「申し訳ありません、一師」
青が振り向くと、目の前に深々と垂れる角頭巾があった。
彼には珍しく、頭巾や衣服のあちこちに返り血や焦げ跡が目立つ。それは青も同様だ。
「あの男に自爆を許してしまう失態――完全に、小生の油断が招いたもの」
体の側面にぴたりとつけた両拳が、固く握られている。
「わ、私も、私も!」
すかさず鹿花が身を乗り出した。
「転んで、紅鶴さんのお手を煩わせて、戦いのお役に立てないばかりか、ボヤ騒ぎを起こす始末で……!」
「鹿花佳師。そんな事は織り込み済みで小生から謝罪をしているのだ」
「はっ……え、え??」
「責任の所在が散らばっている時は、年長者が代表して頭を下げれば良い。理解ある上官であれば、それも汲み取って場を収めて下さる」
「な、なるほど、私、場を読めていなかったのですね……」
父と娘、もしくは祖父と孫にも見える奇妙な同期二人組のやりとりが、寒々しい冬枯れの森で、場違いに微笑ましい。
「私も助けてもらった。気に病まないで欲しい」
そこへ青が、期待されている「理解ある上官」の模範解答を述べて、一件落着だ。
「それより……何を拾った?」
もう少し二人のやりとりを眺めていたい気持ちを飲み込み、青は紅鶴の右手を覗く仕草で問いかけた。
胡桃ほどの大きさの玉が握りこまれている。男が自爆する直前に、紅鶴が拾い上げていたものだ。
「これの、証拠隠滅を図ったと思われます」
差し出されて、開かれた手の平の上には黒い卵が一つ。
蜥蜴の鱗で覆われているかのような細かい凹凸――陽乃の背中から摘出したものと、酷似している。
慎重に指先で転がして裏返してみると、正円の中に五方向へ放射する日足の紋が刻まれていた。
「陽乃殿から摘出されたものと、同一の物に見えますな」
「もしくは……借りるぞ」
「は、はいっ!」
思い立つや否や、青は鹿花の手元から地図を引き抜いた。片側を持たせて大きく拡げる。
地図の下半分、南側には滴りの森の以南から南西にかけて、炬之国の葦火郡までが描かれていた。青の指先が葦火からぐるりと山を迂回させて動く。
「葦火から難民村へ向かうには、遠回りでも街道に沿うのが最も安全で確実な経路である、が」
青の指が再び葦火に戻り、今度は直線を描いて北上する。その先に、難民村の蕨道が突き当たった。
「直線距離だと、この蕨道を通れば最短距離となる。あの狐もここを通り抜けようとしていた。これは仮説だが」
黒い二つの呪具は対になっており、男は狐が飲み込んだ呪具の在処へ向かおうとしていて、狐は男が持つ呪具へ導かれていた――
青の立てた仮説に、紅鶴も鹿花も反論しなかった。
「という事は、一師が解呪に成功していなければ、さっきの男は陽乃さんを探して狙っていたという事になりますか……?」
鹿花の推論にも、反論は出なかった。
*
青たちが急ぎ村へ戻ると、トウジュが出立準備をしていた。
自身の手当を終え、落ち着きを取り戻した陽乃の様子を見届け、任務地である葦火郡の町へ戻る事としたのだ。
報告・連絡・相談・謝罪は早ければ早い方が良いのは、世の常である。
「いい? 絶対に! ちゃんと報告しなさいよ!」
隊長へ仔細報告するよう、トウジュは蓮華からキツく説教を喰らっていた。
ただただ平身低頭で頷くしかないトウジュの様子を、青は二歩ほど下がった位置から見守る。
口出しや擁護はしない。
隠蔽すれば任務違反のみならず、国境を越えている事もあって下手な言い逃れをすれば逃亡罪にあたる可能性もあるのだから。
「陽乃殿は籍をはく奪され、現在は無籍である事が不幸中の幸いであろう」
変わらず紅鶴の声は平静を保っていた。
「すなわち難民で保護対象であるという判断の仕方も十分にありえる。とにかく今は、己のためにも、陽乃殿のためにも、誠心誠意を尽くす事が賢明と言えよう」
