三月初旬の放課後、またしても俺は朝地の特訓のため、朝地家に訪れていた。
最近は特訓というより半分は、いやもうほぼ友達の家まで遊びに行く感覚になっているのだけれど。
とにかくその最中、ふと愚痴が言いたくなった。
「アラフォーでぴょんぴょん言ってるおじさんって気持ち悪くない?」
「……急にどうしたの?」
俺の唐突過ぎる悪口に、さすがの朝地も困惑を隠せていない。
それでも今日はこのまま聞いてもらおう。普段訓練に付き合っている分、愚痴ぐらいは聞いてもらってもいいはず。
言外の要求が伝わったのか、朝地は眉を八の字にしたまま続きを促してくれた。
「えぇと、そもそも誰のことなのかしら」
「らびらびのことなんだけどさ、いい加減あれ止めてもらおうと思って」
「あれって、語尾のこと?」
「それそれ。あの痛いキャラづくり、もう意味ないし痛々しいから」
「貴方にしては辛辣ね」
やたら珍しいものを見る目を向けて来る辺り、あんまり俺の感想にぴんと来ていない感じからして、朝地的にはどうでもいいことなんだろう。
でも俺的には困る。この間の一件、お母さんとのあれこれの間、らびらびがずっとまともに話していたから痛感した。
あれやっぱり変だよ。アラフォーのおっさんが素面で語っていいものじゃない。いつか何かしらの法に触れそう。
「ところで、そのらびらびを最近見ないけれど」
「なんか休眠中なんだって。ほら、あのやたら強い魔法使った反動で」
「……あんな魔法を使えた理由は、聞いた?」
「や、全然」
錯乱していたお母さんを眠らせた方はともかく、暴走するイデアを止めるために放った杭のような魔法。
あれは朝地達三人の合体魔法にも匹敵するほどの威力があった。多分、これまで戦った相手全てを容易く吹き飛ばすほどの力が。
これまで使わなかった理由はなんとなく分かる。お母さんの内的宇宙の中で語っていた反動、休眠のことがあるからだろう。
実際あれから一週間くらい経った今でも、らびらびは俺の前に一度も姿を現していない。
ただ、らびらびがどうしてあんな魔法を使えたのか。これはまったく分からない。
というかそれ以前に、昔聞いた話と全然違った。
「らびらびは大した魔法使えないって言ってたんだけどなぁ」
「……とても私が言えたことではないけれど、騙された時はもっと怒った方がいいと思うわ」
「俺だって怒る時は怒るよ。でも前にも言ったかもだけど、らびらびにも朝地にも隠し事はされてたけど、それで嫌なことされた覚えないし」
元々隠し事をされてばかりの、嘘を吐かれてばかりの人生だった。
いつか退院出来るから、なんてお医者さんに優しい嘘を吐いてもらったことは数えきれない。田中の兄ちゃんと鈴木の姉ちゃんの励ましもそう。
悪意的なものだと、自称神野家の使者からは妙な詭弁を何回聞いたか。
これは十歳頃に相続に関する選挙権、とやらをお父さんに放棄させられてからは一切なくなったけれど。
そしてそのアホのお父さんの、今考えるとどうせ余計なことを考えての隠し事も、果たしてどれだけあるのか。
だから経験豊富な俺からすると、朝地の嘘なんて可愛いものだ。基本誰かを、陽香さんや七海ちゃんを守るためのものだから、むしろ褒め称えたいくらい。
その良く頑張りました賞の朝地桜さんは、瞳を伏せながら何かを呟いていた。
「……これをお人よし、と言うには、さすがにもう」
なんか考察されてる。
右手を顎に回して考え込む姿は、まるでどこかの名探偵のようだ。
なお、左手は例のごとく特訓のため、今も俺と繋ぎっぱなしである。こんな探偵はいないか。
こんなシュールな光景をずっと見ていれば、疑問が生じるのも当たり前だろう。
「……ねぇ」
だからずっと黙って俺達を観察していた陽香さんが、じっとりとした声を出す。
そしてこたつにべったりと顔をくっつけながら、ジト目で俺達の手を睨んだ。
「なんで二人とも手繋いで話してるの?」
もっともな質問だった。
でも俺から説明するのは面倒くさい、じゃなくて、何か言い間違いをしてしまうかもしれないから、ここは発案者に回そう。
「さっき話した通り、世界を左右する超大事な特訓、らしいけど。よく分かんないから朝地に聞いて」
「姉さん、なんで?」
「特訓よ」
「答えになってない!」
朝地にしては雑過ぎる説明に、陽香さんが吹き上がる。
今日特訓現場に遭遇して以来ずっとこんな感じ、陽香さんはやたらと不機嫌だ。
最初の頃は面白がっていたけれど、最近は飽きたのか、俺達の妙なやり取りを見かけてもスルーするぐらいだったのに。
それを、放置されて二人きりになるのを見込んで、俺は今日朝地に世界のあれこれを聞くつもりだった。
七海ちゃん曰く、流れ星に捧げた願いをイデアが叶えたことで、この世界の俺は時枝家に引き取られた、とのこと。
