毒使い   作:キタノユ

92 / 119
ep. 47 野火の国(1)

 臙脂色の外套に身を包み、檀弓に身体を支えられながら炬法軍の隊列側へと力なく歩く薄い後ろ姿を、青は胸中にざわつきを覚えながらも見送るしかできなかった。

 

 炬の法軍が身柄を確保した以上、青たちが出張る理由はない。

 

 途中、檀弓の黒い瞳と視線がすれ違うが、額当ての影に目元を隠していることが幸いして交わることは避けられた。

 

炬紅(きょこう)軍の方々……、その女はどうなるのですか」

 

 壊れかけの農具を手にしたままの難民たちが口惜しそうに、通り過ぎゆく陽乃の姿を目で追っている。

 

 炬紅軍とは炬国内において法軍を差す言葉で、他国の法軍との呼び分けに用いられる。

 凪之国の守護神獣は水蛇で、炬之国の守護神獣は火鳥であり、炬の国鳥である炬紅鳥は炬法軍の紋章はじめ公の標章や旗印等の意匠に用いられている。

 

「新たな州侯殿のもと、改めて州法に則った処遇を決める事になる」

 

 炬法軍の代表者の男は、気が逸る人々に向けて片手を挙げて鎮まるよう促した。

 人々は代表者の口から出る「極刑」や「重罰」といった言葉を期待している。

 

「陽乃様、ようございました……! きっと新たな州侯様は公平なご判断を下されますよ」

 檀弓の声に、難民たちが刺すような視線を二人の主従に向けた。

 

 青には檀弓の一挙手一投足が、あえて人々の怒りや怨恨を増幅させようとする行為に映る。

 

 村を出た街道手前に、一頭立ての荷馬車が人足と共に待機していた。

 幌も敷物もない荷車部に二人の主従を乗せて、荷馬車は先んじて炬へ向けて動き出す。

 

 幾人かの難民たちが街道まで走り出て、苦々しい面持ちで、緩やかに遠ざかる馬車を見送った。

 

 青もその後ろから、荷台に座り檀弓に身体を預けている陽乃を見やる。

 トウジュと共に滴りの森へ逃げてきた時には幾分も理知的に見えた瞳が、今は生気を失い思考を放棄したように曇っていた。

 

 青は小さく首を振る。

 結局、どう行動するのが最善であったのか、侍女に命運を委ねたまま炬へ帰還する事が陽乃にとって幸いであるのか、分からない。

 

 青が陽乃を救う(すべ)を間際まで模索したのは、トウジュが救った命に意味を持たせたかったという私情でしかなかった。

 

「トウジュ……ごめん」

 覆面の下で、青は隣国で任務に励む幼馴染へ詫びを呟いた。

 

 

 炬の法軍一隊が去った後、青は紅鶴と鹿花と出流を伴い、蕨道に隠した蜥蜴の獣血人を回収に向かう。

 対妖獣用の眠り薬は効果覿面で、男は蜥蜴姿のまま横穴の中で熟睡状態であった。

 

「……」

 鹿花とは対照的に、蜥蜴の獣血人を目にした出流の反応はいたって冷静だ。

 獣血人を見た事があるのか尋ねてみると、

「い、いえ。話には聞いた事がある程度で」

 と言葉を濁される。

 深くは詮索しなかった。

 

「用心として追加しておくかな……」

 誰にともなく呟いて、青は再び針を抜き、草の上で伸びている蜥蜴男の脇に屈んだ。

 

「あの……一師」

「うん?」

 青の指が蜥蜴の首筋を触診している様子を、鹿花が上から眺めている。

 

「一師は、その、医療職のご経験がおありなのですか? ……あ! いえ、その、一師の素性を探っているのではけけけ決してありませんで、針の使い方がその、とても巧みですし、点穴とか的確に把握されているので、凄いなと感じたのでつい!!」

 

「薬術の甲を取得した時に学んだからね」

 さながら一人芝居のように話を進める後輩へ、青は小さく笑った。

 

 薬術の甲を取得する事で、凪の医療規定における「二次医術」に類する医療行為――例えば予防学や鍼灸治療など――の施術が許可されるようになる。

 

 表裏一体である毒術と薬術、双方の甲を取得している毒術師と薬術師は少なくない。

 

「や、やはり、そうなのですね、私まだ、薬術は乙の勉強中なので、甲まで頑張らなければ」

「……僕は毒術一級止まりでした。精進します」

「いいいい出流さんは戦闘が強くて、す、凄いと思います! 私は全くダメなのです。山火事未遂も起こしてしまうし」

「山火事??」

 

 十代の二人の、まるで学校の教室のようなやりとりを背中で聞きながら、青は追加の睡眠薬の投与を終えた。

 

