トウジュが再び炬へ旅立った後、青は難民村の救援隊隊長へ一連の出来事を報告した。
村の南、山側の抜け道の存在および、炬側から侵入したと思われる何者かの襲撃を受けてやむを得ず始末した事。
山側の警備強化の提案をすると共に、暫定的な処置として青たちで各種外敵除けを施す旨を申し出た。
「報告、承った。敵除け処置、ありがたい。おおかた、物資を狙った賊であろう。一通りの対応を終えたら南側の見回りを行う事にしよう」
場馴れしている上士は、実に手際よくそう応えた。
そこからようやく、当初に青が予定していた後輩たちへの研修らしい研修が始まる事になる。
蕨道を再び進み、中腹近辺での獣除けや虫除けの散布、そして炬側からの侵入者を想定した毒罠の設置が実習課題となった。
「
「なるなるなるほど、周りの植物たちにも手伝ってもらうわけですね」
鹿花は相変わらず「ほひっ」などの怪音を発声しながら、青の一言一句を必死に手帳へ書き留めていった。
「砂漠や岩盤地帯などでは、何か工夫の余地はございますか」
「植物に乏しい地域では風向きと、気温の変動を見極める事だ。例えば現状だと――」
そして紅鶴が、おそらく「本職」での経験を活かした、応用的な質問を投げかける。
その絶妙な流れを繰り返しながら、指導兼救援活動は順調に進んだ。
獣除けと虫除けの散布場所が決まったところで実作業は鹿花と紅鶴の二人に任せ、その様子を監督しながら、青は振り返って高台から難民村の様子を見渡した。
冬でも緑を湛えた山と対照的に、枯れた水草で詰まりを起こしそうな小川が村の中央に走っており、水辺に沿って敷き詰められた枯れた田畑と、粗末な家屋跡の
あちこちで凪の救援隊が忙しなく動き回り、ところどころから、難民たちが暖を取る焚き火の煙が、
あさぎと迷い込み
「一師」
「!」
呼ばれて我に返る。
また一人で物思いにふけっていた。
昔「感慨に浸ってるところ悪いんだけど」と朱鷺から乾いた視線を送られた思い出まで蘇る。
「こちらの獣除けは完了しました。ご確認をお願いできますか」
「私もお願いします!」
「――今行く」
気恥ずかしさを追い出そうと、息を吐ききるとともに振り返った。
「……まだご気分がすぐれませんか」
目深に被った角頭巾と覆面の間から見え隠れする視線が、じっと青の顔色を見ていた。
紅鶴に他意はないのであろうが、隠しきれない眼光の強さが頬に刺さる。一方その隣で青を見上げる鹿花の半面が、心なしか心配げな表情に見えるのも不思議だ。
「申し訳ない。少し、思い出していただけで」
「もしかして、朱鷺応龍様の事ですか……?」
鹿花の問いかけを、青は否定しなかった。
「一師……申し訳ありません!」
唐突に、鹿花が身体を半分に折り曲げる。
抱えていた地図や手帳に挟んでいた紙が足元に散らばった。
「あわわわわわ」と怪音を漏らしながら慌てて紙を拾い上げる後輩の周辺で、再び大人二人も紙拾いに付き合う。
「わた、わたわた私、一師のお気持ちも考えずに、浮かれてしまっていました。遊びに来たのではないのに。朱鷺応龍様にまつわる歴史的な現場だと思うと、胸がはずんでしまって……」
悔《く》いる一方で、頬の紅潮が鹿花の高揚を如実に表している。
「大丈夫。師を褒められて悪く思う弟子はいない」
青はゆるりと首を横に振った。
これは青の素直な気持ちであり、
いずれ己も、後輩たちから同様に思われるようになって初めて、一人前になるのだろう。
「……悪く思う弟子はいない……か」
若者二人の一歩背後で、紅鶴の独言が乾風にのって消えた。
*
同じ頃。
「
トウジュの上官、是枝副隊長が難民村へ到着していた。
