毒使い   作:キタノユ

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ep. 46 黒い眼(5)

 山道を抜ける前から、予兆はあった。

 

 村へ戻る手前の三叉路(さんさろ)へ辿り着くまでに、地を這う黒い影をいくつも目にした。蛇か(ねずみ)かと見(まが)ったが、それは黒い煙の筋だった。

 

「な、な、何ですかこれ!」

 後ろから聞こえてくる戸惑いの声に振り向くと、しゃがみこんだ鹿花が必死に片手を振り回していた。数回振って、指先に張り付いた何かを振り払う。

 

「どうした」

「す、す、すみません! 煙を触ってみたら、手に張り付いてきてしまって」

「ただの煙ではない、か」

 

 緩やかな高台で立ち止まり木々の隙間から村を見下ろすと、村の南側から山裾にかけてまるで浸水したかのように、薄黒い霞が漂っているように見えた。

 

「ぎゃぁああ!」

「きゃあああ!!」

 

 眼下の村から阿鼻叫喚がこだまする。

 鬱蒼(うっそう)と生い重なる木々に阻まれて、ここからでは様子が伺えない。

 

 更に山道を下り三叉路付近まで辿り着くと、村の様子が見渡せるようになった。

 遠目では黒い靄に見えていたものは黒い大蜥蜴の群れだった。目についた人間へ次々と襲いかかる蜥蜴を振り払い切り伏せながら、救援隊員たちは難民たちを村の北側へ必死に誘導している。

 

 すでに幾人かの犠牲者が出ていて、畦道(あぜみち)や瓦礫の上に遺体が点在していた。中には四肢を噛みちぎられた無惨な状態のものもある。

 

「どこから蜥蜴が……!」

 青は前進しながら、木々の間に見え隠れする黒い靄の流れを目で追った。

 靄《もや》はある一点に向かって徐々に色を濃くしている。陽乃の天幕を設置した場所の方面であるようだ。

 

「あれは……陽乃さん……?」

 途中、景色が開けた見晴らしの良い場所で足を止める。

 身を乗り出して目を凝らすと、(うごめ)く黒(まゆ)の中心に、痩せた女の姿が見えた。

 

 枯れた枝垂れ梅のように力なく体を揺らし、乾いた唇を大きく開いて何かを叫んでいる。落ち(くぼ)んだ眼窩《がんか》の影から覗く瞳は大きく見開かれていて、飢えた獣のようにも見えた。

 

――どうして……なぜ……

――知らない……わたくしは、何も知らないのに……

 

 しきりに「分からない」「知らない」「なぜ」を繰り返し、髪を振り乱す。その都度、纏いつく黒い靄が胎動するように蠢いて、大蜥蜴を次々と産み落とした。

 

「きゃっ!!」

 青たちのすぐ眼下で、幼い子を抱いて逃げる若い女が足をもつれさせた。その背中へ数頭の大蜥蜴が飛びかかる。

 駆け込んだ出流が左手の刀で蜥蜴を切り伏せ、右手で女を幼子ごと抱き抱えてその場から飛び退いた。

 

「っ…」

 刀と左腕に(まと)わり付く黒靄を忌々(いまいま)しげに振り払い、出流は山道の入り口へ女の手を引く。

 

「そこの山道から登ってください。蓮華先生がいますから」

「は、はい……!」

 

 戸惑う女は出流に背を押されるがまま、三叉路へ続く山道へ踏み入った。それを見送って、出流はまた混沌のさなかへ駆けて行く。

 

「蓮華一師!」

 山道の三叉路まで辿り着くと、出流の言葉通り蓮華がいた。逃げ込んだ幼子連れの女を出迎え、西へ進むように指示を出している。

 

「シユウ君!」

 女を見送って振り向いた蓮華が、斜面を上がり青たちのもとへ駆け寄った。

 

「ご無事で良かった」

「私は大丈夫」

 蓮華は息を整えながら西側の山道を指差した。

 

「あの奥に、樵場(きこりば)があるの」

 三叉路から西側へ向かった先に、子どもたちや数人の難民を避難させていているという。

 

「何が起きたのですか」

 何が、で青は眼下の陽乃を指し示した。

 

「ごめんなさい、私が目を離していたばかりに……」

 謝罪とともに蓮華が現状にいたるまでを証言する。

 

 何がきっかけか陽乃の身分が明るみとなってしまい、難民たちが激昂して騒ぎになった。

 責め立てられ、我が子の無惨な死を突きつけられた陽乃が悲鳴を上げたかと思うと、唐突に黒い靄が発生したという。

 

「たぶん、呪具ではないかしら」

「呪具……」

 