そして朝地もまた何かの願いをイデアに叶えたもらったと、この間言っていた。
その中身はなんとなく分かるからいいとして、そもそもこの世界はなんなのか。
今もイデアを管理している、元の世界の記憶を持っている朝地なら、間違いなく知っているだろう。
だからこそなんて目論見は、陽香さんの心変わりでこうして粉砕されたのだけれど。
正体を知られた時の反応からして、どうもこの類の話は陽香さんの前では出来ないらしい。
でもまあ、世界がどうとか割と今更感あるし、焦って聞くほどのことじゃないはず。秘密にしておいた方がいい謎もあるはず。
何より、とりあえず喫緊の課題は目の前のぷんすこ陽香さんだ。
そんな逃げから生じた言い訳で自分を誤魔化し、涼しい顔でお茶を飲む朝地の代わりに声をかけてみる。
「まあまあ。朝地にも考えが」
「耕太郎さんも耕太郎さん! いくら姉さんのお願いだからって、そんなべたべた触らせちゃ駄目じゃない! 男がそういうことすると、女は変な勘違いするんだから!」
「うっす。すんません」
矛先が俺に向いた。しかもヒートアップした。藪蛇だった。
こうなると、あえて放置した朝地の方針が正しかったのかもしれない。さすが姉。
それでも俺は諦め切れず、ついつい食い下がってしまう。
「陽香さんの言うことは分かる。でもほら、これ見てこれ」
繋いだままの手を、続けてアホを見る目を向けてくる朝地を指差す。
「手を繋いでるのに朝地のこの仏頂面! まさに特訓の成果が出てるよね」
「呆れた。絶対違うでしょ。だってそれ」
けれど陽香さんは成果を認めず、大げさに肩を竦めて溜息を吐く。
そして、とてつもなく鋭い指摘を突き付けた。
「男が平気になったんじゃなくて、耕太郎さんが平気になっただけじゃない!」
だから結局納得させるどころか、俺と朝地の方が目を見合わせることになった。
翌日の放課後、やたらとある空き教室の一つに連れて来た財前に向かって、俺は早速手を合わせた。
「という訳で財前、よろしく」
「何がという訳なのかは分からないが、分かった。僕でよければ手伝おう」
「さすが財前、ありがとう」
眼鏡を光らせる財前の度量は今日も大きい。
説明もしないまま連れて来ていきなりお願いしたのに、こうも鷹揚に頷いてくれた。
なので同じく一緒に来た朝地にアイコンタクト、無事改めて許可を貰えたので、事情を簡単に説明する。
朝地が実は男子が苦手なこと。そのための特訓を俺としていたこと。現状どれだけ克服したか確かめるため、財前の力を借りたいということ。
全て聞き終えた財前は、腕を組みながら納得したように頷いた。
「なるほど。通りで僕を見る目がいつも冷たい訳だ」
「それは昔財前が股をたくさんかけてたせい、えっと、あれって何股だったっけ?」
「掘り返さないでくれ。僕も反省している」
八だか九だった気はするけれど、今の財前は股どころか誰とも付き合っていない。いい加減もう弄るのはやめておこう。
「それで、僕は何をすればいい?」
「……そうね。とりあえず、後ろを向いてそこに立っていてもらえるかしら」
「分かった」
お願いされるまま、財前は振り返った。
それにしても、こうしてしみじみと後ろ姿を見て見ると財前は背が高い。百七十後半はありそう。羨ましい。俺も牛乳飲めば今からでもいけるかな。
そんな呑気なことを考えているのは俺だけで、隣に立つ朝地は深呼吸を繰り返していた。
普段は割と平気に接していた覚えがあるけれど、いざ意識すると財前相手でも緊張するらしい。
それでもやがて朝地は一歩踏み出して、徐々に進んでいく。
「……ふぅ」
そして数秒後、重い苦難を乗り越えたように息を整えながら、足を止めた。
「今は、ここが限界ね」
「二メートル」
だいぶ距離がある。
俺のそんな感想をよそに、朝地は少し硬い声で次のお願いを口にした。
「財前、次はこちらを向いてくれる?」
言われた通り、財前はゆっくりと振り向く。
若干緊張はしているかもしれないものの、それ以外とりわけ特筆することもない、いつもと同じ財前の顔だ。
「ごめんなさい。財前は悪くないのだけれど、顔を見ると、どうしても」
だけども目が合うと、朝地は数歩退いた。
「これは、聞いて想像したよりも、はるかに重症のようだ。朝地、病院には」
「……こんな風になってからは、色々なことがあって、一度も」
「どんな風であれ、僕としては行くべきだとは思うが」
俯く朝地をさりげなく財前は観察し、そこで一度口を閉じる。
それから数秒ほど視線を彷徨わせた後、今度は俺をじっと見つめた。
「時枝のことは平気なのか?」
「ええ、まあ」
ちらりと目線を送られたから、求められるまま近づいてみる。
一歩二歩三歩。ずんずん進んでもまったく止められないし、朝地も平然としている。
