毒使い   作:キタノユ

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ep. 47 野火の国(2)

 書簡の内容は、新州長就任に際しての挨拶と、今般の騒乱によって周辺地域ならびに諸外国へもたらされた損害や影響を詫びる文言が記されている。

 

 だが現時点においてはその内容より優先すべき異変が、目の前にあった。

 

「こ、これを……」

 青は状箱の隣へ、入手した二つの呪具を置いた。いずれも紋様が長の目から正位置となるように。

 

「……呑まれたか……」

 青からの報告を受け、長は静かなため息を吐き、視線を壁に飾られた万邦図(世界地図)へと向ける。

 自然と青も、長の視線を追った。

 

「炬の西南――そうだな、翡翠之國から見ればほぼ真南と言って良いだろう、黒緋(くろあけ)之國がある」

 

 東方の神通祖国――いわゆる五大国は五弁の花を描くように配置しており、凪の南南西側に国土が伸びる炬も、凪と同じく背面に西方を有する地理条件を有している。

 

 東方と西方を地理的に分断し境界線とする露流河を挟み、炬から最も近い西方の国にあたるのが、黒緋之國だ。

 

 凪之国と、翡翠ノ國。

 炬之国と、黒緋ノ國。

 

 凪の上層部において西方國との国交問題を議論する上で、この二国および二國は度々、比較の俎上に載せられる。

 

 凪は長い年月をかけ翡翠之國と小規模ながら交易を行い、持続的な友好関係を築いてきた。

 

 一方の炬之国と黒緋ノ國の関係は、黒緋側が不可侵とされていた露流河の境界を越え、東方への拡張を目論んだことから始まった。

 

「ここ二十……三十余年ほどであると思うが、露流河の下流が干上がり、一部で東西の境界が地続きとなった」

「露流河が……」

 

 青の記憶にある、翡翠ノ國への途に横たわる露流河の中流は、流れが緩やかであるがその川幅は広く、深青の冥色を映す水面はその水深の豊かさを示し、潤沢な水量を宿していた。

 

 下流の枯渇を招いた要因については明らかではないが、気候変動によるものか、火山帯の噴火に起因するものか、あるいは火龍の所業によるものか。炬の上層部では諸説が飛び交っているという。

 

「炬は西方の脅威に備えて、紅南耀(こうなんよう)の南方域の小国や里を強引に取り込んで戦略的拠点を構築している。そのような強硬策が近年の情勢不安を招いている一因でもあるから、うまくいかないものだね」

 

 紅南耀とは、五弁の花を描く五大国を基準に五つに地域を区切ったうち、花芯にあたる水海を中心として炬之国を含む南西域一帯を示す地名である。

 ちなみに凪を含む北西域一帯は水北燦(すいほくさん)と呼ばれている。

 

「前篝州侯は穏健派で、炬と黒緋の国交関係を和平路線へ転換できないものか、長らく模索されていた。彼がたびたび凪を訪問していたのは、凪と翡翠の外交関係を学ぶためだったのだが……その優しさにつけ込まれたのかもしれない」

 

 陽乃の父のことだ。かつての護衛任務騒動の時から、父侯は炬之国の行く末に心を砕いていたのだ。

 

「……」

 青は覆面の下で、唇を舐めた。舌先に伝わる錆臭さで、無意識に唇を強く噛んでいた事に気が付く。

 

 脳裏に浮かぶのは、侍女の黒い眼。

 

「陽乃殿を迎えに参じた炬軍の一隊、あれは正規の部隊ではなかったと見受けられますな」

「えっ」

 唐突な紅鶴の告白に、青は声を裏返した。

 

炬紅鳥(きょこうちょう)口信(こうしん)を行いませんでした」

 式や獣の口を介して、口伝する事を指す。

 

 これは法軍における共通礼法の一種であり、他国軍との合流時には、口伝が可能な式を先行させて到着を知らせることが慣例とされている。

 

「火急の事態故の失念はありえますが、そうであれば隊長から非礼を詫びる一言でもあるのが自然」

「言われてみれば……」

 

 秩序を維持するため、五大国軍間における規律や礼法の遵守は厳粛に励行されている。

「鳳、言を持たず」という諺が幼少教育の場にも伝わっているが、これは「威容を装おうとも、挨拶を欠く者は無礼者に他ならぬ」との意味を含み、語源は前述の軍儀からである。

 

 紅鶴いわく他にも些細な違和感はあったという。

 代表者の男を除く、部下たちの身につけた徽章に見合わぬ挙措動作の端々から、法軍の鍛錬と教育が行き届いていない様子が窺えた。

 

 なぜ今になってその話を、と口にしかけて青は飲み込んだ。

 収まりかけた場を再び乱すのは賢明とは言えず、相手が偽法軍であったとして、陽乃を庇護する義務が凪にはなく、交戦となれば凪側に被害が及ぶのは必然――ならば、黙して見過ごすことが最も理に適った判断である。

 