 改めて青は木々の切れ間から、黒い靄を纏う陽乃の様子を覗き見た。両手を胸の前に重ねて、祈るように固く握り込んでいる。確かに何かを握りしめているようだ。

 

「引き剥がそうとしたのだけど、上士二人がかりでもダメだった」

「彼女が隠し持っていたのですか?」

 

 蓮華は首を振る。

 囚人服から平服に着替えさせた時に蓮華自身が身体検査を行ったが、装飾品はもちろんのこと、持ち物は何一つ携えていなかった。

 呪具はどこからか持ち込まれた可能性を考える方が自然だ。

 

 誰が、何のために――

 

「あの靄には気をつけて……気や体力を吸い取られてしまうみたい」

 陽乃を止めようとした月岡上士が靄に巻き込まれて昏倒し、命に別条はなかったが戦線離脱を余儀なくされたという。

 

「……」

 青は再び、斜面下の様子を覗き下ろした。

 少し目を離した間にも、靄は生物の胎動のように蠢きながら、緩やかに闇の触手を伸ばしていた。

 村を包み、山側へ上ってくるのも時間の問題かもしれない。

 

 被害が村外、凪国内に影響を及ぼす前に、止めなければならない。

 

「鹿花佳師」

「は、はい!」

 青に呼ばれ、鹿花は眼下を覗き込む体勢から、体を起こした。

 

「君は、蓮華一師について行動してくれ。確か、樵場から村の側面を通って街道へ出る道があったはずだ。そこから樵場にいる人々を避難させるんだ」

「あ……あ、地図……はいっ! 承知しました!」

 

 鹿花は慌てて荷物から古地図を引っ張り出し、広げる。青の言う通り西側の樵場から、木材を運ぶためであろうか、街道へ続く側道が記されていた。

 

「紅鶴佳師」

 続いて青は紅鶴に向き直る。

 

「何なりと」

 変わらず彼は、静謐な佇まいで青の指示を待っていた。

 

「私は……アレと酷似した妖魔と遭遇した事がある」

 今の陽乃は、かつて白兎ノ國で対峙した沼の妖魔を、彷彿とさせる。

 

 憎悪を糧に呪力が増幅し、悲嘆と絶望に突き動かされていただけの思念体――それが沼の「邪神獣」だった。怨念を具現化し、気や体力を吸い取る黒い靄も共通している。

 

 陽乃の絶望が呪具に共鳴し糧となって増幅、呪術の依代として沼の妖魔と近しい状態、ある意味で擬似的な妖と化しているとも言えた。

 

「呪具を奪い破壊すれば暴走を止める事ができるとは思うが、それが適わなければ……」

 

 青の横顔を見つめていた鹿花が、ひゅ、と息を飲み込んだ。

 対照的に蓮華は悟った無言を保っている。

 

「一師」

 青の傍に立つ角頭巾の覆面下から、深い吐息が漏れた。

 

「小生が救援隊の指揮を任される立場であれば……血触媒を使ってでも陽乃殿を始末する判断をとるでしょう。これ以上の犠牲を出す前に」

 

 次に角頭巾は、狼狽する難民たちを庇い立て、避難させながら蜥蜴駆除に難儀する救援隊を見やる。その横顔に、珍しく微量の苛立ちが浮かんだ。

 今の「本職」の立場でない故の歯痒さを覚えているのであろう。

 

「……同意する」

 青は(うなず)いた。

 

 陽乃を殺してでも、暴走を止める。

 それが凪にとって最善であり、凪の法軍人としてとるべき対応だ。

 

「紅鶴佳師には、その手助けをして欲しい」

 紅鶴からは「承知」と短い即答が返ってきた。

 

 

 西側の樵場(きこりば)へと戻って行った蓮華と鹿花を見送り、青は一旦、村を見晴らせる高台へ引き返した。

 

「一師?」

 疑問符を浮かべる紅鶴を前に、青は崖淵から眼下の事象の(つぶさ)を眺める。

 

「技能師には、技能師の立ち位置がある」

 

 鳥の視点でまず周囲の環境を俯瞰し、次に黒い靄の動き、広がり、その影響を測り、大蜥蜴の動き、特性を見極め、そして陽乃の状態――顔色、表情、些細な仕草など、そこに在るあらゆる「情報」を仕入れるのだ。

 

 よく見て、聞き、考え、まず状況を把握する。

 最前線から距離をとった自分にできる事は何かを考える。

 任務同行において、朱鷺から最初に教わった事だ。

 

「師の受け売りではあるのだけど」

 

 語尾を苦笑で転がしながら、青は視線を眼下から離さずに崖淵を移動する。

「技能師の立ち位置……」

 以後、紅鶴は口を噤み、青の斜め後ろから倣った。

 

