毒使い   作:キタノユ

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ep. 41 一蓮(6)

「やっぱり警戒を強めてるか……」

 翌晩。

 青は要塞を望める森の高枝の上で、短く溜息を吐いた。

 

 朝から場所を移動しながら要塞周辺の様子を監視しているが、昨晩以来、警備が目に見えて強化されている。

 鉄壁の外郭や外側に立哨と巡回が増員されていた。

 

「今晩も延期したほうが良さそうだな」

 

 疫病こと「一蓮」の蔓延は短期決戦が肝心だ。

 四方八方の水脈、風、そして毒を運ぶ鼠を森から誘き寄せるなど、あらゆる手を使って一気に毒を要塞内に染み渡らせる。

 

 モタモタしているうちに、異変を察知されて要塞から逃げ出されてはならないのだ。

 

「明後日……いや、三日後がギリギリの期限ってところか」

 

 見上げれば、膨れた上弦の月が白光で黒壁を照らしている。

 あの月が満ちる夜に、調査と生存者の一掃を命じられたチョウトクたちが、到着する。

 

 子どもの逃亡を警戒しての警備強化であれば、おそらくは二、三日もすれば解かれるであろうと、青は踏んでいる。

 

「やらなきゃいけない事は、変わらないし」

 

 三日のうちに警戒が収まる事を祈りながら、そうならなかった場合の対応策を講じなければならない。

 高枝の上で、青は周辺地図を開いた。

 

 

 差し込む木漏れ日に顔を照らされて、青は浅い眠りから覚醒した。

 

 青は要塞を遠くに望める高枝の上で、熟睡する事なく微睡と覚醒を繰り返しながら、一晩を明かしていた。

 見張りや潜入を伴う任務においては、睡眠の制御を必要とする場面は多々あり、訓練で身についている。

 

「……あの子かな」

 森の東側から近づく気配がある。

 高枝の上から動かずに待っていると、狛とミツキが木陰から姿を現した。

 

「シユウ様、ご飯を持ってきたよ!」

 ミツキが小さな風呂敷包みを、木の下から頭上に掲げている。

 

「邪魔したら申し訳ない。この子が、シユウ殿に助けてもらった礼がしたいと言っていてな」

 要塞からの逃亡を果たして現在、ミツキの身柄は獣鬼隊で保護されていた。

 

「私にですか? 今そちらに――」

 高枝から飛び降りようと、青が背を起こしかける。

 

「僕が行く!」

 宣言するや否や、ミツキの細い体がしなやかな四つ足の獣に変化した。

 

「お」

 驚く間もなく、漆黒の獣がふわりと浮き上がったかと思うと、軽やかに幹を駆け上り、青が腰かける高枝へ着地した。

 

 全身が黒毛の犬、もしくは狼だ。

 細長い口先に、風呂敷が引っかかっている。

 

「……あ、ああ」

 驚き、見惚れかけて反応が遅れながら、青は風呂敷に手を伸ばした。

 

「我も驚いたが、美しいであろう」

 木の下から、狛の声。

 

「そもそも黒き狼自体が珍しいものであるが、ここまで闇一色の毛並みは我も初めて目にする」

 

「本当、きれいな黒だ」

 青の手が風呂敷を受け取ると、枝の上で黒い獣が、再びミツキの姿に戻った。

 その姿は闇色と真逆の白銀髪に白い肌。

 

「ひぇっ」

 元の姿に戻った途端に、高所を怖がって枝にしがみつく。

「ご、ごめんなさい。僕、変化(へんげ)がまだうまくできなくて」

 

 ミツキの話によれば、要塞から逃げ出す際も、建造物を抜け出すまでは獣の姿を保っていられたが、鉄壁の外に出た途端に力尽きて人間の姿へ戻ってしまったのだという。

 自分自身で制御ができないらしい。

 

 神通術と同じで、獣や神獣の血も、本人との相性や体質等によって個人差が様々であるようだと、青は西方への旅で学んだ。

 

