毒使い   作:キタノユ

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ep.7 見習い(2)

 村外れの転送陣の堂から踏み出した藍鬼の前に、雨で白く煙る森が遠景に広がった。

 正門へ続く真っ直ぐな農道を進むと、農作業の手を休めた村人たちが、次々と声をかけてきた。

 

「センセイ、先日はどうも。いただいた軟膏のおかげで、手のひび割れがすっかり良くなったよ」

「これ、うちで採れた瓜だよ。傷物だけど味は良いのよ」

 

 差し出される感謝の言葉や野菜を、藍鬼は軽く手を挙げて制し、あるいは必要最低限の礼だけを述べて通り過ぎる。

 

 過度な馴れ合いは好まないが、無下にもできない。その微妙な距離感を保つのが、藍鬼なりの処世術だった。

 

「それにしても、青ちゃんは熱心な子だねえ」

 籠を抱えた中年の女が、感心したように声を上げた。

 

 藍鬼の足が、ピタリと止まる。

 

「青が、何か」

「ついさっきまで、あちこちの家を回って、困りごとはないかって。あんな小さいのに、気持ちは立派なセンセイだねえ」

 

 藍鬼は仮面の裏で、盛大な溜息を飲み込んだ。

「あいつはまた、何を……」

 

 昨日は目に見えて疲れている様子であったので、強引に送り返したはずが。

 小さい体に秘められた、底なしの探究心と頑固さを思い知る。

 

「迷惑をかけた」

 藍鬼は軽く頭を下げ、足早に森へと向かった。

 

 木立を抜けた先、森の隠れ家へ到着する。

 幻術が解かれて、入り口の引き戸は半ば開け放たれたままだった。

 

「……これだからガキは」

 藍鬼は呆れて首を振り、無人の室内へと足を踏み入れた。

 板敷きの床に、墨の跡が乾ききっていない、書き損じ紙が散乱している。

 

『コシがいたい』

『赤ちゃんヨナキ』

『目がカスム』

 

 稚拙だが勢いのある文字で、村人たちの困りごとが書き殴られている。

 藍鬼の視線が、机の上に置かれた一枚に止まった。

 朱墨で大きく丸印がつけられている。

 

『だんごやのオバアチャン。おきあがれない。目まい。ふらふら』

 

「店主の女房のことか」

 藍鬼の記憶にも、顔色が優れぬ様子で店先に座っていた姿が残っている。

 症状から察するに、初老特有の不定愁訴(ふていしゅうそ)であろう。

 命に関わる病ではないが、長く続く厄介な不調だ。

 

 藍鬼は紙片から視線を外し、開け放たれた戸口へと目を向けた。

 しとしとと、小雨が降り続いている。

 

 長雨。

 湿気。

 滋養強壮薬の素材――

 

「……まさか」

 藍鬼は紙片を握り潰し、雨の森へと飛び出した。

 

 

 風術を駆使し、木々の隙間を縫って疾駆する。

 雨粒さえも置き去りにする速度で、藍鬼は気配の澱む方角――水脈の交差点へと直走った。

 

 視界が開け、森の奥深くに広がる池の畔、そこに蠢く影を捉える。

 

「出たか。瑠璃蛞蝓(るりなめくじ)

 半透明の青白い粘膜に覆われた巨体は、荷馬車すら容易く飲み込めそうな肉の塊だ。透けた表皮の奥で、消化途中の獲物や内臓が不気味に脈動している。

 

 稀有な霊茸が放つ匂いに惹かれ、水脈を渡って現れる貪欲な捕食者。

 その巨体が何かを追いかけ、周囲の樹木をなぎ倒しながら暴れ回っている。

 

 逃げ惑う小さな影――青だ。

 

「青!!」

 藍鬼の呼ぶ声に気づくことなく、青は必死の形相で、別方向へと走っていく。

 泥だらけの小さな手には、七色に燐光を放つ『水月茸』が、しっかりと握りしめられていた。

 

 青の逃げる先へ、巨大蛞蝓がのしかかるように迫る。

 ジュワッ、と何かが焼け焦げるような異音が響いた。

 

