ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第一話「知らない母と妹」

 十月八日の朝、目が覚めると知らない母と妹が出来ていた。

 

「記憶に障害、ですか?」

「恐らくは三か月の昏睡による影響でしょう」

 

 両手で口を押さえ、それでもなお震えを、ショックを隠せていない女性。この人が自称かつ他称、俺の母親らしい。当然見たことは無い。

 

 そして俺の横に行儀よく座り、所在なさげに辺りを見回す女の子は自称かつ他称、俺の妹らしい。もちろん聞いたことも無い。

 

 門前で冷凍されてた系男子と評判の俺には、どちらもまったく心当たりが無い。

 

 なんなら酷く沈痛な様子で説明を続ける先生の方が、俺としてはよほどなじみが深い。優に十年を超える付き合いだ。

 

 先生が同僚の看護師さんに向けて書いたラブレターの中身だって知っている。そしてあっさり振られたこともよく知っている。

 

 いくらなんでも自作ラブソング(メタル)は無いよ、先生。それどこ向け?

 

「意味記憶の方は一部欠落が見られますが、日常生活の中で取り戻すことが出来るレベルでしょう。ただ」

「……お願いします、先生」

「エピソード記憶については、残念ながら断言出来ません。明日明後日には戻る可能性もありますし、一か月一年、それこそ一生をかけても戻らない可能性すらあります」

「…………そんなっ」

 

 口を押さえていた手が目に、顔全体を覆うようになり、やがて知らない母親はうずくまる。

 

 それから何かを必死に堪えるような声を出した後、結局抑えきれずに荒い呼吸と嗚咽を漏らし始めた。端的に言えば泣き始めてしまった。

 

 いくらまったく知らない人、知らない母親と言っても、目の前でこんなにも号泣されると流石に心が動くというか、ものすごく気まずいというか。はっきり言って見ていられない。

 

 その光景から、現実から目を逸らすと、今度は横の知らない妹と目が合ってしまった。どうしよう。こっちにも泣かれてしまったら本当に困る。その時は俺も泣こう。

 

「……」

「……」

 

 数秒ほど目が合った後、今度は向こうから逸らされた。どうも悲しいとか現実逃避とかではなく、なんとなくさっきの俺と同じ、気まずさからの行動に見えた。

 

 俺の記憶には無いけれど、反応からしてこの子とはあまりいい関係ではなかったのかもしれない。

 

 それはそれで困るな。どう対応すればいいかさっぱり分からない。

 

 心中で頭を抱えながら顔を前に戻すと、先生が知らない母親を慰めているところだった。

 

「葵さん達がいらっしゃる前に少し話をしましたが、記憶はなくとも耕太郎君は耕太郎君のままです。今は少し混乱が見られますが、落ち着けばいつものように穏やかな彼に戻ると思います」

「先生……」

「幸い、と言っていいかは分かりませんが、体の数値はこの三か月で飛躍的に改善し、非常に安定しています。退院出来る日も近いでしょう」

 

 あるんだけどなぁ、記憶。

 

 

 

 先生と知らない母親は今後の方針について話し合うということで、俺と知らない妹はいつもの病室に戻された。ここは以前と同じ部屋、十四年変わらない個室だった。

 

 こういう時は患者も一緒に聞くべきじゃ、と思ったものの、理解が追いついていない今はあの人と一緒の空間にいたくない。大変申し訳ないことだろうけど正直助かった。

 

 それにしても起床、知らない女の人(母親?)に泣きつかれる、担当の先生からとんでもない事実を告げられる。

 

 今日ここまでのスピード感がヤバい。全てに置いて行かれているせいで逆に冷静になっている自覚がある。ただそれでも、いい加減そろそろ考えをまとめたい、のだけれども。

 

「……」

「……」

 

 めっちゃ気まずい。俺視点だと知らない子供と一緒だし、向こうからしたら自分のことを忘れた兄ちゃんと二人きり。

 

 俺に家族はいない。だから家族に忘れられるって感覚がどこまで辛いのかなんて想像も出来ないけれど、絶対軽いものじゃないはずだ。

 

 考えれば考えるほど胃が燃え上がりそうな気すらする。やめよう、こういう時は頭じゃなくて口を動かそう。

 

「あー、七海ちゃん?」

「あっえっはい、な、七海ですっ」

 

