毒使い   作:キタノユ

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ep.7 見習い(1)

「師匠!」

 弾む息と共に、青が茅屋(ぼうおく)の引き戸を勢いよく開け放った。

 土埃が舞う入り口の向こう、薄暗い居間の中心に、その背中は、いた。

 

「戸は静かに開けろ」

 藍鬼は青の方を振り向くこともせず、淡々と身支度を整えている。

 

 いつもの、闇に溶ける漆黒の半袖装束。

 無駄な装飾を削ぎ落としたその戦衣の上から、使い込まれた革帯を腰と二の腕にきつく巻き締める。

 

 革帯の刃物差しには、針や苦無を手際よく差し込んでいく。

 足元には、すでに口を縛った麻の道具袋が置かれていた。

 

「お前も来るか」

「行く! お仕事? どこに行くの?」

 

 頬を紅潮させ、青は土間で落ち着きなく飛び跳ねた。

 藍鬼は道具袋を片手に持ち上げると、青の背中を大きな手でそっと押し出し、戸を閉める。

 

 鬱蒼と茂る森の獣道を抜け、師の歩幅に合わせて懸命に足を動かすこと半刻。

 視界が開けた先に見えてきたのは、陣守村だ。

 

「都に戻るの?」

 横を歩く藍鬼を見上げ、青が問う。

 

「いや」

 藍鬼は短く否定する。

「今日の仕事場は、ここだ」

 

 村に入ると、集会場を兼ねた広場に村人たちが集っていた。

 その人垣の前に、村人たちと異なるいでたちの二つの人影が佇んでいた。

 いずれも、面で顔を隠した技能師たちだ。

 

 一人は、十代の後半らしき青年。

 生成(きな)り色の作業衣に身を包み、同色の、蟲の顔を模した奇妙な面をつけている。

 

 もう一人は、青年よりは若い少女。

 鮮やかな臙脂(えんじ)色の作務衣(さむえ)姿で、鼻から下を覆面で隠し、爛々(らんらん)とした瞳だけを覗かせていた。

 

「藍鬼一師でいらっしゃいますか」

 生成り色の青年が、静かに一歩を踏み出した。

 藍鬼が無言で頷くと、二人は示し合わせたように背筋を正し、礼をする。

 

「ご一緒できて光栄です。毒術師、狼の位、里薺(りせい)と申します」

 青年の面の奥から響く声は、穏やかで理知的だった。

 

「薬術師、狼の位、蓮華(れんげ)です! この日を楽しみにしていました!」

 少女の方は対照的に、若葉のように瑞々しく、ハキハキとした声を張り上げる。

 対照的な若手の二人組だ。

 

「毒術師、龍の位、藍鬼だ」

 藍鬼は短く名乗って挨拶に代えた。

 

 今日の藍鬼の「仕事」は、二人の若手技能師たちが開く『薬草・毒草教室』の監督だという。

 

「お教室?」

「これも技能師にとって、重要な責務の一つだ」

「セキム?」

 

 青がオウム返しに呟くと、藍鬼は少しだけ迷い、簡潔な言葉を選び直した。

「やるべきこと、大事な仕事のことだ」

 

 広場には、日焼けした顔の村人たちが(むしろ)を敷き、半円を描いて座り込んでいる。

 その中心に里薺と蓮華が立っていた。

 青は藍鬼の脚に隠れるようにして、村人たちの最後列からその様子を覗き見た。

 

「薬草・毒草教室」と銘打たれたそれは、村人たちの生活に根ざした知恵の伝授であった。

 

「――ですので、こちらの『岩血草』は煎じて飲めば腹痛に効きますが、似ているこちらの『赤鬼灯』は、根に毒があります。見分け方は、葉の裏の毛羽立ちです」

 蓮華が二株の草を掲げて見せると、村の女衆が熱心に頷き、書きとっていく者もいる。

 

 薬術師の蓮華は、身近な薬草を使った健康茶の淹れ方や、子供の急な発熱に効く湿布の作り方などを、ハキハキとした声と愛嬌のある身振りで伝える。

 時おり笑いも起こり、その明るい雰囲気が村人たちの関心を惹きつけていた。

 

 対して里薺が担うのは、主に害獣への注意喚起だ。生成り色の袖を捲り、沈着な口調で語る。

 

「今年の長雨の影響で、森の湿気が増しています。それに伴い、床下や畑に蛞蝓(なめくじ)が大量発生しており、作物を食い荒らす被害が出ています」

 村人たちが「そうなんだよ」と不安そうにざわめく中、里薺は手元の袋から、青く固い木の実を取り出した。

 

「そこで役立つのが、この『エゴノキの実』です。こいつを石ですり潰し、水を加えてみてください」

 里薺が手元の器で実演して見せると、透明な水がたちまち白く濁り、ブクブクと細かな泡が溢れ出した。

 

