ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第十八話「それくらいで」

 右肩に穴を開けられてから一夜明け、ベッドの上で俺は一人反省会をしていた。

 

「やっちまったなー」

 

 実際怪我したのは、痛い思いしたのは俺なんだけど、あれくらいなら慣れてる。

 

 それにその場でオーシャンに傷は治してもらえたし、鏡で確認したら傷跡すらなかった。おかげで一晩寝たら特に気にならなくなった。

 

 ただ、怪我はともかく、あの時のクリアシャインの様子は脳裏に焼き付いたままだ。

 

 あの子からすれば俺が魔法少女でも、仮にヒューマンレギオンでも血は流れないはずだった。

 

 にもかかわらずその刃は肉を抉った。危うく人を殺しかけるところだった。だからあの子は、あそこまで震えてショックを受けていた。

 

 たった三回しか会っていない。会話もあまり出来ていない。それでも、クリアシャインが正義感のある優しい子ということくらいはなんとなく分かっている。

 

 そんな子が人殺しになりかけたのだから、いったいどれほど傷ついてしまったのか。

 

 いっそ俺が先にあの子を倒すべきだったのか。でもそれじゃ信用なんてしてもらえる訳ないし、そもそも女の子に手を上げるなんて出来ないし。

 

「あー、もう。やられた側なのにもやもやするー」

 

 ひとしきりゴロゴロとベッドを転がった後、枕元に置いていた懐中時計を持ち上げる。

 

 いつもは戦い終わった後らびらびが回収するこれも、まだ今日は俺の手元にあった。

 

「らびらびもあれから出てこないしさー。あいつ本当説明不足だよなぁ」

 

 別に俺が痛い思いするのはいいんだけど、それでどうなるかくらいは想像して欲しい。

 

 せめて攻撃くらったら普通に死ぬよ、とか事前にらびらびが言ってくれていたら、俺だってもっと本気になって。

 

 いやこれも言い訳、情けない責任転嫁だ。多分結果は変わらなかったし、何より男らしくないからやめよう。

 

「時計の人はさー、俺どうすればよかったと思う―?」

 

 今日も謎の気配を感じる時計に話しかけても、一切返事はなかった。なんとなく聞き耳を立てているような気はするのだけれど、やっぱりこれ気のせいなんだろうか。

 

 溜息を吐いて時計を元の場所に戻す。今日は悩みを相談出来る人が誰もいない。しばらく愚痴を零す相手もいない。消化しきれないもやもやと苛立ちが胸を強く圧迫する。

 

 あの日病院で目が覚めてから三週間くらい、ずっとこんな感じだ。

 

 知らない家族とか訳の分からないことばかり起きて。魔法少女とか言えないことばかり増えて。ありとあらゆる悩みばかり大きくなって。その度にストレスが重なっていく。

 

 確かに不慣れで新鮮な生活は楽しい。でも見知ったものが全て消え去った日々に、いい加減俺も限界を迎えていた。

 

 だからだろう。この日葵さんのことを、冷たく拒絶してしまったのは。

 

「こうくん、今日もいってらっしゃいの」

「やめて」

 

 いつも通り出かける前に俺を抱き締めようと伸ばした手を、無遠慮に叩いて落とす。玄関に響いた音は、思いのほか大きかった。

 

 元々いつか断ろうとはしていたものの、ここまで角が立つやり方をするつもりはなかった。やるにしても、もっと段階を踏んで、もっと優しくするつもりだった。

 

 自分でも無意識、咄嗟の反応だったから、冷えた空気の中口を開くことも出来ない。

 

 結局場を収めてくれたのは、少し赤くなった手を摩る苦笑いの葵さんだった。

 

「あ、あはは、ごめんね。よく考えたらこうくんも思春期だし、こんなべたべたされるのはうざったかったよね」

「……あっいや、えっとこれは、ごめんなさい、手が」

「大丈夫大丈夫。おっとそろそろ行かないと遅刻しちゃう。いってきまーす!」

 

 にこやかに笑顔を作り、朗らかな雰囲気を取り繕い、葵さんはいつもと同じ振る舞いで仕事へ向かっていった。

 