是枝の到着を部下から知らされた難民村の救援隊隊長の上士・月岡は、変事発生かと緊張感をもって出迎えた。
南北の縦に並ぶ家屋群のもっとも北側の廃屋を利用した、炊き出し所も兼ねた凪隊の
「……ん?」
その時、同時に何か黒い塊が懐から零れ落ちた。
「失礼」と正面の月岡へ断りを入れて、足元に転がった何かを拾い上げる。
それは黒い長円形の、一見して薬入れだった。
漆に蒔絵が施された、是枝の趣味とは異なる工芸品で、裏面を見ると何やら家紋らしき
蓋を開けてみようとしたが、
「いつの間に」
誰かとぶつかった時にでも入り込んでいたのだろう――そう結論付け、是枝は何気なくその薬入れを崩れかけた石積みの上に置いた。
書状を受け取り内容に目を通した月岡は、是枝を屯所の裏側へ招き入れる。両上士は神妙な顔つきで、廃屋の裏側へ姿を消した。
その廃屋の表側、村の本道に面した庭先には竈が組まれ、炊き出しが行われていた。老若男女の難民たちが列を作り、卵粥が入った汁椀を受け取っている。
湯気が立つ欅の椀を手に、初老の女が列から離れた。
熱い椀を石積みの垣根の上に置き、列に並ぶ夫を待つことにする。
「おや?」
老女の目に、石積みの上に置かれた薬入れがとまった。
「どなたさんの落とし物かしらねぇ」
小首を傾げて老女は、持ち主の手がかりを求めて薬入れを裏返した。
*
村の片隅、全壊した家屋跡を利用して張られた天幕の前に腰掛ける陽乃は、小さな焚き火を見つめていた。
粗末な囚人服は処分され、今は凪の救援隊から支給された平服を着て、支給品の毛布に身を包んでいる。
毛布は、凪の冬特有の乾風から身を護る役目を十分に果たしていた。
焚き火にかけられた小さな鉄瓶の中では、蓮華お手製の薬湯が保温されている。
燃え尽きかけた薪が爆ぜる音に、枯れ枝を踏む足音が重なった。
陽乃が顔を上げると、
蓮華は救援隊に援助を請われて他の難民の診療にあたっていた。
「寒くはないですか」
「頂いた薬湯や毛布のおかげで、ぽかぽかしているわ」
薪を足す出流へ、陽乃は微笑みを手向ける。
「……何か不足があれば仰って下さい」
「ありがとう」
少年の、事務的で不器用な返しが、陽乃には微笑ましげに映っていた。
蓮華からの指示だろうか、出流はその場で木の実や草を小さい擂り鉢ですり潰す作業を始める。
擂粉木が固い木の実の殻を潰す音が心地いい。
陽乃は黙々と作業に勤しむ少年を見つめ、それから、それぞれ忙しそうに動く凪の士官たちを眺めた。
「凪の軍人さんは、皆さんお優しいのね……」
「……」
呟かれた言葉には応えず、出流は顔だけを上げる。
村の遠景を見つめたまま、陽乃は言葉を続けた。
「炬の軍人さん達は、とても怖かったから……でもそれは仕方がないの。
自嘲の笑みを零して、陽乃は身を包む毛布の中で、両膝を抱える。
「ねえ、出流さんはどうして薬術を学ぼうと思ったのかしら?」
「え……」
擂粉木の音が止まる。
これまでの、年齢不相応に冷静な振る舞いから刹那、揺らぎが見えかけるが、
「何故でしょうか」
すぐに、変わらず淡々とした声調に戻った。
「ごめんなさい、無作法な質問をしてしまったわ……私にも息子がいるの。出流さんのような若い男の子が、どのような事に興味があるのかしらって」
「興味と申しますか。薬術を学んでいるのは、必要に迫られてのことです。妹が、すぐに無茶をしてケガばかりするやつで、いつか取り返しのつかない事になるぞって言っても聞いてくれなくて」
出流の答えに「まあ」と陽乃の目尻が細められる。
年相応の少年らしい言葉遣いの荒さが垣間見えて、なおさら微笑ましく、嬉しくもあった。
