……」
語尾に重なって、盛大な腹の音が鳴る。
「空腹なのか。食べ物……」
青は咄嗟に道具袋に手を伸ばしかけたが、旅の保存食の丸薬や干し肉を渡したところで、全身黒ずくめで覆面の怪しい男から渡された物なんて口に入れたくはないだろう、と思い直す。
辺りを見渡すと、近くに果物が生った木を見つけた。いくつかのコクワが、落ちずに残っている。
枝ごと折って、子どもに差し出した。
「熟していると思うけど、落ちる前だから食せるはずだ」
「……」
何度と
必死でむさぼり食う様子を青が見守っていると、知った気配が脇から近づいてきた。
「大丈夫か」
「何やら騒ぎが起きたようだが……あ」
別個所で見張りをしていた狛と黒鉄が合流する。
倒木に腰掛けた子どもの姿を見て、ただちに状況を察した。
「え……」
狛の姿に気づいた幼子どもが、碧く大きな瞳を目一杯に丸くする。
「こ、
「ああ。白狼邦の子だな。あそこから逃げてきたのか?」
あそこ、で狛の指が要塞の方向を指し示した。
子どもは口の周りを果汁で汚したまま、ブンブンと首を上下に振る。
知った顔がいて、安心したようだ。
「この間、森で木の実拾いをしてたの……そしたら急に何も見えなくなって、捕まって、縛られて、おっきな建物のところに連れてこられて」
大人三人は顔を見合わせる。
話しぶりから、つい最近の出来事のようだ。
千鳥が目撃した、新しく要塞へ連れてこられた子どもであろう。
「?!」
要塞方向で、半鐘の音が乱打した。
仄かに遠くの暗がりに、光の点が幾つも灯る。
脱走者狩りの松明だ。
「安全なところまで離れましょう」
青の提案に頷き、黒鉄が子どもの体を抱え、狛が「こっちへ」と森の奥へ誘導を始める。
青は背後を警戒しながら、先を行く狛たちを追った。
たどり着いた先は、森林が徐々に乾き始める岩盤地帯の狭間、断層が自然の階段を形成している一帯だった。
高低差のある段差に空いた横穴の一つが奥深くへと繋がっていて、簡易的な住居のごとく
黒鉄いわく、獣鬼隊が使っている簡易拠点の一つで、他にも数か所、こうした場所が設けられているのだという。
深夜であるという事もあり、この日はいったん子どもを休ませ、大人三人が交互に見張りを立てながら、一晩を横穴の奥で過ごした。
夜が明け、陽光で地面が温もりを持ち始める頃、泥のように眠っていた子どもが目を覚ます。
拠点の貯蔵庫にあった食料で簡単な
子どもは「ミツキ」と名乗った。
「知らないおじさんたちに連れてこられて、今日からここで暮らすんだって言われたんだ。僕の他にも、子どもがたくさんいたよ」
ミツキの口から、要塞に拐われた日から逃げ出すまでの様子が語られる。
「お風呂で洗われて、新しい着物をくれて、美味しそうなご飯も出してくれたけど……怖くて食べれなかったんだ」
子供達の、衣食住環境は整えられていたようだ。
「他の子たちが、なんだか変だった」
「変……どのようにだ?」
ミツキいわく。
他の子どもたちは、酷く従順であったという。
「そりゃ、訳解かんねぇところに拐われて、怖くて仕方ないだろうさ……」
本当に子どもが好きなのだろう。黒鉄はミツキの一言一句に対して、痛々しげに表情を歪めていた。
「白狼邦の子が他にもいた。おじさんがその子に、いつか白狼に帰してやる、お前が白狼王を殺すのだって言ってて」
「なっ」
狛が息を飲む。
それが、白狼から拐ってきた子どもの「用途」という訳だ。
「白狼邦は悪い国で、白狼王様は邪神獣で、コトワリにソムくものなんだって。そんなひどい嘘、その子は信じてるみたいだった」
洗脳。
生を掌握された幼い子が、施しをくれる相手を盲信するのも無理も無い。
だがミツキは、冷静だった。
従順な素振りを装いながら、出された食事には口をつけず、常に逃亡の機会をうかがっていたという。
「食べ物から、何だか嫌な臭いがした。ほんの少しだけど、とても、嫌な感じがしたんだ。腐ってたんじゃないけど……何の臭いだろう……」
ミツキの目が、包帯が巻かれた自分の腕に止まる。
手当をした箇所に小さな鼻を近づけて、くん、と空気を吸う。
「そう、これと同じ」
「血液」
青が呟く。
狛、黒鉄、ミツキが同時に、二歩ほど距離を置く青を向いた。
「子どもたちの洗脳に、神獣人や獣血人の血も用いられていた可能性は高そうですね」
「……ゲスなことをしやがる」
忌々しく吐き捨てる黒鉄の声。
狛は「よく頑張った」とミツキへ励ましの言葉を送り続ける。
一方で青は、ミツキの利発さに感心を覚えていた。
命の危機を覚える状況での観察力と、判断力、そして逃亡に至る決断と実行力。
青が救出にあたった際も、ただちに状況を理解し、大人しく従ってくれた。
似たような状況で、かつて自分が幼少時に、森で藍鬼に命を救われた場面を思い出す。
藍鬼を質問攻めにしてだいぶ落ち着きがなかった自分とミツキを比較して、青は思わず覆面の下で苦笑。
「……」
ミツキの碧い瞳が、不思議そうに青を見つめていた。