「水神……大渦水!」

 眼下で、何者かが水術を放つ。

 術の難度からみるに上士の誰かであろう。

 うねり立つ渦が押し寄せる黒蜥蜴の群れを押し流し、そのまま陽乃を囲んだ。

 

 黒い靄が激流に引き込まれかけたと見えたが直後、白黒の閃光を発しながら膨張し海嘯さながらに水術を押し返して飲み込んでしまう。

 

「――なるほど。術は打ち消され、近づけば靄に捲かれて気や体力を削がれてしまう、と」

「……」

 紅鶴の独言を聞きながら、青は陽乃の動きを注視し続ける。

 

 己を守るように巻き上がる黒い靄に抱かれて、陽乃は胸元で握っていた両手を僅かに開いた。

 

 青の位置からは確認できないが、手のひらの中にある「何か」へ、陽乃は頬擦りする。愛おしげに、まるで赤子へ唇をそっと寄せるように。

 

 呼応して黒靄が大きく激しく脈動し、腹底から吐瀉するかのごとく黒い塊を立て続けに産み落とした。

 ふやけた腐卵のように歪な黒い楕円は地に落ちるや否や、手足が生え首が伸び、分厚く広い口吻を持つ顔と体長の半分を占める太い尾を形成し、大蜥蜴へと変態しようとしている。

 

「……もしかして……」

「一師?」

「可能性は、あるか……紅鶴佳師」

「は」

 青の呼びかけに紅鶴は背を正した。

 

「手段は問わない。蜥蜴『のみ』を一掃できるか」

 

 ほんの僅かな無音の後、

「無論」

 紅鶴は短く応えた。

 

 

「ちっ……キリがない」

 水術を放った結果を見届けた是枝上士は、何度と術で薙ぎ払おうと増殖し続ける蜥蜴の群れに、辟易したため息を吐いた。

 

 救援隊らと苦慮しながら何とか難民を村の北側へ避難させ、ようやくまともに戦える状況を整えられたものの、月岡上士は気を吸い取られて戦線離脱、救援隊員らは新米中士を中心に編成されており怪我人も出ていて、まともに戦えるのは上士である自分だけ。

 

 急ぎ周辺地域へ式を飛ばしたものの、都合良く助勢が駆けつけてくるなどとは思えない。

 

「榊の奴……とんでもない疫病神を拾ってきてくれたもんだ」

 根はいいやつだが手のかかる後輩を思いやり、是枝は苦笑を噛み潰して辺りへ素早く視線を巡らせた。

 

 荒廃田の畦道や廃屋の瓦礫の上に、難民の無惨な遺体が転がっている。

 いずれも鬱屈する負の感情に取り憑かれ、救援隊の避難指示を無視して陽乃へ罵声を投げつけていた野次馬たちだ。

 

――わたくしの……せい……ぜんぶ……いつも

――なぜ……知らない……わたくしは………

 

 悪夢に魘されているような呻き声が聞こえてきた。

 陽乃の泥だらけの素足が緩慢に、半歩ずつ前進している。退避させた炬の難民たちを狙っているのか、村の北側に向かっていた。

 陽乃にまといつく黒靄はとめどなく蜥蜴の卵を産み落とし続け、それらは徐々に、続々と、蜥蜴へと形作られていく。

 

「是枝上士、加勢します」

 背後から若い声が近づく。

 新米薬術師の少年――出流だ。

 

「いいから、退がって怪我人を診てやれ」

「しかし」

「お前は薬術師だろ」

 後ろ手で押しやるが、出流は「ですが」と退かない。

 

 技能師にしては腕が立つ事は戦いぶりから気づいていたが、新米技能師を前線に立たせるのは上士たる者の主義に反する。

 

「俺が一気に片付ける」

 是枝は胸元の刃物差しから苦無を掴み上げた。

 左腕の袖を捲り上げ素肌に刃物を当てる。

 血触媒を用いて、持てる力と気の限りを尽くす。

 それでも敵わなければ、待っているのは死だ。

 

 刃を引こうとしたそこへ――

 

「我らにお任せを」

 新たな声と共に新たな手が、是枝の手首を掴んで止めた。

 手甲には、真新しい狼の銀板。

 

「何――……っ」

 前に立ち塞がったのは、只者ならぬ気配と殺気をもはや隠す気のない、男の背中。

 とても「新米は退がってろ」と口に出すのも憚れる。

 どう見積もっても「中身」は特士級だ。

 

「我『ら』?」

 是枝の疑問が解けるより前に、

 

「風神」

 迫り来る大蜥蜴の群れへと駆け出した男――紅鶴が唱えを発する。

天扇(てんせん)