「このように激しく発泡します。この泡水に含まれる成分は、粘膜を持つ生き物にとって劇薬となります。家の周りに撒いておけば、蛞蝓を寄せ付けません」

 村人たちの間で「それなら簡単にできそうだ」「ありがたい」と声が上がる。

 

「すごいなぁ……」

 藍鬼の足元で、青の独り言がこぼれ落ちた。

 はじめは脚の後ろに隠れるようにしていたが、いつの間にか身を乗り出している。

 

 一通りの説明が終わると、里薺と蓮華が「何か困りごとは?」と問いかける。

 待っていましたとばかりに、村人たちの手が次々と挙がった。

 

「お二人さん、ちょっと聞いてくだせえ」

 最前列にいた老人が、下衣の裾を捲り上げた。

「先月から酷く腫れちまってな。『冷やし苔』をすり潰して塗ったら、一度は引いたんだが……それから忘れた頃にまた赤く腫れ上がっちまって、繰り返してるんだ」

 

 蓮華が患部を覗き込み、眉を寄せる。

「腫れの色が、少し紫がかっていますね。冷やし苔は確かに、熱を取るのには良いですが……」

 

 そこへ、里薺が言葉を継いだ。

「おそらく、腫れの原因は『水(ノミ)』です。冷やし苔をとるために、水辺の草むらに入りませんでしたか。あれは皮膚の下に卵を産み付けるのです。冷やし苔で蓋をしてしまったせいで、中で孵化(ふか)を繰り返しているのでしょう」

 

「ひぃ、卵だって?」

 青ざめる老人を、里薺が穏やかに宥める。

「薬を塗るのを止めて、患部を熱めのお湯で濡らした湿布で温めましょう。水蚤はちょっとした熱にも弱いのです」

 

 次は割烹着を着た婦人が手を挙げた。

「あのう、裏山で採れる『苦わらび』のことなんだけどね。ちゃんと灰汁(あく)抜きもしてるんだけど、最近、あれを食べるとどうも腹を下しちまって……。あたしの身体が弱っちまったのかねぇ」

 

「おばちゃん、灰汁抜きには何を使ってる?」

 蓮華が優しく問いかけると、婦人は「いつも通り、(かまど)の灰だよ」と答える。

 

「最近、薪にする木を変えなかった?」

「ああ……そういえば、川向こうの『白樺擬(しらかばもどき)』が良く燃えるってんで、それを使うようになったんだよ」

「それが原因です! 逆にワラビの毒素を固めてしまうの。樫の木の灰に戻せば、また美味しく食べられるようになるわよ」

 

 そうだったのか、と村人たちが感心したようにどよめき、あちこちで「ありがてえ」「助かった」と安堵の声が漏れる。

 

 日常の些細な不調、生活に潜む見えない毒。

 それらを紐解き、解決策を示す二人の若き技能師は、村人たちにとってまさに守り神のように映っているようだ。

 

 それは、幼い青にとっても、同じだった。

「ギノウシって、凄いんだね。何でも知ってるんだね!」

 青は興奮に頬を上気させ、キラキラと輝く瞳で藍鬼を見上げた。

 

「あの二人は、きっと大成する」

 藍鬼の視線は、仮面の奥から二人の若手へと注がれたまま。ぽつりと、独り言が落ちる。

 

「タイセイ?」

「立派な技能師に成長する、ということだ」

 

 途端、青はぷくっと頬を膨らませた。

 師の関心が、自分以外の誰かに向けられたことが、幼心に面白くないのだ。

 

「僕とどっちがタイセイすると思う?」

 わかりやすい、幼子の嫉妬。

 仮面の奥から、「ふっ」と微かな吐息が漏れた。

 大きな手が、青の頭に置かれる。

 

「全ては、お前の頑張り次第だ」

「がんばるもん。絶対がんばる!」

 

 青は師の手のひらに頭を押し付けるようにして、意地っぱりに宣言した。

 

 

 陣守村で目にした光景は、青の胸に火を灯した。

 

 青は、ますます学びに没頭した。

 目標は、「毒術資格の三級」と「薬術資格の三級」の同時取得。

 

 学校での授業に真剣に取り組んだ後、霽月院に戻ると図書室に籠る。

 夜は寝台の隅、窓から差し込む月明かりと手元の小さな灯火だけを頼りに、借りてきた書物を膝の上で広げた。

 眠気が襲えば太股をつねり、文字が霞めば目を擦る。

 

 藍鬼の小屋を訪れる日は、実践学習だ。

 ある日も青は、西陽が差し込む土間で薬研を抱え、乾燥した根を挽いていた。

 

「……ふわっ……ぁ……」

 手元の作業に集中しようとするが、時おり、舟を漕ぐように頭が揺れた。

 