 時枝七海。それがこの子の名前らしい。そういえばこの子と俺は兄妹らしいから、今の俺は名字が時枝になるのか。

 

 時枝耕太郎。前のよりは不思議としっくりくるな。ちょっと気に入った。

 

「いきなりで悪いんだけど、ちょっと顔よく見せて」

「えっ」

「……ふむ」

 

 結構ラインを超えた言動な気はするけれど、建前上記憶喪失だから許されて欲しい。適当な言い訳を自分に投げつつ、妹(仮)の顔をよくよく観察する。

 

 驚きに見開いてから、気まずそうに泳ぐ大きく丸い瞳。緊張して窄む小さな口。ほのかに赤く染まった頬。よく手入れされているだろう、丁寧に結ばれた艶やかな三つ編み。

 

 健康そうで何より。うん、まったく似てないな。

 

 確かこの子小六、十二歳とか言ってたっけ。今は当然としてあの頃の、二年前の俺と比べても全然だ。

 

 嫌々ながら遺伝上の父親を思い浮かべてみても欠片も被るところが無い。ただ無駄に気を悪くしただけだった。

 

 駄目だな、今のところ俺との共通点は見当たらない。

 

「あっあの、おに、兄さん、どうした、の?」

「んー、急にごめんね。ちょっと似てるところ探したくて」

「似てるところ……? あっ」

 

 はっとしたように、七海ちゃんが両手で口を押さえる。これさっき母親(仮)もやってたな。これがいわゆる血のつながりってやつか。俺と違ってあの人とは全体的な雰囲気も似てたし、多分二人は普通に親子なんだろう。

 

 とにかくこの反応はきっと、俺に記憶が無いことを改めて実感したせい。ならこれ以上はよくない、やめておくべきだ。

 

 記憶について俺は不安になる程度だけど、忘れられたこの子はもっと何かこう、色々と嫌な気持ちになるはず。俺の都合でそんなものは押し付けられない。

 

「まぁいいや。じゃあ七海ちゃん、ついでにもう一個お願いなんだけど」

「う、うん」

「気紛らわしたいからさ、暇つぶし付き合ってくれる?」

 

 だから誤魔化しと本音のお願いを混ぜて、前と変わらない場所にあったトランプを取り出した。

 

 

 それから妹(仮)と諸々の話や手続きを終えて戻って来た母(仮)を交えて、面会時間終わりまでトランプやら雑談やらをした。

 

 そして二人が帰ってから夕食等を済ませて消灯の時間。ようやく状況を整理出来る時間に、一人きりになれた。

 

 俺の状態がよっぽど悪かったのか、なんだか今日は看護師さん達がいつもより甲斐甲斐しいというか、妙に世話焼きだったからだ。

 

 たかが三か月の昏倒に記憶障害に大げさな、いや適正だ、重症だなこれ。いつも以上にいつ死ぬか分からない。出来る限り一人にしないのも当然だった。

 

 ただ状況を整理、考えをまとめようと言っても、俺に分かっていることはたった二つだけ。

 

 三か月間昏睡していたこと、その間に知らない家族と知らない過去が生えたということ。このたった二つの現実が頭を悩ませる。

 

 いや本当これ、どういうこと? 混乱と困惑と恐怖で頭がくらくらする。

 

 こういう時一度に全てを解決しようと考えても、絶対にろくな答えは出ないだろう。いったん何もかも切り捨てて、とにかく問題をシンプルにしてみよう。

 

 何がおかしいのか。周りの状況と俺の記憶。言い換えれば、世界と俺がおかしい。そしてこの二つはお互いを否定し合っている。

 

 世界が正しければ俺の記憶がおかしい。逆に俺の記憶が正しければ世界がおかしい。問題なのは、どちらも確証が無いことだ。

 

 正直一番助かる、一番簡単な答えは俺の頭がおかしい方。たとえば今この時は夢や走馬灯、もしくはいわゆる幻覚的なものだとか。

 

 体調を崩した時に見る夢は大体強烈だし、俺も酷い時には今以上に意味不明なものだって見た記憶がある。

 

 もしも今がそれなら、この後は目が覚めるか二度と覚めなくなるかの二択で済む。放っておけばそんな結果に落ち着くだけだから、俺は文字通り寝て果報か訃報を待てばいいだけの簡単な話だ。

 

「でもこの疲労感、現実味たっぷりなんだよなぁ」

 