「出流さんは、優しいお兄様なのね。素敵だわ」
「……私語が過ぎました」
ふいと、また出流は視線を擂り鉢に落として、擂粉木を動かし始める。
「私の子どもたちも、兄と妹なの。まだまだ幼いのだけれど。男の子は「ひえん」、女の子は「あかり」という名前なのよ」
黙々と作業を続ける出流の横顔へ、陽乃は語りかけ続けた。小枝で土に子ども達の名前を刻む。
文字は、いずれも炬の国是にまつわるものだ。
「出流さんたちのように兄妹で仲良く、静かに暮らしてくれるならそれだけで……」
乾いた微風が、陽乃の細く傷んだ枯れ葉色の髪を撫でる。
薪が爆ぜる音と、擂粉木の音が、穏やかな時間を刻んでいた。
*
「出流くーん、用意できたかしら」
遠くから響く蓮華の声で、陽乃は目を開けた。
気がつけば抱えた膝に頬を乗せ、微睡んでいたようだ。
「はい、ただいま」
すり潰した木の実で満たされた器を手に立ち上がり、出流は陽乃へ一礼を残してその場を離れていった。
村の中央に座する水蛇神を祀っていた廃社跡を目印に、薬術の師弟が避難民の診察を行っている。
今は幼い子どもをつれた若い母親数人が集い、蓮華から薬湯の作り方を教わっていた。出流が下ごしらえしていたのは、その材料であったようだ。
「寒い思いをしていなければ良いのだけど……」
生死も知れない子どもたちを想い、陽乃は再び目の前の小さな焚き火へ視線を戻す。
そんな時だった。
「あの……もし」
遠慮がちな声に呼ばれたのは。
「!」
陽乃の身体が反射的に強張る。
恐る恐る声がした方へ首を傾けると、そこに穏やかそうな顔つきの老夫婦が立っていた。
夫婦ともに霜が降りたような白銅色の頭髪で、目許は深いシワで細められて常に微笑んでいるように見える。
「もしや……お嬢様……篝州侯の御息女、陽乃姫様ではございませんでしょうか」
「ひっ……人違いでは、ないでしょうか……」
悲鳴を上げそうになるのを堪えて、毛布に埋もれるように肩を縮めて首を竦めた。
陽乃の反応に夫婦は豊かな白髪眉を下げる。
「ご安心なさってください、私どもは以前、御父君にお仕えしていた身。今でも御父君のご厚意、忘れてはおりません。お嬢様の面影も、見紛うはずがございません」
「……」
陽乃は警戒を説かなかった。
蓮華たちから「くれぐれも身分を明かすな」と言いつけられている。
「これを」
そこへ、老女の皺が刻まれた手が差し出された。
手の平の上に乗っているのは、漆塗りの薬入れ。
裏面が向けられていて、ところどころ剥げかかった金の箔押しが見える。
「……!」
陽乃は吐きかけた息を飲み込んだ。
金で描画されているのは、見覚えのある紋。
躊躇いながら指先で薬入れの表面を叩いてみる。固い感触がした。珍しい獣の角を用いた名匠による工芸品だと、かつて父親が自慢し愛用していたものだ。
「お父様……」
気が付けば陽乃は、老女の手から引っ手繰るように薬入れを受け取っていた。
手のひらにおさまるほどの小さな容器を胸に抱く。
全てを没収され、夫の遺品も、実家からの嫁入り道具も、何一つ残してもらえなかった。
目の前にある家紋が入った古びた小物だけが、陽乃の想い出の形を成している。
「おお……やはり……」
老夫婦は顔を見合わせる。
「やはり……お前は、忌まれし娘だったのだ!」
再び陽乃を向いた老夫婦の顔は、怒りに満ちた獣の形相に変わっていた。
「え……」
思いもよらぬ老夫婦の変貌に、陽乃は凍り付く。
「あ……」
両手で握りしめた薬入れ、背面に大きく刻まれた州侯の家紋――体の芯に悪寒が走る。
陽乃が己の失態を悟った瞬間だった。