 それでも思う。多分、同じじゃない。完全にやらかした。

 

 近くの壁に体重を預け、深く溜息を吐く。七海ちゃんがびくりと震え、息を呑む音が聞こえた。またやってしまった、無駄に怖がらせてしまった。謝らないと。

 

「ごめんね七海ちゃん、朝から空気悪くして」

「う、ううん、大丈夫」

「いつも通り黙って受けてればよかったのに、なんか身体が動いちゃってさ」

「お母さんってスキンシップ激しいから、兄さんみたいになってもしょうがないよ」

 

 七海ちゃんも苦笑いを浮かべ、俺の酷い行いをしょうがないと言ってくれている。甘えて、それで済ませればいいのに。

 

「……本当、ごめん」

 

 俺はもう抑えられなかった。

 

「兄さん?」

「最近あんなに忙しいのってさ、多分俺が退院したせいだよね」

 

 俺の目が覚めてから一週間、退院するまでの間葵さんは毎日お見舞いに来てくれていた。

 

 あの頃は混乱しているのもあって気づかなかったけれど、今考えるとあれは相当無理をしていたはずだ。

 

 葵さんは弁護士、それも優秀でとても仕事の量も多いらしい。

 

 朝は俺達より早く出て、帰りは俺達よりかなり遅い。最初の頃以来、夕食を共にしたのは数えるくらいしかない。休みも不定休で、今日だっていきなり仕事が入ってしまった。

 

 そんな人が一週間毎日、それも日中病院まで来るなんて。いったいそのためにどれだけ苦労をしてくれたのか。

 

「そのしわ寄せがずっと続いてる。七海ちゃんにだって迷惑ばかりかけているし」

「そんな、迷惑なんて」

「迷惑だよ、何もかも。人一人の世話がどれだけ大変かくらい、俺も知ってる」

 

 十四年間誰かに体重を預けていた人生だった。そうしないと生きていけなかった。

 

 だから知っている。平気だよ、大丈夫、心配しないで。その時かけてもらった言葉の裏で生じる、誰だってして当然の溜息や憂いを覚えている。

 

 駄目だ、止まらない。七海ちゃんに言っても仕方のない弱音が、誰に向けてもいけない愚痴が湧き続ける。

 

「七海ちゃん達の大事な時間、俺は取っちゃってる。俺のことがなければ二人でもっと話せて、もしかしたらどこかへ行くことも出来たかもしれなかったのに」

「……お母さんいつも忙しかったから、兄さんのことがなくても一緒だよ」

「それでも、俺にかけた時間の分だけでも一緒にいられたら、きっと違うと思う」

 

 七海ちゃんは葵さんが大好きで、葵さんは七海ちゃんを深く愛している。傍から見ている俺でもそれは分かる。

 

 家族も親子も分からなくても、それがとても素晴らしいものだとは感じる。だから思う。

 

「やっぱり俺、あのままずっと眠っていた方が」

 

 これも最近目を逸らし続けていた、偽りのない本音だった。新鮮で楽しい日々の裏で、密かに抱えて続けていたものだった。

 

 俺が日常をただ享受する裏で、それがどれだけの人にどれほどの負担を与えているのか。意識して考えないようにしていた。考えてしまえば耐えられなかった。

 

 七海ちゃんは優しい子だ。突然こんなことを言われても困るだけだろう。むしろ意味不明で無関係の愚痴をぶつけられ、最悪の場合泣かせてしまうかもしれない。俺はそう考えていた。

 

 けれども俺はまだ、この子のことをまったく理解出来ていなかったらしい。

 

「そんなこと、絶対ないっ!」

 

 七海ちゃんは怒っていた。

 

 よく八の字にする眉は逆方向に上がり、よく照れて染める頬も今は怒りに燃えている。

 

 そしていつも迷いに迷う瞳は、ただまっすぐに俺のことを見つめていた。

 

「起きなきゃなんて、絶対違うから! そういうこと言っちゃ駄目だよ!」

「……ごめん」

「ごめんも駄目!」

 

 じゃあ何を言えば。

 

「なら唐突だけど、一つ聞いてもいい?」

 