 右腕を前方に振り払う。

 風が衝撃波となって蜥蜴の群れを一斉に押し戻した。

 

「竜の巣」

 続けて激しく巻き上げる竜巻が黒蜥蜴を引き裂き粉砕、一掃する。

 

「あれじゃまた再生す……なっ!?」

 是枝と出流の視界に、山裾――陽乃の背面側から天に昇る水の龍の姿が見えた。

 

「あれは水龍、か」

 彼らの知る「水術・水龍」と異なる事は、ただちに判明する。

 

 陽光を受けて煌めく透明な龍が、瞬く間に毒々しく濁った濃緑色に変化しながら急降下した。

 毒の龍はひび割れた荒田を舐めるように滑り、渦を描いて陽乃を取り囲む。

 痩せた体を纏う黒靄を足元から巻き込んで飲み込むようにせり上がった。

 

「きゃぁああ!」

 渦の中心からか細い悲鳴が上がる。

 

「打ち消されるぞ……!」

 是枝の危惧は即時に否定される。

 黒靄を(おお)い吸収していく毒の龍身に白黒の閃光が走り、墨壺(すみつぼ)を割るが如く黒龍に転じた――直後、凝固(ぎょうこ)

 黒靄の(ことごと)尽くが、凍りついた。

 

「一体どういう……」

「……何だこれ」

 是枝は口を開けて佇み、出流は素の口癖をこぼして目の前の事象を見上げる。

 

 凝固した黒い靄だった物質は、八方へ放射状に広がり緩やかな螺旋を描いて天を上向いていて、まるで開きかけた巨大な黒睡蓮のようだ。

 

「あ……ぁ……」

 その中央で、陽乃が震えて身を縮めていた。

 彼女を守る黒い靄は枯れ、呪具を握る手の中からも、溢れ出る様子は見られない。

 蜥蜴が生み出される現象も止まった。

 

「読みが当たりましたな、一師」

 山裾側へ向けて、紅鶴が声を掛ける。

 

「だと良いが」

 固まった黒睡蓮へ手を添え感触を確認しながら、紅鶴に呼ばれた青は是枝達の前に姿を現した。

 

「龍……」

 青の手甲に鎮座する神獣に、是枝の目が留まる。

 

「蜥蜴を(はら)む前に生じる隙を狙ってみた」

 面食らった様子の是枝に会釈を手向けてから、青は陽乃へ手を差し伸べた。

 

「陽乃さん、手の中にあるものを、こちらに渡して下さい」

「え……」

 

 黒い手甲に包まれた青の手から逃れるように、陽乃は身を固くして上背を引いた。胸の前で重ねた両手を、更に固く握り合う。

 

「渡してください」

「……いや……また、わたくしから子どもたちを奪おうというのですか……!?」

 愛おしいものを護るように、陽乃は青たちから手元を隠して半身を捩った。

 

「また?」

 疑問符を浮かべる青へ、

 

「おそらく薬入れだと思うが、中から幼子の指らしき物が……」

 是枝が声を忍ばせた。

 

「指……」

 青は眉を顰めた。

 

 子どもの体の一部を用いた毒物や呪物の生成手法は、確かに存在する。

 五大国間の技能師道においては禁忌とされていて、それが記された禁書は龍以上の最高位者のみに閲覧が制限されていた。

 

 五大国の協定法上においても禁じられているが、各地辺境や隔絶地域において、生贄の風習および、それに代わる人間の肉体の欠片を供物とする呪法等は未だに現存が確認されている。

 法軍人であれば一度は、任務においてそうした禁呪の取り締まりを経験するものだ。

 

「なるほど……だからか……」

 青は独り言を噛み潰し、改めて陽乃へ向き直る。

 

「陽乃さん。それを渡してください」

 いやいやと首を振り頑なに拒む陽乃へ、

「さもなくば、貴方を討たねばならなくなる」

 最終通告を突きつけた。

 

 陽乃は肉が削げて落ち窪んだ瞳を剥いて、振り向いた。

 濁った色の瞳孔が、化け物に怯えるように揺れている。

 

「渡すんだ」

 一段言葉を強めて、青は尚も手を差し伸ばした。

 

 ただの脅しのつもりではない。

 そもそもが、紅鶴の力を借りて呪具ごと陽乃を始末するつもりで突破口を探るために、高台へ上がったのだ。

 

 黒靄の隙を見出せたのは偶然で、トウジュが救った命への、最後の情けのつもりで賭けに出た。

 

「いや……いやです……緋炎(ひえん)……灯里(あかり)……おかあさまを助けて!」

 

 叫び声に応えるように、凍結した黒睡蓮に稲光が走った。

 

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