「あの侍従らしき女が偽軍の一味であるなら、陽乃殿は、篝州を内部から蝕むために利用されていたのでしょうな」

 

 紅鶴の言葉が忌まわしいほど、腑に落ちた。

 陽乃を連れ帰ったのは、まだ彼女に利用価値が残されているからであろうか。人々の憎悪を増幅させるための「装置」、呪術の依代として。

 

「これらは黒緋之國にも存在する、とある一族の紋だ」

 長の指が、執務机に並ぶ状箱と二つの呪具、全てに刻まれている紋を指し示す。

 

「チョウトクの調査によれば、黒緋之國は蜥蜴の獣人や獣血人が主な人口を占める地なのだそうな」

 

 五方向へ放射する日足は、蜥蜴の手を表していた。

 黒緋の蜥蜴族は、毒と呪いの術に長じているとされ、これは爬虫類族全般に共通する特徴であるという。

 

「いま、炬がどのような状況にあるか、分かってきたかな」

 長の指先が状箱の表面を叩くたびに、小さな音が響いた。所作に苛立たしげな影が差している。

 

「州の一つが、堕ちたも同然であると……」

 ためらいがちな青の答えに「そうだ」と断定の言葉が重ねられた。

 

「国を乗っ取られかけている、ということだ」

 常に泰然たる長の眉目に、暗澹(あんたん)たる影が射す。

 

「……」

 額当ての下、青のこめかみに冷や汗が伝った。

 

 姫君の他愛のない我儘から始まった護衛任務での騒動が、一国の存亡に関わる深刻な局面に繋がるとは、当時の青には想像もつかない。

 

「私は凪を守るためならば、何事も辞さない。凪に仇なす脅威はいかなる些細な予兆も悉《ことごと》く排除する手段をとる。例えば――」

 

 状箱を軽く叩いていた長の指の動きが、止まった。

 

「一師、君が成し遂げた要塞陥落任務について「過剰では」と疑念を抱く者たちがいることは承知している。君も含め」

「……」

 

 青は口を噤んだ。

 任務を遂行する以前の自分、もしくは今も心の奥底にこびりついていた迷いの残滓を見透かされたようだった。

 

「隣国の惨禍を知った今なら、理解できるはずだ。国を乗っ取られるとは、斯様(かよう)斯様なことだ」

 

 凪に同じ轍を踏ませる訳にはいかない――そのためにも、時に苛烈な手段を選ばざるを得ない。

 

 長の眼は「君にもその覚悟を持って欲しい」と青に強く訴えかけていた。

 

 

 結露する窓から、七重塔の敷地外へ続く庭と石畳が滲んで映る。

 そこに、重たい足取りで歩く青の後ろ姿が見えた。

 

 深い思案に沈む背中を見送ってから、長は(おもむろ)に紐を引く。

 帷布が降りて窓を塞ぎ、仄暗い室内に微かな卓上灯だけが燈った。

 

「『それ』を脱いでも構わないよ。赤鷹(せきよう)特士殿」

 部屋に残った紅鶴を振り返り、長は執務机の前へと回り込む。

 

「――では遠慮なく」

 促されて、赤鷹特士こと紅鶴は、頭巾と覆面を取り去った。

 

 まず目を引くのが顔の中央に走る大きな傷跡、そして短く刈られ逆立った赤茶の頭髪だ。

 その厳つさに反して栗鼠(りす)彷彿(ほうふつ)とさせる小動物のような瞳が、微量の愛嬌を添えていた。

 

「技能師の連中は年がら年中こんなものを着けたまま、よう動き回れるものだ」

 こんなもの、と紅鶴は脱いだ頭巾と覆面を懐に突っ込む。

 

「快適性を追求して素材にこだわった製品があるらしいよ。幻術を取り入れた発明品もあると聞いた」

「なんと。次回お会いしたら『一師』にご教示いただかねば」

 

 気の置けない調子で言葉を交わした後、

「それにしても」

 長は腰を軽く机に寄せて寄りかかりつつ、腕を組んだ。

 

「君が毒術の師道を歩むと面談に現れた時は、さすがに驚かされたな」

 当時の驚きを思い返しながら長は穏やかに笑う。刻まれた目尻の皺が、さらに深くなった。

 

 長室へ足を踏み入れた友へ「なんだ、隠居か?」と、思わず私情を声に出してしまい、技能職位管理官たちを呆れさせてしまった。

 

「お互い様だ、玄瑞(げんずい)。そなたが凪の長を継ぐと知らされた時の衝撃に比べれば、取るに足らぬものだろう」

 

 友二人は顔を見合わせ、静かに苦笑を交わす。

 

「それで『一師』はどうだった。『確認したき事がある。任務指名では不可能なことだ』と面談で言っていたな。目的は果たせたのか」

「良いのか、正直に語っても。そなたの気に入りなのであろう」

「評価はしているが、贔屓しているつもりはない」

 

 聞かせてくれ、と肩を軽くすくめて玄瑞こと長が発言を促すと、紅鶴は大きく息を吸った。

 