 咄嗟に考えて、これはいい機会だと気づいた。

 

 目が覚めた日から感じていた、普段は気まずさや緊張を恐れて出来なかった疑問を、今ここで聞いてみよう。

 

「俺と七海ちゃんって、記憶がどうこうなる前はどうだったの?」

「……えっと、それは」

「正直俺は、なんとなく仲悪かったんじゃないかなって思ってたんだけど」

「悪いというか、その」

 

 怒りに満ちた表情が一転、七海ちゃんは不安げに視線を彷徨わせる。この感じ、今まで聞かなかったこと、今聞いたことは正しかったように見える。

 

 それから胸の前で少し指を弄った後、七海ちゃんはおずおずと小声で語り始めた。

 

「実はね、あんまり、ううん、私と兄さん、ほとんど話したこともなかったの」

「それは仲の良し悪し以前の話のような」

「あの、えぇと、そう、私が行った時、兄さんはいつも眠っていたから」

 

 この家から病院まで車で約一時間、小学生の七海ちゃんが一人で行くには遠い。

 

 そして多分この世界でも俺は病院に十四年間定住していたから、恐らく七海ちゃんが会える機会は葵さんと一緒の時だけ。

 

 それでその葵さんは忙しいためチャンス自体少なく、学校を考えると七海ちゃんが行けるのは平日の夕方と休みの日くらい。その上迎える俺の体力は大抵夕方までもたない。

 

 言われてみれば、運が悪ければありえないこともない話だ。納得した。

 

「だから兄さんが退院出来るって聞いて、これから一緒に暮らすって聞いて、私、あの。……本当は、ちょっと、不安だったの」

「……あー、だからあんなんだったんだ」

「ごめん、ごめんね?」

「いや、当然の反応だと思う」

 

 ほとんど口を利いたこともない、それも異性の兄妹と急に同居することになった。

 

 その困惑には覚えがある。というか七海ちゃん相手に俺もまったく同じものを、同じ時期に感じていた。どうするかなと内心頭を抱えていた。

 

 しかし脳裏に浮かんでいるだろう当時の苦悩とは裏腹に、目の前の七海ちゃんはとても穏やかに微笑んだ。

 

「だけど、すぐ安心出来た。私が想像していたよりもずっとずっと、兄さんは優しかったから」

「……俺が?」

「うん。すっごく」

「七海ちゃんの方が優しかった気がするけどなぁ……」

 

 初日から昼ご飯作ってくれたし、学校への案内もしてくれたし、楽しい話も聞かせてくれたし。しかも全部嫌な顔一つせず、なんならはにかみながらも笑顔でやってくれていた。

 

 そしてそれから今日に至るまで、七海ちゃんの優しさはとどまることを知らなかった。俺とよく話して、一緒にいて、たくさん笑っていてくれていた。

 

 積み重ねた日常を思い出しながら、そういえば、と今更気がついた。

 

 よく七海ちゃんはもじもじと照れる、あたふたと慌てる様子を俺に見せていた。不安や緊張も時々あった。それでも嫌だって顔は、一度もしていなかったような。

 

「あのね、さっき言ったかもしれないけど、お母さんは兄さんがいない時も、昔はもっと忙しかったの。むしろ最近は、帰ってくるのが早いくらい」

「そんなに?」

「私が朝起きたらいなくて、夜寝るまでに帰ってこないこともあったよ」

「そんなに」

 

 社会人の忙しさを俺は舐めていたのかもしれない。いくらなんでもそこまでとは。

 

 驚愕する俺の前で、七海ちゃんはそっと瞳を伏せる。

 

「……だから私、ずっと寂しかった」

 

 そして心の底にこびりついていた泥のように暗く重たい気持ちを、さっきの俺に似たどうにもならない愚痴を呟いた。

 

「家に帰ってもいつも暗くて、寒くて、どこも静かで、時計の音しかしなくて。頑張って料理作っても、お母さん帰ってこれないから結局一人で食べて、一人で片付けて、そのまま誰ともお喋りしないでお休みして。朝起きても、休みの日も、ずっと一人だった」

 

