「まぁ、それはそれは。劇的ですこと」
経緯を聞いて、蓮華は二度目の盛大な溜息を吐いた。
口とは裏腹に、手当をする手つきは丁寧で優しい。
「……」
トウジュはもはや弁解の言葉を出し尽くし、無言で俯いて大反省の姿勢を見せるしかない。
難民村へ到着後、青の判断で他の難民たちからは距離を置いた場所を選び、陽乃を休ませる事にした。
倒壊を免れている家屋は他の難民たちに譲り、ほぼ全壊している納屋の辛うじて残った柱と壁の残骸を利用して、簡易的な天蓋を張る。
青、紅鶴が天蓋作りを担い、蓮華と出流は陽乃とトウジュの診察を行う。
まず蓮華がトウジュを診察し、軽症であると判断したところで残りの手当を出流に任せ、次に満身創痍の陽乃の体を診る。
鹿花は麻布を広げて壁を作り、男性陣から陽乃の姿を隠していた。
「……お手数をおかけいたします」
陽乃は深々と腰を傾げ、蓮華に頭を下げる。
「中、診させてもらうわね」
蓮華の手が陽乃の胸元を開いた。
浮き出た肋骨や、体中に残る新旧の痣や傷が痛々しい。
鞭で打たれたであろう裂傷跡、棒や拳で打たれたであろう痣、強く掴まれたと分かる指の痕。
処刑までの日々をどのように過ごしてきたのかが、傷から窺い知える。
「痛かったら、おしえてちょうだいね」
患者の前では決して、悲観的な言葉は使わない。
蓮華は淡々と傷の一つずつを目視していく。
「あら……」
背中を確認しようと蓮華が位置を移動すると、最初に目に飛び込んだのは、肩甲骨中央に沈着している黒い斑紋だ。
紅葉か、赤子の手のひらのような五葉の模様にも見える。
「痣……? これ、痛い?」
「いいえ、特には……」
指先で軽く押してみるが、固くも柔らかくもない。
囚人用の焼き印や入れ墨でもなさそうだ。
「……」
蓮華は手のひらを模様に当て、首を傾げる。
布を持ち上げながら、鹿花がその様子を心配そうに見つめていた。
「妖瘴かしら……色と滲み方が似ているけど」
「背中の、疱瘡の痕の事でしょうか……」
陽乃が、骨ばった肩ごしに蓮華を向く。
「幼い頃ですから、十数年は前でしょうか……熱病にかかった際に残ってしまったと聞いております」
「そんなに古いもの……?」
提示された数字に、蓮華は違和感を覚えた。
それにしては、皮膚に染み付いた黒班の色が、漆のような艶を持っている。
「シユウ君に診てもらいましょう。大丈夫、彼は毒術の龍よ」
蓮華は早口で陽乃に断りを入れるや否や、
「シユウ君、こっちに来てくれるかしら」
天蓋を張るための杭を打っていた毒術師の二人へ声をかけた。
「どうしました」
顔を上げた青は杭を打ち込んでから金槌をその場に置き、紅鶴へ続きを進めるよう言い残してから、立ち上がる。
「え、あ」
麻布を掲げながら鹿花は慌てて視線を右往左往させた。背中を向けているとはいえ、陽乃は上半身がはだけた状態だ。
そこへ何の躊躇もなく青が近づき、蓮華と共に背中の痣を観察し始めている。
当の陽乃も、この期に及んで慌てる様子もなく外套をはだけさせたまま、静止していた。
蓮華とシユウ、両者の手に宿る「龍」の紋章が、陽乃を安堵させているのだろう。
「……」
場違いに慌てた自分を恥じて、鹿花は「診察」の様子を観察する事に意識を切り替える。
「確かに、十数年前にできたものにしては色が鮮明過ぎる。模様のようにも見えるが、痣や染みと言われればそうとも……」
失礼、と前置きして青は右手の指先を痣に触れさせた。
もう少し詳しく話を聞いてみると、体温の上昇によって赤く腫れている事がある、と侍医から指摘された事が何度かあったという。
「赤く腫れる……?」
青は無意識に、己の左腕を一瞥した。
「式蜥蜴に襲われた経緯もありますし、念のために解呪を試してみます」
蓮華に小さく頷き、青は腰の道具袋から符を取り出した。
背中の痣を覆い隠すように指先で押し当て、解呪と小さく念ずる。音もなく符は焼き消えて、青の手にも煤は残らなかった。
妖瘴ではなかったのか、と一同の合点がいきかける中、青は新たな符を引き出し、再び陽乃の痣に符と指を添えて目を閉じる。