との紅鶴の忠告に、蓮華が深く頷いて同意を示す。
青も同意見だ。
トウジュは唇を引き結び、神妙に頷いた。
彼にも、紅鶴の威風凛然たる気が伝わっているようだ。
そこへ、
「あの、榊様」
陽乃が、急ごしらえの天蓋から身を乗り出して立ち上がろうというところだった。
傍らに付き添う出流が手を貸そうとする。
「もし、葦火で
「マユミ? ああ、確か黒髪の」
「はい。檀弓が無事であるかどうかも気がかりで……檀弓は幼い頃からずっと一緒で……処刑が決まってからも親身にお世話をしてくれたのです……」
子どもたち、そして忠義の侍女を想い、涙ながらに懇願する一人の母親の姿。
「……」
美談となろう光景から、青は一歩身を引いた。
*
「榊准士」
村落の北側から出て街道に踏み入ろうとするトウジュの背中へ、青は声を掛ける。
「あんた……あ、いや、一師。体の具合は」
「もし檀弓女史に遭遇しても、陽乃殿の居場所は伏せて欲しい。安否を知らぬと、言い通してくれ」
あえて強めの語調で、青は単刀直入に切り出した。
龍の位は職位における上士以上に相当すると換算されている。
准士と、龍。不本意だが、その立場の差を利用してでもトウジュを口止めしなければならない。
「しょ、承知しました。でも、なんで」
「必ずだ」
同世代の気安さが抜け切れていないトウジュの語尾を押しのけるように、青は強く畳みかける。
う、と言葉を詰まらせた幼馴染に、青は言い聞かせるよう声を和らげた。
「檀弓女史にそのつもりがなくとも、些細なきっかけで陽乃殿の居場所が葦火の暴徒に伝われば、凪の難民村にまで押しかけてこないとも限らない。せめて彼女の正式な保護先が決まるまでは、少しでも火種になりそうな事態は避けたい」
檀弓に対する漠然とした不安、不信感についての言及は避けた。
それを裏付けるための確たる証拠は、まだ何も無い。
「た、確かに……留意します!」
半ば苦し紛れだった青の説得にもトウジュは深く頷き、忠告を素直に受け止めた。
まだ心的疲労感が顔色に残る幼なじみは、こうして再び炬之国へと戻っていった。
*
舞い戻った葦火《あしび》郡の街は案の定、混沌の坩堝にあった。
人のうねりを避けながら、トウジュは凪隊の姿を探した。炬の国境を越えた直後に式鳥を送ったが、返答が無いままだ。
「蜥蜴《とかげ》女が逃げたらしいぞ」
「処刑しようとしたら突然爆発が起きたんだって」
「忌み女の呪いだ……」
耳に入ってくるのは、尾ひれがついた噂話の数々だ。
蜥蜴女の復讐に怯える民衆の恐怖が街中に燻っている。騒ぎに乗じたゴロツキたちがのさばり、治安が極端に悪化していた。
街に踏み入ってから短時間のうちに何度も因縁をつけられかけたが、トウジュの体躯や武装を見て軍人と判断し、みな避けていく。
最も騒ぎが大きそうな、処刑台が設置されている広場を目指す。
五つの広小路が合流した先が円形広場となっており、それぞれの大路を小路が繋いでいる。
可能な限り喧噪を避けて裏路地を選んで進むが、裏は裏で秩序の乱れは変わらない。
「おっと、待てよ姉ちゃん」
「お前、逃げ出した蜥蜴女じゃねぇのか? 鱗が無いか確認してやるよ」
「やめてください!」
分かりやすい悪漢どもの台詞が聞こえてきて、トウジュは足を緩めた。すぐ背後で女がならず者に絡まれているようだ。
さしずめ、混乱に乗じて陽乃と年恰好の似た若い女に乱暴をはたらいているのだろう。町全体がまるで山賊や野伏に蹂躙されているような有様だ。
「離してやれよ」
これも任務の一環と、足を止めてトウジュは振り向く。
案の定、みすぼらしい労働着の痩せた女が、二人組に腕を掴まれて壁に押し付けられていた。