誰も何も言わないから、肩と肩が触れそうな間合いで自分から足を止めた。
「こんな感じ」
「……ええ、まあ、こんな感じ」
というか実際、朝地がちらちらとこっちを見たから、その動きで何回か接触した。それでも朝地は特に反応しなかった。
財前からすれば面白くない、気に障る光景だったかもしれない。なにせ、さっき自分はあんな反応をされた訳だし。
けれど、やっぱり財前はさすがだった。
不愉快な様子など一切見せず、極めて真剣な眼差しを維持しながら、その目に相応しい口調で語る。
「僕は医者じゃない。そうなる前の朝地のこともよく知らない。だからこれは、あくまでも参考として聞いて欲しい」
そう前置きした後、財前はふっと笑みを零した。
「心配せずとも、朝地は回復傾向にあるはずだ」
「……そう、なのかしら」
「僕はともかくとして、時枝のことは平気なんだろう? なら問題ない」
更に強く断言した後、言い含めるように続ける。
「どんなものであれ、辛い思いをすれば似たものには警戒するようになる。偏見、と言うのもどうかとは思うが、色眼鏡を向けるようになる。それは誰でも、僕であっても同じだ」
「財前にもそういうのあるんだ?」
「僕は生牡蠣と神野家が、故人に言うことじゃないが、特に雷蔵様が怖い」
「……な、なるほど」
財前は身震いしていた。
あの財前にここまで恐怖心を植え付けるなんて、お父さんはいったいどんな悪行をしたんだろう。超田舎だったお母さんの故郷、因習村をわざわざゴルフ場に変えるとかいう奇行からして、もはや何をしていてもおかしくはないけれど。
俺がお父さんの奇妙な行動に思いを馳せている間も、財前は語り続けてくれていた。
「だが朝地はこうして時枝と友好を深めている。つまり、己の中の恐れと偏見を乗り越え、時枝自身と向き合えたということだ。これを克服と言わず何と言うんだ」
強く断言する様子に、つい感想を漏らしてしまう。
「今日の財前、やけに頼もしいね」
「それほどでもない。僕はただ、言うべきことを口にしているだけだ」
口にはしないけれど、頼もしい上に格好いい。田中の兄ちゃんをちょっと思い出す。
「……」
そしてそれは、田中の兄ちゃんはともかく、朝地も同じことを感じたのかもしれない。
朝地は少しの間躊躇ったものの、いつしか一歩、財前の方へ踏み出した。
「今は、これくらいなら、平気かもしれない」
「光栄だ」
陽香さんの推察は半分正しくて、半分間違っていた。
朝地が慣れたのは確かに俺だったけれど、それ自体が成長の証と言える。更には別の人、財前ともこの通り、少しは仲良くなれた。
だからきっと、朝地の心はどんどん良くなっていくはず。
なんていい感じに終わりそうなところで、突然教室の扉が勢いよく開け放たれた。
「遅れてごめん! ちょっと準備に時間かかっちゃった!」
下手人はもう一人の助っ人、予め事情を伝えていた前野さんだった。
前野さんなのはいいんだけど、格好が問題、というよりはおかしい。
「……前野さん、その格好何?」
「学ランだよ! 演劇部の友達にお願いして貸してもらったんだ」
かっちりした黒い詰襟と鈍く輝く金のボタン。言う通り、紛れもなく学ランだ。
まあ、うん、なんとなく、前野さんの考えは分かる。
学ランは男の象徴のような服装だ。漫画なんかでも、THE漢、みたいなキャラが大体着ているような印象がある。
だからこの服を着てジェネリック男子として接することで、朝地の特訓をしてくれるつもりだったんだろう。
しかし、自慢げに胸を張る前野さんの袖は駄々余りしていた。ついでに裾も。
よって有体に言えば、お兄ちゃんの制服を着た小学生の妹くらいにしか見えない。
「これで私も桜ちゃんの特訓を手伝えるよ! じゃなくて、手伝えるぜ!」
しかも男子のエミュ精度が悲しいくらい低い。一応俺とか財前のこと、毎日見てるはずなのに。
ただ、霞みたいなその演技力を、さっきの酷評も一緒に脇に置いておくと、コスプレとしてはよく出来ている。
顔が整っているから服自体は何でも似合うし、だるだるの袖や裾もそういうものとして見ればとても愛嬌がある。
そしてどうやら、これは朝地の琴線に触れてしまったらしい。
朝地は超早足で前野さんに近づくと、速攻で腕の中に引き込んだ。
「わ、え、えっ、さ、桜ちゃん?」
「……」
「あ、あのー、もしもーし?」
そのまま前野さんを強く抱きしめながら、朝地は妄言を繰り出す。
「時枝」
「うん」
「これはもう、克服したと言ってもいいんじゃないかしら」
「んな訳あるかい」
たとえ学ランを着ていようと、前野さんはれっきとした可愛い女の子である。いくら抱っこ出来ても何の証明にもならない。
朝地桜さんは真面目でクールな顔のまま、時々こんな、とんでもない天然ボケをかます人だった。