ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第十五話「七海ちゃん師匠」

 魔法少女の説得に失敗していくらか経って、今日は週末休みの日。俺はリビングで七海ちゃんに思い切り平伏していた。

 

「それでは七海ちゃん師匠、本日はご指導のほどよろしくお願いします」

「うん、あっう、うむ」

 

 七海ちゃんは腕を組んでから大げさに胸を張り、どこか大仰に頷いた。これが七海ちゃんなりの師匠感らしい。なんか巨匠っぽい。

 

 さて、何故俺が唐突に七海ちゃんを師匠などと呼んだのかと言えば、それは時枝家が抱えているとある大きな問題を解決するためだ。

 

 その問題とはずばり。

 

「今日は兄さんに、家事を教えればいいんだよね」

 

 七海ちゃんヤングケアラー問題である。

 

 この家に父親は存在しない。そして母親の葵さんは稼ぎ頭、しかも弁護士という激務に臨んでいる。

 

 いつも朝は俺達よりもずっと早く出て、帰りは夕食に間に合わないことも多い。一番遅い時、昨日なんかは帰りを待つ七海ちゃんが、それに付き合った俺もうつらうつらとするほどに遅かった。とても家事をする余裕なんてない。

 

 だから手の空いている七海ちゃんが家のことをするのは、ある意味ではしょうがないのかもしれない。しょうがないのかもしれないけれど、ちょっと飲み込みにくくもある。

 

 けれどもそこに戻って来たというか俺的には色々生えて来たというか、とにかく暇そうな男が一人、つまりは俺が最近この家に追加された。

 

 俺も最初の頃は家事を気にする余裕なんてなかったけれど、今は魔法少女関係以外順調、学校だって無事に通えている。そろそろ新しいことに手を伸ばす時期だ。

 

 現時点では家事の家どころか一画目すら覚束ない雑魚ではあるものの、上手く鍛えてもらえればいないよりはマシになるだろう。

 

 そういう訳で七海ちゃんの負担を軽くするため、おまけで俺の好奇心を満たすため、今日は七海ちゃん師匠にご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いしていた。

 

「兄さんはどういうことがしたい?」

「興味自体は料理が一番あるんだけど」

「けど?」

「七海ちゃんのご飯美味しいからなー。変に覚えると、七海ちゃんの作ったやつ食べる機会減っちゃう気がして」

「え、えへへ、そっか、うん、そうなんだ。じゃあ、別のにしよっか」

 

 七海ちゃんはテレテレしていた。

 

「あとは、掃除とか洗濯とか?」

「……洗濯は、ちょっと」

「あー、うん。了解しました」

 

 七海ちゃんはもじもじしていた。

 

 服とか下着とか男の俺に触られたくない、見られるのも嫌なものがあるからだろう。

 

 娘が最近冷たいとか患者さんや病院の先生もよく嘆いていた。そういう類のあれだ。

 

 この色々とズレた世界でその辺の感覚がどうなっているのかは分からない。でも少なくとも七海ちゃんは気まずそうにしている。だからここはさらっと流そう。

 

 流そうとしたけれど、何故だか七海ちゃんの方から上目遣いで深掘りしてきた。

 

「兄さんは、恥ずかしくないの?」

「全然」

 

 迷いのない返事に訝しげな表情を返されたから補足する。

 

「ほら俺ってずっと入院してたからさ、検査も色んな種類を結構受けてたんだよ」

「検査って、えっと、レントゲンとか?」

「そうそう、そういうの。それ以外でもたくさんの先生に身体の中身までじっくり観察してもらってたから、今更肌とか着てたもの見られたぐらいじゃなーって」

「???」

 

 補足はしたものの、七海ちゃんは理解に苦しんでいた。

 

 自分でもそういう問題じゃないだろうとは思うけれど、実際気にならないんだから他に言いようもない。見て喜ぶのも見られて恥ずかしくなるのもあまりピンと来ない。

 

 よってこれ以上の説明は無理。話を進めて流すため、不思議そうに何度も首を捻る七海ちゃんに修業の催促をした。

 

「とにかく、それじゃあ掃除のレッスンをお願いします、師匠」

「う、うむっ。今日は、えぇっと、そう、奥義を授けるから、心して聞くようにっ!」

「展開が早い」

 