「んだぁ、ガキ、テメェ!」
「どっか行けよ」
威嚇を飛ばす輩たちへ短く言い捨てる。
武器を抜くまでもない。
輩の一人が、トウジュの装いから法軍人である事を察した。
「お、おい、やめとこうぜ」
「あぁ!? 待てよ!」
さっさと逃げ去った相棒を、残った一人が慌てて追いかけていく。この暴動騒ぎがなければ、普段は小心者のチンピラに過ぎない連中なのだ。
「あの……もしや
「へ?」
壁際で身を縮めていた女が、まじまじとトウジュの顔を覗き込む。黒髪の若い女だ。
げ、とトウジュは内心で短く悪言を零す。
女は陽乃の侍女、檀弓《まゆみ》だった。
「やはり、凪之国法軍の榊様ですね……!」
トウジュの顔を確認した檀弓は面持ちを綻ばせた。
だがすぐに肩を縮めて辺りを見渡し、声を顰める。
「突然、申し訳ありません。覚えていらっしゃらないのもご無理はありません。私は元・
「あ、ああ……」
トウジュは言葉を濁し、中途半端な頷きを返した。
檀弓の口から続けて、陽乃の置かれていたあわや処刑されかけた状況の説明をされる。
「奥様が、あ、陽乃様がお姿を消してしまわれて……榊様は、何かご存知ではないでしょうか……」
「いや、俺は何も」
シユウからの忠告を守り、トウジュは口を噤む。
外套の襟を立てて口元を隠した。顔に出やすい自覚はあった。
「左様ですか……陽乃様は一体どちらへ……いいえ、一体何者が連れ去ったというのでしょう……」
冬の寒空に不似合いな寒々しい薄着の侍女は、案じ顔で身を縮めている。
指先はあかぎれで赤く凍傷になりかけており、足元も素足に簡易な履物のみだ。
誰の目にもそれは、主を探して彷徨う健気で忠実な侍女の姿に映るであろう。
「お可哀そうな陽乃様……旦那様が無残にもあのように……」
ちらと、檀弓の黒い瞳が、広場方向を見やった。
「お嬢様や若君様も……あぁ……そんな恐ろしい事がまさか……」
そして痩せた両手で頬を覆い、ほろほろと涙を流す。
「子どもたちが、どうかしたのか」
陽乃は何より一番に、わが子たちを案じていた。その安否情報だけでも持ち帰ってやる事ができないか。
トウジュの心根の優しさが無意識な問いとして口をついていた。
「未だ行方が知れないのですが、最近、山蜥蜴の谷に打ち捨てられた遺体の中に幼い子もいたなどと不吉な噂も聞こえてくるのです……」
「……」
トウジュは絶句した。
静かに涙を流す檀弓との間に、歪な沈黙が横切る。
「……悪い、俺、任務に戻らねぇと」
強引に会話を終わらせ、トウジュは檀弓の腕を引いて広小路側へ身体を向けた。
「安全なところまでは送ってやるから」
「お気遣い感謝いたします」
するりと、細い腕がトウジュの手をすり抜ける。
「もし、陽乃様にお会いする事があればお伝え下さい。檀弓は無事です、と」
深々と一礼を残し、反対側の広小路へ抜ける歩道へと駆けていく。
細身の影は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなった。
罪悪感を抱きながらも心の隅で安堵して、トウジュは檀弓と逆方向へと身を翻した。
*
凪の一隊は、円形広場を抜けた先の庭園の一角で救援活動を行っていた。
元は羽振りの良い商人の屋敷であったようだが、暴徒らに門を破られ強奪と蹂躙の限りを尽くされて今や廃墟と化している。
「トウジュお前どこに消えてた! 猫の手も足りんってのに!」
「どっかで踏みつぶされてんじゃないかと思ったじゃない!」
合流するや否や、仲間たちにもみくちゃにされる。
半日も経過していないはずが、仲間たちは誰もが泥や血に汚れていた。
馬場にでもなりそうな広さの庭のあちこちに天幕が張られ、同じ炬の隣国である維之国からの救援隊も怪我人の対応に追われている。