『ゴボォッ――』

 汚泥をぶちまけるような怪音を上げ、蛞蝓がその場でのたうち回り始めた。

 地面との接地面から、凄まじい勢いで白い泡が噴き出している。

 泡は蛞蝓の粘膜を侵食し、瑠璃色の皮膚をドロドロと白濁させていた。

 

「あれは」

 驚愕する藍鬼の視線の先で、青が「やった!」と飛び上がる。

 

 藍鬼の目は、瞬時に池の周囲に自生する樹木を見上げた。

 白い可憐な花を散らし、青い実をつけている木々が群生している。

 

「エゴノキ……『魚毒』か」

 エゴノキの果皮に含まれる成分は、水に溶けると激しく泡立ち、水棲生物や軟体生物にとっては、猛毒となる。

 つい先日の薬草・毒草教室で、若手の毒術師・里薺が説明していた。

 

 池の畔をよく見れば、あちこちで岩が砕かれ、その下から潰れたエゴノキの実の匂いが立ち昇っている。

 青は逃げ回りながら実をばら撒き、追ってくる蛞蝓の巨体に岩や実を踏み潰させたのだ。降り注ぐ雨が溶媒となり、池の周辺が蛞蝓にとって即席の毒沼と化していた。

 

「よく悪知恵が働くもんだ」

 藍鬼の口角が、微笑を形作る。

 

 激痛に狂った瑠璃蛞蝓が、頭部の触角をムチのように振り上げた。

 青は岩の影に飛び込み、身を小さくして避けた。

 頭上の岩が触手の一撃で粉々に砕け散る。

 再び走ろうとした青の足が、雨に濡れた木の根に滑った。

 

「あっ……」

 無防備に転倒、そこへ怒り狂った触手が、槍のように降り注ぐ。

 

「うわぁあ!」

 青の喉が掠れた悲鳴に引き()った。

 死の恐怖が幼い背筋を駆け抜けた刹那、青の輪郭に黒い陽炎が揺らめき立った。

 

「な、っ!?」

 何だあれは――考えるより早く、藍鬼は地を蹴った。

 黒い(もや)ごと青の体を抱いて引ったくり、強引に後方へと跳躍する。

 

「奈落!!」

 青を抱えたまま空中で身を捻り、眼下の地面へ向けて言霊を叩きつける。

 腹の底に響く衝撃音と共に、地面が巨大な蟻地獄のように陥没した。

 泡の毒沼の底に、妖獣蛞蝓の巨体が沈む。

 

「し、師匠!?」

 青は目を白黒させ、自分を抱える藍鬼を見上げた。

 

 藍鬼は高枝に飛び乗り青を太枝に座らせると、返事もせずに両手を地上に向けて振り抜く。

 数本の長針が紫色の軌跡を描いて、穴の底でもがく粘液の塊に次々と突き刺さった。白煙が間欠泉(かんけつせん)のように噴き上がり、異臭が漂う。

 

 熱湯に薬が溶けていくかのごとく、奈落の鍋底で肉塊は(ほど)け、溶け、崩れ落ちていった。

 

「間に合った……」

 気配が完全に消滅したのを確認し、藍鬼は仮面の底で長い息を吐いた。

 

「青、お前――」

 説教の一つもしてやろうと、振り返る。

 

「……し、しょお……っ!」

 青が弾かれたように藍鬼の胸元へ飛び込んできた。

 泥だらけの腕が、黒い装束にしがみつく。

 

「っ……」

 無謀な単独行動を咎《とが》めようと口を開きかけ、藍鬼は言葉を呑み込んだ。

 体にしがみつく小さな手から、痙攣(けいれん)による振動が伝わってきたからだ。

 

「青?」

 顔色は蒼白さを通り越し、蝋のようだ。

 唇は紫色で、濡れた睫毛の下で瞳の焦点が定まっていない。

 長時間冷たい雨に打たれ続けた幼い体が、極度の緊張が解けたことで限界を越えたのだ。

 

「青!」

 藍鬼は震える小さな背中を、強く抱き寄せた。

 

 

