なおTS要素はありません。逆転要素は六話くらいからです。
プロローグ
『百合に挟まる男は死ね!』
お隣の田中の兄ちゃんは単行本を握り締めながら時々そう叫んでいた。
脳が破壊される、なんてことも一緒に言っていたから、冗談半分で検査を勧めたら本当に受けていた。異常は無かったらしい。
嘘だろ、みたいな顔で先生に告げられたから大爆笑だったわとか誇らしげに語っていて、それを見る看護師さんの目はもうびっくりするくらい冷たかった。
『じゃあ女の子が男の子の間に入るのも死刑なの?』
『むっ薔薇か。薔薇はなー、俺の守備範囲外だからなー』
『えー、俺は何でも食べるぜバリバリーって前言ってたのにー』
『残念だがまだまだ俺のレベルが足んねぇ。でもまぁ、無しなんじゃね? 裏切られるのは誰だって嫌だしな……』
田中の兄ちゃんは寂しそうに天井を見上げ、まるで悲しき過去でもあったかのように決めていた。
でも知ってる。これプリンだと思ったら茶碗蒸しだったくらいの話だ。俺も看護師さんに負けないよう冷めた視線を送っていると、やがて似合わない格好つけをやめた。
『でもな耕太郎、たとえば晩飯がハンバーグだと思ってたのにピーマンの肉詰めが出てきたら、お前だってすげーがっかりするだろ?』
『……そうでもないよ? だって、どっちもあんまり食べられないし』
『あー、悪い。なんかもっといい表現あったよな』
誤魔化すような苦笑いとともに、骨ばった手で乱暴に頭を撫でられたことを今でもよく覚えている。
裏切り。きっとそれは人が一番してはいけないことで。信頼を踏みにじられた人が怒り狂うのは当然のことで。信頼が、愛が、期待が、気持ちが重ければ重いほど、その怒りの炎はどこまでも燃え上がっていくんだろう。
星も無い真っ暗な空の下、高い高いビルの上。そこから街を、怪物と戦う魔法少女達を見下ろしながら、俺は何度もした説明を傍らの相棒に今日も繰り返していた。
「だからね、俺があそこに混ざらないのは当然なんだよ。混ざると死んじゃうから」
「死」
「そう、死」
「死、死……」
目の前でぷかぷかと浮かぶウサギのぬいぐるみもどきは腕を組みながら、そのファンシーな見た目に似合わない言葉を咀嚼するように何度も呟いている。
この様子だと、残念ながら今回も俺の力説は届かなかったらしい。確かに自分でも八割くらい信じていない説だし、普通に頭のおかしい話だとは思う。
それでもこっちがあっちのファンタジーを受け入れた分、せめて二割くらいは聞き入れて欲しい。
「耕太郎、やっぱりその理屈はおかしいぴょん。男の子が女の子に挟まれるだけで死ぬなら、人類はとっくの昔に絶滅してるぴょん」
「らびらびの言いたいことも、気持ちも分かるよ。でも現実、俺の日常風景を見てれば察しない?」
「むむむっ。それを言われると弱いぴょん」
唸るように答えるらびらびは、これまでの俺との日常を思い返しているようだ。自然と釣られて俺も俺が、世界がこんな風になってからの出来事が脳裏に過ぎる。
見たこともない家族、訳の分からない怪物、魔法少女、減りに減った男。あとはよく飛んでくる鉢植え。よく交差点に突っ込んでくるトラック。よく遭遇する変態。
もはや恒例行事と化したあれこれを思う度、自然と目がどんどん遠くなっていく。
「……なんでまだ無事なんだろうね、俺」
「さあ……?」
「語尾付け忘れてるよ」
「さあぴょん……?」
独り言が漏れて、返って来た相槌に振り向くと、同じように遠い目がそこにはあった。そんな場合じゃないのに、二人して気もどこか遠くなっていく。
それを引き戻したのは腹の底に響くような怪物の雄たけびと、少女達の悲鳴だった。
「きゃああああああ!!」
「オーシャン!?」
一瞬遅れるようにして、アスファルトが砕けビルが崩壊していく音も聞こえる。いい加減ふざけてないで、もうそろそろ行かないと不味いかもしれない。
立ち上がって準備体操を始める俺を咎めるように、らびらびがご機嫌斜めな声を出した。
「耕太郎は過保護ぴょん。魔法少女である以上あれでも怪我一つしない、傷一つ残らないぴょん」
「でも痛いものは痛いし、怖いものは怖いでしょ」
「そうだとしても、それで覚えるものもあるぴょん。そして本当に危ない時は、そういう経験が一番役に立つぴょん」
「いやまあ、そういう意見もあるとは思うけども」
「今日みたいに耕太郎が助けに行けない日だって絶対あるぴょん。その可能性を無視して手が届く日だけ助けるのは、はっきり言ってただの自己満足ぴょん。それに、何よりさっき言ってたことと矛盾するぴょん。これも立派な、いわゆる挟まりに行く行為だと思うぴょん。大体前ならともかく、今は最初から一緒に戦えば」
「…………反論が思いつかないからスルーします!」
今からすることは、今までしてきたことは、まるっきり俺のエゴだ。らびらびに言われた通り黙って見守るのが、俺は手を引くのが一番正しい選択なのかもしれない。
でも俺はそれが出来ない、どうしても我慢が出来ない、逃げる自分を許せない。
そんな堂々とした敗北宣言にらびらびはクールに肩を竦める。
何それ、ウサギもどきの癖にハードボイルドっぽくて格好いい。感心する俺に気づいていないのか、無視したのか。らびらびは無反応のまま俺の肩に飛び乗った。
「行くなら早く行った方がいいぴょん」
「分かった。ならもう行くよ」
「そういえば、今日はどうしてわざわざ高いところに移動したぴょん?」
「上から見た方が色々見つけやすいし、あの子達からも隠れやすいし」
「道理ぴょん」
納得しつつ、らびらびは続きを求めている。まだ理由があることを見破られてしまった。
「あとは、こう」
「ぴょん」
「……高いところから飛び降りて現れるの、なんか格好いい気がするし」
らびらびの目はとても生温かった。
「ああ、もう。なんでもいいでしょ、とにかく行くよ!」
若干熱くなった頬を冷ますため、あの子達の手伝いに行くため、躊躇いなくビルから飛び降りる。
その途中、俺はまたしても肩を竦めているだろう相棒の重みを感じながら、この意味不明な日々の始まりを思い出した。