 七海ちゃんの気持ちが全部理解出来るとは言えない。それでも一人の寂しさは分かる。

 

 ついこの間までいた、人生の大半を過ごした病室が脳裏に浮かんだ。

 

 寝る前も、悪夢に飛び起きても、日が昇っても誰もいない個室。俺もずっと寒かったな、なんて思い出す。

 

「でも、兄さんが来てくれたから」

 

 その寒気が消し飛ぶような暖かい笑顔を、七海ちゃんは今俺に向けていた。

 

「私の作ったご飯を一緒に、いつも美味しそうに食べてくれて。私の面白くない話をいつでも楽しそうに聞いてくれて。私のためにって、家事を勉強してまで一緒にしてくれて。一緒にお買い物も、留守番もしてくれて。私を一人にしないよう、一緒に頑張って起きていてくれて。一緒に暮らし始めてからいつも、兄さんは優しかった」

「それくらい、誰でも出来るよ」

「兄さんにはそれくらいでも、私は凄く嬉しかった。兄さんが私のところに来てくれて、起きてくれてよかったって、神様に感謝してる」

 

 まるで宝物について話すかのように、七海ちゃんは大事に、大切に言葉を紡ぐ。

 

「だからお願い、兄さん。目が覚めなければなんて、二度と言わないで」

 

 七海ちゃんはもう怒っていなかった。代わりに、揺るがない意思で俺を見つめていた。

 

 ごめんと謝りかけた口を止める。これは駄目だと言われていた。仮に言われていなくても、今の七海ちゃんに送るには相応しくない言葉だ。

 

 それなら何をと考えて、答えは一つしかなかった。

 

「ありがとう、七海ちゃん。もう絶対言わないから」

 

 お礼と共に、自然と右手が動いていた。艶々とした髪、七海ちゃんの頭に手が伸びる。

 

 一瞬震えたけれど、七海ちゃんの反応はそれだけ。黙って俺に頭を撫でられていた。

 

 暖かく小さな頭を前にして、しみじみと思う。昔はよくされる側だった俺がする側に。時の流れって凄いなぁなんて爺臭い考えも浮かぶ。

 

 同時に俺が最後に頭を撫でてもらった記憶が、最期に田中の兄ちゃんと交わした言葉が不意に蘇る。

 

『なあ耕太郎、俺達今まで色々と話してきたけどさ』

『うん。ろくでもない話多かったね』

『だろうな。んでそのろくでもない話、面白かったか?』

『……ぼちぼち? 意味分かんない、変なの多かったし』

『んだよ酷ぇな。お前に話したせいで、俺があいつに何回殴られたと』

『でもおかげで田中の兄ちゃんのこと、俺一生忘れないと思う』

『……そうか、ありがとうな。なるべく長く、最低百歳までは頼むぜ』

 

 あの時どうしてお礼を言われたのか、昔の俺は理解出来ていなかった。言葉を尽くして説明されても、きっとまだ無理だっただろう。

 

 田中の兄ちゃんも、あのお別れの日にこんな思いを抱いていたんだろうか。だから言葉に出来ない感謝を伝えるために、こうして今の俺のようにしていたんだろうか。

 

 心のまま七海ちゃんの頭を黙って撫で続け、途中で思い出した。

 

 そういえば七海ちゃん、葵さんに撫でられるのも嫌がってたな。じゃあ駄目じゃんこれ。

 

「っと、ごめん、つい」

「ぁ」

 

 外した俺の手を七海ちゃんは目で追いかけ、そのまま両手で掴み取る。それからそっと、再び自分の頭の上に移動させた。そして催促するよう自ら頭に擦り始める。

 

 俯く七海ちゃんの耳は、心配になるほど真っ赤だった。

 

「髪、乱れるから駄目なんじゃなかったの?」

「……今日は、外出ないからいいのっ」

「そっか」

 

 それからしばらくの間、七海ちゃんが満足するまで俺達はそうし続けた。

 

 この時間が俺に自覚させる。もう駄目だ。田中の兄ちゃん達を亡くして以来、絶対に覚えないようにしていた執着が、愛着が既に根付いているのを感じる。

 

 俺はまた、大切な人が出来てしまった。

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