「若い! 青い! 未熟! これに尽きる。あやつめ首も腰も肝も据わっておらんくせに、生意気にも俺に説教を垂れおった。『技能師には技能師の立ち位置がある』とはよう言ったものだ」

 

 気安い友が毒気を交えて語るのを、長は面白げに、しかし黙して見守っていた。

 

「娘が己の命を削るほどの覚悟で鍛え上げようとした若者とは、いかなる者か。その真価を見定めようと思ったのだ。もし凡愚の輩であれば、拳の一つもくれてやるつもりでな」

 

 紅鶴の瞳に、卓上で揺れる灯が映った。

 

「くれてやったのかい」

「まさか」

 

 悪ふざけを()()ぜにした文句を吐ききって満足した後、紅鶴は口端を引き締めた。

 

「『該博(がいはく)な識見』、その言葉に偽りはない。有意義な機会であったのは紛れも無く本心だ」

「該博、か。君からそんな最大級の褒め言葉が聞けるとは」

 

 ふん、と鼻先で長の皮肉をいなしてから、紅鶴は己の手甲に装着された狼の銀板を一瞥した。

 

「不可解な、掴みどころのない気を漂わせる若者であった。異国の地にて、単独で幾百を屠る任務を完遂したと聞き、さぞ剛毅な猛者かと思ってみれば」

 

 待機所で出会った時はそのあまりに素朴な佇まいに、凡庸の徒と落胆を禁じえなかった。

 

 だがさほど時間を要せずとも、研鑽と鍛錬に裏打ちされた振る舞いから、彼の毒術師としての才覚は疑うべくもないと知る。

 

 若齢故の未熟さが端々で目につくものの、それもいつしか、(たす)け導いてやらねばという助成の念に変わっていった。

 

「娘が、いや『朱鷺応龍殿』が命を賭した理由が――腑に落ちた」

 

 無理を押さねば、あと幾許かは生を繋ぐことができたであろう、それでも娘は命を削りながら、毒術師として一人の若者を龍へと育て上げることに残りの生を費やした。

 

 道を貫いた娘は毒術師としての死を選び、人知れず生を終えていた。「朱鷺応龍」の遺品は全て技能職位管理局に回収され、「赤鷹特士の娘」は何ひとつ携えず無言の帰還を果たした。

 

 娘が遺した数少ない形見――それがシユウなのだ。

 

「あの若者は、今の毒術師道に必要な存在であるのだろうな」

 

 凪の毒術師道から麒麟が不在となってはや二十年が経とうとしている。

 毒術を志す者の数は減少の一途を辿り、今なお道に踏みとどまる若者たちも、不名誉な状況のもと肩身の狭い思いを余儀なくされてきた。

 

 そんな中、凪の技能師道における史上最年少の龍の誕生に、胸がすく思いであった者も少なくはなかったであろう。

 

「水蛇草の課題が掲げられた折、毒術の若者たちが躍起になって取り組んでいる様を、見た。ろくに姿を見る事さえなかった存在であるのに、誰もが「次代の麒麟」だと、祭りさながらの熱気だった」

 

 シユウと深く関わる機会をもぎ取るためには、意気盛んな若手たちを出し抜かねばならない。

 大人気なくも特士任務(本業)の合間を縫って課題の水蛇草を採取、本職の身分を利用して高位技能師の詰所へ直接駆け込んだ。

 

 幸いにも提出物を介して熱意がシユウに伝わり、対面を果たす事ができた。

 

「君の言う通り」

 長は深く肯く。

 

 麒麟が不在の今、道を示し、後進に志を抱かせる象徴が必要なのだ。

 

「毒や呪術に長けた西方の血族が炬で勢力拡大を続けていくのであれば、凪とて対岸の火事と看過することはできない。毒術の力が必要とされる事態に備え、彼には求心力となり後進の育成にも貢献してもらわなければならない。だからこそ――」

 

 腕組みを外して背を正し、長は友へ改まり向き直った。

 

「暗黒期にある毒術を諦めず、新たな龍を育て上げられた朱鷺応龍殿の功績、国長(くにおさ)たる身として、深く感謝申し上げる」

「……俺に言うことではなかろう。『朱鷺応龍殿』が覚悟をもって己で選んだ道だ」

 

 むず痒さを振り払うように、紅鶴は真新しい狼の銀板が光る手甲を外して頭巾の上から懐へ押し込んだ。

 

「『紅鶴佳師』はしばらく休業かい」

「目的は達成した。若者たちの席を奪うわけにはいかん。それに」

 

 代わりに特士の徽章が刻まれた手甲を両手に装着し、赤鷹は壁の万邦図を見やった。

 

「『赤鷹』であらねば成し得ぬことが、まだ残っているゆえな」

 

 ほう、と短い吐息とともに、長の瞳が安堵の色を帯びて細められる。

 

「君にはまだ、隠居されては困る」

「お互い様だ」

 

 帷布が覆う窓の外では冬晴れの陽が冴え冴えと、都を照らし始めていた。

 

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