 篠突《しのつ》く雨を背に、藍鬼は小屋の引き戸を荒々しく蹴り閉めた。

 外界の冷気と湿気が遮断され、土と薬草の匂いが充満する静寂が戻る。

 

「玉」

 (かまど)の薪に手早く火を灯してから、藍鬼は腕の中に抱えた小さな体を、板の間へと横たえた。青の顔色は青白く、唇がカタカタと小刻みに震えていた。緊張からの解放と、急激な体温低下による消耗だ。

 

「離せ」

 藍鬼の裾を、泥で汚れた青の片手が握っている。

 

「さむぅぃ……」

 うわ言のように(うめ)き、青はさらに強く拳を握り込む。

 

「当たり前だ」

 藍鬼は裾を握らせたまま、青の衣服に手を掛けた。

 

 雨と泥水を吸って重くなった衣を剥ぎ取り、手が届く範囲にある麻布を棚から引っ張り出す。青の全身を包み込み、摩擦熱を起こすように、背中、腕、脚を力強く丹念に擦り上げた。

 青白い肌に、徐々に赤みが戻ってくるのを確認すると、乾いた羅紗(らしゃ)の毛布と獣皮を幾重にも重ねて簀巻(すまき)にし、保温する。

 

「動けないよぉ……」

「うるさい」

 文句を言う体力気力が残っていることに安堵し、簀巻の青から離れて鉄瓶を火にかける。

 

 湯が沸くまでの間、生姜の粉末と、砕いた桂皮(けいひ)、少量の甘葛(あまづら)を取り出し、椀に入れた。沸騰した湯を注ぎ(さじ)でかき混ぜると、かぐわしい甘い香りが湯気となって立ち上る。

 

「飲めるか」

 藍鬼は青の上体を抱き起こし、匙を口元へと運んだ。

 青はうっすらと目を開け、湯気の向こうの仮面をぼんやりと見つめると、震える唇を小さく開いた。

 

 ずず、と啜った液体が喉を通り、胃の腑に熱が落ちると、強張っていた青の眉間が緩んだ。

 

「あまぁぃ……」

 簀巻きの中で、もぞもぞと青の手が動く。

 布を緩めてやると、血色を取り戻した小さな両手が、差し出された腕に伸びた。藍鬼の腕を支えに、青はむさぼるように残りの湯を飲み干した。

 

 藍鬼が空になった椀を、床に置いた。

 その直後だ。

 藍鬼の手が、青を包む毛布の襟元を無造作に掴み、荒っぽく顔の高さまで引き寄せた。

 

 ぺちっ

 

 乾いた音が、静寂に響く。

 藍鬼の大きな手のひらが、青の頬を弾いたのだ。

 

「……え……」

 青は目を丸くし、ぽかんと師を見上げた。

 

「勝手な事をするな、死にたいのか……!」

 仮面の下から、地を這うような怒声が降ってきた。

 

 青はしばらく呆然と、黒い仮面を見上げていた。

 打たれた頬のじんじんとした感覚と、師の怒気の意味を、遅れて頭が理解する。

 

 徐々に黒い瞳が潤み、透明な膜が視界を覆っていく。

「ひぐっ……」

 喉の奥から、しゃくり上げる嗚咽が漏れ始めた。

 

「だって、だって僕……」

 藍鬼は青の体を宙に持ち上げたまま、じっと次の言葉を待った。

 逃げ場のない状態で、青は涙に濡れた顔を歪める。

 

「僕、師匠みたいに強くて、何でも知ってて……みんなを助ける毒術師になりたいんだ!」

 幼い叫びが、狭い小屋に反響した。

 

「もっと頑張らないと……何もできないから……僕、っ」

 藍鬼は黙って泣きじゃくる幼子の言い分を聞いていたが、やがて仮面の下で、長く、深い吐息をついた。

 掴んでいた毛布から手を離し、宙に浮いた青の体を解放してやる。

 

「何もできない奴は、こういうことはしない」

 藍鬼は、青の手書きの紙を拾い上げた。

「……」

 宙吊りの状態から解放された青は、濡れた瞳で師を見上げる。

 

