要塞外へ続く門の手前に植樹された防風森林で、秋雨にしとどに濡れた三人の人影があった。
三人の息と、肌から昇る気化した体熱が、秋雨が冷やす夜気に白く漂う。
うち二人――青とキョウは雨に泥濘んだ土で、顔面まで汚れていた。
「説明……説明する、から……」
狛を狙い刀を振り抜こうとしたキョウの腕を、青が掴んで止めている。
「……」
視線を狛から外さず、キョウは渋々と刃を下ろした。青が手を離すと徐ろに、刀を腰の鞘に戻した。
「……」
「……」
しばしお互いに無言で、顔を汚す泥をおざなりに手で拭い取る。
雨に濡れた手や腕で顔を拭うと、青の「大月青」としての素顔が鮮明にキョウの瞳に映った。
「えーっと……」
口火を切ったのは、キョウ。
「正直、俺はまだ混乱している」
装いは「シユウ二師」のそれなのに、顔は「大月君」である違和感の強さに、まだ頭の整理がつかない。
「今この状況で、君をどちらで呼ぶべきか、分からない。だから、俺にとって話をしやすい方で呼ばせてもらうけど――大月君」
「は、はい……」
戸惑いと、少しの安堵も混じった青の面持ちが、頷いた。
「それから……」
次にキョウの瞳が、青の背後で静かに立つ狛へ向く。
「順を追って話をさせて下さい。ご挨拶が後回しになってしまい申し訳ありません」
「――え、あ、ああ」
意表を突かれて、狛は返すべき口上が頭から抜けてしまった。
視線を狛から再び青に戻したキョウは、腰の道具入れからサラシを引っ張り出す。
「腕」
「え、ぃったぃ」
血で濡れた青の左腕に素早く通し、きつく縛って止血した。
「あまり待たせると猪牙上士やチョウトクの皆が怪しむ。だから手短に答えて欲しい」
青の腕の応急処置を施しながら、キョウは淡々と、そう見えるよう懸命に心の昂りを抑え込んだ声調で、語る。
猪牙も来ているのかと、その名前に少しの驚きを見せながら、青は小さく頷き返した。
「要塞落としは、君が?」
「……長から拝命した任務で……」
「東棟で何をしていたんだ」
「……っ」
青は一息を、飲み込んだ。
「……」
その背後で狛は、唇を引き締める。
「シユウ」からは、凪の調査隊には生存者の始末の命が下っていると聞いていた。子どもたちの存在が暴かれれば、殺されてしまうのだろうかと、悪寒が走る。
「……色々、あって……」
少し掠れた青の声が、続けた。
「任務の遂行が遅延しました。本来は、チョウトクが到着する三日前には撤退する予定でしたが、遂行結果確認があの時間になってしまい……」
「色々?」
キョウの問いに青は、作戦実行直前に要塞から脱出した地元民を救助する事態が発生した事、それにより一時的に要塞周辺の警備が強化されたため解除を待つ必要があった事、更に当日になって蒼狼の高官に要塞外で遭遇し戦闘となった事――を説明した。
「あの高官を……」
表情を変えずに話を聞いていたキョウの表情に、驚きの色が浮かぶ。
「金印を発見したところでキョウさんに鉢合わせたので驚いて……長からはチョウトク到着前には完遂するよう命じられていたため、動転してしまい」
あ、と途中で言葉を切り、青は握り込んでいたままだった金印を、キョウの胸元へ差し出した。受け取ったキョウは指先で感触と印面を確認し「確かに」と腰の道具袋へ仕舞った。
「……」
青の背後で静かに両者の様子を見守っていた狛は、長く細い息を吐きだす。
無意識に呼吸を止めていたようだ。
青が意識的に、子どもたちについて触れないようにしている事に気がつく。
凪の軍人として、青が全てを自白すべき状況である事は、狛にも理解できる。
しかしどうかこのまま、キョウが見過ごしてはくれまいかと、内心で祈る事しかできない。
それは青も同様に。
だが、
「――あそこに何を、隠してる?」
キョウの目は、見抜いていた。
「金印を持って逃げたのは、俺をあそこから遠ざけるためだろう?」
当然の推測だ。
更に――
「覚えてるかな。俺も、多少は幻術かじってるって」
「え……、ぁ……!」
隠しといた
手紙にしたためられた、手早く書き流された文字列が、青の記憶の表面に浮かび上がった。
十五年前。
藍鬼の殉職を知った青は病院を抜け出し、森の小屋へ駆け込んだ。
その三日後に、当時すでに下士だったキョウが捜索に来て、熱を出して気を失った青を救出してくれた。帰還際に、キョウは森の小屋に幻術をかけ直して「隠し」ておいてくれたのだ。
幻術の素養がある者は、他者の幻術を見破る事ができる場合がある。
ましてや青が子どもたちの居場所を隠すために用いた術は、小屋を隠した術の同系統のもの。キョウであれば、術に一目で気がつく事が可能であったのだ。