 思わずしてしまったツッコミに、七海ちゃんは拗ねたような口ぶりで

 

「もうっ」

 

 といつものように呟いた。やっぱり口癖なんだそれ。

 

 

 そんなこんなで七海ちゃん師匠から掃除機の使い方を教わったり、風呂掃除の教導を受けたり。途中昼食を挟みつつ、家のあちこちで七海ちゃん師匠から教えを授かり続けた。

 

 こうして一通り終わったところで休憩、二人でお茶を飲みながら達成感に浸る。

 

「やってみると掃除って意外と楽しいね」

「兄さんも? 汚れが落ちると嬉しいよね」

「うん。すっきりして気分がよくなった」

 

 特にピカピカのシンクはとてもいいものだ。師匠から受けた指導の下成し遂げた成果を思い出す。また今度やらせてもらおう。

 

「さて、次の汚れはどこだー」

「……あとは時間のかかるところばっかりだから、家の中だともうない、かな」

「くっ七海ちゃんの仕事が丁寧だから。いつもありがとうね!」

「ど、どういたしまして?」

 

 実際掃除をしていても埃は少なかった。

 

 ドラマなんかでたまに見る嫌がらせ、棚とかで指をつーっと滑らせても汚くはなかった。意地悪な姑相手でも七海ちゃんなら撃退出来るだろう。

 

 その見事な仕事は素晴らしいものとしても、おかげで俺の迸るやる気が行き場を失ってしまった。このままだと俺は意味もなく机を拭き続ける妖怪になりかねない。

 

 まだ人間でいたい俺は光明を求め、七海ちゃん師匠に縋りついた。

 

「師匠、他にやること何かない?」

「えっと」

 

 うんうんと七海ちゃんは師匠らしく俺の要望に頭を悩ませている。ふざけすぎたかもという罪悪感が内心過ぎった。

 

 されど師に教えを請うた弟子として、今更俺は退くことなど出来ぬ。俺の頭は弟子モードを脱していなかった。反省が足りない。

 

 こんな馬鹿になった思考は幸いバレず、そして更に幸運にも七海ちゃんは何か思いついたようだ。はっと顔を上げた後、おずおずと控え目な口ぶりで提案してくれた。

 

「それじゃあお買い物、とか」

 

 

 

 そういう流れで出かけた先は近所のスーパー、店名はタルカリ。不思議な名前だった。

 

 七海ちゃんが言うには、ここは野菜が安い上に新鮮らしい。逆に魚介類はいまいちだとか。時枝家の家事を一手に担う七海ちゃんはスーパーの目利きにも詳しい。

 

 ちなみに道中は特に何も飛んで来なかった。やっぱりあれは一人の時だけ、らびらびは妖精もしくは畜生だから除いて、俺だけの時に起きる現象なのか。

 

 植木鉢ストームに関する適当な考察を頭の隅で重ねつつ、興味本位で周囲を眺める。

 

 自動ドアをくぐってすぐ、目の前には買い物カゴが高く積み重ねられている。その横にはそれを載せるためのカート。壁に所狭しと貼られたチラシは今週の特売をアピールしている。今日は即席ラーメンが安いらしい。

 

 相も変わらず俺は世間知らずだ。普通の人なら飽きるほど見ているだろうこの光景も真新しい。おかげでつい感想が零れ落ちる。

 

「ここがスーパーかぁ、初めて来た。ここもテレビで見た通りなんだね」

「えっあっそっか」

 

 手慣れた素振りでカゴを取り、カートに設置した七海ちゃんの声が三転した。疑問、気づき、納得というところだろう。

 

 どうも七海ちゃんは時々、俺が白い箱入りだったということを忘れている節がある。この感じからしてやっぱり、記憶がどうこうする前の俺達は仲が悪かったんだろうか。

 

 探ってもしょうがない疑問は放り投げ、何か迷っている七海ちゃんの横に戻る。

 

 なんだろうと聞く前に俺とカートを何度か見比べた後、七海ちゃんの方から一応とばかりに聞いてきた。

 

「カート、持つ?」

「もちろん」

「もちろんなんだ……」

 

 触ったことがないものは触ってみたい。そのためには若干の呆れなど全て無視する。

 