誰からともなく口を噤み、周辺に静寂が降りた。
陽乃の痣に触れた指先から、皮膚の中、奥へと意識を沈み込ませていく。
水脈を探る時のように、僅かな脈動を辿っていくうち、瞼の裏に黒い
瞬間、闇色の塊が鋭く閃いた。
「!?」
指先から強烈な痺れが奔る。
脳裏に浮かんだ黒い痼が落柿のように破裂し、漆黒の牙を剥いた顎が迫った。
「つっ……ぁ!」
驚きと痛みが同時に脳を刺す。
堪らず目を開けると、目に見える形で青の右手から腕にかけてを包むように闇色の稲妻が昇った。
「な、何??!」
「どうした!」
周囲の声がやけに遠く感じる。
「ぐ、っ!」
手を離してはならない。
本能的に浮かんだ己の指令に従った。
奔る不快な痛みに痙攣する右腕を、咄嗟に左手で掴んで押さえ込む。
酷い目眩がして固く目を瞑ると、再び瞼の裏に浮かぶのは、無数の鋸状の歯を剥く獣、大蜥蜴。
凄まじい怨嗟の咆哮をあげている。
胴体を真っ二つに噛みちぎられた哀れな賊たちの断末魔、つんざく陽乃の悲鳴――次々と記憶が溢れ出して渦巻いた。
「ぁ、つ…!」
突如として左腕に熱が
焼き
濁流の如く流れ行く記憶は徐々に鮮明になっていく。
痺れ毒で倒れたトウジュへ襲いかかる大蜥蜴の群れ、トウジュの名を叫んだ己の声、割れた墨壺の如く漆黒に変色した毒水――
「!」
右手の痙攣が止まった。
脈動と呼吸が一筋の流れへと交わる。
気が手の平を通じて患部へ深く沈み、弾けて広がり、大蜥蜴を包み込む――喉が唱えを絞り出した。
「解呪」
稲妻を宿した闇色の水泡が急激に収縮していき、大蜥蜴を押しつぶす。
今なら――青は掌を強く握り込んだ。
バチッ
白黒の火花が弾けた。
「ぅあっ!」
見えない何かに弾かれるように身体を逸らした青は、咄嗟に半身を捻り土に手を突いた。
「一師!?」
「シユウ君!」
遠かった周囲の声がすぐ耳元で響く。
そこから逃れるように、爪先で地を蹴って片手で空を掻き、這うようにその場を離れた。
倒れかけたところを誰かの手に支えられ、辛うじて踏ん張り前へ進む。
倒壊しかけた納屋の残骸裏へ駆け込むと膝をつき、覆面を下ろして胃液を吐く。
「――うぇっ……げほ、ごふ…っ」
咳き込み、何度もえずく。
激烈な憎悪で、臓器が揉みしだかれたような
近づいた気配が、青の背中をゆっくりとさすり始めた。
厚みのある手の感触。
「瘴気にあてられましたな」
深沈とした声が、耳に心地良い。
続いてもう一つ足音が近づく。
「ゆっくりで大丈夫よ。吐ききったら、これで濯《すす》いで」
蓮華色の袖が、水を満たした碗を置いた。
「はっ……は、……陽乃さん、は……」
濯いだ口元を指先で雑に拭い、覆面を引き上げてから青は振り返る。
陽乃は鹿花と向き合う形でもたれ掛かり、力なく項垂れていた。
背中の黒い痣が、跡形もなくなっていた。
*
蓮華は、肩越しに陽乃の様子を一瞥した。
指示がなくとも、出流と鹿花が手際よく寝床を用意し、トウジュの力を借りて意識のない陽乃の身体を安静な体勢へ横たえようとしているところだ。
蓮華は青へ向き直った。
「彼女は大丈夫。呼吸は落ち着いているし、黒い痕も消えたわ。それよりシユウ君の方が具合悪そうよ」
「……問題な……痛っ……」
青は眉根を寄せる。
持ち上げた左腕に、皮膚を強く引っ張るような痛みが走った。
今日はことさらに疼痛《とうつう》が重く、長引いている。確認しなくとも、中で赤く蚯蚓腫れになっているであろう事は長年の感覚で分かった。
「左腕がどうかしたの」
「大丈夫です、何とも」
古傷だとごまかして、青は左半身を退いた。
その様子に訝しげな視線を残しながらも、蓮華はそれ以上の追求はしない。
少なくとも、今は。
「シユウ君、それは?」
蓮華の視線が、青の右手を向いた。
「ん?」
指摘を受けてようやく自覚する。
強張りが抜けない青の右手の中に、固い感触があった。
恐る恐る指を開いてみると、鶏卵と
「やっぱり
「それにしては形が……」
青は黒い塊を木漏れ日にかざした。
卵形の表面が、細かい無数の凹凸で覆われていて、爬虫類の鱗のようでもある。