「私、う、運動神経がからきしダメで……じゅ、術も得意とは言えませんし……勉学や研究が好きで技能師道を選択したのは本当です、でも、そこに逃げ道を見出していたのも、いな、否めず……ですから、一師の多才ぶりを拝見して、努力と創意工夫でいくらでもやりようがあるのだと、いま、猛烈に反省しているのです!」

 

 鹿花の熱弁を、男三人は半ば唖然と、半ば神妙に、見守る。特に青にとって鹿花の未熟さは、かつての自分と重なった。

 

「一師は、罠にもお詳しくて、幻術も式術も実用的に使いこなせて、投擲術も正確無比で、博識で」

 指折り数えて褒め言葉を挙げられるたびに、青はむず痒さを覚える。

 

「それに、陽乃さんに掛かっていた、あれは、呪術……でしょうか、それも見抜いて解呪してしまうし」 

「あれは……」

 少しの迷いの後、青は口を開いた。

 

「生贄や人体を用いた禁忌の術法に関する禁書を、機密書庫で目にした事があっただけだ。それに、使われていた指が実の子であれば話は違っていたはず。呪具に入っていたのは恐らく、他人の子の遺体からのものだろう」

「なんと!?」

「な、何故そうお考えに?」

 

 出流の問いが、鹿花と青の間に割って入る。

 僅かに声が揺らいでいた。

 

 いわく、生贄や人体の一部を媒介する呪術は「対象や依代にとってどのような関係性か」および「生体か否か」で威力や効力が変動する。

 蜥蜴の卵嚢となった黒靄を封縛した際に感じたのは、白兎ノ國の沼の妖魔とは数段も格が落ちる手応えだったということ。

 

 もし用いられた指が実の子のものであれば弱体化がせいぜいで、最終的には紅鶴の手を借り、呪術の依代となった陽乃ごと始末しなければならなかったかもしれない。

 

「私の解呪程度で事足りたのは、偶々だった」

 自嘲の粒子が混在した苦笑する青へ、

 

「……良かった」

 独言をこぼした出流は、口元を控えめに綻ばせた。

 

「一師、つまり緋炎と灯里の兄妹(きょうだい)は、生きているかもしれないという事ではないでしょうか。陽乃さんを死なせる結果とならず、僕は良かったと思っています」 

「そ、そう、そうですよね、そういう事、出流さんの言う通りですね、知見の広さのみならず、一師の最後まで諦めなかった気持ちですよね、感動しました!」

 合いの手を入れるように、鹿花が両手を一度鳴らした。

 

「……」

 青は返事に窮した。

 十代の後輩二人から思いがけず励まされて、胸の奥が仄かに疼く。

 

 自覚がない二人は「乗っかるなよ」「気が合うって事にしましょうよ」と小突きあっていた。教室での一場面のようだ。

 

「あぁ……えっと、薬が切れる前に、運んでしまおう」

 本来の目的を思い出し、青は足元に伸びた蜥蜴の獣血人を指し示した。

 

「――しょ、承知」

 長らく沈黙を守っていた紅鶴が、我に帰ったように動き出す。

 

 蜥蜴の姿を保ったままの男の身体を麻布で包み、はて、それをどう騒がれずに村の外まで運び出すか。

 

「再生している尻尾が長過ぎて隠れません……! それに重たいです!」

「叩き起こして、人間の姿に戻ってもらうというのは?」

「素直に従うとは思えぬ。尻尾をまた切断するしかありますまい」

「それはさすがに、失血死してしまう」

 

 四人の技能師たちはあれやこれやと議論を交わすのであった。

 

 

 炬法軍が去った後の村は、(しず)けさを取り戻していた。

 

 炬法軍一隊によってもたらされた報せによれば新たに立った州長が、国内の騒乱を平定したのち直ちに離散した難民を国へ帰還させる、との宣言を発したという。

 

「今しばらく耐えよ」という代表者の言葉に希望を見出し、今は陽乃ら旧体制の特権・支配者層への恨みつらみを募らせるより、奥ゆかしく日々を過ごす事が帰郷への近道であると悟った結果である。

 

 青含む四人の技能師らは、蜥蜴の獣血人を山から村へと運び出す事に成功――合議の結果、麻布で包んで固く縛り上げた後、丸太に見える幻術をかけて男三人で担ぐという作戦に落ち着いたのであった。

 

 難民たちの目を誤魔化して村の外へと運び出した後、法軍規定に則り滴りの森を管轄とする御巡《みまわ》り役へと、獣血人を引き渡す。いずれ中央庁の保安局に送られ、取り調べを受ける事になろう。

 

 侵入者の身柄を引き取った見廻り役が村を去った頃には、とうに黄昏時が過ぎていた。

 

 一段落してみれば、とてつもなく長い一日だった。

 滴りの森の難民村のあちこちでは、点在する焚き火が鬼火のごとく小夜風に揺れている。

 

 最後に青は、夜営における毒術師の立ち回りについて短い講義をし、蓮華とも相談の上で十代二人には就寝するよう言いつけた。

 