 尊厳の代償として手にしたカートは中々のものだった。ころころと転がるタイヤの音と手に伝わる振動が心地よく面白い。

 

「ママ―、あたしに押させてー!」

「はいはい。いいけどちゃんと周り見てね」

「はーい!」

 

 ちょうど横を通り過ぎた子供が親にせがむのも納得だった。俺はもしかして七海ちゃんに似たようなことを言ってたのか。納得以上になんか恥ずかしくなってきた。

 

 耳が赤くなる前に誤魔化そう。適当に辺りを見回し、ちょうど気になった物に近づく。

 

「このバナナ、ブラジル産だって。びっくりするよね。人類の叡智を感じる」

「え、叡智? 急にどうしたの?」

「だってさ、色んな国からこんな一か所にこれだけの種類の食べ物が集まってるって凄くない? サバンナじゃありえない光景だよ」

「どうしてサバンナなの?」

 

 理由は特にない。強いて言うなら余裕がなかったから戯言を言っているだけだった。

 

 サバンナはともかく、実際俺としては圧巻の光景だった。食べたことのあるもの、ないもの。見たことがあるもの、ないもの。数え切れないほどの商品が並んでいる。

 

 野菜や果物、肉などの生鮮食品だけでこれだ。この先にはお菓子やパン、惣菜なんかもあるらしいから、スーパーというのは本当に凄い。冗談で言った人類の叡智もまんざら間違いではないような気がしてきた。

 

 そうやってあちこち目移りしていたから、角を曲がって来たカートとぶつかってしまう。

 

「あっと、ごめんなさい」

「すみません、こちらこそ」

 

 反射的に謝ると向こうからも丁寧なものが返って来た。不幸中の幸いか、変な人には当たらなかったようだ。

 

 いや、幸いとか言ってる場合じゃないな。これがもしさっきの子供だったら大事故。大怪我をさせていたかもしれない。いくら楽しくてもちゃんと周りを見て歩かないと。

 

 深く反省し改めて謝ろうと相手を見た俺は、向こうも驚きに目を見開いていた。

 

「貴方、時枝、どうしてここに」

「おお、朝地だ。こんにちは」

「……こんにちは」

 

 挨拶は謝罪ほど明瞭に返してもらえなかった。気まずさと動揺が顔にも口調にも表れている。カートから咄嗟に手放した右手は、自分のスカートを強く握り締めていた。

 

 この間のバスケの時から薄々察してはいたけれど、どうやら朝地は俺に思うところがあるらしい。それも恐らくは苦手意識のようなもの、多分嫌われてる、までは辛うじていかないくらいの。

 

 初対面からこうだったから俺が生理的に無理なのか、それとも何か気に食わないところでもあったのか。今のところ心当たりはない。

 

 どうするかなと向こうも悩んでいそうな俺達とは違い、一緒にいた年少二人は今日も仲良しだった。

 

「陽香ちゃんもお買い物に来てたの?」

「ええ、姉さんと一緒に夕飯の買い物。七海こそ耕太郎さんとデート?」

「で、でで、デート!?」

「冗談。そういう変な反応ばっかりしてるから、いつも誰かに遊ばれるんじゃない?」

「いつも遊ぶ陽香ちゃんが言うことじゃないよ!」

 

 内容はさておき、本当に仲がいい。

 

 このまま俺達が気まずい空気を保ってしまえば、いずれあの子達も気づいてあれは壊れてしまうかもしれない。とりあえずこの場は適当な話題で乗り切ろう。

 

「二人で買い物って、妹さんと仲いいんだ」

「これくらい普通よ。大体そういう貴方だって七海と来てるじゃない」

「俺は師匠に同行させていただいているだけだから」

「師匠?」

 

 妙な言葉に朝地は引っかかったようで、単語だけで聞き返して来る。

 

 これも会話のきっかけということで、俺は今日のことを出来るだけ七海ちゃんを立てて語った。師匠のことはいつでも高く高く持ち上げよう。

 

 全てを聞き終えた朝地は一言、感心なのか呆れなのか、息を漏らしてから呟く。

 

「殊勝なことね」

「一応時枝家のお世話になってる身だから、多少はね」

「……」

 