「狛姫様に、シユウ様は大事なお仕事があるって聞いたの。だから、お弁当を届けたくて」

 

 受け取った風呂敷包みは、大きさが不揃いな握り飯の手触りがする。

 中に何を詰めたのか、よほど強く握ったのか、容積が詰まった重みがあった。

 

「わざわざ、ありがとう」

 青は包みを両手で持ち上げ、礼を口にした。

 

 だが素性の知れない相手に出されたものを口に入れてはならないため、後で食べると言ってこっそり処分せざるを得ない。

 純粋なもてなしや親切に対して毎回、罪悪感が拭えないものだ。

 

 そうと知る由もないミツキは、青の礼に照れくさそうにはにかんで、それから目を伏せた。

 

「あの夜に、僕がシユウ様のお仕事を邪魔しちゃったんだよね…」

 しゅんと肩を落として、ミツキの細い体が更に細く縮こまる。

 

「誰のせい、という事では」

「シユウ様、あそこに行く時は、気を付けてね」

 

 白く細い指が、要塞の方向を示した。

 片手で枝にしがみつきながら、ミツキの目は枝葉の向こうに望む要塞を見据えている。

 

「……うん?」

 あえて多くを問わず、青は相槌だけでミツキに先を促した。

 

「とても、怖い臭いがした」

「どんな?」

 青の質問にミツキは「うーん……」と首を数度ひねって考え込む。

 

「ほんの少し、本当に、ほんの少しなんだけど、怖い何か……誰か……? の臭い」

 嗅覚でとらえたものを言語化するために、懸命に単語や文章をひねり出そうとしていた。

 

 閉鎖された密集空間であるために、様々な気配や臭いが雑多に入り混じっているであろう。鼻が利く体質の種族には酷な環境であるかもしれない。

 

「ありがとう。気を付ける」

 青が頷くと、ミツキは笑みをほころばせ、

「シユウ様」

 改まったように背を伸ばした。

 

「助けてくれてありがとうございまし――ひっ」

 ミツキは深々と枝の上で頭を下げたかと思うと小さく悲鳴を上げ、また枝にしがみつく。

 

「ふっ……」

 その様子が、木から降りれなくなった動物の子どものようで、青は覆面の下で小さく吹き出す。

 

「あは」

 枝にしがみつきながら、ミツキもつられて笑った。

 

 

 三日後。深夜。

 

 日頃の行いのおかげ、と青は前向きに考えることにした。

 実行期限のまさにその日、要塞周囲の警備強化体制が、解かれたのだ。

 

「行ける……」

 三日前にミツキと遭遇した時と同じ、要塞の南側に広がる森から、青は鉄壁を見上げる。

 

 漆黒の壁の真上に、膨れ上がった十三夜の月が、煌々と白光を闇に注いでいた。

 

 あの月が満ちる二日後の深夜には、チョウトクが到着する。

 

 失敗は許されない。

 

「シユウの名のもとに命ず」

 取り出した数枚の式符を、唱えと共に足元へ放った。

 符は煙と共にすべて土色の(いたち)へと姿を変える。

 

「行け」

「ギャギャギャッ」

 青の号令と同時に鳴き声を残し、鼬は四方八方へ駆け出した。

 

 すると間もなく、無風にもかかわらず藪がざわめきだす。

 青の足元を、小さな鼠が駆け抜けた。

 藪のざわめきは水の波紋のごとく広がり、波となって要塞へ向かう。

 

「ギャギャッ」

 と式鼬の鳴き声も通り過ぎ、追われる無数の鼠たちが鉄壁の下へ潜り込んで消えた。

 

「……」

 式の仕事を見届けて、青も移動を開始する。

 事前に調査した水脈を辿り、鉄壁の中から外へ流れる川の辺(ほとり)に立つ。

 

「まず一か所目……」

 地図に印をつけた「発火地点」に膝をつく。

 道具袋から薬瓶を取り出し、前方に掲げた。

 

「水神、玉」

 無色透明な液体が瓶からせり上がり、球体となって宙に浮かぶ。

 