「……おい」

 居間の方から、影が落ちる。

 低く、咎めるような声が近づいた。

 

「っぁ……!」

 びくりと肩を震わせて顔を上げると、作業の手を止めた藍鬼が、仁王立ちで青を見下ろしていた。

 

「ご、ごめんなさいっ」

「顔色が悪い」

「え?」

 仮面の奥の瞳が、青の様子を冷ややかに観察している。

 

「きちんと寝ているのか」

 指摘され、青は慌てて自分の両頬をペチペチと叩いた。

 

「うん、大丈夫だよ! なんともないもん。これくらい、平気」

 青は努めて明るく声を張り上げ、再び薬研の棒を握りしめる。

 

「帰れ」

「やだ!」

 青は薬研の縁を指で掴んでしがみつき、首を横に振る。

 

「まだ終わってない!」

 頑として譲らない青に、仮面の底から、ふぅ……と短く鋭い呼気が漏れ、次の瞬間、青の手から薬研が強引に引き抜かれた。

 

「あ!」

 抗議の声を上げる間もなく、空いた手首を大きな手が掴む。

 

「行くぞ」

「まっ、待ってよ!」

 青は足を突っ張って抵抗を試みるが、敵うはずもない。

 ずりずりと引きずられ、小屋の外へと連れ出される。

 

 結局その日は抵抗も虚しく、青は藍鬼に手を引かれたまま陣守村まで強制連行され、都行きの転送陣に押し込められることとなった。

 

 

 翌日、懲りない弟子は再び陣守村の土を踏んでいた。

 

 青は帳面と筆を握りしめ、村の中を歩き回った。

 畑仕事をする村人がいれば駆け寄り、井戸端会議をする女衆がいればその輪に混ざる。

 

「おじさん、腰が痛いの? 雨の日は特に?」

「赤ちゃんの夜泣きが止まらないの?」

「最近、目が霞んで針仕事ができない?」

 

 五歳の子供が背伸びをして御用聞きをして回る様子に、村人たちは目を細め、ぽつりぽつりと悩みを打ち明ける。青はその一つ一つを、帳面に書き留めた。

 

「おばあちゃん、起き上がれないの?」

「ああ、ここんとこ、身体が怠いらしくてな。のぼせたり、眩暈がしたりして、食欲もないんだ」

 

 老婆の息子の話を、青は神妙な顔つきで書き記した。

「おばあちゃん」は、青が藍鬼につれられ初めて村に来た際、団子を食べさせてくれた女房だ。それからも、青の顔を見るたびに美味しいお菓子をくれる。

 

「おばあちゃん、心配だな……」

 青は、藍鬼の小屋へ急いだ。家主は不在であったが、家を隠す幻術を解く手形は預かっている。教わった通りに結界を解き、戸を開ける。

 

 静まり返った小屋の中、青は床に帳面を広げた。

 悩み事、困りごとは多いけれど、やはり一番気になったのは、具合が悪くて寝たきりのおばあちゃんだ。

 

「精がつく、何か特別な薬が作れたら……」

 青の独り言に重なって、小屋の軒先を小雨が叩く音が響いた。

 

「そういえば!」

 青はハッと顔を上げた。

 

 藍鬼や、薬草教室の技能師たちも言っていた。

 今年は雨が多い。

 そういう年は森の気が澱みやすいが、逆に湿気を養分にして、稀有な植物が生えることもある。

 

「茸、たくさん生えてる場所があったっけ」

 藍鬼に連れられて行ったことがある森の奥、水脈が交わる湿地帯。

 あそこならば、この長雨を吸って『水月茸』が生えているかもしれない。

 滋養強壮に特効がある霊茸で、藍鬼も数年に一度、目にしたことがあるくらいだと言っていた。

 

「見つけられたら、おばあちゃんが元気になるかも!」

 青はすぐさま立ち上がり、道具袋を肩に掛け、小雨が振る森へと駆け出した。

 

 意気揚々と雨煙る森を駆ける青は、知らなかった。

 その茸が放つ芳醇な香気と魔力が、人間だけでなく、水に潜む妖獣をも引き寄せてしまうことを。

 

 

 鬱蒼とした木々を抜け、窪地に出た。

 

「うわぁ、きれい」

 曇天に覆われた薄暗い森の中で、その一角だけが、青白く発光している。

 池を取り囲んで群生する茸が、小さな森を作り出していた。

 

 その中にただ一つ、大人の掌ほどの大きさの傘を持つ個体の茸があった。

 透き通った傘が、小雨を弾いて七色の燐光を放っている。

 

「あった! 水月茸だ!」

 青は歓声を上げ、腐葉土に足を取られながら駆け寄った。

 指先が、傘を滑る雫に届きかけた、その時だった。

 

 ゴボッ。

 

 池から、重く、粘着質な音が響いた。

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