 沈黙で返されてしまった。しかも眉まで顰められている。何か変なこと言ったかな。

 

 またしても気まずくなりかけた空気をかき分け、陽香さんが俺の持つカートの中を覗き見た。

 

「あら、まだ空なの?」

「陽香、はしたないからやめて」

「これくらいいいでしょ。それで耕太郎さんたちは何を買いに来たの?」

「師匠、何買うんだっけ?」

「師匠?」

 

 陽香さんも姉と同じ反応をしていた。傾ける顔の角度までそっくり、姉妹というのはそういうところまで似るらしい。

 

 今回の説明は朝地に丸投げし、何を買うのか完全に忘れたから七海ちゃん師匠に確認する。

 

「絶対なのは、こんにゃくと厚揚げ。今日はおでんにしようと思ってたのに、朝見たら冷蔵庫になかったから。お母さんが昨日おつまみにしちゃったみたい」

「らしいです」

「……メモぐらい取って置けば?」

「確かに」

 

 朝地のツッコミはもっともだった。今度からそうしよう。

 

 一つの学びを得た後、なんとなくの流れでこのまま四人で買い物を続ける。朝地は一瞬微妙な顔をしたものの、七海ちゃんと言葉を交わす陽香さんの顔を見てそれは飲み込んだようだ。

 

 妹を想う姉の鑑だ。恐らく原因だろう俺が言うことじゃなかった。

 

「時枝家はおでんだったけど、朝地家のメニューは?」

「うちはカレー。凄く辛いけど、母さんのカレーは凄く美味しいの、恐ろしく辛いけど」

「二回も言った。辛口かぁ、食べたことないなー」

 

 病院のカレーは甘口だったしそもそも辛い物、刺激物の類はほとんど出てこなかった。そしてこれまで七海ちゃんが作ってくれた料理にもそういうものはなかった。

 

「辛いのは駄目」

 

 だから出してみた希望と催促をこっそり混ぜた相槌は、七海ちゃん史上最強最速の勢いで叩き潰された。

 

「あのね兄さん、辛いなんて味はないの。あれは痛覚なの。舌が刺激されたのを頭が勘違いして味だと思ってるだけなの。お腹も痛くなるし涙も出るし、食べてもいいことなんて何もないの」

「あっはい」

 

 しかも圧も強かった。七海ちゃんは辛いものが嫌いらしい。作ってもらうのは諦めよう。

 

 途中そんな一幕があったものの、買い物自体は滞りなく進んだ。三人も人の目があったおかげで俺も誘惑に負けることはなかった。俺一人だったらあちこち見て回るだけで一時間はかかっただろう。

 

 こうして無事に買い物を終えた別れ際、惜しむように話を続ける七海ちゃん達から隠れて、朝地が密かに声をかけてきた。

 

「時枝、貴方は」

 

 朝地はそこで言葉を止め、何かを探すように伏せた瞳で視線を揺れ動かす。何か思うところがある、言いたいことがある、ということだけは伝わった。

 

 一秒、二秒、とんで十秒。そこからいくら待っても続きは出てこない。いい加減催促してみようかな、という俺の考えよりも朝地が取り消す方が早かった。

 

「……なんでもない。葵さんによろしく言っておいて」

「分かった。じゃあまた学校で」

「ええ」

 

 さっきまでの迷いを振り切るように、朝地はそのまま陽香さんを連れて歩き去った。そして妹とは違い、こちらに振り向くことは一度もなかった。

 

 いったいなんだったろうな、あれ。話そうとしたのは俺が苦手な理由か、それとも苦手だから話せなかったのか。

 

 浮かんだ疑問は頭の片隅に置いておく。必要ならいつか分かるし、不必要ならこのままでいい。俺と朝地は七海ちゃんを抜きにすればただのクラスメイトなんだから、無理に理解しようとしなくてもいいだろう。

 

 七海ちゃんも俺達のやり取りを最後の方だけでも見てたのか、二人の背中を見送りながら不思議そうに聞いて来る。俺も分からなかったし、お茶を濁しておこう。

 

「桜さんどうしたの?」

「七海ちゃんがおでんのからしを許すかどうか気になるから聞いといて、だって」

「絶対駄目です」

「駄目かー」

 

 七海ちゃんは筋金入りだった。




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