 水の玉ごしに映る要塞を見つめ、青は軽く下唇を噛んだ。

 

「行け……」

 短く、静かな唱えと共に、水の玉は蛇の(なり)へと変化して、水流を下る。

 すぐさま青は川上の水底に両手を突き、目を閉じた。

 

「澪」

 全意識を手のひらに集中。

 

 猛毒の水蛇は水底から地中に潜り、要塞内の井戸や湧水へ繋がる水脈へ合流。

 生命に血が巡るように、植物の葉脈に水が渡るように、激毒「一蓮」は要塞内へ広がっていった。

 

「……っふう……」

 眩暈をやり過ごして立ち上がり、次の発火地点へ移動する。

 

 こうして計四か所から水を通して毒薬を鉄壁内へ送り込めば、鼠たちがその拡散に一役買う。

 

 井戸や湧水や要塞内を流れる川から蒸発した毒素は、空気中に漂い、風が満遍なく運んで要塞内で蔓延していく。

 

 

 朝日が昇り、要塞内の人々は、いつも通りの朝を迎えた。

 

 汗を流すための水浴びをする者。

 朝餉の準備をする女たち。

 畑の水やりをする者たち。

 掃除当番の者たち。

 あらゆる人々が、あらゆる方法で水に触れ、体内に一蓮は浸透していく。

 

 一蓮に、即死効果は無い。

 その日の夕刻。

 この頃になってようやく、異変に気が付く者が出始める。

 

 頭が重い、いつもより怠い、微熱がある、少し息苦しい、咳が出る、そんな微々たる体調不良の範囲で。

 

「何だか今日は疲れたな」

「寒くなってきたから、風邪でもひいたかしら」

「何だか眠い……」

 

 そんな会話を交わしながら、強くなる眠気に従って布団に入る。

 

 そして二度と、目を覚ます事はない。

 

 波紋は外側から徐々に内側へ迫る。

 要塞内部の深部にいる人々が周囲の異変に気づいた頃にはもう遅い。

 

 すでに空気や水を介して体内に毒が巡りきっているからだ。

 

 だが唯一、予防薬によって抗体ができている子ども達は異なる。

 

 子どもたちが口にした薬にはもう一つ効能が仕込まれていて、一蓮の毒に触れる事で深い眠り――仮死状態に落ちるのだ。

 

 

 青は変わらず、森から要塞の見張りに張り付き続けている。

 

「……ふう……」

 固く閉じていた瞳を開く。

 

 要塞内へ飛ばした式鳥に意識を繋ぎ、断片的ではあるが、内部の様子を確認する事ができた。

 

 時刻は夜も更けようとしてきた頃。

 

 通常であればこの時間帯、要塞内は、一部の男衆が酒を酌み交わして騒ぎ、女達は残った家事の片づけと、人の動きが途絶えない。

 

 だがこの日は、違っていた。 

 

「……順調、か?」

 隣で成り行きを見守っていた狛が、青の横顔を見やる。

 

「ええ。とても」

 短く、乾いた声で応える青の顔色が芳しくない様子が、暗がりでも見受けられた。

 

「そう、か……」

 狛にはそれ以上を口にする事はできない。

 できるのは、淡々と任務を遂行する姿を、見守る事だけだ。

 

「黒鉄さんには、明後日の夕刻と。予定通りとお伝えいただけますか」

 と、青は狛に告げる。

 

 この後の計画では、要塞内の死滅が確認された頃に、黒鉄と狛の力を借りて子どもたちを要塞外へ連れ出す事になっている。

 

 明後日の夕刻頃には、大部分が生きてはいないはずだ。

 生命活動停止と共に遺骸は、急速に腐敗しはじめる。

 獣人や獣血人ならではの生命力で生き残ったとして、まともな状態ではないはずだ。始末は容易い。

 

 ミツキの件でやむを得ず計画が後ろ倒しとなったが、それでもチョウトクが突入するまでに、子どもたちを要塞外へ運び出す時間は十分にある――

 

 

 ――はずであった。

 

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