 全身が重く気だるく、肩も凝り固まっている気がする。見知らぬ母と妹という未知との遭遇はそれほどまでに衝撃的だったらしい。文脈が違えばほとんどホラーみたいなものだ。

 

 このお腹の奥底から響くずしんとした感覚は、きっと夢では到底ありえない。ならばこれは現実なのか。

 

 信じがたい結論と同時に出た深い深い、体の重みに見合うため息の後ふと気がついた。

 

「……そもそも、こうして起きていられるのもおかしいよな」

 

 目が覚めてから今の今まで、俺は今日一日ずっと起きていた。

 

 元の俺がよわよわを極めていたのを抜きにしても、三か月も寝たきりだった奴がいきなり目覚めて、その上歩いたり遊んだりなんて普通出来るのか?

 

 人は普通数か月も寝込んでいたら、それどころかたった数日でも何かしらの後遺症が残ることもあるはず。それなのに、今日の俺はかつてないほど絶好調だった。

 

 その証拠に晩御飯も珍しく、美味しく完食出来た。やっぱりおかしいことばかりだ。

 

「どれもこれも、本当意味分かんないなぁ。考え過ぎて頭痛くなりそう」

「さっきから独り言多いぴょん。そんなに辛いならナースコール押すぴょん?」

「あっすみません、大丈夫です。これはその、気疲れみたいなものなので」

「ならいいぴょん。でも独り言は癖になるから気を付けた方がいいぴょん」

「ありがとうございます。気を付けます。………………えっ?」

 

 この病室は個室で、今はもう消灯時間。当然俺以外の人がいる訳なくて、だから俺以外の声が聞こえる訳なくて。

 

 あまりにも唐突過ぎて恐怖も警戒もなく、反射的に声の方へ視線が動く。

 

 そこには赤い手ぬぐいを首に巻いた白いもこもこの、例えるならウサギのような何かが浮かんでいた。

 

 なんだこれ。今日ちょっと情報量が多すぎ。メモリそろそろ焼き切れそう。

 

 再び頭を抱えたくなるのを懸命に堪え、なんとかリアクションを絞りだす。誰であれどんなものであれ、ファーストコンタクトが一番大事だ。

 

 苦慮の末、未知の存在X相手に俺が選んだのは人類最古のマナー、挨拶だった。

 

「…………こんばんは?」

「こんばんはぴょん。今日もいい月ぴょん」

「……気付かなかった、満月だったんだ。ウサギさん的にはやっぱり、満月はいいものなんですか?」

「夜空に浮かぶ満月を美しく思えないなら、それはまだ心の目が開けていない証拠ぴょん」

「おぉ、なんかよく分からないけど格好いい」

「照れるぴょん」

 

 誘われるように窓へ近付いてから少しの間、揃って満月をじっと眺める。本当に綺麗だ。

 

 考えてみると、こうしてしみじみと空を見上げるのはいつ振りだろう。最近はもう消灯時間まで起きていられなかったから、月なんて数年は見ていなかったような気がする。

 

「すみませんウサギさん、そろそろ電気つけてもいいですか?」

「構わないぴょん。明るい部屋から見る月にも、また違った趣があるぴょん」

「ありがとうございます」

 

 許可を得てベッドの電灯をつける。なるほど、確かに真っ暗の時より輝きは小さくなったけれど、今の月は穏やかな感じが増した気がする。

 

 その光を浴びて数十秒。なんとか気持ちを落ち着けて覚悟を決めた俺は、ようやく謎の訪問者へ向き直った。

 

「それで、ええと、ウサギさんはどういう、というかどうしてここに?」

「君に会いに来たぴょん」

「俺に」

 

 こんな不思議物体との縁なんて無いはずだけども。

 

 疑問に腕を組み、大きく首を傾げる俺の眼前にそれはふわりと浮いて、その現象よりさらに訳の分からないことを堂々と告げた。

 

「らびらびはらびらびぴょん! 君に、魔法少女になってもらいに来たぴょん!」

 

 魔法少女、俺が。不思議生物の意味不明な言動に思考が止まる。頭が真っ白になった俺は何故か挙手していた。

 

「あの、すみません」

「質問ぴょん? 何でも答えるから、どんどん聞くぴょん!」

「……ぴょんは、名前に入りますか?」

「入らないぴょん」

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