「熱が上がる前に薬を飲め。いま用意する」

 藍鬼はぷいと背を向け、竈へ向かった。

 その背中へ、青は這いつくばって追いすがり、

「ほんと? ほんとに? 僕、ちゃんとできてたってこと??」

 としつこく問いかける。

 

「おとなしく寝てろ」

 藍鬼は短く一蹴し、棚の奥から薬瓶を取り出した。

 

 中から取り出したのは、麻黄(まおう)荊芥(けいがい)連翹(れんぎょう)などを配合した、発熱と悪寒を散らす生薬だ。それを小鍋で煮立たせている葛湯の中に投入し、さらに、別の小壺から黄土色の粉末をたっぷりと加える。

 

「飲め。少し休んだら、一緒に都へ帰るぞ」

 手渡されたのは、琥珀色にとろみがついた葛湯(くずゆ)だ。

 

「う、うん……」

 青は両手で器を包み込み、恐る恐る口をつける。

 

「ん……!?」

 目を丸くし、ごくごくと喉を鳴らして飲み干した。

 

「あまぁぃ、美味しい!」

「そうか」

 顔をほころばせる青を見て、藍鬼は微かに鼻を鳴らす。

 

「これ、本当にお薬なの? 全然苦くない」

「お前のような味覚の幼稚なガキに、薬を飲ませるための工夫だ」

「なるほどぉ……って、ガキじゃない!」

 

 青は口元にきな粉の(ひげ)をつけたまま、ふくれっ面で抗議した。

 

 

 薬入りの葛湯を飲み干して間も無く、青は眠りへと落ちた。

 穏やかな寝息が、(わら)屋根を叩く雨音に重なる。

 

 藍鬼は空になった器をのけ、手拭いで青の口元を拭った。

 立ち上がり、ようやく自身も濡れそぼった装束を脱ぎ、天井の(はり)から渡した麻縄へ吊るした。

 

 青の小さな衣服の隣に、藍鬼の大きく黒い装束が並ぶ。

 親子の蓑虫(みのむし)のようなその影の真下に、赤々と炭が爆ぜる火鉢を移動させた。

 

 青の枕元に胡座(あぐら)をかき、藍鬼は散らばっていた走り書きを拾い集めた。

 村での薬草教室に感化されたであろうことは、一目瞭然だ。

 意欲を即座に行動へ換える熱量は、稀有(けう)な資質といえよう。

 

 だが五歳児という生き物が、皆これほどまでに無鉄砲な行動をとるものなのか。

 青が特別なのか。

 (しつけ)の問題なのか。

 

 子育て経験のない男には、分かりようがなかった。

 

「呑気なものだ」

 藍鬼は紙片を置き、視線を眠る青へと移した。

 小さな胸が上下し、確かな生体音を刻んでいる。

 時折、眉根を寄せては、安堵したように寝顔が緩んだ。

 

 静かな室内で、藍鬼は改めて記憶の中の光景を手繰る。

 エゴノキの実を蛞蝓の足止めに用いる発想に驚かされた。

 三叉大蛇の舌を切り落とした時も同様で、詰め込んだ知識を即座に実地に応用する適応力は、ずば抜けた才覚と言っていい。

 

 だが。

 藍鬼の眉間に、深い谷が刻まれた。

「あれは、何だったんだ」

 

 青の全身から湧き上がりかけた、黒い(もや)

 何かが顕現(けんげん)しようとしていた。

 術が発動しかけたのか、それとも体に何かを飼っているのか。

 

 藍鬼は眠る青の額に、そっと(てのひら)を添えた。

 熱はない。

 呼吸は穏やか。

 今はただの、無力な子供だ。

 

「……骨が折れそうだ」

 藍鬼は手元の紙片を、丁寧に折りたたんだ。

 

 外は、いつの間にか本格的な秋霖(しゅうりん)となっていた。

 火鉢の橙色の光が、外界から隔絶されたような小屋の中を、頼りなくも温かく照らす。

 

 炭が爆ぜる微かな音と、遠い雨音と、傍らの幼な子の寝息が、藍鬼の鼓動と共に緩やかな時を刻んでいた。

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