 法軍に属するすなわち法上の成人と見なされようとも十代の心身は未発達であり、その後の成長に大きく影響を及ぼすため然るべき配慮が必須である――とは、青が掲げる主義の一つだ。

 

 それは鹿花が見抜いた青の医療職の経験および、蓮華にも「特師と同じ事を言うのね」と指摘された通り、二人目の師ハクロの影響が多大にある。

 

 出流は「そのように言われたのは初めてです」と面食らい、一方の鹿花は「睡眠は何よりの栄養という事ですね!」と素直に従って早々に毛布に包まり焚き火の側でうたた寝を始めた。

 

 十代の二人の就寝を見届けた後、青は紅鶴と共に再び蕨道から山へ入った。稼働不能となった月岡上士はじめ救援隊に負傷者が出ているため彼らに代わり、警邏を買って出たのだ。

 

 夜通し警戒したものの新たな侵入者が炬側から入り込んでくる事はなく、山から降りる夜風が焚き火を揺らす音だけが、人々の寝息に重なった。

 

 

 こうして、想定外の出来事が九割を占めた、シユウにとって初となる研修は、朝日を迎えると共に幕を閉じる。

 

 青、紅鶴、鹿花ら毒術組は一足早く、再び滴りの森の転送陣から都へ帰還する。

 蓮華、出流(いずる)ら薬術師組はもうしばし村に残り、救援隊の補充員が到着するまで居残るという。

 

 転送陣を通り、青たちは都の大正門広場へと抜けた。

 春や夏には陽光を反射して輝く白い石畳が、冬の早朝は朝霜のように寒々しく映る。

 

 多数の転送陣堂が並ぶ広場は通常、内外の行き来も含めて無間断に人が行き交う空間である。

 だが冬の早朝は例外だ。

 

 白い息を吐き出すのは転送陣堂の守衛たち、任務に赴くもしくは帰還した法軍人らのまばらな人影に限られた。

 

「ではここで解散としよう。二人とも――」

 解散を前に、青が己の不手際を詫びようとする暇を与えず、

 

「こ、この度は本当に本当に、選んでくださったこと、か、感謝申し上げます!! とても多くの、大切なことを学ばせていただきました!! ぜひまたご一緒できるよう精進します!!!」

 

 空気が澄み切った冬の朝は、音がよく通る。

 転送陣の守衛たちが振り返るほどに声を張って何度も頭を下げながら、鹿花は名残惜しそうに何度も振り返り、法軍宿舎方面へと去っていった。

 

「最後まで元気な娘でしたな。一師、小生は――」

 

 チィ

 

 残った紅鶴が改まったところへ、両者の間に式鳥が舞い降りた。

 孔雀青の長い尾を持つ鳥――長の使いだ。

 

 黒い嘴に携えた文の内容は「帰還し次第、七重塔へ参上せよ」と、青と紅鶴の両者に命ずるものだった。

 まるで見張っていたかのように。

 

「……二人で?」

「はて」

 なぜ、この二人で。

 

 判然としないまま紅鶴と共に七重塔の長室へ出向くと、早朝にも関わらず長はすでに机に積まれた紙類に囲まれていた。

 

 霜柱やつららを彷彿とさせる極淡い青緑の長衣に、松の葉色の肩掛けを羽織っている。いずれも凪の冬を表す伝統色だ。

 

「朝早くからすまないね。そういえばシユウ一師の「初研修」はどうであったかな」

 両毒術師の挨拶に頷いてから、長は冗談をしかけるように悪戯げな笑みを両者へ向けた。

 

「えっ……」

 青は返答を詰まらせる。

「あの若造がようやく後進指導に動き出したようだ」と、技能師のお歴々を通じて水蛇草問題の騒ぎが長室へも届いていたという。

 

「実地で一師の該博な識見に触れる事ができましたこと、大変有意義なものでした」

 青より先んじて、紅鶴の明答が示された。

 過分とも思える重厚な褒め言葉にいたたまれず青が視線を伏せる様子を「ほう」と長が楽しげに眺めている。

 

「――その件に関連し、後ほどご報告すべき事があります」

 青は長外套の下で腰の道具袋へ手を差し入れた。

 中に、回収した二つの呪具が入っている。

 

「おそらく、同じ用件だろうね」

 一方の長は、積まれた書類の影に隠れていた直方体の箱を引き寄せた。金梨地の見るからに玉簡を封じた状箱と見受けられる。

 

「炬之国、篝の新州長から挨拶状が届いた」

 両名側に向けて、長の指が状箱を机上で滑らせる。

 

「あっ!」

 状箱の表面に配置された家紋と思われる意匠を目にした瞬間、青は驚嘆の声を抑え込む事ができなかった。

 

 金属板の平文(ひょうもん)加工で描かれているのは、正円の中に五方向へ放射する日足の紋様。

 

 二つの呪具に刻まれているものと、同じ紋であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。