本屋敷跡では炊き出しが行われ、渡り廊下で繋がる別館跡は主に重傷者や女子どもが集められていた。
「無事だったか、榊准士」
「坊ちゃん育ちにゃキツくて逃げ出したのかと思ったぞ」
とは、隊長の特士と、副隊長の上士だ。
「申し訳ありません……ご報告したい事が」
部下の顔色の悪さを察知した両上官が、瞬時に目配せをし合った。
「お前ら任務に戻れ」
寄り集まる部下たちを散らし、人気の無い薪置場へ移る。
そこでトウジュから漏れなく詳細を聞いた上官達は、そろって顔色を白くした。反応はそれぞれで、
「はは。思い切った事をしたもんだな」
四十代半ば頃である特士の隊長は乾いた笑いを浮かべ、
「おま、お前、お前なぁ……、ったく……」
三十代半ばの上士の副隊長は瞬間的に怒りを吹き
両者とも結論は「やってしまった事は取り戻せない」と、紅鶴と同様の反応に落ち着いた。
「確かに特権階級の身分を剥がされて無籍だというのなら、保護対象の難民扱いになるだろう。裁判だって炬の法に則ったものではないのだからな」
特士は、庭園で身を寄せ合って震えている負傷者たちを見渡した。
特権階級者らの糾弾を掲げる自称「正義の徒」らの反乱も、こうなっては欺瞞にしか映らなくなる。
炬の為政者らは篝州をもはや捨て置く姿勢だ。
炬の都から新たな法軍の救援隊が派遣されているものの、乱そのものには非関与の立場を貫いている。
「一刻も早く小競り合いを収束させて次の州長を定めるべし」と静観する立場をとっている事に変わりはない。
「だとしたらしばらく、難民の扱いも宙に浮いたまま、ですね」
「……」
隊長と副隊長の会話に合わせて、トウジュは視線を右往左往させる。両者の意見は、蓮華や紅鶴たちとも一致していた。
「榊」と隊長の視線がトウジュに急旋回した。
「その女の事を把握している者は?」
「は、はい。滴りの森で偶然に遭遇した凪の薬術師と毒術師の一隊数名、です」
混乱を避けるため、難民村の救援隊にはまだ陽乃の身元を明かしていない事を告げる。
「そうか。
次に隊長の視線が副隊長に向いた。
「書状を書く。難民村へ出向いて救援隊の隊長殿へ渡してくれ。式で送るのは心もとない」
「承知」
部下の返答を受け、再び隊長の視線がトウジュへ向いた。
「榊、お前は当分、俺の目が届く場所にいろ。分かったな」
「承知しました、申し訳ありませんでした!」
トウジュは勢いよく頭を下げる。
なかなか頭を上げない、世話の焼ける部下を、上官二人は思うところのある顔で見つめていた。
*
それから間もなく、隊長が書き上げた書状を携え副隊長の是枝上士は隊を離れた。
真北へ伸びる広小路に沿って街を出れば、凪へ続く街道に突き当たる。頭の中で経路を思い浮かべながら、屋敷の敷地を出た是枝は円形広場に差し掛かった。
「きゃっ」
「――あ、失礼」
出会い頭に小柄な影とぶつかる。
掠れた小さな悲鳴が胸元から上がり、細身の女が、転びかけた勢いで是枝に抱きつく形で倒れ込んできた。
中肉中背の是枝と比較しても、腕に収まってしまうほどだ。
「ご無礼を致しました……申し訳ございません」
女は慌てて身体を離すと、是枝が恐縮するほどに何度も頭を下げる。
季節感が皆無な薄い労働着を纏っていて、その貧しそうな身なりと、洗練された言葉遣いの対比が印象的だ。
軍人を相手に怯えているのか、寒さからか、黒髪の女は俯いたまま、小さく震えている。
「この先の屋敷で、炊き出しや救援物資の配布を行っているから、立ち寄ると良い。防寒着も用意してくれるだろう。では」
女へ道筋を示してから、是枝は北の広小路に向けて歩を速める。
顔を上げた女は、遠ざかる是枝の背中をいつまでも見送っていた。