指先で少しずつ回転させる。格子状に並ぶ鱗状の凹凸の表面に刻まれた、人工的な線が見えた。
正円の中に五方向へ放射する日足が描かれている。どこぞの家紋か、屋号紋か。円や直線のみで表した簡素な意匠が、いかにもだ。
「もしや、呪具の一種ではないでしょうか」
「……という事は、やはり呪術、か」
紅鶴の推測に、青の心臓が小さく跳ねた。
悪心が再び込み上げる。
蜥蜴、そして呪具。
青にとって、強烈な記憶として残る単語の組み合わせだ。
かつての護衛任務の折、凪の山賊らが掴まされていたのも、炬の大蜥蜴が封じられていた呪具であった。
それを手配したのが、陽乃の侍女の檀弓だ。
出元は炬の呪術師だと言っていた。
「え”……そんなもの、持ってて大丈夫なの? 早く処分方法を考えたほうがいいわよ」
呪具と聞き、蓮華は身体を退いた。
口端を分かりやすく歪めている。
「……五本の日足……五葉……」
意識のどこかで蓮華の声を聞きながら、青は黒い卵に彫られた模様を見つめた。
見方によっては、どこか陽乃の背に浮かんでいた痕の形、紅葉か赤子の手のひらのような五葉、と類似しているとも言える。
「っ……」
青は息を呑んだ。
急に、軽い目眩がして焦点がぶれる。こらえようとして、覆面の上から顔を押さえた。
拍子に、手の平から卵が転がり落ちる。
小石や土の凹凸に当たって不規則に跳ね返りながら、卵は廃屋脇の茂みまで転がって消えた。
「小生が。……あ、これこれ!」
卵を追いかけた紅鶴が茂みに向かって、珍しく慌てた声を上げている。
青が腰を上げて覗いてみれば、飴色の毛並みが雑木林へ逃げていく様子が見えた。
「狐?」
青も紅鶴に続き、狐の後を追う。
「グゲッ、ゲッ、ゲゲッ」
奇妙な鳴き声が聞こえてきた。
日当たりの悪い林の中で、冬毛に膨れたアカギツネがひび割れた声を漏らしながら、地にのたうち回っている。
「さきほどの卵を飲み込んだようなのですが、様子が――」
「――え」
紅鶴の説明が終わる前に、すでにその現象は起きていた。
狐の柔らかで豊かな冬毛が目に見えて縮れていき、部分的に糊で固めたように皮膚に貼りつき始める。
顔面周辺から下半身に向けて硬化していき、鱗のように細かな溝を刻みはじめた。
毛並みだけではない。
狐特有の細長い
ひび割れた苦悶の声を吐く腔内には、犬歯ではなく鋸状の歯がずらりと並んでいた。
目に見えて刻々と、形状が変化しているのだ。
狐から、蜥蜴に似た何かへと。
「あの時と似ている……」
青の脳裏に浮かぶのは、呪具によって大蜥蜴に姿を変えた、哀れな凪の盗賊たちの姿だ。
「始末いたす」
抜刀した紅鶴が雑木林へ踏み込むと同時に、
「グゲゲゲゲッ、グウゥウ」
濁った威嚇の声をあげて「狐だったもの」は顔を上げた。
下半身の形状は辛うじて四つ足の哺乳類の原型を留めているものの、首や口吻は二倍の太さとなり毛皮も硬化した鱗と化している。
「ゲゲッ、ググフッ、グフッ、シュゥウウウウ」
鳴き声が徐々に、噴射音に近づいていく。
大蜥蜴の威嚇音だ。
「蜥蜴になりつつある、狐だったもの」は、何かに呼ばれたかのように、背後の山側の森へ太い首を向けた。
そして緩慢な動きで体ごと方向を回転させたかと思うと、急加速して山へ向かい這いずり出す。
もはや、狐の走り方ではない。
「……っ!」
滑稽にも見える異様さで呆気にとられかけたが、反射的に青の手が苦無を掴み、走り去る異形の背面に向けて撃ち込んだ。
刃が首筋付近に命中し、血とも体液とも言えない薄墨色の液体が飛び散った。
が、止まることなく蜥蜴になりかけた狐は山道の方へと姿を消す。
その道筋に、体液が点々と、続いた。
「……放っておくのは危険だ。追いかけよう」
「承知。お見事です」
気を取り直して目配せし、どちらからともなく山道に向かい走り出した。
「え?? あ、わ、私も……!」
山に入って行く大人二人組に気づいた鹿花は、慌てて荷物を手繰り寄せて背負う。
がしゃがしゃと鞄を鳴らしながら、二人を追って林へ入った。
「何、どうしたの??」
蓮華が呼び止めるも、三人の毒術師たちの姿はあっという間に山道の奥へと見えなくなった。