「大月君」
「ぃっ……!」
低い声と共に、急に距離を詰めたキョウが、青の両腕を掴んだ。
左腕の応急処置跡の上から鷲掴みにされ、痛みに目を瞑る。恐る恐る目を開けると、真正面から氷柱のような視線が青を見据えていた。
「俺に隠し事をしないでくれ」
さらに一段階、声が低くなる。
「キョウさ……」
キョウの指先に、さらに力が籠もる。
「俺は、君の味方でありたい」
「え」
この状況においてキョウの口から出た意外な言葉に、青は痛みを忘れて目を丸くした。
「君の身を守るために俺が動くには、知る必要がある。信じて欲しい」
「……」
青はますます返答に迷い、沈黙した。
キョウを疑う事などない。
だからこそ、子どもたちの事を口にできなかった。
法軍人にとって、任務の掟は絶対だ。青よりも長い年月、幼い頃から法軍人として凪之国に身を捧げてきたキョウにとって、規律の遵守は義であり、仁なのだ。
「大月君!」
「ぃ”っ……!!」
口を閉ざした青にしびれを切らしたキョウの指が、青の左腕に穿たれた牙跡に食い込む。
「ま、待ってくれ!」
横から伸びた白い手が、キョウの腕を掴んだ。
狛が両者の間に割って入り、青の腕からキョウの手を引き離す。
「我のせいなのだ! 我の願いのためにシユウ殿は口を噤んでおられるのだ」
キョウの氷色の瞳が、狛を向く。
「我は白狼邦の現王、
名乗りながら、狛はキョウの前に膝をついた。
「は、狛さん……!」
慌てて青が立ち上がらせようとするが、狛は構わずキョウを見上げ、言葉を続ける。
「あの中に、子どもたちが捕らわれている。哀れにもいずれ、使い捨てに命を散らす運命に置かれていたのだ。そこに我の頼みを聞き入れ、シユウ殿が子どもたちを連れ出す策を講じて下さった!」
「……」
キョウは表情を動かす事なく、狛の告白を聞いていた。
「貴殿が凪邦の誇り高き軍人であると承知で、伏してお頼み申し上げる。どうか――」
狛の両手が雨で泥濘んだ地につこうとする直前、
「……あ……」
キョウの片手がやんわりと、狛の肩を押し戻した。
伏しかけた上半身を起こされた狛の目に、片膝をついたキョウの姿が映る。
「白狼國の姫君に膝をつかせる無礼、何卒ご容赦を」
自らが立ち上がりざまに、キョウは狛の片手をとって立ち上がらせた。
絵になる光景に感心感嘆しつつ、青は安堵に息を吐く。
狛は卑下するが、狛は青にとって最も高貴な精神の持ち主の一人だ。
そんな彼女を地に伏せさせるような真似をさせたくなかった。
「……二師」
要塞側を一瞥し、キョウは大きく白い息を吐き切る。
「は、はい」
「俺は東棟で盗人に遭遇したが、追跡してなんとか斬り伏せ、金印を取り戻すことができた」
キョウの片手が、道具袋から金印を取り出した。
「え……?」
「君は色々あって遅延はしたが、蒼狼の高官も討ち果たし、チョウトクの到着前に任務も完遂し、要塞を離れた。要塞に囚われた子どもたちなど、いなかった。君も、俺も、見ていない」
「……」
「……」
青と狛は口を開けて顔を見合わせた。
「狛殿下」
再びキョウは、自らと同じ色の瞳へ、振り向く。
「殿下におかれましては、シユウ二師の素顔について、くれぐれも御胸の内にお納めいただきますよう」
「――あ、ああ、分かった。必ず」
本日二度目、呆気に取られかけながらも、狛は強く数回頷き返した。
「俺はこれで。皆の元に戻る」
手のひらで転がした金印を握りしめ、キョウは最後に青へ目配せをする。
「要塞を離れた頃に、式を送る」
そして青の返事を待たずに、要塞へと駆け戻っていった。
*
秋雨は次第に、小雨へと転じた。
それから二刻ほど経った頃。
要塞敷地外の南側の森にて。
狛と共に黒鉄の看病をしていた青の元へ、要塞での調査任務を終えた旨を知らせる式鳥が舞い降りる。
式鳥がたずさえた文には、簡潔に「調査終了。帰還する」とだけ書かれていた。
雨が上がり日が昇るのを待ち、狛と青、そして回復した黒鉄の三人で、無人の要塞から子どもたち全員を無事に外へ運び出す事に成功。
子どもたちは一旦、獣鬼隊の拠点地の一つに運ばれ、青により仮死状態を解く手当が施された。
その後、青は単独で再び要塞へ戻り、毒で汚染された地の浄化にあたる。
早速、周辺地域の賊や獣、虫たちが無人となった要塞敷地内を跋扈しはじめており、月が変わる頃には蒼狼内で強烈な疫病の蔓延により要塞が落ちた噂話が走るようになり、巷で怪しげな治療薬や予防法等が流行ったという。
こうして、極秘のうちに行われた凪の要塞落とし任務は、終了を迎えた。